村上原基人生勉強会 人生一言2  事務所:京都市伏見区/滋賀県高島市
村上原基人生勉強会 MKJB
   村上原基人生勉強会 人生一言2  
頁責任者:村上和隆
 
 
  
             目       次
71 便利な道具や過剰なマスコミの功罪、必しも良いことだけではない、自然の掟【無用なものは滅びていく】
70 平和とか、平穏というのは、本当に良いことなのか
69 オギャーと生まれたら、死と向き合い、一生かかって捨てるために生きると考えてみたらどうでしょう
68 村上和隆人生塾で守るべき20項目「人間が日常の暮らしできちんとすべきこと」
67 原因があるのに分析しようとしない、だから同じ過ちを何度も繰り返す
66 何か得るということは何かを失うことを慎重に考えなくてはならない
65 いつか失うとわかっている些細なものを必死に得ようと追い求める
64 私自身を含めて、人間というのは困ったもので「自分が問題だらけな駄目な人間だと強く認識」することが全くできのです。
63 近づく中国の台頭について思うこと、人間は猛反省の時期だ
62 鬱病の人を抱えた周囲の方へ私の見解
61 本物の豊かさとは『見かけの豊かさ=堕落』→人間の原点に戻り、物事の本質を見極めましょう
60 子供から尊敬されていないことを親は重大なこと、危機と受け止めているか?
59 昔戦後の日本、親から普段言われていたこと。今は?
58 会社で社員を褒める場作り
57 転職5回の私の経験に基づく、転職についての考え
56 現代は全てのことが誤魔かしの生き方化している
55 若者よ、自分が認められないことなんかで悩むな
54 徳のある政治家・役人・先生・経営層の守るべき最低限のもの
53 ご案内:年頭所感掲載しました
52 豊かさと便利さによって、あらゆるものが退化しているが人間よ、これで良いのか?
51 人間は、なぜ堕落するのか「ほどほどでいい主義」の勧め:普通の人間、普通の国を目指せ
50 逆転の発想をもっと重視する生き方へ(貴方自身が逆転している)
49 頭の良い人というのは困ったものだ、人を欺く
48 意識して「身も心も暮らしもいつも空っぽにすること」の勧め
47 地球崩壊や人類破滅の確率は?(残念ですがそう遠くなく確実に崩壊します)
46 神「人間どもめ、頼みもしないことを知り・考え・勝手に変えたり、作りやがって」
45 子育て・会社・学校で「ほったらかし」はいかん
44 お寺や神社で神仏などを拝むが、人は皆「偶像崇拝者」なのだ
43 人生を極めるのが人生であり/昔の人間に戻りもっと真面目に生きよう
42 なぜ、人間は「ゆっくり」を味わえないのか?楽しめないのか?
41 国民は「欲しがりません死ぬまでは」徹底して無駄を無くさないと生きていけない時代が来る
40 もう駄目だと思った時、諦めたらもうお仕舞いだ。歳相応になんとかしろ、必ず蘇るから
39 何度言っても直そうとしない人の群(まだまだ三流の慢心人間)
38 「汝の敵を愛せよ」
37 人生における苦難の意義
36 霊長類の人間は、獣以下であってはならない
35 日本人は真剣にリスクを避ける重大な時期が来ている
34 物理法則曰く、「作用があれば、反作用あり」
33 何でも相手の責任にすることを止めよう、甘えん坊の子供を卒業しましょう
32 多くの人と同じ道を歩むべきか違う道を敢えて選択すべきか
31 若い時に苦難や苦労が多いのは当然だ
30 苦しいからと、自殺なんかするなよ、悩みなんか笑い飛ばせ
29 知ることがいいとは限らない
28 世の中おかしくなって、女が女らしさを失い、男なみに堕落していく
27 「できません」と平気で言う社員さんや会社さんが増加している、そういう時代になった
26 .昔の人は当り前に苦を求めたが、現代人は楽を求める
25 管理できない人が増えています→崩壊への道か?
24 .苦を師とし・苦を友とす 村上和隆
23 偽装人間の多い現代は土台・基礎・根本崩壊時代が進展する
22 本物の学歴社会
21 貴方は、結婚相手に何を求めるか?
20 迫るリスクへの対応はできていますか?いざとなって泣かないように!
19 現代への思い村上和隆
18 普通の人間は絶対に「人は人になれ」ない
17 日本文化は、日本語の文化、その日本語が絶滅の危機に、残念です
16 「松井選手が謝った」ことがアメリカで話題になったとか?
15 人生バランスが大事、直すというより正常なバランスに戻すべき
14 ニートはけしからんのか?@美田を残すなA結果に手を打つなBもっと真摯に反省しよう
13 WBC(世界野球大会)で日本が勝ったことはそんなに良いことなのか?
12 格差拡大というが、悪いことなのか?
11 無能で不誠実な政治家や役人の思いつきの対策にまかせていいのか、またまた失敗するのでは?
10 何事も徹底してやれ!我が事務所の「捨て捨て作戦捨て作戦」の巻き「たかが捨てる・されど捨てる」
9 増える偏りたがる現代人へ、偏ることの危険性について
8 神仏や法律の要求事項やルールを見直しましょう。ルールを定め厳格に守ること
7 魅力的人間とはどういうものか?受け狙いの安っぽい男(女)になるな
6 結果はどうでもよい、大事なのは過程(プロセス)だ、結果とはウンコなんだから
5 今思い出そう「欲しがりません勝つまでは」の意義
4 多くの日本人が過去を清算し来年の希望を新たにせずに年を越す。年末大掃除の意義は大きい
3 姉歯事件に思う3:恫喝や法律違反を内部告発のできる会社・社会へ
2 姉歯事件に思う2:「専門家まかせで、関与せず」の体質
1 姉歯事件に思う1:姉歯建築設計事務所の耐震性書類偽造事件

■過去blogに投稿したものの記録

第9号 村上和隆の人生塾「一言」
9.便利な道具や過剰なマスコミの功罪、必しも良いことだけではない、自然の掟【無用なものは滅びていく】
現代は、グローバルな自由競争や技術進歩により、便利さや豊かさが一人歩きし、更に加速してしまい、一生懸命追いつこうとしても進歩に追いつけなかったり、そういうものに引きずられ過大な影響を受けてしまう人々が出現しています。
異常に早いスピード狂時代に、有用や無用な情報が沢山氾濫していますが、日本では大手新聞社だけでも130社、テレビ局も約100社もあり更に出版関係を含めるとマスコミの数は膨大なものになります。インターネットの時代に何でそんなに沢山必要なのか不思議でなりませんが、よく会社がつぶれないものです。
良くも悪くも毎日、巨大なマスコミの影響を強く受けて暮らすようになって、自分で考える必要がないような時代になって行きつつあるのです。
テレビや雑誌などマスコミは非常に便利で楽しいもので、人は考えなくてもいい又はマスコミと同じような考えをすればよいという傾向が、今後どんどん加速していきます。最近は、自分で料理する家庭が少なくなっていますし、女性が当り前のように料理することは、もう昔話になっています。
ワープロは、漢字を忘れさせ、電卓は計算を忘れさせ、エレベーターは足腰を退化させているのです。
”便利さ”が自分自身でやるという本来の姿をどんどんゆがめていくわけです。便利な道具である一方、人類を退化させる恐ろしい凶器になりつつあるのです(包丁が使いようで凶器に変わるようなものです)。
自らの人生をきちんとする上で一番大事なことは、自分自身の頭を使って考え、汗して働くということです。現代人は、自分の身体の各部分を使わずに、安易にエアコンやエスカレーターや自動車やテレビなどの電気製品や水道やガス・・・・に頼ってしまうのですが、最近私はあえて、こういう人間を駄目にするものを避けるようにしています。
考える葦である人間にとって最も大事な”考えるという行為”をテレビ・マスコミやインターネット依存症ということであっさり捨てようとしている人間はもう末期的なのでしょうか?
レトルト食品や弁当買って料理をしなくなったように、考えることもマスコミや専門家やパソコンがやるようになれば、人間は人間でなくロボットやコンピューターに取って代わられ、手足はもとより頭もなにもかもまともに動かず、衰退・堕落・崩壊・していくのでしょうね。
ロボット・アイティー・自動機などは、人間の本来の自然の力や働きを真っ向からぶっ壊す以外の何物でもないのですね。
なんてことはない、技術進歩や経済進歩が人間を衰退・堕落・崩壊へと押しやっているだけなんです。
自然の掟【神は、無用なものを容赦なく滅ぼしていく】
現代は、ある意味、「孤独の時代」だと言うことができますが、孤独になって自分自身で考え、自分自身で行動するということであれば、ある意味では大いに良いことなのかもしれませんが、どうもそうはなっていないようですね。
第8号 村上和隆の人生塾「一言」
8.平和とか、平穏というのは、本当に良いことなのか
戦後悲惨な戦争で負けたということもあって、日本は平和国家を旗印にし、おかげで驚異的な経済発展を遂げてきました。
平和が望ましいというのは確かにそうですし人殺しや悲惨な紛争・戦争は嫌ですし、私も平和主義者の一人です。
しかし人が切望する平和・平穏は、皮肉なことに、幾つかの問題を引き起こしてしまうのです。すなわち自分だけが平和・平穏であるなんてことも、永遠に平和・平穏が続くなんてことも有り得ないのです。
また長い平和・平穏によって日本の若者は、生きがい、気力・体力、働く意欲を奪われてしまったとも言えるのです。
@平和・平穏により危機感が薄れる
A平和・平穏が当り前になり緊張感がなくなる
Bいざという場合の備えを疎かにする
どんな事でも、良い面だけではない、よく効く薬ほど副作用があるのです。平和・平穏が続くと、目に見えないところで、じわじわと争いのタネが増殖していくのです。
平和というのは、何もない状態とか平穏無事な状況とか言い直しができますが、平和・平穏の有り難味も忘れて、ノンベンダラリンの無防備状態になっていってしまうのです。平和⇒油断、「油断大敵」というやつですね。
そういう無防備状態を例えば、俺俺詐欺やリフォーム詐欺など油断する人々を狙う者が現れてくるのです。健康だからなどと、この世の春を呑気に謳歌しているとある日突然、癌を宣告されることがあるのです。
油断したら、縄張りが奪われるというのが、自然界の生き物や人間界の掟なんです。
立派な木や美しい草花でも、油断していると、外来種やより強い木や草花に生育地を奪われるということも、よくあるのです。
だから平和とは、悲惨な戦争に対しては望ましいことなんですが、”平和=良いこと”かというと、必しもそうも言い切れないのです。
むしろ戦争状態の国より平和が長く続く国のほうが弱く、危険であるということを歴史も証明しているんです。
個人のことでで言えば、病気もせず・ハンサムで・人付き合いもよく・仕事もばりばりやって・給与も高く・貯金もあって・子供も順調で・・・・なんて人が、ある日突然どん底に落ちるなんてことがあるのです。
平穏無事な日々を暮らしていて、それが長く続いている人ほど、いざという時に弱いということを夢夢忘れてはなりません。
贅沢・平穏・無事・順調・・・は味方というより、むしろ大敵であることも注意しなくてはなりません。良かれ悪しかれ人生は戦いなのであります。
第7号 村上和隆の人生塾「一言」
7.オギャーと生まれたら、死と向き合い、一生かかって捨てるために生きると考えてみたらどうでしょう
人は誕生という言葉は良い言葉で、お目出度いと思い込み、死という言葉は口にするのもタブーであって、四でさえ極端に忌み嫌うのです。
冷静に考えてみれば、人間の誕生は、長くつらい旅の始まりであり、重いものを背負い歩き出す、ある意味で悲しい瞬間でもあるのです。
それに対して、死というのはゴール・旅路の終わり・到達点・安息所と考えることもできるのです。乱暴ですが、人間は生まれた時から、「死への長くつらい旅立ち」又は「楽しいドキドキする冒険」が始まると言うことが出来るのです。
貴方が、いつか死ぬるときに、”安心し切って穏やかな死”を迎えることができるか?苦難に満ちドタバタした死を迎えるかは貴方の日々の心がけ次第なんです。
ですから、誕生も死も大差ないくらい重みのある大事なことであり、よくよく考えてみれば、相対立するものではなく、出発がなければゴール無し/ゴールがなければ出発もないのです。
どちらも”目出度くもあり、どちらも目出度くもなし”なのです。ゴールまでの道のり・長さ・険しさは、人によって著しく違うのです。80歳くらい迄長く生きる人もいれば、10年・20年そこそこで短い人生を終える人もいるのです。
男は79歳女は85歳まで生きられるなんて保証されているわけでないのです。死を忌み嫌うのではなく、むしろ常日頃”自分の死に場所”・”死に方”を真剣に考えることこそが大事だと思います。
日々なんとなく元気で生きていると、明日にでも死ぬかもしれないということを忘れて日々安易に漫然と浮かれて生きることは、決して良くはないのです。
早死にした人に「あの若さで死ぬなん、可哀相ね」なんてこと言いますが、それがその人の運命だったんです。むしろ生まれた以上は、常に死を想定・覚悟し、死ときちんと向き合うことが大事なことなんです。
死は、良くも悪くも貴方の最終到達点ですし「終わり良ければ全て良し」とも言うのです。貴方が今3万円持っているとします。次の給与の日までは20日あるとします。その間、あちこちへ支払いもしなくてはいけませ。
そうであれば貴方はいろいろ考えを巡らし、その3万円を極力大事に計画的に使うはずです。しかし、もし20万円も持っていたとしたら、そんなことは全く考えようともしないでしょう。はたしてどちらが良いのでしょうか?
死から目をそむけ、自分の死を真剣に考えることを、貴方は避けていませんか?よくよく考えてみると、すでに生まれた貴方にとって、誕生より死のほうが十倍〜百倍大切なのです。
もし「明日死ぬ」と言われても、「自分の人生に十分満足している、いつ死んでも悔いはない」と泰然自若、言い切れることができるでしょうか?
”どう生きるか”と同じくらい”どう死ぬか”が大事なことですが、いざ死ぬ直前に「こんな死に方は、したくなっかた」とそのことに気付かされるのです。
よく言いませんか?「出会いより別れのほうが人を磨く」別れとは、本来悲しいだけのものではないのですが、単純に、分かれは哀しく・ありべからざるものと思い込んでしまうのが人間の小さな心なんです。
第6号 村上和隆の人生塾「一言」
6.村上和隆人生塾で守るべき20項目「人間が日常の暮らしできちんとすべきこと」
村上和隆人生塾を3月に開校しましたが、当塾で基本に戻って、努力して戴きたいことを次に掲げます。
これらをまず最低限守れるようになる又はその基盤を構築することが必要です。村上和隆人生塾の初級や中級ではここら辺がまず最初の難関ですね。
村上和隆人生塾の会員に応募する場合も、中級・上級の方の場合は、ある程度までは、出来るようにしておいて下さい。
ちなみに皆様も毎年一度はチェックして、自分の人生への姿勢の変化を確認し、問題点を是正して行って下さい。
  一、質素・倹約      裕福な人が苦手な項目
  二、挨拶・礼儀      努力が必要な項目
  三、謙虚・堅実      抜け落ちやすい項目
  四、健康・健全      現代人が苦手な項目
  五、家事・労働      現代人が苦手な項目
  六、本来無一物      かなり高度に難しい項目
  七、整理・整頓      努力が必要な項目
  八、清掃・清潔      現代人が苦手な項目
  九、創意・工夫      努力が必要な項目
  十、勤勉・努力      努力が必要な項目
  十一、心配り・配慮   現代人が苦手な項目
  十二、現場・現物    抜け落ちやすい項目
  十三、調査・分析    抜け落ちやすい項目
  十四、腹八分目     意外に非常に困難な項目
  十五、感謝・報恩    抜け落ちやすい項目
  十六、明朗・快活    人によって難しい項目
  十七、読み・書き    難しい項目
  十八、目的・目標    難しい項目
  十九、和親・調和    難しい項目
  二十、管理・改善    かなり難しい項目
5点法で採点して、平均的な人は、合計が多分40点くらいになると思います。
60点が当面の目標それ以上は登山同様にかなり到達困難なはずです。
第5号 村上和隆の人生塾「一言」
5.原因があるのに分析しようとしない、だから同じ過ちを何度も繰り返す
歳をとると物忘れが激しくなります。60歳以上の多くの老人の方は、「私も、もう歳です」と、いとも軽々しく、問題は全てを歳のせいだと言うものです。
一見「そうです、そのとおりですね」なんてことになりそうですが、実を言うと、ここに大きな落とし穴があります。
年齢だけでなく人というものは、問題が起きると、その原因を何か自分以外のせいにして納得してしまう癖があるのです。
こういう何でも他のせいにする生き方を当然のようにしている人には、いろいろな不幸が襲ってきて、本当の幸せなんか永遠に来ないばかりか、不幸が次々に襲って来るはずなんです。
年寄りになると、何でも歳のせいにしていませんか?”歳とる=きちんとできない”のが当り前という認識が間違っているのです。
物忘れで失敗する原因は一つでなく、少なくとも二つはあるのです。
@歳のせいで脳が衰えている
A忘れないように又は忘れてもいいように確認とか管理が不十分
という、二つなのです@ばかりのせいにするのでなく、歳をとったらAの確認や管理が大切になって来るのです。一般に何か事故・事件・災難が起きても、当面の事態の火消しばかりで、原因の分析ができない人・分析をしない人がほとんどなんです。
何故なんでしょうかね?または何故だと思いますか?私の推測ですが、実に単純なことでして、人間は”面倒なことをしたがらない”というのがその理由のようです。
せっかく万物の霊長として生まれた人間なのに、人間は、何とも物臭な・横着な生き物なんです。
歳とると神仏に拝む老人が急激に増えますが、貴方が、もし物臭で横着な人間であれば、神仏に「幸福にして下さい」なんて祈らないことですね。そんなのは神頼み・気休めであって何のご利益もないはずです。
第4号 村上和隆の人生塾「一言」
4.何か得るということは何かを失うことを慎重に考えなくてはならない
戦後、日本は世界が驚嘆するような経済発展をし経済大国やG7になった、がしかし、その代償として、日本は非常に多くのものを失ったことに気付かされるのであります。
失ったものは二度と取り返しができません。本来こんな惨めなことは、予想もしない、あり得ないことだったのですが?しかし、いつの時代にも、現実には、本来の目論見と裏腹にとんでもない結果になるなんてことが多いのです。
人間の考えることの浅はかさとでも言いましょうかね。その根本にあることが
「どんなに良いことであっても、何かを得るということは、別の何かを必ず失う」
という自然の法則です。むしろ失ったおかげで、得られる大きなものは、意外に多いものです。
ところが本来有能なはずの人間というのは、浅ましいもので得れば得るだけ得したとか、どんどん増えていくという間違った認識を安易にやってしまうのなんです。
贅沢や便利さを得れば地球環境を犠牲にし、権力を得れば横柄になり、平和になれば油断し、金持ちになれば怠惰になり、健康になれば無理をし大病の元になり、都会に住めば自然から遠ざかり、平和が続くと戦争への備えが疎かになり、頭が良くなると汗して働くことを軽んじる、ようになってしまうのです。
ですからあまり欲張って、何でもかんでも手に入れようとしないことです。質素・節約・謙虚・・・というのは本来人間の欲張り過ぎを戒める非常に重要な言葉なんです。
貴方がそれが欲しいからという理由で、何かを手に入れよう又はしようとする時、注意すべきことは、
何を得るかという面だけでなく、その結果何を失うかという面に同じように着目すること
を忘れてはならないのです。
第3号 村上和隆の人生塾「一言」
3.いつか失うとわかっている些細なものを必死に得ようと追い求める
日々生活において、人々を客観的に診ると、血眼になって小ぽけな欲望を満たそうとする人が多いことに気付きます。
特にまだ未熟な若者は、そういう傾向が大きいのですが、歳とって自らの前半生を振り返ってみますと、いかにもつまらんことに、情熱や貴重な時間やお金や労力をつぎ込んできたなーと気付くものです。
自分が日々求めるものが実にくだらんことだという認識は、一番大事なことです。
何が価値あることで、何がそうでないのか、しっかりした価値観を持つことが人間としてやるべき、まず最も大事なことなのですが、こういう大事なことを抜きにして漫然と生き続けてしまうのですね。
おぎゃーと生まれて最後死ぬ日までいつか必ず失うはずの幻みたいなものを、必死に求める愚かさ・哀れさ、贅沢品・化粧・酒タバコ・グルメ・色恋・権力・名誉・他に勝つこと…・・、例えば女性が一生懸命化粧や流行の服装を追い求めますが、若くて美しい女性があれこれ塗りたくって化粧をしたり、かなり高齢のお婆さんまで異常なほどに無意味な化粧や衣服にお金と時間を使うのです。
そういう刹那的・俗世間的なものに、毎朝毎晩、貴重な人生を過剰に浪費するのは哀れささえ感じます。
動物達のほうがその点人間よりもっと真剣に真面目に日々暮らしているように見えるのは私だけでしょうか?
もし、貴方が仮に”人間”であったとしたら、もっとやるべき大事なことが他にあるはずです?「異常なまでに化粧をし、着飾ったところで、一体何がどうなるというのか」そういうことを一度でも考えたことがありますか?
「人間として生まれて、何が一番大切なことか」を真剣に問わずに、ひたすら目の前にブル下げられた美味しそうな餌に目を奪われ必死に追い求めるハイエナや猿のような姿は、浅ましいの一言です。
無限の時間の中でたった一度の自分の人生は、ごく限られた時間しかありません「命短し、恋せよ乙女」というか「命短し、磨けよ人間」と思います。
第2号 村上和隆の人生塾「一言」
私自身を含めて、人間というのは困ったもので「自分が問題だらけな駄目な人間だと強く認識」することが全くできていないのです。
もし、問題認識があったとしても、自分が悪いのではない、国が社会が親が会社が悪いと他のせいにしてしまうのです。
しかし、こういうのは逃げであってこういう人間は、いつ迄たっても人間の本質に近づくことができないのです。
僧侶でないですから、一般人は、本格的な修行が出来ないのですが、せめても普段の暮らしにおいて、常に「自分は、堕落・傲慢・慢心・強欲・愚か・汚れ…手のつけようもない小ぽけな人間だ」と思っておかないと、ますます駄目な人間へと堕落していきます。
そもそも問題点の改善というのは、「問題を認識すること」から始まるのであって、問題が沢山あるのに、それらの問題を認識しない人は、永遠に改善など出来っこありません。
会社でもそうですが、まず大事なことは問題意識をいかに植え付けるかなんです。ところが問題意識というのは、実を言うと、そう簡単には身につかない、かなり厄介なもんなんです。
例えば元気な人間がある日、予期せぬ大病をして死ぬかというような状況になると、やっと人間は、健康の大切さを認識し大きな問題意識を持つのです。
人間は、自分自身がかなり困らなければ問題意識を持ちません。ということは、人間は、まず大きな困難を沢山体験させることが大切ということになるのです。
昔から言うでしょ「可愛い子には(困難な)旅をさせよ」「獅子は子を先陣の谷底に突き落とす」子供や社員は困難な仕事を与えることですね。そこが人間が真っ当になる出発点なのであります。
できれば自分みずから「我に、艱難辛苦を与え賜え」(山中鹿之介)という態度が理想的ですがね。艱難辛苦を味わったことのない人間に、人生の大切さを語っても無意味ですからね。
第1号 村上和隆の人生塾開校しました「一言」
戦後日本は全を失いその日の食物にも事欠く中で、日本の尊厳も全て捨て去り、一挙に欧米化や経済成長につっ走ってきました。
戦争に負けて、突如、民主主義・自由主義に様替わりして、あたかも、日本は良い国になったみたいな安易な風潮が蔓延していきました。
戦後、物もプライドも自信も全て失った日本でしたから、それも致し方ないとは思いますが、いかんせん、あまりにも行き過ぎてしまった、今になって、その大きなつけが廻ってきたのも確かです。
もう建て直しのしようがないくらい日本文化や日本の精神文化の荒廃が進んでしまったのです。
更に、政治家や役人や経営者などの指導層の腐敗・無能化や経済の破綻や少子高齢化などが現代の精神荒廃に更に拍車をかけているのです。でもそういう精神荒廃を「もうしかたがない」「もう何やっても無駄だ」「政治や社会が悪いんだ」と諦めて良いのでしょうか?
最も大きな問題は、精神荒廃からの回復・再生を諦めてしまうことそのものではないでしょうか?現代人の多くは諦めてしまいかけています。
一方、逆に日本の文化のとびきり優れた面や特性を、見直し驚嘆・驚愕しているのが、なんと欧米人達なんです。
145.近づく中国の台頭について思うこと、人間は猛反省の時期だ
かつての熱狂的な共産主義を、ある日突然いともあっさりと明け渡した
かつて、資本主義を徹底的に批判した熱狂的な人々
戦後の日本人があっさり欧米化し日本的生き方を棄てたように、あっさり共産主義を投げ捨てたのだ
そして、こてこての資本主義を俄かに身にまとい、勝どきをあげ、自信満々・得意満面なのだ
まさにかつての戦後の日本そのものだ、いや日本以上だ
あたかも「資本主義こそ最高」「俺らは資本主義の盟主だ」みたいな・・・
そして幸か不幸か、意外にあっさり資本主義を取り入れ、根付かせたかのように感じているのだが?
眠っていた巨大な怪物がある日、突如、目を醒ましてしまった、目覚めさせてしまった。そして自国の多くの問題はそのまま残しつつ、新たな困難な問題を次々に作り出し、世界に撒き散らし始めた。
かつて尊大になったアメリカや日本と全く同じだが、中国はあまりにも巨大な怪物なのだ。世界の運命は、もはやアメリカより中国によって握られたと言っても過言ではないらしい。
そう言う意味では、差し迫った中国バブル崩壊なんてのは、ほんの、これから始まる世界の大悲劇の序章に過ぎないのかもしれない。今もてはやされている中国であるが、「中国はよくよく調査・分析すると、最悪と言われている日本やアメリカよりすでにもっと最悪な国・脆弱な国である」と言う専門家も多い。足が地についていない成金のようなものに過ぎないと言うのだ。
・中国人は謙虚さを失い
・中国人は傲慢になり
・中国人は貧富の差はほったらかし
・中国人は世界の多くの資源を無駄使いし
・中国人は国土を汚し
・中国人は役人は汚職
・中国人の一部の金持ちが国家を私物化し
・中国人は投機に走り
・中国人は外国からの一時の羨望に酔いしれ
・中国人は尊大になり
・中国人は平気で害毒を世界にばら撒く
・中国人は自分さえ良ければいいのであって、先進国は基本的に同士ではない
・中国人は、かつての熱狂的共産主義から方向を大きく変え
・中国人は俄かな成金の指導層が国家を危うくしている
・中国人は資本主義の怖さ・困難さを知らず
・中国人は真の民主主義とは馴染まない国
・中国人は子供のように・酔っ払いのように足が地についていない
・中国人は怖さを知らずにはしゃぎまくる
・中国人よもっと冷静になれ、謙虚になれと思うのは私だけではない
・中国人よ、すでに先進国は大きな過ちを犯してきたことに気付け
・アメリカに続き、俄か作りの中国の化けの皮も剥がされる時期が刻一刻と迫っている
幸か不幸か中国人は、多くの資本主義国家が何年もかかってきた道を一日ででっち上げてしまったのだ、土台も基礎も極めて脆弱な家みたいなものだ
アメリカは自ら引き起こした多くの戦争や紛争と出鱈目な経済運営によって今正に崩壊を始めた。
ここで世界はそういう悪い手本を見て反省し・謙虚さや真面目さを取り戻すべきなんですがねー。ますます地獄へと落ちて行くんでしょうかね?
「中国から早く逃げろ」「中国とは縁を切れ」「縁を切らないまでも遠ざけよ」と心ある専門家は言っていますが、私も、大きなお世話かもしれませんが、そう思いますね。
少なくとも今年〜来年は、とんでもない恐ろしい年になるかもしれないと警告する人もいます、社長さんは、今年〜来年、リスク回避を真剣にやって下さいよ。
万一中国バブルがはじけなかったとしたら、むしろそのほうがもっとリスクになる恐れがあるからです。
◎【バブル=巨大な風船は、膨らみ続ければ、当然ですが、100%はじけるのです】
◎【日本の場合と比較にならない速さで、中国は薄いゴム風船を、一気に膨らませ続けているのです】
  バブルの大きさ・ゴムの薄さ・世界への影響は日本の比ではない
どちらにしろ危ない時期です。またまたバブルの影響を受けるなんてことがないようにくれぐれもご用心。
一般の人々もその影響を受けますから、北京オリンピックで、どうやら持ちこたえているうちに、早めのリスク回避を勧める心ある専門家も多い
かつてのドイツ・かつてのイタリア、かつての日本、最近のアメリカ・・・皆同じような過ちを犯してきた。ドイツや日本を非難し、世界平和を標榜しながら、アメリカは戦争を世界中にばら撒き、怪しげだが一見良さそうな新経済システムを世界にばら撒いてきたのです。
そしてついに破綻した。サブプライムローン問題は日本のバブル崩壊の比ではない。十年で終わるだろうか?傲慢不遜極まりないあの国は、永久に終わらないような気がします。あの国も日本以上に衰退の運命を辿ろとしているらしい。
そして、環境問題・食料問題・資源問題・精神の荒廃・マネーゲーム・怪しげなグローバル化による大きなヒズミによって、同時に世界全体も衰退の道を歩もうとしている。人口は更に増加する一方限られた枯渇寸前の資源や食料によって、どうしても衰退への道を歩まざるを得ない状況になっているらしい。
経済バブルに続き、資源バブル・石油バブル・食料バブル・温暖化バブル・汚染バブル・災害バブル・犯罪バブル・税金バブル・医者バブル・年金バブル・・・・何もかも次々にバブルが始めていく。
「日本の株式は割安です」なんてのは最早、勘違い・錯覚であってあんなものらしい、むしろ世界の株式が過剰な金によって吊り上げられ、割高過ぎるらしいのです。少なくとも割高な世界中の株価は更なる本格的な調整に入りそうだ。日本はむしろ不幸中の幸いなんで、もう当分目覚しくは上がらず、平均株価としてはあんなものだそうです。
◎いい子は、マネーゲームをそろそろ止めて、もう寝なさい。!!
今後世界は衰退へと向かう否応なしに衰退に向かわなくてはならない。今でも増え続ける膨大な人間を養うためには、世界中が節約化へと向かはなくてはならないというのだ。
「そうでない、もっと経済発展を」と言う政治家や指導者がまだいるかもしれない。
しかしそんな甘い考えは、最早今となっては妄想に過ぎない。いまや資本主義は音をたてて崩壊しようとしていることに気付かなければならない。
否応なしに環境主義の時代なのだそうです。
人間はあまりにも、尊大・傲慢・利己的になり過ぎてきた。
今後もそういう態度を続けようなんて思う人は勝手にそう思っていればよい
しかし音をたててそういうものが、ここ1〜2年で崩れようとしていることに気付かなければならない。洞爺湖サミットの意味はそう言う意味で計り知れず大きいのですが
 はたして、安倍君に続き、お粗末風おぼっちゃんの福田君はどんだけー頑張れるかな?
 私の本音としては、僕ちゃんあまり張り切り過ぎて、とんでもないこと言わないでね、無理しないでね
 1)人間本来に戻れ
 2)真面目に質素に謙虚に生きよ
 3)過去を「棄てて来ーい」「死んで来ーい」
・そういう愚かしさを中国バブル崩壊が教えてくれる日が、時々刻々と近づいている
・日本では、巨大地震が人間の愚かさを教えてくれる日が、時々刻々と近づいている
ひょっとすると、幸か不幸か、その前に北京オリンピックの馬鹿騒ぎをやれるかもしれないが、
もしそうなったら、それが最後の馬鹿騒ぎになると思いませんか?
ところで北京オリンピックでは特に中国や石油産出国にだけは特別に気前よく負けてやって下さいね、少なくとも暑くヒーットアップだけはしないように、ああいう国は、かつての日本がそうだったように、たかがスポーツ競技でも、自国が負けるということは国家の威信や国民の大きなストレスや日本への大きな反感になるのです、こういう国に対しては、この際、日本は大人になって「負けるが勝ち」という謙虚な精神を取り戻すべきですね。
たかがスポーツ競技じゃないですか、「オリンピックは勝つことでなく参加することに意義がある」なんてのは全くの死語になり、国家間の紛争の原因にまでなってどうするのでしょうかね?
日本のスポーツ選手諸君も、身体を壊し青春を犠牲にしてまで、お金や名誉なんかのために、そんなに無理して勝たなくていいですからね。日本の選手だけでも国際親善をやって下さいね。目には見えないが、有名にならないが、国際親善のメダルを沢山とってきて下さいね。
 人間よ心を入れ替えろ
BRICSやオイル産出国なんかと一緒に浮かれたり、一緒になって間違いを助長するのではなく、日本は、かつて大成功もし大失敗をした先輩として指導してあげることですね。中国やアメリカにこびへつらうのでなく、兄貴として師として振舞うべき時なのですがねー。
 ・中国の市場は質より、量の大きな市場であってそれだけのものに過ぎない
 (はっきり言わしてもらえば、極めて質の劣る世界でも類をみない最悪にリスキーな市場であることを正確かつ強くに認識しておくことだ、しかも質の悪さは中国の市場だけでなく、人民も政府も環境も何もかもとんでもなく質が悪い・悪質なのが特徴だ、今に大後悔の日本の会社が続出するはずだが?よくよく脆弱な中国やインド等のデーターや状況を調べ直し、重々要注意というところですかね?)
 ・それに対して日本の市場は量より、質の良い魅力的な市場なのだ。深い長い独自の伝統文化が基盤になっているのだ(日本は悪い悪いと言われるが、真面目に謙虚に強く生きれば、実態も将来もそれほど悲観するものではない)日本という国は世界で最もまともな平和・冷静・暖かい・普通の国であり非凡な国だと思いませんか?
 ・日本人よ自信を持て、真面目に頑張れ、日本は中国や欧米とは一味違う独自文化なのだから
最後に勘違いしてはならない大事ことは、バブルが大きくなり過ぎたら、はじけないでおくほうが良いのではなく、はじけるほうが健全であるということをくれぐれも忘れてはならない。
すなわち、バブルがはじけてから大騒ぎをするより、はじける前に今まさに大騒ぎしないといけないのだが、しかし何故か、愚かな人間は、バブルがはじけてから大騒ぎし狼狽するのだ?
多分一番危機感を感じているはずの中国政府も日本政府も証券会社・金融機関も明確に中国バブル崩壊の警告など立場上名言できないのですが、警告がないまま、ある日突然、結果的に苦しむのは被害者である一般国民です、一方専門家による警告はすでにかなり以前からホームページにも山ほど出ています。
今まだ余裕が少しでもあるうちに、懸命な日本人の方々は、是非早めの対応をと思っているのですが???日本の多くの会社が決算月の3月は、すでに、もうかなり危ない時期にさしかかっている予感がしてなりません?その後も何かきっかけがあればナダレのように崩壊するような気がしませんか?更なる株価大暴落、全面ストップ安などがなければいいのですが?
また、もしそうなれば日本の経済や企業にとってはまたまた大きな打撃になるのは必至ですから、今のうちに、そういう状況を想定して、早速明日から対策会議を実施しておかなくてはならないように思うのですが?経費大削減・対中国の商売・中国工場の人員整理縮小・・・・・・・?
ISO14001で言う「緊急事態の予防及び対応」ですか、すでに優秀な企業さんは、早々と中国バブル崩壊対策を着々と進めているということですが?
以上あくまで私の個人的な見解ですから、最期はめいめい、ご自分の責任で独自に調査し、ご賢察の上ご判断下さい。
一番いけないのは、そんなことない「だろう」「はずだ」「多分」ですが、これらの言葉は、経営・マネジメントシステムにおいては禁句と言われていますからね。「もしも」「ひょっとして」が大事ですね。
141.鬱病の人を抱えた周囲の方へ私の見解
最近は鬱病に悩む若者が増加しているそうです。最近は日本だけでなく世界中で又老人や中年にも鬱病や自殺する人が急増しているそうです。貴方もある日突然そうなるかわからないのです。急激な経済成長や競争社会化や複雑化により、家族や近所づきあいなど人間関係の希薄化により当然の結果なんでしょう。専門家は言います「私に限って大丈夫」という人こそ危ないのだそうです。
私も昔、大学を出て大阪の会社に就職してすぐの頃、東京から大阪に来たホームシックと会社の雰囲気に馴染めず、不眠症や消化不良や身体がだるくなり、自分でも知らぬ間に鬱病になったことがあります。そういう体験から親御さんや周囲の方の参考になればと、お話ししてみようと思います。あくまで私の体験に基づく個人的見解であることをご承知おき下さい。また私の場合は、幸いにも、今となっては非常に貴重な経験をしたというような思いがしています。徒にマイナスに捉えるのはとんでもない大きな間違いです。風邪ひいたというようなもの、必ず治ると認識するのが正しいと思います。マイナスイメージでなく、是非、プラス思考で取り組んで下さい。
普段、強がり言っている人でもいざとなると弱いですよ。否、むしろ強がり言っている人のほうこそ、いざとなると、弱い人よりも、かえって極端に弱いものだそうです。よくあるでしょ「えっ、あの人が嘘でしょ、まさか」なんてことが?
ところで、会社や周囲で、そういう人が出た場合は、むしろ十分いろいろ配慮し助けてあげて下さい。むしろ本人より会社や周囲にも問題の原因が潜んでいることがありますから、その原因を突き止め改善することは会社や家庭にとっても大きなプラスです。むしろこういう繊細な人材こそ大事に育ててあげて下さい。鬱病にもならないような無神経な人よりよっぽど貴重な人材と考えて下さい。
機械でも繊細な機械は管理や保全に気を使うものなんです。人も同じです。今にも壊れそうな繊細な感性を持った人間や冒険して失敗し憔悴している人間のほうが潜在的な能力を秘めているのです。それを引き出すのが経営者の腕だと思いますが、日本の現実はむしろ逆になっているようですが残念です。
1.鬱病などは大雑把に申し上げて2つに分類されます
  @脳に障害があったり、原因が根深くかなり重症の場合
  A突発的一時的な場合
2.多くの場合はA、私もAでした。そういう意味で1年くらいかけて病気のことは忘れていくことです
3.今社会で大きな問題になっているのは@の場合又はAの場合でも、いい加減な治療をしたり家族や会社などの助けや支えがない場合です。
@の場合は医者からきちんとした治療を、長期間かかっても受けるしかありません。中途半端は禁物です。
4.Aのケースについてはきちんと療養し、医者からokが出れば、親や周囲の方が心配するのは理解できますが、全く異常が見受けられなければまあ大丈夫と思って下さい。あれこれ生活習慣の改善や体力強化なども必要ですよ。
5.私の場合は、今になっては、自分を知る上で、ああいう病気を経験したことがあって、むしろ良かったとさえ思っています。
6.欧米でも単なる病気であって、深刻に受け止めません。もし何か不安があれば気軽に医者にかかるべきです。
7.就職についてですが、私の場合もそうでしたが、本人が自覚し・自重して、1〜2年くらいそんなに頑張り過ぎなければ、案外復帰はスムースにできますから心配いりません
8.就職先で鬱病になった件は話さないほうが良いと思います。「充電期間にしました」とか「休んで自分を振り返ってみたかった」・・・・など
余程こういうことに理解がある会社さんの場合は別ですが、欧米社会と異なり、日本の社会では、経営層や社員さんに、まだまだ根深い偏見が残っているからです。
9.できれば病気療養直後は、自分の得意の分野に就職し更に勉強・修行の時期と認識し、技術・経験・知識を増やすことが望ましいと思います。あまりとんでもないことを考えないほうが無難です。
10.将来像として50歳過ぎて自営とか異業種への転職なんかを目指すのは大いに結構と思います、そのためには、当面数年は、更なる準備と成長が必要です
11.子供さんや社員さんの精神不安の原因の一つは周囲の環境と人々です、周囲の人間や環境を当面だけでもストレスがない状況にすることも大事です。お説教や意見がましいことは当分は止めるべきでしょう。親御さんや会社の方もこの際は、暖かさを示してあげて下さい。
12.家庭はくつろぎの場です、会社で嫌なことがあっても家庭では十分くつろげる環境にしてあげることが大切ですが、意外にも家庭が更なるストレスの場になっていることが多いそうです。
13.命の電話なんかで良く言われることですが、
  @話しを聴いてあげる
  A説教しない
  B他人に言わないの
 3つだそうです。
14.医者からのOKがあれば、鬱病になったからと、腫れ物にでも触るような又は過剰に心配や、逆にお節介なことせずに、親としては、しっかり見守ってやることであまり過度な心配や干渉しないほうが良いと思います。
15.鬱病になる人の多くは、基本的に優秀な部類の人や心優しい人が多いのです。そういう意味ではむしろ大いに期待する人材なのです。
16.親としては、子供に過干渉・過保護せずに本人の主体性にまかせたほうが良いと思います。
もう立派な大人として、親があーせい・こーせい・あれはいかん・これはいかんというのは大の大人に
は百害あって一利無しと思い私もそのように実践しています。
子供はいつまでも子供と思っていると、そうでもなく、大人になろうと一生懸命もがき・苦しみ・耐え乗り越えて成長しているのです。頭ごなしに親や周囲が説教するのは考えものです。
まあ以上はあくまで私の勝ってな一見解であって、必ずこうして下さいというものではありません。私の若き頃の体験に基づく個人的な見解で、皆様の参考になれば思っていますので、あくまで最終のご判断は、本人の状況によりお医者さんの指示にきっちり従い、皆様で慎重にお考えお決め下さい。ただそうすればあまり過剰な心配はしないほうが良いと思います。徒に周囲の過剰な心配は意味がないどころか、むしろ妨げにさえなることもあります。
なおSKYPE又はメイルによる仕事や悩みの相談もできますから必要に応じて私を活用して戴いて結構です。でも、実を言うと、鬱病になる方は心やさしく、優れている方が多いので、むしろ私のほうが教えてもらってしまうなんてのが現実なんですが。当然ですが私も、
  @話しを聴いてあげる
  A説教しない
  B他人に言わない
を厳守します。
140.本物の豊かさとは『見かけの豊かさ=堕落』→人間の原点に戻り、物事の本質を見極めましょう
戦後日本は、ほとんどが焼土と化し、貧乏のどん底から「豊かさ」を追求して右肩上がりの経済成長をし、一時とは言え「世界一」なんて世界中から大絶賛されたこともありました。そして他国も羨むほどの豊かな国になったはずでしたが、しかしその後の流れは、ゆっくり豊かさを味わうこともできないうちに、アッという間に、今やあれもこれも不安を抱えるだらしない国になってしまったのです。まさに「奢れる者も久しからず」そのものだったのです。見かけの豊かさは、いつか自分自身をも裏切る、不安定なもの:幻(まぼろし)でしかないのですから。でもある意味良かったと思います。もしあのまま日本が世界一であり続けたとしたら、傲慢になり、日本人の堕落は、目を覆うばかりになったことでしょう。危ない・危ない、ダアッーと冷や汗が出ますねー。
第二次世界大戦後の日本は、食料や物質的には、とてつもなく貧しかったのですが、しかし反対に、心は随分豊かであったのを思い出します、一体何なんでしょうね、貧しいほうが心が豊かだなんて?そこで流石の日本人も、真剣に考え始めました「本当の豊かさって何なんだろう?」と。しかし一度手に入れた見せ掛けの豊かさを手放すだけの結論は出なかったようです。世界は、争い・エゴ・自堕落で満ちあふれています。本物の豊かさを目の前にぶる下ても一向に食いつかないが、一方、偽者の豊かさには目の色変えて飛びつくのです。
「目の色変えて、高額な本物の宝石や高価なスーツを買う人が、豊かさにおいては偽ものの豊かさのほうをより好む」のは不思議なことだが、要するにしんどい思いをするのはご免だ・嫌だということらしい。しんどい思いをしてまで、本物の豊かさなんか求めたくないということらしい。
典型的な例は、年々悪化している地球温暖化問題が示すように、豊かさはどんどん、あらぬ方向・進むべきでない方向へと進み続けているのです。奢る平家は今に必ず崩壊することがわかっているのに、人間というのは、しかたがないもので悪いことと知りながら、わかっちゃいるけど止められないのです。神様からなまじ知恵を授かった人間の浅ましい・小ポッケな心がそうさせているのです。
一見凄く豊かのように見えても、真の豊かさとは言えないものを幾つか次に掲げてみました。
現代の大都会で見られる、見せ掛けの豊かさとは幻(まぼろし)か蜃気楼みたいなものに過ぎません。
 @足るを知らない、貪欲さ・強欲さによる豊かさ
 A一代限り又は自分だけの狭い豊かさ
 B心の底から満たされない上辺の豊かさ泡のような豊かさ
 C他人と争い勝ったことによる豊かさ
 Dお金で得ただけの刹那の豊かさ
 E物質的なものに依存する豊かさ
 F些細な部分的な枝葉末節な豊かさ
 G浅はかな人間の考えた不自然な豊かさ
 H何かの犠牲によって得られた豊かさ
 Iあれこれ無理や無駄を生み出した上での豊かさ
 J他人に自慢する見せびらかすような豊かさ
 K人格・人徳からほど遠い下品・下劣な豊かさ
いかにも見かけだけ「これぞ豊かさ」みたいな一見豪華風の豊かさは、99%本物の豊かさなんかではありません。
『そんなもの、さっさと棄てなはれ』  『未練なんか、すすんで断ち切りなはれ』
『華美や贅沢を求めるの、止めなはれ』  『本物の豊かさを、追い求めなはれ』
『貴方が大事に抱えている豊かさはドクロか幽霊かはたまた糞かもしれませんね』
むしろ質素で日常的なことを日常的に真面目にやって、自然に交わり、ひっそり堅実に暮らしている人の得るもののほうが本当の意味で豊かなんですが、人間はそういう本物の豊かさをむしろ満足しないのです。テレビで貧しい国の暮らしの映像が流れますが、物質的には確かに貧しいですが、心の豊かさは羨むほどです。それに引き換え日本では、安っぽい下品な愚劣な豊かさを有難がっているようです。例えが悪くて恐縮ですが、”糞饅頭””毒饅頭”を有難がって美味しい美味しいと言って食べるているようなもんです。
自分自身が働き、稼ぎ出す豊かさなんかは知れています。多くの人の恩恵や自然の恩恵を受けているからこそ得られたものなんです。ところが有名スポーツ選手や俳優さんや成功した一部の企業家さんは、人の何千倍の豊かさを懐にいれるのです。自分の働きの何千倍のリターンを得ることはいけないのです、理由はともあれ、そんな人は詐欺です。自分だけの働きに見合った豊かさをだけの享受すべきなんであり、余分は社会に還元することです。そうしないと結局そういう人は不幸になるだけです。どうしても不幸になりたい人は、見かけの豊かさを独り占めにしたいのですね。
「5億円なんてそんな大金要りません。罰があたります。私は1億円で結構です。余分の4億円は、お客さんや何かに役立てて下さい」と言うべきなんですがね。
昔話しで:舌切り雀の意地悪御婆さんがお化けが沢山詰まった大きなつづらを大喜びで持ち帰ったようなものでしょう。一方御爺さんは小さいつづらを貰って帰るとその中から金銀財宝が出てきたのですが、そういう豊かさこそ本物なんですがね。舌きり雀の昔話が、豊かさの本質を説明しているような気がします。あんな大昔に、すでに本物の豊かさを正しく認識していたというのは、凄いことですね。逆に豊かになった現代人のほうが、全くわかっていないのはなんとも情けない、侘しい・寂しい話です。
私も、若い頃目の色変えて、つまらんものを必死になって集めたことがあり、子供としてはかなりお金をかけたことがあります。しかし大人になって、つくづくそういうものを眺めて見ると、全く見向きもしたくない我楽多であることに気付くのです。まさに意地悪婆さんが家帰る山の中で沢山のお化けが詰まった大きなつづらを空けたような感じがするんですが、皆さんもそういう経験がありませんか?
現代人の求める豊かさや有難がるような幸せなんて所詮そんなもんです。しかしどういう訳か、多くの人間は、麻薬患者やアル中患者みたいに、そういう安物の豊かさを目の色変えて追い求め、そういうことから脱出できないのです。
世の中には「見せかけ」のものがすこぶる多く蔓延り、見せ掛けの豊かさのほうが良いなんてこと思い、安心するのが、悲しいことですが浅はかな人間なのです。
最近アメリカのサブプライムローンの破綻は世界中を混乱させていますが、あんな恐ろしいことを、異常であると断言する人が長年現れなかったということですが、まあこういう事例は事欠くどころか、むしろ世界の歴史を紐解くとどんどん出てくるのであって、見せかけの繁栄を追い求めそのあげく、せいぜい長くても100〜200年、やがて崩壊していってるのです。くだらん誤魔化しの豊かさを求めて戦った兵(つわ者)どもが夢の跡(凄まじき地獄絵)になるのですね。
何が本当の豊かさもわからず、都会のコンクリートジャングルの中で、目の色変えて、つまらん人造物や誤魔化しの楽しみを求めてさ迷い、心はかえって満たされずボロボロになり、生きがいを失い・やる気も薄れ・家族も社会も崩壊し・殺伐とした世の中になってしまったのです。
例をあげてみましょう。案外こんなものかもしれません。
 @見かけは美しいが、中身は汚い
 A見かけは裕福だが、中身は貧しい
 B見かけは明るいが、中身は暗い
 C見かけは楽しそうだが、中身は悩みいっぱい
 D見かけは良い人だが、中身は悪人
 E見かけはいいこと言うが、中身は最低
 F見かけはきっちりしているが、中身はだらしない
 G見かけは立派だが、中身は最低
 H見かけは進歩しているが、中身は退歩している
 I見かけは構築だが、中身は崩壊
 J見かけは強いが、中身は脆弱
 K見かけ賢いが、中身は愚か
私が最も嫌なことは、例えば、一見豪華そうな人間が、一見豪華な洋服を着て、一見豪華な宝石を身につけ、一見豪華な家に住み、一見豪華な家具や美術品、一見豪華な自動車に乗って、一見豪華な買い物に出かけるというような姿です。本人は結構得意満面で「私って豊かよ」みたいに、あれこれ見せびらかすのですが、すればするほど可哀想な人だなーと思うのは私だけでしょうか?貧乏が恥ずかしいのであれば、金持ちをみせびらかすのはそれ以上にもっと恥ずかしいはずなんですが、本人には気づかないようです。
アメリカでマイケルという男が450kgと肥満になり、ダイエットで100kgまで大幅に減量に成功したが、その後ある時油断して食べすぎリバウンドで500kgになったとか。歩けず寝たきりの暮らしになり、病院に行くにも家を出られなくなったとか。こんな異常な肥満児と大金持ちとはほとんど同類なんです。金持ちも少し金持ちのうちは良いのですが、そのうち本物の大金持になるにつれ、金に頼る暮らし・金を基準にした生き方になり、そうなるともう抜け出せなくなり、本来楽しいはずの暮らしが息が詰まり・苦痛にさえなっていくのです。「一にお金、二にお金、三四がなくて、五にもお金」お金づくし・お金漬けになってしまうのです。
多分大金持ちの人やその息子や娘は相当に嫌な、軽蔑に値するような人間だと思います。「そんなことない」と言う人は一度そういう息子や娘から金や物を一切奪って町に放り出してご覧なさい、そして貧乏な若者と比較してご覧なさい。多分金持ちの子供達は貧乏の子供に全く打ち勝つことはできないでしょう。
本人は得意げであるが、「裸の王様」のように、立派な人から見れば、滑稽又はみっともない醜態にしか見えない。
そういう贅沢なものは神仏に捧げてしまい、自分は神仏の僕として、真面目に働き、つましく暮らし生きれば良いのです。
しかし困ったことに中身がお粗末なので、ますます人間は華美を求め外見を飾ることで、立派な人間を演じたがるもんであります。
私が豊かな人と思う人というのは、
そう美人・美男でないが、すごく人間的に優れた人
 ・そう利口でないが、すごく賢い人
 ・そう裕福でないが、すごく豊かで大きな心を持っている人
 ・そう偉そうでないが、すごく偉い人
 ・そう有能でないが、すごくきちんと何でもできる人
 ・そう雄弁でないが、すごく楽しい会話のできる人
 ・そう目立たないが、すごくきらり光るものを持っている人
未だに反省なく、どんどん崩壊へと誘われる世界の人々の中で、せめて自分だけでも本来の人間としての真っ当な豊かさを追求することを諦めてはならないとつくづく思うのです。今の日本の政治家を見なさい主体性はなく国民やマスコミに誘導されるだけの”木偶の坊のロボット達”あんなのも本来の姿を失った抜け殻だけの人間ですよ。でも悲しいことに、そういうお粗末な人間が政治をやることを国民も許してしまっている。そんな怪しげな流れに、自分だけでも、巻き込まれ押し流されてはなるものかと思いませんか?
思いませんでしょうね。・・・・・・・・・・・・・・・
「豊かさとは何だろう?」是非、日々考えて下さい。そのために大事なことは、今の生き方を一度否定してみることです。頭の中のことですから、簡単に否定できますよね。それと暮らしや住む場所や職業を可能な範囲で変えてみることです。必要なことは人間としての誇りと勇気を持つこと、違いの分かる人間になることでしょうかね。でも私は、豊かさとは何ぞやの正しい答えは、意外と身近にあると思います、そんな遠くにはないはずだと思っています。
137.子供から尊敬されていないことを親は重大なこと、危機と受け止めているか?
「貴方は尊敬する人がいますか?」という問いに、貴方は即答できますか?
しかし多分尊敬する人が誰かを言う前に、尊敬する人の全体が見えず、尊敬する人をそれほど知らないから、とりあえず自分の知っている僅かな偉そうな人から選ぶしかないですね。
まあ人にもよりますが、イチローとか星野監督とかマザーテレサとか野口英世とか坂本龍馬とか二ノ宮尊徳とか・・・・・思いつくまま出てくるんでしょう。
しかし、まず、一体全体、尊敬する人とはどんな人なんでしょうか?
 ・歴史上の偉人でしょうか?
 ・偉大な芸術家や技術者でしょうか?
 ・いろいろな分野で素晴らしい業績を残した人でしょうか?
 ・スポーツなどで上り詰めた人でしょうか?
 ・多くの人を助けた人でしょうか?
多分普通の人の感覚では、世界一や日本で一みたいなヒーロー的な人を選んでしまうのではないでしょう。しかし私は違うと思うんです。ある時期に尊敬された人でも時代が変わり、状況が変われば歴史は厳しいもので、極悪人になる可能性すらあるし、時代とともに忘れ去られていく人も多いのです。またそういう人は、案外根性が曲がった嫌な人や妙な癖のある人であったり、成し遂げた業績は偉大であっても、はたして人間として尊敬できるかというと疑問の人も多いのです。なにしろそういう人とは、直接、話したことも触れ合ったこともなく、小説やテレビなんかで人伝に知るしかないのです。
例えば、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ徳川家康にしろ、尊敬できることは多くてもそれと同じかそれより多い悪の部分があれば、うかつに尊敬なんかでません。尊敬ということを正確に言うのは、意外にかなり厄介なもんですね。
よくありますよねテレビの画面では、いかにも良さそう人が、実生活ではかなりひどい鼻つまみな人間であるなんてことが。また人前や会社ではいかにも素晴らしい最高の上司や先輩でも、家に帰ったら奥様やお子さんからは最低の夫であり、親だったなんてことが。そうなると簡単に「誰それを尊敬します」なんて言わないほうが良いようですね。また尊敬して結婚した夫や妻がいざ結婚したら最低の人であったから、すぐに離婚したなんて話は、掃いて棄てるほどありますよね。ああー怖い、尊敬するなんてことそう簡単にはできませんね。
ところで、私流の尊敬すべき人は、「明るく真面目に人間として生きた人」であり、有名人でなくても、有能な人でなくても、お金や芸術品や技術品や建物やシステムなどを作った人でなくても、立派なことを言う人でなくても、世界一でも日本一でなくてもよいと思うのです。
まず尊敬する人を自分なりに定義しないと、自分の人生の目指す方向が見えないばかりか、人生を無駄に過ごすことになってしまいます。正しい目的地がわからないのに自動車で速度上げて走ったところで、当然のことですが、目的地には行き着けません。
私の昔(厳しい大正〜昭和の戦後を生きた)の母親は、自分の目で直に見、日々身近に触れた唯一の尊敬すべき人でしたし、今もその思いは変わりません、私が目指す人の重要な一人であるのです。母親自身でも「多分大正〜昭和の時代を生き延びてきた私はすごかった、よくあんなことできた」と思っているに違いありません。
当時の母親以外に尊敬する人を言えと言われても、そう簡単には思いつきません。マザコンではなく、身近にそういう具体的に心底尊敬できる人と触れ合った体験がないからです。
尊敬する人とは、身近な存在であり、当り前の生き方をし、真面目で真剣にしかも明るく生きている人の中から選ばれるべきでしょう。
不幸にもそういう人が身近にいない場合は、しかたがないから本やテレビや昔の偉人などから探すしかないのですが、えてしてそういうやり方をしますと、かなり偉い人になってしまいがちです。そんな偉い人を尊敬し目指すとなると、かなりしんどくなってしまいます。二ノ宮尊徳や聖徳太子に直接触れたわけではありませんから、そんな人になれるわけもありません。
なんで私が、尊敬する人なんかテーマに取り上げたかというと、豊かで便利な時代に、人間は馬鹿殿様のような人ばかりになってしまい、しまりのない、重みのない、だらしない人が多くなって、しかも「それでいいんだ」みたいな風潮が蔓延しているからです。特に最近は安倍首相やその後の福田首相、アメリカのブッシュ大統領や最近の不祥事の会社の社長さんや破廉恥な役人どもを見るにつけ「尊敬の昔は、遠くなりにけり」「尊敬はこの世から絶滅の危機」と思うからです。子供達が可哀想です。駄目な時代、駄目な親、駄目な先生、駄目な政治家・役人、駄目な社長・・・・・・ですからね。どうしたらいいんでしょうね?
ホームレスや引き篭もりや、NEETや偽装社長や破廉恥役人などのブラックバスみたいな人ばかり増えてしまい、日本古来の尊敬する人(鮎や鮒)を追いやる時代なんですね。
 ・「政治家が国民に尊敬されないばかりか軽蔑されている」なんと嘆かわしいことか、希望すら見出せない
 ・「親が子供に尊敬されず、親殺しが頻発している」なんて情けない恐ろしいことか
 ・「学校の先生が生徒や親から尊敬されず、こき下ろされ馬鹿にされている」なんとお粗末なことか
こういう中でも、最も恐ろしい・情けないことは、親が自分の子どもに尊敬されないこと、逆に軽蔑されていることですね。子供は親を見ていないようで細かいことまでよく見ているものですよ。
これだけは避けないといけません、最も許し難いですね。
文化というのは、特に精神文化は、日々の暮らしを通じて、否応なしに目や耳に触れ、親から子に伝わるのです。
 会社では、社長や上司から社員へ
 学校では、先生から生徒へ伝わりますが、
一番大きいのは親です。少々先生や社長が悪くても家に帰って尊敬すべき親を持っていればどうにかなります。
しかし、現代においては、子供達は、「親を尊敬する」とは言わないでしょうし、100点満点ではないかもしれませんが、多少なりとも尊敬する点があればいいのです。
私が昔の母親を尊敬していたように心の底から「親を尊敬しています」と子供に言わせないと親として人間として失格なんです。
しかし尊敬というと「俺は会社で業績あげている皆から尊敬されている」「俺の仕事ぶりは優秀だ」「俺は家族に良い暮らしをさせている」・・・・なんてことではいけないのです。そんなものは、もし子どもが「尊敬しないよ」と言えばそれまでのことなんです。もっと本質的なことで自分を振り返ってみて下さい。もっと人間として、明るく、生き生きと、暖かくかつ真面目にやっているかを振り返って下さい。その上で自分は子供に人間として尊敬される資格があるかを反省してみて下さい。
そして、いつか自分の子供に「親を尊敬しているか?」と訊く勇気ができたら、一度是非確認してみて下さい。多分世の中の大半の親は訊く勇気すらないし、多分「尊敬しています」という答えはもらえないでしょうね。まあ1000人に1人いるか、いないかでしょう。(昔は尊敬されない親のほうが少なかったのですがね)
しかし、現代が、もしそうだとしたら、そういう事実を悲しいと思いませんか?悲しい以前に情けなくありませんか?
人間の大事な役割は、
1)子どもを作る
2)子どもに正しい人間としての行き方を伝える
3)そのために自分自身を厳しく磨く
ことなんです。
ところが豊かで便利になったにも拘わらず、
 ・結婚しない、
 ・結婚してもすぐに離婚する、
 ・子どもは作らないか一人だけ
なんて人が多い
結婚しない人、子ども作らない人というのは、いいですか、
  永遠に貴方の存在が途切れ、宇宙から完全消滅(貴方という種が絶滅)することなんですよ。それとも絶滅しても良いほど無価値な人間なんですか?
  貴方という人がこの世に存在しなかったことになるんですよ。
 ・30歳までに結婚しなさい
 ・子供を作りなさい
 ・立派な親になりなさい
 ・そして子供に尊敬される人間になりなさい
 ・そして安心して死ねるようになりなさい
子供にとって【尊敬する親が、身近にいないということは、子供にとって最大の不幸なこと】です。
まあもう一度、人間とは、親子とは、人生とは、この世に生まれたとは、・・・・・・自分なりに考えてみたいものです。
136.昔戦後の日本、親から普段言われていたこと。今は?
戦後昭和18年生まれの私の子供時代は、今では想像できないぐらい日本は非常に貧しい時代でした。私の家などましなほうでしたが、それでも子供心にも家の生活の苦しさがいつも気にかかっていました。そういう中で両親特に母親は、身を削って、沢山の子供を食べさし、学校に行かせ、衣服も着せていたのですね。電気製品は全くありませんから、掃除・洗濯・炊事・繕いは皆手仕事、買い物は遠くまで歩いて、・・・・想像を絶する大変さだったのです。母親は朝は4時起き、ご飯は最後の残り物で、ご飯がない時は自分は食べない、朝から晩まで仕事仕事、夫や姑からはどなられ、夜も夜なべというのが当時の母親の姿でした。
そういう当時の親や先生や先輩の言うことはやはり重みがありましたね。
しかし現代は全く正反対で、楽にどっぷり浸かり、苦るしいことや面倒なことは全て避け、だらしない母親がいつも文句ばかり言う、父親は会社で働き蜂、たまの休みは家でごろごろ、こんな親を誰が尊敬しますか?現代の親の言うことの重みなんて全然ありません。
親に限らず先生も政治家も経営者も皆重みがなくなりました。何だかんだ言っても効き目はゼロかむしろマイナスや反発に作用してしまうのです。世も末ですね。
世の中が豊かで便利になると、生み出された膨大な暇を無駄使いすることになるのです。人間は、暇ができると、ブクブクと太り、見かけもだらしなくなります。そんな現代の人の言うことに重みがあるはずがありませんね。むしろ親や先生や政治家や経営者に説教しなくてはならないそういう時代なんです。
「暇ができても、暇を有効に使うなんてことはなく、その暇をつぶす」なんて無駄なことをやり始める、一体全体なんのために、必死になって暇を追い求めてきたのか?暇が人間を堕落させてきたのですね。その堕落が子供や孫に伝承されていく。「親やご先祖様が有難い」なんて時代は、過去のものになりつつあるのです。今の親がすべきことは、【強く・清く・貧しく・美しく・真剣に・真面目に】生きることですよ。そうしないと親であって親ではなくなってしまう運命です。先生も政治家も社長も同様ですね。
昔、親からよく言われたことは、
 @きちんとお座りなさい
 Aご飯つぶ残したら目がつぶれますよ
 B人様に恥ずかしいことしたらいけませんよ
 C人様の迷惑になるようなことしたらいけませんよ
 D弱い者苛めしたらいけませんよ
 E無駄使いをしたらいけませんよ
 F食べてすぐ寝たら牛になりますよ
 G遊びに行く前に宿題やっておくんですよ
 H悪いことしたら罰が当たりますよ
 I嘘は泥棒の始まりですよよ
 J汚い言葉使ったらいけませんよ
 K上向いたらきりがない、世の中、下には下がいるんですよ
 L負けるが勝ちですよ
 Mお小遣い貯金しなさいよ
 N夜は早く寝なさいよ
 O人が嫌がることをしてはいけませんよ
 Pご先祖様に申し訳できないことしたらいけませんよ
 Q先生のいうことよく聴くんですよ
 R悪いことしたら、きちんと謝るんですよ
 S誰が見ていなくても、お天道(てんとう)様がみていますよ
 21悪いことばかりしていると、地獄の閻魔様に舌切られますよ
 22油断大敵、火がぼうぼう
 23もったいないことしてはいけませんよ
 24きちんとご挨拶するんですよ
 25兄弟喧嘩するんじゃありませんよ
 26我がまま言ってはいけませんよ
 27よく噛んで食べるんですよ
 28ご飯は最後お茶で洗いながら飲むんですよ
 29お父さんが座るまで食べてはいけませんよ
 30寝る時、服は枕元にきちんとたたむんですよ
このような昔の親の言葉は今でも有意義なことばかりですが、このような親の言葉は、主に貧しい不便な時代のものであって、貧しく不便な時代であったために、大事なものが欠けていたのですね。
それは「足るを知る」「欲張ってはいけない」「楽してはいけない」等ですかね。それらも含めて現代の親が自らも心がけ、子供にも言うべき言葉は、次のようなことになりますかね。昔は、こんなこと言う必要が全くなかったですからね。しかし現代は豊かで便利すぎますから、親自身が心がけ、親が子に言う言葉も少し変える必要がありそうです。
 @欲ばってはいけませんよ
 A足るを知るのですよ
 B楽してはいけませんよ
 C豊かさや便利さを遠ざけなさいよ
 Dわが道を行きなさいよ
 E汗流しなさいよ
 F自分でやるんですよ
 G皆仲良くするんですよ
 Hごみ減らしなさいよ
 I物を節約しなさいよ
 J食べ物大事にするんですよ
 K贅沢するんじゃありませんよ
大事なことは、こういうことを言う親がまずこういうことをきちんとできて、模範的であることですね。躾とは自らしつけることが先です。
貧しい・不便な時代の親のあるべき姿がある一方、豊かで便利な時代の親のあるべき姿があるのです。
「豊かで便利だからだらしない親でよい」は大間違い大いに反省して下さい。親の役目は
1)子供を作ること
2)正しい親の生き様を子供に伝えること
ところがどうですか?現代はこの重要な2つが全くできていません。
134.会社で社員を褒める場作り
「133.若者よ、自分が認められないことなんかで悩むな 」の続きです。
昔日本では、単一人種で狭い島国のせいか知らないが、師弟の間や親子・夫婦の間は相当に厳しかった、その名残でしょうか、日本では未だに、会社でも家庭でもほったらかしの関係で良いような風潮が残っています。しかし現在の世の中は、望むと望まざるに拘わらず、かなり変わってしまったのです。だから昔流でほったらかしにしておくと、ひ弱で閉じ篭りがちな現代人は孤独になったり、存在感が希薄になったり、生きがいが持てなくなってしまうのです。今は江戸時代や明治大正時代や昭和初期の時代ではないのです。
一生懸命やっているのに、怒られるばかりで、仕事や自分の存在すら認められず褒められないと、多くの社員は会社の仕事が楽しくなくなり、会社を辞めるきっかけになるのをご存知ですね。日本では、相手を無視したり、認めない、褒めもしない、場合によっては会話すらないということがありがちなんです。
社長さんや上司がそういうことが苦手な場合は、更に最悪ですが、残念ですが、そういうケースのほうが多いんですよね。同じことが、ご家庭では熟年離婚の原因になり、親子では親子断絶や親殺しの原因になるのです。人間関係が希薄になり満たされない感情を他の物事に求めるようになるのです。現代においては、最悪の場合はそういうものさえ見出せずに、ついに無気力症や引き篭りや鬱病や自殺に追い込まれていくのです。
信じられないことですが、家庭では、一生懸命に縁の下の力持ちで日々健気に家事をやっている奥様に暴力をふるう恐ろしくもお粗末な夫が増えているそうです。このようなとんでもない人間軽視・人間蔑視の風潮が会社にあってはいいわけがありません。社員のやる気がなくなれば、会社の業績や成長にも繋がりません。
厳しいことが悪いとは言いませんが、口煩い又は冷酷な親や社長や上司であればあるほど、社員を思いやる、声をかけてやる、社員の良いことを時々褒めてあげるということが大事なのです。どちらにしろ無関心は絶対にいけません。
ご家庭や会社であまり会話やコミュニケーションがなくなったと嘆く方がおられますが、四六時中対話したりベタベタすることは、それほど大事なことではありません。むしろ「うっとおしい」なんてことにもなりかねません。
それよりも適時適切に僅かでもいいから一言声をかける、そして励ましてあげたり、些細なことでも褒めてあげることが大事なのです。例え瞬間的であっても、むしろ相手の心に心地よく深く刻みこまれるのが望ましいのです。
声のかけ方は、それぞれ何でも良いのですが、効果的な褒め言葉は
@優れた点について
Aやった仕事について
B自信のない点について(あくまで本人にプラスの話し方を)
また定期的という言葉は大事です。定期的に何かをきちんとやっていくということは企業でも家庭でも大事なことです。社員に1年も2年も何も言ってあげたことがないなんてのは最悪です。会社で社長や専務や部長から「村上君最近どうかね?・・・・・・・・」と話しかけてくれたことは、今も鮮明に覚えていますからね。ましてや社長や専務や部長から褒められた場合は、今でも鮮明に思い出せます。忘れず定期的に褒めることが大事な点です。
例えば定期点検・定期会合・定期検査・定期処分・定期的習慣・定期的な行事・・・・は古来からの人間の知恵なんです。忙しいから、つい忘れてしまい、関心が薄れがちです。そういう意味で、誕生日とか結婚記念日なんてのも本来は重要な意味を持っているのです。その時は本人は、主人公・主役になりスポットを浴びられるのです。そういう日に、日頃疎かになっていることを再確認し、必要な対応や処置をすることが大事なんです。
豊かな現代は子供さんや社員さんに頻繁に会話をする時間がとれそうなんですが、現実は全く逆でして、なぜか社員や子供さんとのコミュニケーションは少なくなる一方です。従って1年間話しらしい話しもしたことがないなんてことにもなるのですが、どこかのご夫妻のようですね。そういう点では昔の家庭のほうが、はるかにコミュニケーションが豊かであったというのは驚きですね。理屈からするとそんなはずはないのですがね。
そこで私は、「是非時々でもいいから社員との対話の機会を意識的に持って、その中で社員を褒めてあげて下さい」と社長さんに申し上げています。「そんなこと、とんでもない、内の会社の奴らは駄目な奴らばかりで、褒めるようなのはいません」なんていう社長さんが多いのですが、それはわかりますが、人間育てるのと馬や犬育てるのと同じことで、ほったらかしや鞭打ちだけではいけません。無関心は社員さんの努力や情熱ややる気をますますそぐことに繋がります。家庭でも会社でも時間の長さは問いませんが、声をかけることを忘れてはなりません。
そこで私の提案していることは「会社でそういう場を作って下さい」ということです。1年2年とやってみると凄く雰囲気が変わったり良くなりますよ。場の作り方やその運営の仕方はおまかせしますが、幾つか例を紹介しましょう。くれぐれも私が紹介するやり方にこだわる必要はありません。大事なことは社員さんとの対話・コミュニケションの場、仕事や本人を認める・褒める場作りです。
「対話・コミュニケションの場の幾つかの例」
 @個人ノート方式
  まず社員さん各自毎に個人別のノートを作ってあげます。
  そこに社員さんの提案・成果・工夫などを随時記録させ、
  それを会社の部屋のどこかに設置して誰でも読めるようにしておく。皆が読んで、
  それに対して褒め言葉を記載してもらう。悪いということは絶対に言わない。
  もし言う場合は参考意見として乗せる、くれぐれも相手を批判してはなりません。
 Aお誕生日会での褒め会
  誕生日会なんか今はあまりやられていないのですが、職場毎に誕生日会を実施し
  その日は本人を中心に仕事ぶりを褒める会みたいな感じでやってあげることです。
 Bメイルで社長あての仕事の成果報告
  今はEメイルという便利なものがありますから多くの会社がやっています。
 C各自の仕事の工夫展示会
  しかしあまり会社本位・競争みたいにならないように注意が必要です。
 D社内個人相談員制度
   昔からのお決まりのやりかたですが、あまりやっている会社が少ないですね。
 E社外専門家によるカウンセラー導入
  会社を退職した人で、良いカウンセラーを探すことですね。しかしふさわしい相談員はなかなかいません。それほどカウンセラーは非常に難しいのです。お説教にならないこと・聞き役になることがポイントなんです。ご要望があれば是非村上和隆に声かけて下さい。
 F創意工夫研究会
  定期的に各自がやっている創意工夫を報告し皆で良い点を褒め、もし不具合があれば意見を出しあう
 G改善案の合同検討会
  各自が改善提案をしたものについて、皆でその実現について知恵を出し合う
 H先輩と部下の4人組会合(先輩1、後輩3)
  1年毎にメンバーを変えることをお勧めします
 ISKYPEを利用した個別相談
 J働き涯いを高めることを重視した飲み会
 K各自の得意な仕事や分野について交替で先生になって1年計画を組み社内講習会をやる
いづれにしろ社長さんか専務さんがきめ細かく熱心に対応することが大事でそういう場を作っても、一時的になったり、いい加減になっては本も子もありません。
また社員の会社に対する満足度の定期申告調査を是非やって下さい。
人事考課は業績評価をやっている会社は多いですが、会社の評価はやられていないのは片手落ちというか、大事な戦力を殺すことにもなりかねないので非常にまずいですよ。ある学校では、生徒が先生を評価しているところがあります。以下のことの満足度アンケート調査を実施する。できれば公式のものというより、無記名okにするとかして、あまり深刻にならないように注意することも大切です。
(各項目毎に10=満足している、8=まあまあ満足している、6=あまり関心がない、4=やや不満、2=不満、0=深刻なほど不満)4点以下は理由を書いてもらう
 @給与
 A地位
 B仕事の成果
 C人間関係・好きな人の存在
 D明るい職場
 E自己成長
 F良き先輩
 G社会貢献
 H働くことそのものの楽しさ
 I売り上げ貢献
 J生活水準の向上
 K仕事が認められる
くれごれも形式的にならないように、心が通ったことをやってみて下さい。形式的にやるとむしろ弊害になりますよ。あせらず気長に心を通わせる取り組みの一つとしてやってみて下さい。
また最近鬱病になる社員が潜在又は顕在し、社会問題にもなっていますが、そういう場合こそ、本人をきちんとケアーしてあげることが、本人にとっても会社にとってもすこぶる大事です。というのは会社や社長さんや幹部さん自身や組織や仕事の進め方等・・・・・何らかの問題点が会社として潜在しているからです。鬱病の本人だけの問題ではないのです。もし、そんな社員ばかりになったら会社の業績や発展にも多大な影響があるのです。人口減少時代に、若い人をうまく育てる工夫や努力がますます大事になっていくことでしょう。
133.転職5回の私の経験に基づく、転職についての考え
2008-01-12 09:45:59 | Weblog
私は、病気や転職や介護や自営したりして、時々ゆっくり基本から自分を考え直す時期が何度かありました。
どちらかというと、そういう暇な時期が私にとっては、随分と価値ある時期であったように思えます。
人間はただひた走りに走るのではなく時々止まって後ろを振り返り、過去を清算し新たな出発をすることも大事なことのようです。「小人閑居して不善をなす」ではなく「人間は暇な時期を価値あるものにすべし」ですね。
私は、前向きのチャレンジャブルな転職を推奨します。
転職の都度、私はその会社にかなり貢献したと自負しています。またそういうこと自体を目標にしていました。「必ず何かをこの会社に残す、与える」そして「自分自身の能力もアップする」ということを念頭においていました。
まあ自分も戴く代わりに、一宿一飯の恩義にきちんと報いるみたいな感じでしょうかね。
転職前の会社での知識・経験・技術を、次の会社に役立てること=渡世人・仕事人みたいな感じですかね?
まあ、その代わりに新しい会社からも、いろいろの知識・経験・ノウハウも戴くことも大事ですがね。
・@転職というものをもっと前向きに考える
・A転職というものを自分本位ではなく、転職先の会社本位に考える
・B転職した会社へ尽くす・奉職するという感覚で考える
・C転職というものをもっと価値の高いものに考える
・D転職というものをもっとビジネスライクに考える
・E知識・技術・経験販売業みたいに考える
・F経営コンサルタント・仕事人みたいな感覚で考える
・G待遇の良い会社を選ぶのではなく、成長しようともがいている会社を選ぶ
・H間違っても大企業は選ばない、互いの成長に結びつかない
・I会社というのは給与をもらい甘やかされる場であるという考えを棄てる
・J会社を修行の場と考え、どんな苦しいことも乗り越える
・Kその会社の社員というより、その会社を良くするために派遣されたプロと考える
・Lその会社を良くする目安の期限を5〜7年と考える
・M教えてやるではなく、知らぬ間に会社に新しい文化を根付かせるみたいに考える
・N大切なことは偉そうに「前の会社ではなー」みたいなことにならないこと
・O極めて謙虚で目立たず仕事をすること
・P会社の問題点を見つけ、自ら必死に仕事し改善する
・Q何だかんだと口達者でなく、ひたすら黙って仕事をする。
・R認められるとか、役職が上がるとか、給与などのことはあまり考えない
・Sその会社が良くなったら、潔ぎよく去る。
そういうのが私の転職に対するポリシーです。
その結果、会社にとっても自分にとってもすごくプラスになると信じています。
サラリーマン根性・大企業病・ぬるま湯に浸かるのではなく、前向きに転職を考えましょう。転職にポリシーを持ちましょう。
132.現代は全てのことが誤魔かしの生き方化している
2008-01-08 09:01:40 | Weblog
昨年は嘘・偽が話題になりましたが、他人事ではないような気がしています。日本中・世界中に蔓延しているように思いませんか?
ごくごく身近な話しですが、次は歯磨きについての問答です
問い:貴方は歯を磨いていますか?
答え:はい磨いています
問い:ということは、貴方は虫歯がないのですね
答え:いやあります
問い:おかしいじゃないですか磨いているのに虫歯があるはずがないでしょう
答え:歯ブラシに歯磨きつけて一日3回ちゃんと磨いています
問い:ひょっとして磨いているのではなく、磨いている真似をしているんじゃありませんか?
答え:歯を磨いても虫歯はできますよ。ちゃんと磨いていない人なんか虫歯だらけですが、その点私は虫歯が少ないです。
問い:歯を磨くとはどういうことですか?虫歯ができないように磨くのではありませんか?
答え:完全には磨けないから、少しは虫歯ができてもしかたないですよ
問い:正しい歯磨きの方法を教えて下さい
答え:正しい磨き方なんて特に考えたり、決めてはいません、ただ普通に磨いているだけです
問い:それならば、例えばどのくらいの時間かけて磨いていますか
答え:かなりきっちり1分くらい磨いていますよ
問い:1分で磨けるはずがありません、食べたものや磨く時期によりますが、3分〜5分は必要なはずですよ
答え:えー、そんな時間かけて磨くなんてそんなの嫌ですよ、できっこありませんよ
問い:ということは、歯磨きをしているのでなく今後は「歯磨きをしているように見せかけている」と言って下さい
答え:そんな言い方できませよ
問い:でも念仏のようにして「自分は嘘つき」だと唱え続けないと、貴方の誤魔化しの癖は永遠に治りませんよ
答え:すごく厳しいですね、でも、まあーそういうことだったら、何か少し、わかったような気がします。ありがとうございました。
言いたいことは、人間は自分のいい加減さを本心から十分認識していないということなんですが、こういうことは多くの人に非常に沢山あることでして、出鱈目歯磨きが典型的な一例に過ぎません。かく言う私は実は「私は人一倍かなりきちんと歯磨きしている」と信じていたのです、昨年末医者で歯に色をつける検査してもらったところ、ひどい磨き残しが一目瞭然明らかになったのです。
私は思いあがりも良いところで、90点くらいに思っていましたが、冷静に考え直すと0点なのです。なぜかというと歯槽膿漏や虫歯になる可能性があるからです。いい加減な磨き方の良し悪しは程度問題ではなく、駄目なものは一律0点でしかないことに気付いたのです。少しでもいい加減であれば、60点でも90点でもなく全部0点でしかないのです。もしいい加減なのに「自分はきちんとやっている」と本人が思い上がりをしているのであれば、0点より低いマイナス点でしょうかね。歯磨きにかぎらず次の例のように、実態は皆かなり出鱈目なんですね。
@正しい食事
A正しい挨拶
B正しい掃除
C正しい片付け
D正しい教育
E正しい遊び
F正しい運動
G正しい睡眠
H正しい徒歩
I正しい付き合い
J正しい愛情
K正しい管理
私は人様を指導する立場の経営コンサルタントですから、人よりかなりきちんと管理していると自負していますが、昨年末の歯磨き事件で「まだまだ全然いい加減だ」と自分の不完全さを改めて認識したのです。人間は、他の生き物に比べて知恵がある分、かえって、いい加減になりやすい生き物です。注意しないと奈落の底まで落ちていく危険性のある生き物なんです。何によらず正しいルールを定め、日々きちんと守ることが物事の一歩なんですが、まあそういうことができていないですね。経営管理の世界でも正しいルールを作り守るということは基本中の基本なんですよ。仏教の世界なんかも基本は同じですよ。基本ができていなければ、何事も成すことはできません。大方の人間は、まず正しいルールどころかとりあえずのルールさえできていなんです、だからルールを守るなんてことは当然できていないのです。恐ろしいことです。『ルール』ということを何だと思っているんでしょうか?「ルール無視」以前に「ルール無し」なんて本来あってはならないこと、信じられないことなんですよ。
昔は日本中に、今の何百倍も厳格できっちんとした作法や日々の暮らし方が朝夕、徹底していました。食事も掃除も寝起きも挨拶も部屋の片付け衣服の扱いなんかも・・・皆かなり厳格でした。その典型が小笠原流やお茶・お花・武道などでしょうが、そういった日本の伝統文化や習慣の土台の上に、万事しっかりやられていたのです。暮らしが豊かで便利になり、だらだらと欧米化することによって、日本の良き伝統は大きな音をたてて一挙に崩れていったのです。
まあ今の人は、大人も若者も楽な生き方をするようになり、作法や日々の暮らしが出鱈目・誤魔化しになってしまいましたし、今後も確実に更にどんどんひどくなっていく恐れがあります。世の中進歩でなく、むしろズルズルと退化を続けているのです。現代人類は、進化論の時代でなく、退化論の時代になりつつあるのです。
今となっては、難しいのでしょうが、小笠原流なんかのように物事を完璧にきちんとやる習慣をもう一度取り戻さないと、地球環境問題だけでなく、そういう面からも人類は崩壊していくことでしょう。
良い習慣や良い文化は百年・千年かかってやっとこさっと形造られていきますが、いざ壊すとなればアッという間に壊われてしまうのです。(覆水盆に戻らず)
良い状況から悪い状況は行き易い、悪い状況から良い状況へは行き難い不可逆なものなのであります。(奢る平家は久しからず)
「完璧さ、清く・正しく・美しく」なんてのは現代では、ウザイ・ダサイなんてことになってしまって、困ったことに、今の若者は「いい加減・汚く・誤魔化し・醜悪」を格好いいと勘違いするもんなんですね。しかもテレビなどで、そういういい加減な生き方や適当な作法が大目に見られ、むしろもてはやすような雰囲気にさえなっているのです。「汚いのがなぜ悪いんだ、いい加減がなぜ悪いんだ、うるせー」みたいな感じになっているのですね。現代は悪が善を駆逐しているのです。(悪貨が良貨を駆逐する)
いい加減で真面目にやらない多くの人の言い訳は、
@大したことない
A意味ない
Bしんどいだけじゃ、面倒臭い
Cなったらなったまでじゃ
D手間ばかり喰う
E忙しいんじゃ
F真面目なんて大嫌いじゃ
G格好悪い
Hそんなことしてなんぼのもんじゃ
I誰もやっていない
J暗くなる
K神経疲れる
少しくらいなら兎も角、人間は万事において、自分はきちんとやっていると言うんですが、実はやっている格好をして誤魔化しているだけなんです。
要するに全てがきちんとやっている振りしているだけなんです。子供の頃、ゴッコ遊びというのをやっていましたね。お母さんごっことかお医者さんごっこのように、正にあれなんです。現代は、大人になっても、子供のとき以上に、多くのゴッコ遊びをしている自分に気付かないのです。
食事ごっこ・睡眠ごっこ・教育ごっこ・家庭ごっこ・管理ごっこ・仕事ごっこ・政治ごっこ・人生ごっこ・・・をやっているんです。食事なんかも昔に比較して過食・偏食・油過剰・食べ残し・柔らかい食事・・・・・相当に崩壊しています。ところが人間はきちんと食事をし、睡眠をとり、教育を受け、管理し、仕事し、政治をし、人生を送っていると信じ込んでいるんですが、実態は恐ろしくひどくて真っ当にやれていないのです、やっているように見せかけている・思い込んでいるだけなのです。人間のやることは所詮その程度のものなのです。ほとんどのものは、いい加減ですから、その証拠に頻繁にいろいろな問題や事件や事故が噴出するのです。歯を磨いているはずが、虫歯になり歯槽膿漏になり、歯が抜けて入れ歯になってしまうのです。本人が何と言おうと、その原因は手抜き歯磨き・誤魔化し歯磨きをしているからに他なりません。急いで粗雑なことをやっているが、嘘で固まった生き方が、かえって遠回りになったり大きな損失や事故に結びついていることを自覚しなくてはなりません。
身近な小さいことから大きなこと迄、自分の人生や暮らしのほとんどが、嘘で埋まっているというわけです。
ところがひどく嘘の暮らしをしているのに、自分は一人前に真っ当な生き方をしていると信じ込んでいることに、本質的な問題が潜在化しているのです。嘘の中にどっぷり浸かっていましから、本人は、自分が嘘をついていることさえ冷静かつ客観的に認識できなくなってしまっているのです。
一見健康そうな人が、大腸や肺に深刻な癌を抱えているのですが、自分は健康そのものだと信じきていることなんです。この結果は言わなくてもわかりますが、間もなく、悲惨な結果が待ち受けているのです。ある日突然「癌です、余命3カ月です」と医者から宣告を受けることになるのです。
昨年は食の賞味期限や内容の表示に関する偽装が問題になり、「偽」が昨年を象徴する字に選ばれましたが、あんなのは大して珍しいことではなく、政治をはじめ学校・警察・役所・企業・家庭、世の中は嘘ばかりなんです。別世界のこと、他人ごとのように考えてはならないのです。
”嘘つき・出鱈目・いい加減”は他人事ではありません、自分自身も例外なくひどいということを強く認識しない人間は、生きている時点ですでに地獄に落ちているのです。お粗末な人間のことですから、嘘をつくことはある程度しょうがないとして「自分は全く嘘をついてないという誤った自覚」のほうが、大きな問題なんです。「自分は日々嘘をついている・嘘まみれだ」と自覚していれば嘘をついていることもある程度許されてもいいのです。
「嘘をつかないようにしよう」と思っている人は、更に非常に素晴らしい人なんです。嘘にまみれた暮らしや生き方を努力して治そうとしている人なんかは、かなり立派な人なんです。
タバコの禁煙みたいなもんですから、いきなりやめるのは難しいのですが、大事なことは、嘘まみれ(糞まみれ)の生き方を根本から猛反省し、治す努力をしているかどうかなんです。政治家や役人は、過去とてつもなく大きな嘘をつき国民に多大な迷惑や損害をかけているのに、未だに平気で大嘘をつき続けているのです。長期政権の自民党を選挙で選ぶ国民にも大きな問題があるのです。国民もなぜか政治家や役人の嘘を受け入れ、間接的に嘘つきを手助けし続けているというわけですね。そこらへんの若いアンチャンだったらいざ知らず、国をひっぱる政治家が嘘だらけ糞まみれではどうしよもないですね。嘘をつき続けてきたということを真剣に自覚し反省すべき時期にきているんです。タバコの禁煙と同様に悪いにもかかわらず、なかなか容易には治らないですね。豊かで便利で平和にどっぷり浸かってきたせいか、人間の浅ましき・愚かしき悪しき面が益々増殖しているようです。そしてそのウイルス細菌は、グローバル化によって、世界各国に撒き散らされ、蔓延していくのです。
歯磨きの例でおわかりのように、
1)誤魔化しは、得策ではない
2)誤魔化しは、早道でもない
3)誤魔化しは、格好よくもない
そういう発想転換をしないと、貴方は堕落する世の中とともに一緒になって堕落していく運命です。「糞真面目な奴は嫌いだ」なんて知ったようなこと言う奴がいますが、糞真面目なんていう人でも、まだまだかなりの不真面目なレベル程度なんです。もし本物の真面目な人なんてのがいたら是非紹介下さい。多分その人に遭って私は言うでしょうね「この人をしてもまだまだ不真面目です」とね。(百戦戦って百戦勝つとも、いまだ武勇の名は定めがたし)
私の場合、私を含めて、いい加減な多くの人には出遭たことはありますが、真面目な人なんか、これまで一度も出遭ったことはないですよ。皆さん大きな勘違いをしているのです。糞真面目でなく、真面目っぽい人や一見真面目に見える人はいても、心底真面目な人は1億人に1人いるかいないかでしょうね。
そういうことですから、まず自分だけは嘘の生き方を改めたいものです。最初はつらいですが、そういう生き方が身に着くと、素晴らしいと想像しています。
「一体なぜ山なんかに登るんだ」という問いに対して、ある登山家が「そこに山があるから登るんだ」と言ったらしいのですが、人間として生まれたのであれば駄目人間で甘んじるのではなく
「本物の真面目な人間になるために生きるんだ」
みたいな心構え・気構えを常に持ちたいものです。
学校で長いこと勉強し、実社会でも日々合理的な考え方や科学的な知識や経験を積み上げても、この一心がなければ糞の役にも立ちませんよ。「真面目な生き方って一体何だろう」と深く考えてみて下さい。
貴方がもし「自分は完璧だ」と思ったとしても、それは”完璧の入り口”に立ったに過ぎないのだ。人間は愚かな生き物であれば、決して奢ってはならない。<テレビでコメンテーターなんてのが偉そうなこと言っていますが、多分彼らの実態なんか、びっくりするほど相当ひどいもんですよ。
131.若者よ、自分が認められないことなんかで悩むな
2008-01-03 11:59:09 | Weblog
私も今は65歳ですが、24歳で故郷の東京を去り、単身大阪の大手の会社に入った頃は、世間や会社の何もわからず右往左往し、仕事のできないことに悩む時期がありました。しかしそういう私も少し仕事ができるようになると今度は、自分の仕事が上司や上の人に認められないことで悩むことに変わっていきました。そして私の場合は10年勤めて、ついに会社を辞めることになったのです。当時は、一流大学の大卒で大手企業なんか簡単に辞めるなんてのは少なかったですね。私も上司から一言褒め言葉でも戴いていれば会社を辞めることもなかったのでしょうね。こういうことで悩む現代の若者は意外に多いのです。でも自分の場合に限っては今思い返せば、そんな会社を辞めて、それで大いに良かったのですがね。
会社に勤めての働き涯というものは一体何なんでしょう。
 @給与
 A地位
 B仕事の成果
 C人間関係・好きな人の存在
 D明るい職場
 E自己成長
 F良き先輩
 G社会貢献
 H働くことそのものの楽しさ
 I売り上げ貢献
 J生活水準の向上
 K仕事が認められる
まあ会社や仕事が好きになるのはこういう要因によるものです。しかし不思議なことにどこの会社も、こういうことへの配慮はあまりなされていません。むしろ私は、不満や悩み相談を受けることが多いのです。
私もそうでしたが、若い人の相談の多くは、会社を辞めたい、その理由は以上述べた12項目のどれかです。その中で私が最も大事だと思うことは、『12番目の社員の仕事や能力を認めてあげる』ことなんです。まあ私の場合もそうでしたが、素晴らしいことやってもほとんど褒めてもらった記憶がないのです。無関心はいけませんよ、人・物・金等に関心を示すことが経営層にとって最も大事な仕事の一つですよ。反対に怒られることはものすごく多かったように記憶しているんです。その点芸能人や俳優や歌手や芸術家などは、駄目な場合は認められない反面、良い場合は大いに認められ結果が出てきます。一方、会社での仕事は、適時的確に認められる褒められる機会が極めて少なくないのです。社長賞なんてのより、上司や先輩からのお褒めの一言が何倍もうれしいのですがね。同僚は認めてくれても上司や社長は全く認めてくれないとか褒め言葉が全くないのが多くの会社の実態です。
ましてやB君が社長に褒められたなんてのをたまたま見せられると、自分は何故褒められないんだろうと悩むのです。社長は駄目なB君がたまたま良いことをやったので思い切り褒めたのでしょうが、A君にしてみると「なんでB君が褒められ俺が褒められないんだ」と深刻に悩み、想像以上に根深い不平不満に繋がる結果になるのです。
家に帰り奥さんが夕食を作ってくれますね、ところが多くの男どもは「美味しいね」の一言も言わないのです。まあ会社では褒められないと怒っているA君も家ではお母さんに「今日の飯まずいな」なんて言ってしまっているかもしれませんね。他人を認めるなんて、そんなもんです。
人間は他人を褒めないですね。特に男はそういう傾向があります。だから男同士の付き合いは、殺伐としていて暗いですね。女は例え、おべんちゃらでも互いに、相手を褒めまくるのです。それによって褒められるという人間が最も欲していることを相互に満足させあっているのです。奥様は家庭での夫から無視される不満を、外で女友達同士のお世辞の言いあいで解消しているのです。そしてどんどん夫から離れていくのです。会社も同じことで、社員は友人同士で慰めあい上司や経営者から離れていくのです。何なんでしょうね?こんな素晴らしいことをやれないなんて。
人の良い点や優れたことなんて沢山ありますよ。それを見つけて口に出して言ってあげるだけで、言われた人の一日は明るく楽しくなり、お互いの信頼関係も深まるのですよ。
仏教でお布施といいますが、お布施というのは、本来はお金や物以外の暖かさみたいなもんなんですよ。神社仏閣でお賽銭を入れて拝むより、家族や友人や若い人や女の人を褒めることのほうが、よっぽどご利益があります。
そしてその結果その相手から、貴方は非常に良い感情や印象を持たれるのです。「あの人は良い人ですよ」なんて言われるんです。
社長や上司が嫌われる大きなポイントは、自分がやっていることが大したことがないのに、部下を褒めないこと、それどころか部下の不平や不満ばかり口にしてしまうことなんです。家でも同様でして奥様がだんな様を嫌う、子供が親を嫌う最も大きな原因が文句ばかりで奥様を褒めたり感謝しないことなんです。
会社の社長さんや部長なんかが能力のある人間より、胡麻スリ人間を好むのもうなずけませんか?社長や上司は部下の業績を認めずに、自分の手柄に自慢し、一人良い子ぶる傾向があるんです。
ここに、ぴったりとした例があります。その会社の社長さんが何かで自信をなくした時期に、ある日なんとなく「俺は駄目だ、それにひきかえお前達従業員は凄く頑張ってくれてありがとう」と言っそうです。それから社員との関係が良くなったという話しを聞いたことがあります。家庭でも奥様へ、こういう一言が欲しいですね、というのは意外にそのとおりかもしれないからなんです。
ところで厳しい世の中に一人で出て、他人に認めてもらうというのは、予想外に難しいことなんです。だから褒められて舞い上がるなんてのはあまりしてはならないことなんです。よくある例ですが、若くてちやほやっされ、久々にすごい名子役と評判になったが、大人になって予想外に伸びなかったという話が多くあるのです。逆にあまり大したことのない子供が苦労に苦労を重ねて歳を重ねるごとに、立派な俳優になっっていったという話もよく聞きます。
自分であるものを発明した、これは売れると会社を作り製品を売る商売をしてみると、全く売れなかったということもしばしば耳にします。
商売を始めて、立派なオフィスを構えたり、大層なお金をかけて立派な店を作って営業を始めたが最初こそ売れていたが、そのうち全くお客が来ることはなく、早々と店じまいしたという話は事欠きません。本人は「絶対に売れるはずだ」と思うのですが、世の中はそんな甘いものではありません。
また相談に来る若者で「経営コンサルタントでもやってみたいのですが」とか「インターネットで商売を始めたいのですが」なんて軽々しく言われたり、相談を受けます。しかし具体的な話を聴いてみると、具体的なプランや調査分析や指導ツールの準備や話術や原価計算や事前のトライの実績なんか全くできていなのです。まあ一口に言えば、武士の商法もいいとことろで、「世の中が認めてくれるはずだ、こんな良い物を買わないはずがない」なんて勝手に思い込んでいるのです。
私も自分では素晴らしい成果を出しても全く認められず、若い時は長いこと多くのサラリーマン同様にくさり、不平不満の日々であったことを思い出します。しかし私のせめても支えは「俺は誰にも負けない経営管理のプロになる」という目標があったことでした。まあそういう支えがなければ、どこかでくじけていたでしょう。適当におだてられて自己満足していたことでしょう。また私の場合は、会社を転職し環境を変え、それぞれに良い出会いがあり、あれこれ勉強を積み上げることができたことでしょう。
人に認めさすのが人生の目標ではありませんが、人に認められないということは、二つの状況が考えられるのです。
 (1)99%:自分の努力不足
 (2)残りの1%:世間に知られなかった(=世間に知らしめる努力の不足)
   1)ごく一部の人には認められている
   2)本人が死んでから認められる場合
貴方の場合はどれでしょうかね?最初に「社員を褒めなさい」と言いましたが、私の場合を思い出してみると、褒められなかったのがどうのこうのというより、いつも怒られていたことが良かったように思います。人間は褒められて伸びると言いますが、そういう人間の多くは並の人間にしかなれません。本物の人間になるには、あまり褒められないほうが良いのです。
ですから若者に言うんです。「私も褒められなかった、でもそのおかげで舞い上がることなく、コンチクショウと自分でいつも頑張り続けてきた、その結果中途半端な自分で終わらずに済んだ
 ・「誰かたった一人でも自分を認めてくれればそれでいい」
 ・「自分が死んでから認められればいい」
 ・「自分の人間としての全体を褒められるまでは、部分的に褒めてなんかくれなくていい」
 ・「他人に認めて欲しいなんて甘いことは、碌でなしの人間が思うことだ」
 ・「小ぽけな人間で甘んじるな、大きな人間を目指せ」
ということを言ってあげるんです。
若者には、次のことをモットーにして欲しいですね
 「中途半端に褒めてなんかくれんな」
 「もっと厳しく言ってくれ・叱ってくれ」
 「未熟な自分だ、もっと教えてくれ、もっと鍛えてやってくれ」
 「世間のおめえーらごときに俺様のやっていることなんかわかってたまるか、わからんでいいんじゃ」
そのくらいの気概を持って最高の賛辞を得るまでは黙々とやることですよ。そのほうが人生の中身は数倍濃いものになるはずです。ひたすら我慢我慢・努力努力ですよ。
下手な人から、下手なときに、下手なやり方で褒められると、褒められた人はかえって駄目になってしまうこともあるから下手なやり方で褒めないことも大事ですよ。
●中身の薄い人生を求めるのか?中身の濃い人生を求めるのか?
 貴方はどちらを選ぶのかそれが問題だ
でも社長さんや上司さん「人を見て法を説け」くじけている部下や若い者には、時々それとなくでもいいから褒めて励ましてやって下さい。最近は真剣に叱ってやれる若者が減っていますから、安易に叱るだけでは自滅してしまいますよ。
奥様やお母さんには「美味しいね、きれいにだね、ご苦労さん、ありがとう」と言ってあげて下さい。奥様も歳をとれば美しくなくなりますよ、でもそれだからこそ「いつまでもきれいだね」の一言が必要なんです。元気のない若者や成果をあげられない若者にこそ「がんばっているな」の一言が大切なんですよ。
130.徳のある政治家・役人・先生・経営層の守るべき最低限のもの
2007-12-21 21:17:31 | Weblog
■私が守るべきこととしている15カ条
1) 威張ってはならない
2) 貪ってはならない
3) 争ってはならない
4) 怠けてはならない
5) 贅沢してはならない
6) 無駄をしてはならない
7) 見て見ぬふりをしてはならない
8) 怒ってはならない
9) 急いではならない
10) 汚し(ケガシ)てはならない
11) 狼狽してはならない
12) 諦めてはならない
13) 欺いてはならない
14) 利己的であってはならない
15) 手抜きをしてはならない
しかし今の政治家や役人や最近多い偽装会社の社長にとっては、
「そんなの関係ねー」「オパッピー」ですかね!
日本の指導層も、ひどく落ちぶれたものだ、本当の支持率は0%かもしれないぞ!
心の底から支持したい立派な政治家・役人なんて、もはや全く存在しない!
日本の指導層よ、原点・基本を見直せ、日本人としての尊厳をとり戻せ!
指導している人々からの尊敬を得られないのであれば、潔く指導層を降りよ!
どんなに時間がかかっても良いから、もう一度厳しい修練をして出直せ!
・何とか還元水(まあ自殺して責任とったのは、まだ、ましなほうかもしれない)
・ゴルフ接待づけの防衛省幹部(こんな奴がいるとは全く信じられない、早く死ね売国奴め)
・僕辞めると言った首相(この坊やは恥知らずで反省も責任もとらず平然としている)
・期限の表示の張り替えを指示した社長(社長だろ、頭下げればいいのかい?)
・高額な給与や賞与をとる働きの悪い天下り役人(早くこの無駄をどうにかせい)
・裏金作り税金をちょろまかしを許す役所の長(伏魔殿・盗賊ども)
・無駄なことに税金を使い込む政治家や役人(お前たちなんか資格がねー)
・無駄使いをした上、膨大な借金をして平然としている政治家や役人(無能な奴ら)
・・・・・・・・・・・
自民党のような長期政権は腐敗し、かなり前から尊敬は全くなくなり、もういい加減にせいの段階から、最近では泥棒よばわり、軽蔑の的になっているのです。自民党は大いに反省し、一度野党に下るべきなんです。まあ幾らなんでも、今年は当然そうなるでしょうがね。人間は、時々反省しないといけません。
129.ご案内:年頭所感掲載しました
  【以下冒頭抜粋】
 危機を危機と認識しないことこそ、重大な危機である。痴呆の大集団
 成せば成る成さねば成らぬ何事も、成さぬは人(愚者)の成さぬなりけり
 人は狭い箱の中に自らを押し込めて、人を人でなくしてしまっている
 真っ当な人間として少しづつでも成長することが何と楽しいことか
 今日本が貧しいと言うなら、本当の貧しさが来た時どうするのだろうか
 今日本がつらいと言うなら、本当のつらさが来た時一体どうするんだ?
 生き物や人間の尊厳を失い、地球全体が偽りだらけの異常な世の中
 便利で豊かの風呂に浸かり、他人事でなく日本も世界も貴方も偽りで充満している
 進歩・発展という名の下に”人間退化が限りなく進む世紀”
 安易に「今年こそ偽りのない年に」なんて言うが、そんなの無理、人は偽りの塊
詳細は⇒2008年年頭所感
128.豊かさと便利さによって、あらゆるものが退化しているが人間よ、これで良いのか?
2007年12月18日 15時00分35秒 | Weblog
最近の日本の子供達は、我々昭和世代に比べて著しく退化しているという報告が沢山あがっています。進化しているのは、横着とかテレビゲームの操作やパソコンや携帯電話の操作くらいで他は全滅のようです。
冷静にその原因を考えてみると、彼らはオギャーと生まれたときから、異常なほどの豊かさや便利さがあるからのようです。異常なほどの豊かさや便利さは、昔の大大名の殿様の生活の数百倍くらいらしいのです。そうなりゃ、どうやってみても馬鹿殿様になりますよね。
最近の若者は顔が小さくあごも細いのが特徴ですが、硬いものを食べていた私達に比べると、赤ちゃんのときから柔らかいものばかり食べるようになったせいらしいのです。カレー・ラーメン・パン・ハンバーグ・ジュース・流動食・柔らかい菓子・・・人間にだけ何故、前歯(切歯)と犬歯と小臼歯、大臼歯があるのかというと、人間はいろいろなものを食べてきたからだのだそうです。
私達は昔、干物・煮干・固い肉・たくあん・乾燥芋・固いぱん・豆・せんべいなどを食べていました。引き裂く・磨り潰す・噛み砕くなど歯の機能を全部総動員して噛んでいました。しかし現代の子は他の動物以下のお粗末な歯に退化しまったということです。
歯やあごだけではありません。田舎の子は足が弱っているんだそうです。何故かというと、昔は一里も二里も歩いていた田舎の子が、今は自動車に乗る、田舎は平屋が多く階段を上り下りしないので都会の子供より足を使わなくなったのだそうです。だから田舎の子供になんか農業は無理なんです。むしろ都会の子のほうが農業向きなんだそうです。マラソンもアフリカの選手に到底かなわないのだそうです。
トンカチ・ネジマワシ・ノコギリ・キリ・ナタなんかも扱える子供はほとんどいません。
そして勉強のほうも日本は、他の国からどんどん置き去りにされているようです。
なんていうことはない。世界一の日本などと、良かれと思ってやってきたことが人類の退化に繋がっているのです。しかもその状況は日増しに深刻になっているのだそうです。子供がそうなら、またその子供はもっとそうなり、やがて完全に退化してしまう恐れさえあるのです。
そこでロボットなるものが登場するのだそうです。退化した人間ができないことをロボットがやってくれるのだそうです。そしてやがて地球上はロボットだらけになり、ロボットを設計し作るのもロボットになるのだそうです。そうなれば人間は不要になり、退化を通り越して、無用の長物になるのです。
ゾーとしませんか?
「そんなのありえねー」とか「そんなの関係ねー」と言っていられない深刻な状況が、日本だけでなく欧米にも韓国や中国にも表面化してきているのです。
進化は怖くないですが、退化(後ろ向きで進む)というのは怖いですよ、退化が退化を呼び、一端、負のスパイラルになるとプラスに転じることができなくなるのです。
退化を止めるには、豊かさと便利さの根本的な否定、全面的な否定をしないといけないのですが、「そんなの出来っこねー」なんですね。
ということは、今話題になっている地球温暖化問題は、これ以上の人類の退化の阻止という面でも、相当厳しい施策講じることが急務なのであります。
でも、とにかく難しいですね。人が当り前に人であったなら、こういう問題は起きなかったのですが、人が欲張りになって猛烈な勢いで科学技術を革新し、異常な豊かさと便利さを追い求めてきたのが、そもそも大失敗だったのです。
地球はあと20年30年長くても50年しか持たないのだそうです。しかし人間が全部死滅することはないのだそうです。何故かというと豊かさや便利さと無縁の地域の民族が僅かでも残っているからだそうです。
そう考えると、徒に良いことぶって、先進国が貧しい国を助けるという行為が果たして理にかなった適切なものであるのか、人類の破滅直前の世界がやがて明らかにしてくれることでしょう。人間の努力が仇になるなんて、誠に悲惨で残酷で、悲しい・残念なことですねー。
127.人間は、なぜ堕落するのか「ほどほどでいい主義」の勧め:普通の人間、普通の国を目指せ
2007年12月13日 17時45分59秒 | Weblog
戦後、日本は本当に貧しい時期がありました。しかしその貧しさから脱出するために日本人は家族も寝食も忘れて、猛烈に働きました。
気付けば、一時期、日本は世界一なんてことにもなっていました。
貧乏のどん底からの日本の高度経済成長路線は、いくつかの結果をもたらしました。
 @物質的豊かさ・裕福さ
 A人の労働が激減・便利さ
 B生きがい喪失
 C経済大国化
 D欧米化
 E合理主義
 F効率優先
 G使い捨て
 H世界的競争主義
 I実力主義
 Jマネーゲーム
 K格差社会
それによって日本や日本人の良いところは、惜しげもなく、ことごとく失われていったというより、すすんで捨てていったのです。
ところで、話は私のことになりますが、
私は、他人が思っているほど、金持ちでもないし、頭も良くはないし、ハンサムでもないし、腕力が強くもないし、平均より少し上ではありますが、何か特に秀でたものは何もありません。
若い頃は、そういう自分に劣等感を持ち悩んだものです。まあそのおかげで勉強もし、一流大学にも入れ、一流企業にも入って、頑張ってこれたのではありますが。要するに、自信を持てるようなものが特別無かったし、今現在もないのです。64歳になっても、未だにその状況はたいして変わりませんが、64歳になった今は、そういう”普通の人間の自分”で良かったと思い直しています。
もし、何かに特別秀出て、飛び切りの美男子や金持ちや秀才や権力者になり、それらを保つために人知れず必死に頑張ってきた自分を想像すると身の毛がよだちます。そこそこ駄目人間のおかげで、他人の目も気にせず、誰に気兼ねもせず、時々好きなことを自分の思う存分やってきたことを幸いに思っているほどです。まあ駄目なりに、頑張ってはきましたが、例えばイチロー選手なんかに比べたら無いに等しいでしょう。
何かに秀でた人の多くは、はたから見ると羨ましい限りですが、本人や周囲の人々にお聞きすると必しも、それほど幸せではないようです。
冷静に考えてみて、何かに秀でることは、寝食を忘れて、自分を犠牲にしてまで必死になるほど、自分にとってそんなに大切なこと、価値あることなんでしょうか?ひょっとして「幻想」「思い込み」「錯覚」「恐怖感」ではないのですかね?
・日本も経済大国になって全て良かったのかというと、そうでもなかったですよね。ずいぶんしんどかったし、結果的に失ったものも多いですよね。
・オリンピックでメダルをとった選手も、普通の人が思うほどそんなに良いことではないそうです。
・有名人というのも、他人が見るほど楽でも楽しいものでもなく、相当にしんどいもののようです。
・会社の社長とか取締役なんてのも、本人に聞くと給与や見かけの処遇は素晴らしいが、実態はさほど楽しい・うれしいものではないようです。
・金持ちとか有名人って、付き合ってみると「嫌な奴」が多いですよね。それよりも普通の友人や家族や親戚のほうがずーと楽しいんですよ
金持ちや有名人や達人や名工や有名人なんか、目指すもの憧れとしては良いとして、現実の問題として、そんな人と年中付き合いたくないですよね。
ことほど左様に秀でたものを過剰に求めることや、秀でた他人を過剰に賛美することも、もういい加減止めにしませんか?
それどころか逆にさほど秀出ない・さほど贅沢しない・それほど素晴らしくないことを求める心は、すごく良い効果をもたらすのです。
私は「貴方はすごい人・優れた人」と言われるより、「貴方は普通の人だ」と言われるほうが嬉しい今日この頃なんです。そのほうが力まず、ずーっと楽ですし、他人の目をいちいち意識しなくてもすみますよ。
金や力や能力にまかせてなんでも容易に手に入れるのは、結果的に人間を欲深にし、横着にし、人間を堕落させます。そして幸福感さえ奪ってしまう場合も多いのです。そういう歪んだ、横着な生き方・暮らしを続けていると、長い年月かかって、人間は知らぬ間にどんどん孤立・疲労・崩壊・堕落して行くもんなんです。
会社なんてのも安定した大企業より、ベンチャー企業で、売上げを上げる・利益を上げる努力を必死になってやっている会社で働くほうがいろいろな面で良いのです。会社が安定し利益も得られるようになったら、むしろ発展途上の会社に転職したほうが良いのですよ。
そういう点で日本や欧米のように大国の人間や若者は、知らず知らずに堕落しているんです。日本の若者は、高い所得や福利厚生の会社に勤めるよりも、日本の明治維新やアメリカの開拓時代のようにもっと困っている地域や事業に進んで、自分の身を投じるべきですよ。
最後に、私のやっているごくごく身近な例を二三あげてみましょう。
 ・食事の例:お店に入ったらそこの店で、できるだけ安いものを頼む
 ・物を買う例:買わずに、ありあわせのもので工夫する
 ・冷蔵庫の中の例:冷蔵庫の中を一杯にしない
まあ何か節約家や我慢家みたいな感じですが、外見は似ていますが、中身は全然違うのです。ケチやセコイというのは、考え方や精神が卑しいですが、私の言う「ほどほどでいい主義」は、人間のあるがままを肯定するということです。別にケチでもなくセコクもないのです。徒に、より多く、より高く・より良く・より楽などを求め過ぎないことです、そういう行き過ぎた欲求によって人間の本質が歪まないようにすることです。あるがままを受け入れ、結果を求めず、精一杯頑張る、誠心誠意心を込めるというようなことでしょうかね。イメージで言えば、つつましく・明るく・元気で・楽しそうで・おだやかで・控えめで・きちんとしていて・しかも堂々としているという感じの人ですかね。
高いお金出して、高級なグルメなんか追い求めると、すぐに飽きますよ、汗水たらしてお腹すかして食べるおにぎりや一杯の水のほうがどんなに美味しいか、そういう心境を理解し実践することがずーと大切なことなんだと思います。
そういう人が貴方の周囲におられますか?又は貴方自身がそういう感じですか?もしそうであれば貴方は幸せですよ。
なんでもお金や成績に換算するのが欧米流ですが、こういう生き方は早く結果を出すのに良いかもしれませんが、安易にこんな生き方をしていると「お金が儲からない(得しない)ことはやらない」という人間の横着さ・人間の悪い面を更に助長することになります。
私は最近、権力者・秀才・美人・美男・お金持ちの人を見ても全く羨ましいとは思わなくなりました。
むしろそういう人を見ると”哀れな人でなし”と見えるのです。
浅ましい・愚かしい・おぞましい・亡者そのものです。
彼らの一生は長年、他人に自分を認めさせる生き方が染み付いていて抜けないのです。あのイチロー選手や超人気の有名人でさえ、そういうところがかなりあります。世間から有能と言われる多くの方々は、一時たりともすきを見せません。
一ことで言うと、
大切なことは”亡者”にならないことです。普通の人間であり続けることです。どんなに優れても、恵まれても普通の人と同じレベルの生活をすることですね。
もし相当のお金や資産や権力や優れた能力が得られたら、惜しげもなくその多くの部分を他人に与えるくらいの普通さが大切なんです。
しかし、そういう亡者は、得たものは絶対に離しませんし、他に与えるなんてことはしません。そういう話はあまり聴きませんし、もしそういうことがやられていれば、格差社会という問題も起きないのですが、彼らは自分が損するようなことはしません。彼らは”普通の人間”という素晴らしいものを失って久しい亡者なんです。
私は、そういう人にはなりたくないし、間違ってもそういう人は尊敬なんかしません。私はあれほどの実績を残しているイチロー選手の半分は尊敬しますが、残りの半分は哀れだなーと思うのが正直なところです。現実の地球や世の中は残念ですが、今後も、ますます”亡者”で溢れて行くのです。
126.逆転の発想をもっと重視する生き方へ(貴方自身が逆転している)
2007年12月10日 13時17分28秒 | Weblog
よく「逆転の発想」「逆も真なり」と言います。
普段自分がやっていることと逆のことをやってみると、案外すごくうまくいく場合があるということです。
例えば身近な例ですと、ご家庭でだんな様やお子様やお子様の悪口ばかり言っている貴方、この際、思い切って相手の良いところを認めて褒めてあげたらいかがですか?相手が気持ち良いことは,結果的に自分の気分も良くなってくるはずですよ。会うとすぐに他人の批判をする悪い癖の人がいますが、コンクリートのように硬い頭は良いことではありません、形には見えないけれど、損のほうが大きいですが、こういう人に逆転の発想は有効です。
経営コンサルタントとして会社様にお伺いしてアドバイスする場合も、私はことごとく現状を否定し「逆にしたら」どうなるかを考えていくのです。
上下・右左・前後・大小・有る無し・・・・いろいろ逆にしてみるのです
私の場合、身の回りの暮らしや仕事において、逆転の発想によってどれだけ良い結果をもたらしたことか、それはすごく大きいものです。そのために「逆転の発想」をもっと強く意識的にやってみることです。
大胆に言ってみれば、「改善とは=現状を逆転すること」なんですよ。
ところが多くの人は、現状のやりかたが正しいと信じきっているか、全く現状に疑問を持たないかどちらかなのです。
逆転すべきことが、自分の身の回りにすごく沢山あるのに何もしない人を、私から見るととんでもなく「滑稽」「もったいない」「馬鹿げている」のです。
自分の考えや、やっていることは、例外なく70%くらい間違っているからです。すなわち元々間違った逆のことをやっているのです。だからこそ逆転してみると、すごく物事が良くなるというわけです。だから「逆転の発想」でなく本来は「正転の発想」(=元の正しい状態に戻す)であるというわけですね。自分自身が現状、逆転してしまっているんです。その逆転した自分を更に逆転して正常な姿の戻すだけのことなんですね。
「現状=正しい」「現状=変えてはならない」「現状を変えてもしょうもねー」
という公式が、そういう人の頭の中に、強くたたき込まれているかのようです。
劇的ビフォー・アフターという番組があります。偉い建築家がリフォームした後に、依頼主は驚嘆し涙さえ流すのです「自分の家でないみたい」なんちゃって。
私は建築家のやったリフォームの素晴らしさより、そういう依頼主の愚かな姿を見て「なんでそんなにひどくなるまで放っておいたのか」「なんと情けない人々か」「なんとズボラな人々か」と思うのです。建築家は、設計や建築の技術・経験を持っており、正にその駄目依頼主の逆転をやって見せただけのことなのです。
世の中こういう愚かしいことは沢山あるのです。
駄目な人の多くは、何でも現状を肯定しますから、大雑把に見て70%は無駄・有害なことを日々やっているのです。
現状を肯定できるなんて企業は、天下のトヨタさんや一部の優良会社くらいのもので、あとの会社は「全面否定するくらいの気持ち」が社長や社員全員にみなぎっていないといけないのです。
ところがこれまた逆でして、トヨタさんなどが、更に日々現状否定し、逆転の発想によって徹底した無駄とりをしておられる。
一方その他の多くの駄目会社は、現状肯定して、「そんなの、できっこねー」などと偉そうにふんぞり返っているのです。
まあ、一事が万事で、駄目な自分自身・駄目な自分の暮らし方・駄目な自分の生き方を肯定してふんぞり返っている人や会社が大半です。日々、現状否定し、徹底して改善を積み上げ、きちんとしている人間なんてのは1000人にせいぜい1〜2人くらいのものです。
そういう駄目な雰囲気は、会社様やご家庭に一歩入ればすぐにわかります。社長さんやご亭主や奥様は、自らそういう雰囲気が感じられなくては失格ですね。
政治家や役人は、過去の間違いを反省せず、未だに現状を肯定したまま、発想の逆転など全くしない典型です。(そういう愚かしい政治家や役人と貴方も似たり寄ったりなんですよ。)ですから「日本は、改革する気がない」ということで、日本はもとより外国からも見放されているのです。景気が良いのに株価は最低のままです。日本を駄目にしている原因は、逆転の発想ができない政治家や役人の誠意のなさ・無能さ・勇気のなさが原因です。しかし人間なんて、皆そんなものなんでしょうね。
日本の政治・役所も我々経営コンサルタントに劇的ビフォーアフターをさせて欲しいですね。見違えるようにしてみせますがね。でも彼らの場合は、違う涙を流すことになりますがね。
劇的ビフォーアフターのように、専門家やお金に頼らず、自分自身でまず家財を全部運び出し、壁や天井や床をぶち壊し、新たな発想で改築してみなさい。そうすると依頼主のように涙流して、『自分じゃないみたい』ということになるはずですよ。簡単に言えば、多くの人は、ふしだら・怠惰・怠慢・愚か・傲慢・臆病者・自信過剰・無精者・・・なんです。
特に一番大事なことは、
・自分自身の逆転
・自分の暮らし方の逆転
・自分の人生の逆転
・人との付き合い方の逆転
なんかですよ。
こういうものを駄目な状況で現状肯定していると、沢山の貧乏神が住みつき、最悪の家のように暮らし難いばかりでなく、家が倒壊したり、病気や怪我の原因にさえなってしまうのです。
例えば質問します。
貴方は、会社や自分の家や自分の部屋を、ここ2〜3年間、大きく配置替えしたことがありますか?
「ない」と偉そうに言う貴方、もう最悪です。
貴方は最悪の人生を送っているし、今後も送っていくはずです。
地球温暖化が難しいのなんのと立派なことをグダグダと言っている方々は、是非私を見習って下さい。簡単ですよ、戦後高度経済成長期に、物の有り難味を忘れて使い放題・使い捨てをしてきたことと決別し、昔(戦争直後:昭和25〜35年)の暮らしに戻せば良いことですよ。そういうことを政治家や社長や先生が率先垂範すれば、すぐにでも良くなるはずですよ。
まあでも、政治家・役人・先生は、でも、でも「そんなの関係ねー、オパッピー」ですよね。
124.頭の良い人というのは困ったものだ、人を欺く
2007年11月20日 12時14分10秒 | Weblog
@頭の良い人間は、見てきたような嘘を言い
A頭の良い人間は、やってきたような嘘を言い
B頭の良い人間は、できるような嘘を言い
C頭の良い人間は、わかったたような嘘を言い
D頭の良い人間は、自分が正しいような嘘を言い
E頭の良い人間は、何でも知ってるような嘘を言い
F頭の良い人間は、まことしやかに嘘を言い
G頭の良い人間は、絶対のような嘘を言い
H頭の良い人間は、無責任に嘘を言い
I頭の良い人間は、聖人君主のような嘘を言い
J頭の良い人間は、得するような嘘を言い
K頭の良い人間は、信じさせるような嘘を言い
例えば、大企業出の人は、ぬくぬくと苦労知らずで、楽な仕事をしているのにも拘わらず、企業経営が全てわかったような大層立派なことを平気で言う。政治家や役人にも、とんでもない非常識な世間知らずの頭でっかちは多く、国家や世界を混乱させてきたのです。
一方、頭の悪い人は、政治家や役人や社長にはなれない、したがって世の中は頭でっかちな人のなすがままになるのですが、その結果最終的には、間違いなく、とんでもない事態になるのです。
頭の良い人が10%・頭の普通の人が60%・頭の悪い人30%くらいの割合の人が世の中や組織を進めて行くのが理想なのですが、リーダー層に頭の良い人が多いほど組織は、確実に堕落するのです。
「三代目は身代潰す」と言いますが、一代目は血のにじみ出るような苦労をして身代を築き、二代目はそれを受け継ぎ、三代目は努力せずに道楽しながら、口ばかり達者で、ついに身代を滅ぼすというわけです。三代目は頭でっかちになってしまうのが原因なんですね。
大いなる矛盾ですが、しかたがないのです。
122.意識して「身も心も暮らしもいつも空っぽにすること」の勧め
2007年11月15日 08時11分13秒 | Weblog
現代は、金・物・贅沢・便利・名誉・・・を求める時代です。そういう時代に生きていると常にそういうものを盛り沢山求める暮らしが身体に染み付いてしまいます。こういうことが個人だけでなく国家や地球の問題の根源にあるようです。
 @部屋が物で一杯になっている
 Aあーしたい・こーしたい頭の中が、沢山の欲・得で詰まっている
 B便秘して、おなかに沢山糞が詰まっている
 C肺の空気を出し切れずに悪い空気がいつも肺に残っている
 D小ぽけな、悪い知恵が沢山頭に詰まっている
 E金や贅沢な家や家具や電気製品を沢山持っている
 F朝から夜遅くまで仕事して、いつも仕事のことが頭から離れない
 G食べ過ぎて肥満になっている
 H既成概念で凝り固まっている
 I得体の知れない小ぽっけな友達と日々まみれている
 J自慢・自信・エゴ・自意識を持ち過ぎる
 K便利過ぎる
 L豊か過ぎる
 Mドタバタし過ぎる
 N恥じの意識が強すぎる
 O他人を異常に怖がる、避ける
 P物事をあまりに複雑にしてしまう
 Q化粧・衣服・装飾品・・・自分を飾り過ぎる
 R他人に対して、既成観念を持って相対する
 S次々に不平・不満を抱く、口にする
以上のように、タンスの引き出しに衣服が沢山入っていて、もう入らないような状況が、まだまだ沢山あります。
空の反対は有又は満又は色・・・ですが、我々は日常有・色・満・・・を求めていますが、空(空っぽ)を求めることを忘れているのです。
タンスの引き出しの例のように、新しいものが入り込む余地がなくなっているのです。
空(空っぽ)というものを追求することは、欲張りな人間が最も苦手とすることです。その浅ましき考えや行動が、「糞を身体に・ごみを家に溜め込む」ような愚かしいことを平気でやってしまうことになるのです。
ひたすら沢山のもので満たそうとする又は知らぬ間に満たしてしまうと、次のような結果をもたらすことになるのです。
 @腐敗
 A悪化
 B停滞
 C病気
 D失敗
 E損害
 F悩み
 G無駄
 H面倒
 I矛盾
 J争い
 K苦痛
しかし、あさましき人間にも救いがあるすれば、そういう行為によって自分の生き方や暮らし方を大いに悔い・改めようという叡智を持っているということです。ですから徹底的に欲張りで失敗や苦痛を味わうほうが案外早道かもしれません。人間の浅ましい行いも、そういう意味では空や仏性に気づく方便なのかもしれません。
例えば、家の中が片付かず掃除もされず、物で溢れており、どこに何があるかわからない状況に暮らして、失敗や多くの悪い状況を体験してみることで、そういうことの愚かさに気づくのであれば、それも神仏の導きになるのです。
呼吸では吸うことより吐く方が大事だと言います。しかし多くの人は、ひたすら吸っていて、吐き出そうとはしていません。そうすると肺に汚い空気が残り肺が心臓にきれいな酸素を供給できず、肺も心臓も血管も弱り病気になるのだそうです。
食べ過ぎて便秘する人が多いのですが、食べることより大事なことは、汗・尿・大便を毎日、定期的にきちんと出すことです。最近は汗をかかない人や便秘の人が増えていますが、病気の元になるのです。
どんどん衣服や物を買って捨てることをしませんから部屋は使わないガラクタでいっぱいになってしまうのです。心も同様で、心も無用なもの・害なもので溢れているのです。
出す・出す・出す⇒空っぽにしておく
身体も・心も・暮らしも空っぽにすることを心掛けましょう。
[空」などというと、いかにも難しいように思えますが、要するに最初は意識して「空っぽ」にしてみることです。空っぽにすることでその効果をしっかり知ることです。そうすると自由で・明るく・何でも受け入れられる広い心と身体になってきます。
121.地球崩壊や人類破滅の確率は?(残念ですがそう遠くなく確実に崩壊します)
2007年11月13日 09時58分58秒 | Weblog
異常気象各種の異常現象などの地球環境問題や世界人口の急増、贅沢文化圏の拡大、温暖化の防止の行き詰まり、マネーゲーム、人間の堕落・・・・もうかつてない危機的な状況が出現しています。恐ろしいことに、ここに来て資本主義・自由主義の行き詰まりによる地球崩壊への道筋がかなりはっきり見えてきたのです。逆に、地球や人類再生の道筋は見えなくなる一方なんです。
ここ100年200年の世界は、世界のあちこちで大きな紛争はあったものの、まあ比較的平和な時代が続いてきたのです。ところがこの平和で豊かな時代への急速な移行が、皮肉にも、かつてないほど深刻な地球の崩壊・人類の破滅へと導きつつあるのです。
「小人閑居して不善をなす」平和が続くのもある意味考えものなんです。歴史上、平和が続いた後には、必ず末世のような時代がやってくるようです。
昔は朝から晩まで、とにかく忙しかったのです。つまらんことを考える暇なんか全くなかったのです。しかし平和が続くと男も女も暇になってあれこれやり出したのです。そして機械や自動機を作ると益々暇になりもっととんでもないことを考えたりやり出したのです。そして贅沢・怠惰・便利さという禁断の実をたらふく食べてしまったのです。平和⇒暇⇒不善⇒崩壊の道を突き進んできたのです。
こういうことは、今は専門家でなくても、一般市民は誰でも簡単に想像したり、理解できることだと思います。まあ確率的に言って100%地球崩壊・人類破滅は起きるだろうという感じになってきました。その期限も、せいぜい長くて50年、もっとかなり甘く見ても100年でしょう。
ところで宝くじを買う馬鹿者が世の中に沢山います。貴方には、宝くじは100%当たりません。
宝くじは1人の当たる人のために心の暖かい多くの人が寄付するというシステムなんですが、ひょっとして自分がもらえるかもしれないというあさましき・おぞましき妄想によって、浅はかな人間は、寄付する側に回ってしまうのです。
普通「かわいそうな人がいますから1億円出して下さい」と言ってもせいぜい集まるのは100万円200万円くらいのものです。ところが”宝くじ”という名前をつけるだけで、我も我もと喜んでお金を寄付する(捨てる)のですが、宝くじは、その人間の愚かさ弱点を利用(悪用)しているのです。宝くじは、超ハイリスク・超ローリターンの典型なんです。まあねずみ講よりひどい公営の詐欺行為・だまし行為なんです。
宝くじの1等当選確率は100万分の1〜200万分の1なのです。じゃんけんで勝つ、さいころの出る目を一発で当てるのさえも案外困難なものです。宝くじは、1000人の学校を1000校集めた中から1人が選ばれる確率なんです。又は、サイコロを8回連続して同じ目を出す確率なんです。そんなものまあ100%無理なんです。起こりえないことなんです。嘘だと思うのであれば暇な人は、是非1日かけてやって見て下さい。
ある日新聞で、例えば名古屋で市民が暴力団に殺されましたというような記事が出ます。そういうことが自分の地域で起きる確率は千万分の1〜百万分の1くらい、すなわち100%起きないと言ってもよいのですが、自分の地域にも起きるかもしれないと不安になるのが人間なのです。
本題に戻って、地球崩壊や人類破滅や大都市の巨大地震、食料危機、水不足、資源危機・・・は100%起きるのです。ところがそういう恐ろしいことが起きると考える人は、かなり少ないのです。
「起きて欲しくないこと=起きないこと」という子供じみた感情なんですね。非常に大矛盾な人間の感情なんです。
こういう矛盾する感情は人間には多いのです。例えば人殺ししたら自分が惨めになるのに前後の見境なく人殺しをしてしまうのです。戦争なんかも冷静に考えれば悪いことを知っていながら簡単に戦争をおっぱじめてしまうのです。大いなる矛盾ですよね。でも人間とはそんなもんなんです。若い人は、歳とる・やがて死ぬのは真実であるのに、歳とらない・死なないと信じているのです。結婚して愛に満ちたアマーイ日が永遠に続くと妄想するのです。大企業でも倒産するかもしれないということを疑わないのです。
・起きることを起きないと考える(妄想)
・起きないことを起きると考える(妄想)
人間っておかしな生き物、矛盾の多い生き物ですね。
人間はなぜ本物の幸せになれないのか?その原因はこういう矛盾するような行為を正しいように平気で勘違いすることなんです。
人は、
・良いことをやらない
・良くないことをやる
食べすぎを止めなさい・タバコを止めなさい・使い捨てを止めなさい・無駄を止めなさい・・・・・・多くの人間は止めないのです。それどころか、もっと食べ・もっと吸い・もっと使い捨てる・無駄をするのです。
地球環境問題は解決しません。理由はこのような人間の矛盾が多い行動パターンにあるのです。理屈ではなく、あさましきエゴの塊の人間どもの感情ですからすごく難しいのです。
・良いかどうかということは、理屈としては理解できているのです。
・しかし、真剣に・真面目にやろうとはしないのです。
この大いなる矛盾が地球や人類に更なるとどめをさす迄、滅ぼそう働いているのです。
「私は真面目だ」という貴方でさえも、地球や人類を滅ぼすのに日々相当程度、加担しているはずですよ。
地球や人類を滅ぼすのは、戦争ではなく、人間の妄想・妄念と誤解と甘さなんです。
人間はここで、かなり超真面目にならんといけません「糞真面目・糞謙虚にならんと」もういけません。
116.神「人間どもめ、頼みもしないことを知り・考え・勝手に変えたり、作りやがって」
2007年10月24日 08時54分32秒 | Weblog
人間どもよ、お前達は自分のことだけを考え、自分を改革し、僅かでも神に近づく努力を死ぬまで続ければいいんじゃ。
生意気に他人のことなんか考えるのは、大きなお世話じゃ、お前さん自身が堕落しているんじゃから
不遜にも、本来神がやるべきことを、お前達みたいな未熟者・やくざ者が勝手にやっている、断じて許さん!
未熟な自分のことを疎かにして、やらなくてもいいこと・くだらんことばかりやりやがる
いつから、そんな世の中・そんな人間に堕落してしまったんじゃ?人間というものはもっと尊厳や謙虚さを有していたはずなのだが
ところで、組織というものは、与えられた役割だけをきちんと実行することが重大なのであって、頼みもしないことをやる組織は最悪なんじゃ
蟻は蟻・牛や牛・ミミズはミミズでいいんじゃ、神の意向だけを黙々とやっとれば、いいんじゃ
最近は、女が男のことをやりやがる、男は女みたいなことをやりやがる、世も末じゃ
人間が神の意向を守らん、人間はもっとも肝心なルールを守らん、けしからん、灸をすえてやろう
お前らの国の政治家や役人、会社のなかにもそんな不心得者・お節介者が、うじゃうじゃおるじゃろ?
わからんか?教えてやろう
野球では投手は投げること、捕手は投手の球を受けること、野手は球を捕って塁に投げることが一番大事なんじゃ
投手が投手の役割を、バッターがバッターの役割ができず、きちんと果たさなければ、当然そのチームは勝てないのじゃ
人間は、近年、そのような矛盾することを、恐れもぜずに、じゃんじゃんやっているんじゃ
学校の校内暴力やイジメにも似て、数々の軽挙妄動を一見立派な人間どもが、亡者のようになってやっておるんじゃ
だから、質(たち)が悪いんじゃ
本来、神しかやってはならないことを、勝手にやりやがって、得意満面な愚か者が世界中に蔓延ってしまった
その結果、多くの人間がどんどん騙され悪の道に染まっていくという最悪な状況が生まれるというわけじゃ
世界中が、俺俺詐欺みたいなもんじゃ
なぜだ?一体なぜこんなことになってしまったのだ、こんなことにしてしまったのか?
誰の差し金なんだ、誰がこんな悪企みを思いつき、平然とやってきたのか?
会社は、よほど立派な社長や専務や常務がいないと会社は遅かれ早かれ、最悪な状況になる
世の中も同じで、よほど立派な権力者がいないと世の中は、どんどん最悪な状況になって行くのじゃ
現代は正に最悪の社長が率いる会社、最悪の監督が率いる野球チームみたいなもんじゃ
そういえば、つくづく周囲を見渡すと、いつの間にか最近は碌でなしの最低の経営者や政治家や親ばかりになっている
多分、すでに金や名誉・名声で動く「権力者=亡者」のような、そういう最悪な時代に突入してしまったのじゃ
末世ということを口にするが、現代を末世と言わずしてなんとしよう
そのことさえも気づけない、気づかない、世界中が狂ってしまって、自然の治癒力を失ってしまったのじゃ
一国ならともかく、世界中が皆、例外なく、過ちをあたかも神に近ずいたかのような錯覚を犯しているのじゃ
地球環境問題も未だに、反省さえできていない、まだなんとかなる、愚か者がなんとかしようとしている
人間が神になるなんてことはあり得ないのだが、彼らはかなり神に近づいた、神を越そうなんて思い上がっている
この思い上がり者めが、罰当たりめが、無能な権力者によって、地球が喰いものにされつつある
もう止まることはないじゃろうな、神も最後の仕事をしなくてはならなくなってきた、その執行年月日が近づいている
人間よ、簡単なことだ、
  まず最大の謙虚さを取り戻すのだ
  「神から言われた、お前さんがやるべきことだけやること」に戻ればいいんじゃからな
  駄目な権力者を見捨て、神の意志を思い出して、神の意向に従うことだ
  簡単なことじゃが、簡単には行かないのじゃ
  人間は、ひどく思い上がってしまったからのー
  人間は、ひどく怠惰になってしまったからのー
大事なことは「自分だけでもやる」と決意するかどうかだ
昔次のような感じの歌があったように思うが、全くそのとおりじゃ
「止めろと言われても、もうどうにも止まらない」
だからもうここに至っては神としても「やるだけやらすしかない」
むしろ早く崩壊させるしかない、そして人間どもを、まず目覚ますしかないのじゃ
荒治療・大破壊・大リストラじゃろうかのー?
神にだって、出来んことがある、そういう場合は、情けないが、神といえども切れないとしょうがいないのじゃ
役立たんだろうが、最後にキーワードを示して終わらせてくれ
 @仏性
 A自然治癒力
 B謙虚さ
 Cもったいない
 Dがんばろう
 E誠実さ・真面目さ
 F無用なものを捨てる
 G原点に戻る
 H心の底から、改める
 I皆、仲良く
 J孫・子のため
 Kありがたい
115.子育て・会社・学校で「ほったらかし」はいかん
2007年10月21日 08時18分48秒 | Weblog
子供を持つ親、従業員を使う社長や部長、生徒を教える先生、妻を持つ夫・・・・・・・が勘違いしている大事なことがあります。
子供や従業員や子供などを大切にすることは、物を与えたり、塾に通わせたり、会社の福利厚生をよくるなど形式的な愛情をかけてやることだけではなく、常に関心を持ってやることなんです。
よく見てやることでなんです。そして話しかけてやることなんです。場合によっては、むしろ、タイムリーにきつく叱ることもあるのです。
野菜や草花や動物やあらゆる物に対しても大事なことは、関心を持って観察すること、常時目を向けることなんです。そうしないと人間も草花もしおれて枯れてしまう恐れがあるのです。
現代の病根の一つは、愛情はかけても、関心を持つことが抜け落ちていることなのです。
物や贅沢などは与えるが、関心を示していないのです。
女性の従業員に、「あれ髪型変えたの」「きれいな服だね」「がんばってるか」「どうや最近、元気でやっているか?」「うまくいっているか?」の一言、朝の「おはよう」の一言が大事なんです。
会社を訪問して、社員さんが「いらっしゃいませ」「おはようございます」の一言も言わない会社は、多分社長さんが”無関心の人”なのでしょう。
例えば、お金持ちの子供さんなんかに、典型的にみられる現象です。「うちの親は忙しくて家で一緒になることがない」
親は「何でも与えています、子供に愛情を注いでいます」なんて言うのです。完全なミスマッチなんですね。
親が子供に関心を持つ、そして子供が親に関心を持つ、双方向の関心の関係があるでしょうか?
「愛する人には関心を持つが、愛していない人には関心を示さない」のが普通であります。愛する=関心を持つことなのであります。
もしうちは無いと思われた場合には、即刻自ら子供に関心を示す行動を開始して下さい。小ぽけなこと目立たないことでもいいのです。
贅沢させてもらうことなんかより、無関心が子供や従業員や生徒や妻には一番つらいことなんです。
全てがそうなんです。大きな勘違いをしているんです。
まあ、「上の空」なんですね
一言で言えば、「ホッタラカシは駄目よ」
ということなんですね。そう言えば、家も会社も学校も「ホッタラカシだらけ」ではありませんか?
  1.愛の反対は憎しみでなく、無関心である
  2.幸せの反対は不幸でなく、幸せを実感しないことである
  3.攻めるの反対は守るでなく、無防備である
  4.豊かさの反対は貧しいでなく、豊かさを実感しないことである
  5.捨てるの反対は拾うでなく、捨てないことである
  6.足るの反対は不足でなく、足るを知らぬことである
  7.上昇の反対は下降でなく、停滞である
  8.掃除の反対は汚すでなく、掃除しないことである
  9.無駄の反対は有効でなく、無駄を排除しないことである
  10.活かすの反対は殺すでなく、活かそうとしないことである
  11.平和の反対は戦争でなく、平和の有難さを忘れることである
  12.善の反対は悪でなく、不善である
114.お寺や神社で神仏などを拝むが、人は皆「偶像崇拝者」なのだ
2007年10月19日 10時34分29秒 | Weblog
日本人は、無神論者が多い。「貴方は何を信仰していますか?」と訊かれて正確に即答できる人は、明らかに何らかの宗教に入信しているごく限られた一部の人です。
日本では、ほとんど宗教教育がされていません、宗教はむしろ触れてはならないことタブーのような雰囲気があります。おかしい話ですね。日本では、周囲を見回しても、心底真面目な仏教信者なんてさほどいません。
一方、多くの外国では宗教教育は基本的なもの、大事なもの、無くてはならないものと認識されています。
まあ、日本人はそのおかげというか、柔軟であることは確かですがね。悪く言えば、厳格なバックボーンがなく、自分の理念は主義・主張がないのです。それに比べて外国人は結構頑固で個人主義的です。
しかし不思議なことに、日本には非常に多くお寺や神社があります。京都に住むと異常な多さには驚くばかりです。日本人は正月やお彼岸に寺社に出かけて行きますし、仏壇や地蔵さんや日の出などやたらに何でも拝む風習があります。
しかしどうも拝むと言っても、その背景となるしっかりした信仰を持っていませんから、空念仏か御利益のためというような偶像を表面的に拝む浅はかなものにならざるをえません。私には、日本人は偶像崇拝の世界代表みたいに見えるのですがね。
信仰は、ややもすると偶像崇拝、形式的なものになりがちです、否むしろ大半の日本人の寺社への参拝は形式的・表面的・情緒的です。
こういう日本人のような傾向を一般に偶像崇拝と言うのでしょう。
偶像崇拝というのは何も信仰の世界だけのことではありません。社会の全ての物事は99%偶像崇拝(又はバーチャル・幻覚・幻想・蜃気楼・・・・)で成り立っているのです。身の回りは偶像崇拝だらけなんです。「偶像崇拝はいかん」なんて言っている人の多くの暮らし方は実は、朝から晩まで偶像崇拝そのものでありあます。
美人・秀才・社長・金持ち・民主主義・進歩・成長・豊かさ・化粧・おしゃれ・地位・その他あらゆる物・あらゆる事・・・・・・・
名画・名演奏・名著・国宝の仏像・名○○・・・なんかも、まあ基本的には、偶像に過ぎません。
こういうものを崇拝して暮らしているのです。ある意味仏像や神様以上にいろいろな偶像・幻想を崇拝しているのです。
すなわち
「偶像崇拝だらけの暮らしや生き方をしている自分」であることをまずきちんと認識しないといけません。
偶像というと何か格好良いもの・格別なことのように聞こえますが、まあ「マガイモノ」「インチキ」「嘘ダラケ」「幻覚」「幻想」・・・・ということでしょうか?そういう暮らしや人生を日々送っていて何も疑問を感じないばかりか、むしろよろこんで偶像崇拝をやっているのが人間なのです。一見真っ当な人のようで、麻薬やお酒や女に溺れる人とさほど大きく変わりません。本質から遠ざかり、日々次から次に新しい偶像を作り出し、狂気しているのが人間なのであります。
熱中人なんてのがテレビでやっていますが、あれは典型的な偶像崇拝、意味のない最高の馬鹿げたことでしかないのです。一見スゲーけど、何ら本質的に賞賛には値しない愚行でしかないのです。そういうことを言われても頭に来ないで「そうだよ俺はヤクザ者だ・幻覚者だ」と素直に受け入れるのであればまだよろしいのですが。
「日々、俺は偶像崇拝をやっている」と
毎朝夕思い出して診よ!深刻に腹立つこともくだらん心配もなくなるはずです。なぜかと言えばしょうもない幻想を有り難がって、神棚に奉って、崇拝し日々ヤクザな暮らししているんだということです。「ほとんどの人間は、首相から乞食まで、愚かな偶像崇拝者だ」ということ、この世の物事はほとんどが偶像に過ぎないのです。
否、むしろ悪人や愚か者・ヤクザな人間のほうがあまり偶像を崇拝していないのかもしれません。金持ち・地位の高い人・有能な人ほど幻覚・偶像に酔いしれるものであります。こういう上流の人間どもが、つまらんことを、真剣にあーだのこーだの言っているんですな。
また日本の特徴は「いい加減」「偶像崇拝」「柔軟」「何でもありー」「そんなの関係ねー」・・・なことかもしれません。無心論者の国日本・偶像崇拝の日本・バンザーイ」
ハーイおしまいでーす。
112.人生を極めるのが人生であり/昔の人間に戻りもっと真面目に生きよう
2007年10月13日 07時59分01秒 | Weblog
便利で豊かな時代、若者だけでなく大人達までも一見楽しそうに、幸せそうにしているが実は、目標を見失い、虚ろ・空虚な暮らしをしている日本人が増えている。
そういう日本や欧米先進国のような、生きがい喪失先進国を、よりによって真似せんと中国もインドもブラジル・ロシアなどが、我先にと、経済発展に国をあげて取り組んでいるのです。
本当のことを言えば、日本や先進国家は、過去の反省に立って、新たな人間のあるべき生き方や新たな国家のあるべき姿を提案しないといけないのですが。
しかし相変わらず経済発展・経済中心・世俗的欲を満たすための政治に偏っている。
国益のための政治というが、人間のための政治というものが、戦後欠落してしまった。
今こそ、失ったものをどう取り戻すか、俗世間的なものとは別の政治体制や社会体制が併存的であってもいいから、存在してもいいのではないかと思うのです。あまりにも人類は真面目さや謙虚さや人間らしさを失ってしまっている。
衆議院は俗院、参議院は清院
みたいな新たな性格付けが必要なのではないでしょうか?
参議院は「良識の府」というが、現在はあってもなくてもいい単なる衆議院のコピーに過ぎないのですが、参議院の性格を大きく変えるべき時が来たのであります。衆議院に欠けるものとして参議院がなくてはならないのです。昔はそういう趣旨だったはずですが、米穀通帳のように無意味・無用・無駄な税金泥棒の存在になっているのにそのまま放置されているのです。国会議員は情けない無力・無誠実・無能さぶりであり、彼等は選挙に勝つことが目的なのであり、国民のための政治なんてのは、その合間に申し訳程度にしかやっていないのです。
・経済や俗っぽいことのための政治、国会
・真面目な人間の生育のための政治、国会
経済や俗っぽいことのための堕落政治・堕落国会だけをこれ以上続けて、やっていれば、間違いなく地球環境も社会環境も人間自身も崩壊してしまうでしょう。
人間も生き物ですから、俗世間で生活の糧を得るために金とか名誉とか権力を得ようとする一面があってしかるべきですが、反面真面目な人間としての面も持つべきでなのです。政治、国会も指導層として、正にそうあらなければならないのです。
しかるに現実は、両院とも自分が選挙に勝つためだけの俗っぽい低俗な政治、国会運営をやっていますから、この先、先進国も後発国も、ごちゃまぜになって、ついに世界中が俗ぽい人間で全面埋め尽くされて、ペストにかかったネズミの巨大集団か、はたまたインフルエンザにかかった鶏の大集団のような状況になっていくのでしょう。
昔、しばしば世の中が乱れたときに日本においても、寺を建立し、僧侶を敬い、経を読み、国をあげて仏教がその乱れを救ったという話をよく耳にしましたよね。
世界的=グローバルに地球崩壊・人間崩壊が進む現在は、今こそ、仏教みたいなものをよりどころにして真面目な生き方に立ち戻らねば、崩壊をぎりぎり食い止めることさえ益々困難になり、人類復活・地球復活なんてことは不可能であり、世界中の人が「もう何をやっても無駄だ・駄目だ」と焼け糞になって酒やセックスや麻薬に溺れ、ここ数十年で急速に悲壮感と無力感が漂う社会に間違いなくなっていくことでしょう。
私もイチロー選手が大好きですが、現代は、金や名誉や力を得ることや人が賞賛される時代であり、よく考えてみれば、イチロー選手さえも、現代の典型・象徴の一つなんです。しかしこんな俗世間的なことを中心にドカッーと置いて、人間を続けていて良いのでしょうか?
まあ力のない私がこんなことを一生懸命・真剣に説いたところで、何ほどの効果もないのですが、この60億人近い世界の人間の中で、例え、たった一人でも二人でも真っ当に生きることを目指す人がいて欲しいというのが今現在の偽らざる私の心境です。
まあ世の中が今以上に欧米流の考え方で、グローバルに発展し、グローバルに加速度的に乱れて行ってますから、キリスト様でもマホメット様でも仏様でも観音様でも、修復は到底無理なことでありましょう。
修復は無理だから、俗っぽくこのまま人生を生きて行こうとするのではなく、せめて自分だけでも俗っぽさを捨て去って、残された人生を真面目に生きて行きたい、そして清清しくあの世に旅立ちたいとは思いませんか?
人生とは
 ・豊かさを得ること
 ・楽しさを得ること
 ・名誉、名声を得ること
 ・権力を握って人を支配すること
 ・金や財産を得ること
 ・裕福な家庭を持つこと
 ・見目美しい奥様やだんな様をもらうこと
 ・・・・・・・・ではありません。
「人生を極めることだけが人生」それを孫子に受け継ぐことなのであります。
こういう大事なことを忘れた人間はどこかに捨てられる運命であり、捨てられてもいたしかたないと思うのです。
人類は、つい5百年前は5億人くらいであったのですが、今は10倍の60億人近くにもなっています。真面目な人間が1億人2億人の昔の時代と、俗っぽい人間ばかり60億人の現代とでは、世の中どちらが崩壊するか言うまでもなくおわかりでしょ。
今後俗っぽい親が更に俗っぽい子供を生み育て、その子が更に俗っぽい孫を作って、近い将来そういうくだらん人間が100億人にも膨れ上がるというのです。
ここ100年くらいの間に人類がしでかした取り返しのつかない愚かな行為に気づき・反省し・悔い改めるべきなんです。人間は誰でも過ちを犯すものですが、その過ちを直すことができるかどうかが重要なポイントなんです。
ここ20年後、30年後の惨澹たる状況というか結果は、言わなくてもわかりますね。そういう時代の中で「自分自身も、百億人という多くの俗っぽい人間の一人であった」というのでは、いかにも情けないではありませんか?
残された20年〜30年の余生を、微力ながら努めて真面目に「人生を極める」の心境で生き抜くつもりです。
「真面目に生きることが楽しい」というようなことにならなんといけないのです。そういう認識や感覚をまず持つことが第一ステップ(最初の一歩)なんです。その第一ステップを踏み出せない・踏み込めない・踏み越えられなず、安易な生き方を選び、そこから抜け出ようとしない者が真の幸せなんか永遠に理解できるわけがないのだと思います。
111.なぜ、人間は「ゆっくり」を味わえないのか?楽しめないのか?
2007年10月03日 10時30分02秒 | Weblog
私は、幼い時からずーと「せっかち」が癖でした。良い面もありますが、悪い面も同じ位あるのです。
自分の特徴でもありますが、大いなる欠点・欠陥という意識をづーと持ち続けてきましたが、長いこと結論は出ませんでした。
「直さなくては」と思いながら、直るどころか、むしろどんどんエスカレートして行ったように思います。
”せっかち”というのは、良い結果になる時は「やったー」となるのですが、結果が大失敗になることも多くて、そういう場合は、つくづく落ち込み、反省したものです。
その都度「もう少し落ち着こう」「ゆくりしよう」と思うのですが、あくる日から、せっかちに行動している自分を発見するのです。二日酔いと似ています、もう酒は止めようと思うが止められません。
”せっかち”も絶対に止まることはありません。それどころか64歳になっても未だに元祖せっかちで「せっかち」の癖は抜けません。
どうも”せっかち”そのものを止めるのは不可能のようですし、結果も良くなさそうなんです。そこで無理やり”せっかちそのもの”を無くそうとせずに、とりあえず、そのままにしておいて”ゆっくり”する時を少しづつ増やそうと気づき始めました。
今思うと、親や先生や友人や上司から、過去「せっかちを直せ」と何度も言われたのですが、「せっかちは君の長所でもあり、そのままでいいから、ゆっくりする機会を持て」と言う人は皆無でしたね。
毒を取り去るのではなく、毒には別の毒をみたいなことでしょうか?
そうすると「この64年思い悩んできた”せっかちを直さなくては”という責め苦からひとまず開放されてきました。
そこで64歳の今、少しづつ始めたことが、ゆっくり=スローなことを幾つかやってみようということです。
そうすると、意外なことに、せっかちな自分にも”ゆっくりすることは”ある程度できましたし、案外楽しいこともわかってきたのです。まあ64歳ですから、慌てる必要がなくなったことも追い風なんですがね。若い頃には無理だったかもしれませんね。
「64歳急ぐことは全くないんだ」
例えば、「新幹線で京都から東京へ行く必要なんかない、バスでもJRの鈍行でもいいのだ」というような感じですね。
     「エスカレーターなんか乗る必要はない、ゆっくり歩いて上ればいいじゃないか」
     「マイカーなんかいらない、自転車や電車でいいじゃないか」
     「今日やらなくても、明日やればいいじゃないか」
重要なポイントは,”ゆっくり”を少しづつやりながら「今更、急ぐ必要は全くないじゃないの」ということをまず実感し、そういう意識を強く持てるようにしていくことなんです。昔私が禁煙した時、ジュギングやテニスをやることで、少しづつタバコの弊害を身をもって実感できていったことを思い出します。
”ゆっくり”を少しでもやっていくと「急ぐ必要がないのに急いでいる」ということが少しづつ実感できてきます。そういうことに気づくというか強く認識することからが出発点だということにも気づき出したのです。
私の場合、理由はわかりませんが、幼少の時から、どんな場合でも「急がねば」と急ぐ意識が身体に根深く滲みこんでいたのです。
こういう傾向は、案外どんな人間でも、あるように思います。例えば、次のようなことです。
 ・何でこの人、偉そうにするんだろう?
 ・何でこの人、すぐに怒るんだろう?
 ・何でこの人、大人しいんだろう?
 ・何でこの人、のろまなんだろう?
 ・何でこの人、ごみをあちこち捨てるんだろう?
 ・何でこの人、つーんとすましているんだろう?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そういう人は、私同様に、幼い頃から何故か、そういう脅迫観念みたいなものが身体に滲みこんでしまっていたのでしょう。
そして、本人も多分悪い癖を直そうとするのですが、一向に直らないんだろうと思います。
そういう方は、私同様に、直そうとせず、反対の状況を少しでいいから、取り入れてやってみることだと思うのです。
そうする結果的に、二次的効果として、元々の悪い癖が良い方向へ是正されていくような感じがします。
日本人は、世界一几帳面で待ち合わせの時間に遅れることをひどく嫌ったり、非難します。ほとんどの人が時間を守り、もし1分でも遅れると真顔で、人生論や倫理なんか持ち出して、「時間を守らない人は駄目な人間だ」みたいなことを言い出すのです。それを聞いている多くの人達も、そうだそのとおりだと、大きくうなずくという「一種の時間厳守の狂気集団」なんです。そういう時間厳守の日本人が世界では、特殊な人種であるとは絶対に思わないのです。多くの他の国では、少しくらい遅れるのは当り前であり、人間性を問われることもないし、非難の対象でもないのです。
事ほど左様に、人間の悪い癖というのは強い思い込みが根本原因なんです。
たかだか10mくらいのバンジージャンプでも飛び込めない人が多いのですが、丈夫なゴムの命綱がついているので、全く危険ではないのですが、自分で勝手に”すごく危険だと思い込んでいる”から飛びこめないだけなんです。ところが思い切って飛んでみると、案外どってことはないのです。
鳥など獣にも”刷り込み”という現象があるようです。例えば、子猿が生まれた時に、たまたま犬がそばにいると、その犬を親と強く信じてしまうらしいのです。
まあ人間も動物ですから”刷り込み”という影響を受けてしまうようで、この”刷り込み”は想像以上に強いものですから、無理やりそれを治そうと思っても無理なようです。教育というのは重要ですが、やり方によっては、危険極まりないものであることは、歴史も証明済みです。
だからそのものを治すのでなく、その反対のことを少しづつやって慣れていくことのほうが効果的であるというのが私の結論です。
例で話ましょう。
貴方がもし、すぐに怒るタイプの人だったとします。周囲の人は「お前な、すぐに怒るけど、あれ止めろよ」なんて言うでしょうが、多分そんなことで治るものではないはずです。むしろ逆効果で、切れて、喧嘩になってしまうかもしれません。
禁煙なんて張り紙を部屋中に貼っても禁煙など成功することはありえないのです。どだい無茶な話なんです。会社や学校や家庭ではそういう指導方法が当然のようにやられています。しかし実際の効果はごく少しなんです。
最近の私だったら、「結構すぐに怒るけど、貴方は正義感が強いみたいですね、でも時々10回に1回でいいから、人に優しくしてみたらどうですか」と言うようにしています。というのはその人には”強い刷り込み”があるから、怒りっぽいから直せなんて言っても、他人の一言で治るなんてのは、無理だからです。禁煙しようとすることだけでなく、コーヒーや緑茶や軽い体操や散歩やお菓子などをやってみることです。
ところで、私のそういう変化によって、わかってきたもう一つのことは、左程せっかちでない人でも、結構人間は”ゆっくり”という無上の素晴らしきものを味わい切れていないということに気づきはじめたことです。
特に多くの日本人は、”ゆったり文化”ではなく”せっかち文化”なんです。
 「とにかく忙しくてね、今一番欲しいのは暇だよ」なんて言う人は多いのですが、
 実は、そうではなく、暇になると「退屈で退屈で、つまらねー」なんて言う人がほとんどなんです。
 スーパーのレジで1分でも並ぶのが苦痛なんです。電車に乗ってじっとしているのが苦痛なんです、エスカレーターも走って上るんですが、馬鹿じゃない。家で暇もてあまし、ごろごろしている老人わざわざ新幹線のぞみで家に帰るんですが、鈍行で、弁当食べて、ゆっくり景色でも見ながら帰ればいいじゃないか。
 暇に慣れていなんです。少しづつでいいから暇に慣れ・暇を味わう習慣を持ちなされ。そういうことを続けると”ゆっくり”の感じが理解できてくるはずなんです。”ゆっくり”の楽しさや素晴らしさが少しは理解できてくるはずなんです。
まだ私も、偉そうなことは言えませんが、”せっかち”という刷り込みから脱皮し、日本人に欠落している”ゆったり”を心から味わえるように進化・成長することを実行しつつあります
・男は女をやってみ
・金持ちは貧乏やってみ
・関東人は関西人やってみ
・社員や社長やってみ
・議員は国民やってみ
・都会人は田舎暮らしやってみ
・引きこもりは旅してみ
・日本人は外人やってみ
・親は子供やってみ
・恥ずかしい人はどんどん恥じかいてみ
・老人は若者やってみ
・美人はぶすやってみ
・二枚目は三枚目やってみ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして刷り込みを解消して下さいね
◎悪い癖を直そうと思ったら、そのもの自体を止めさそうとしても駄目・無駄ですよ!反対側に少しづつでいいから導いていくことです。(彼岸に渡らすこと)
例えば、東京人は関西に暮らすと東京のいろいろなことが見えてくる。
製造の人間を営業させてみる・営業の人間を製造させてみる・金持ちの子供は貧乏な家庭で預かってもらう・平社員に課長やらす・・・・・・
昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言いますでしょ!旅というのはそういうこと(彼岸)ですよ。
110.国民は「欲しがりません死ぬまでは」徹底して無駄を無くさないと生きていけない時代が来る
2007年09月25日 16時50分24秒 | Weblog
国会は空転し、政治の空白だけでなく、膨大な金が無駄になりました。安倍さん、国会空転の損害だけでも返して欲しいですね。一日3億円が使われるそうですから40億円くらいが安倍さんのためにドブに捨てられたのです。すなわち、安倍さんは40億円の大泥棒なんです。それが大きな顔して記者会見なんかやっている。首相代理をたてず、国会を空白にして党首を選ぶのに10日あまりもかけて平気な自民党もお終いだ。
痛みはどんどん国民に回され、国会や役所では、まあとんでもない無駄が当然のように日々浪費されている。まあ国会の無駄な手続き、民間の会社の100倍の無駄を平然とやっている。
コンサルタントに国会や役所の事務改革の仕事を発注して下さい。どんなヘボなコンサルタントでも確実に無駄を減らし、膨大な成果を出せます。
哀れな国民よ、しかし生きていかねばならないのだ。
『政治家・役人=吸血コーモリ』
1.福田首相は多分短命でしょうが、どちらにしろ政治の混乱が予想されます
2.アメリカではサブプライムローン問題に始まって景気後退が予想されます
3.石油の価格はどんどん上昇し、物価高の様相を呈しています
4.あらゆる資源・材料・穀物も高騰を始めています
5.グローバル化により日本だけ高い給料ということはもはや許されません
6.地球温暖化問題により、ゴミの有料化、環境税の導入が本格化します
7.来年以降に円高が予想されます
8.消費税のアップが検討され、表面化してきました
9.日本の財政赤字はどんどん増えていきます
10.高齢化により医療費など老人関連の費用増が考えられます
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そうなると一般市民は防衛策はお金の入るほうがどんどん減ってきますから、出るを制すことが必要です。
無能・無責任な政治家は役人は税金をふんだくることしか考えません。それは皆市民に跳ね返ってきます。
それも今から早めにやっておくことが大切です。
■節約術(30年の総額で単位は万円)
 @ 散髪は自分でやる:▲120
 A 自動車は持たない、必要ならば自転車かバイク:▲1200
 B 空調や暖房は使用しない、光熱は節約:▲100
 C 結婚式はごく質素に:▲400
 D 葬式は質素に、墓は市の共同墓地へ:▲400
 E カードで買い物、割引品買う:▲90
 F 回数券や割安券を買う:▲60
 G 電話fax郵便をeメイルに:▲80
 H 海外旅行や贅沢な国内旅行はしない:▲200
 I 税金などは1年払い:▲50
 J 宴会は質素義理欠く又は廃止:▲150
 K 金のかかる遊び、たばこ・酒はしない:▲600
 L 電気はこまめに消す▲30
 M 省エネ型の電気製品を使う▲30
 N クーラーは使わず、涼しい工夫とせいぜい扇風機、冬は厚着▲80
 O 風呂は3分シャワーで▲30
 P 外食はしない(する場合でもmax800円)▲180
 Q 服は買わずに古いのを着る、繕う(多分かなりタンスに眠っている)▲50
 R 冷蔵庫の中を半分に減らす(買い過ぎて腐らす・捨てている)▲180
 S 原則的に通販やものを買わない、又は毎月予算で縛る▲500
 21 不要なものを他人から貰う▲60
 22 大工や修理は自分でやる▲20
 23 健康に注意し、病気にならないよう細心の注意をする▲100
 24 インターネットで調べて最も安いところから買う▲150
 25 新幹線は利用せず鈍行を利用する▲60
 26 CDや本は買わずに、借りる▲60
 27 肉や油ものや贅沢食品は減らす▲150
 28 100円ショップを利用する▲150
 29 中古品を買う、使う▲150
 30 頭のよくない子供は、無理して大学に行かせない▲500
 31 厚化粧は止める▲150
 32 靴やバッグやスーツは2〜4種類に限定する▲100
 33 家は借りている場合は、ぼろ家でいいから買う▲1000
 34 宴会や外食で余まった食事は、おりに詰めて持ち帰る▲50
 35 新聞や雑誌はとらない▲150
単純に合計すると、▲7380万円の節約になります。
(年収480万円として15.3年分の節約
 30年間で毎年245万円/年の節約)
●60歳の人が80歳まで生きるとして同様の節約をすれば
  約▲4900万円(話半分でも2400万円)ですから大きいですよ。どちらにしろ倹約しかないようですね
  → 笑いごと・他人ごとではありませんぞ!
106.もう駄目だと思った時、諦めたらもうお仕舞いだ。歳相応になんとかしろ、必ず蘇るから
2007年09月01日 18時39分22秒 | Weblog
歳を追うごとに”ガクッ”とくることがこれでもかこれでもかと何度もやって来るが、決して諦めないことだ。
私の60歳以降の過去を振り返ると、何度か「今度こそもう駄目だ歳とったなー」ということがあった。しかし、それらをことごとく見事に乗り越えてきた。64歳の今は、老いてはいるが、むしろある意味では以前よりきっちりし、元気に、老後への自信を深めたくらいだ。つくづく思うことは「諦めたらお仕舞いだ」ということと「若い頃のいろいろな意味の貯金があったなー」ということです。
なんだかんだと言っても若い時にそれなりに身体や経済や精神を鍛えておかないと、歳をとってからの困難は、そう簡単に乗り越えられない。やはり若い頃の努力・苦労は大切だ、貯金も、若い頃にそこそこ貯めておけば老後は何かあってもどうにかなるが、若い頃からの蓄えが少なければ、もろに崩壊に結びついていかざるをえない。
その上で、もう一つ大事なことは、「俺も歳をとった、いよいよ駄目だ」と思う心の弱さなんです。この弱気の虫は、60歳以降何度となく自分の行く手を阻もうとするのです。下手すると、まんまと暗い老後(悪魔の道)に引き釣り込まれてしまう。引きづり込まれてしまえば後の祭りなんです。
しかし簡単に言うものの、多くのご老人は、その都度かなり引きづり込まれてしまうものです。そういう人は一目見て、年々、元気なく、年寄り臭くなっていくはずです。それでも、まあとにかく脱出しようと試みることだ。私も何度も引きづり込まれたが、幸いにも脱出に成功してきました。
私の体験では、脱出は、慎重かつ大胆に行う必要があるが、人それぞれであって、「こうすべきだ」という誰にも効果的な方法はないのです。その人の状態や能力によって、とるべき対策や程度は異なる。しかしどちらにしろ「諦める」ということだけは、避けることが大事です。
でも「もう駄目だ」というふうに信じてしまう老人が多いから、相当大きな悩みで脱出できない人は、医者や先輩やアドバイザーに相談することですね。老いは日々自分との戦い・挑戦なのです。
http://www.meico.org/kokoronowakasa.html
105.何度言っても直そうとしない人の群(まだまだ三流の慢心人間)
2007年08月31日 10時14分52秒 | Weblog
数ヶ月前に、失礼とは思いながら意を決して、Aコンサルタントにある癖を注意をしたことがあるのです。Aコンサルタントは「悪い癖ですね、よくわかりました、直すようにします・注意します」と言われたので、Aさんは、優秀なコンサルタントですから、当然のことすぐに、きちんと是正されると思い込んでいました
その後、一緒に営業をする機会があったのですが、全然直っていない、むしろ以前よりひどくなっているのです。本人もそのことに全然気づいてなく、以前の私の忠告なんか完全に忘れておられるのです。多分Aさんは今後も直されることはないでしょう、というのは、Aさんは、私の忠告の意味を正しく理解しておられないし、直そうという意思も努力もないからです。Aさんに限らず、ほとんどの人が同じようなものです。
コンサルタントは優秀な人だし、会社さんに対して、問題点を指摘をし、直させる立場にいるので、忠告され納得したら、すぐに是正するはずだと思うのが当前ですよね。しかしですが、多くの場合、なんとそうはならないのです。Aコンサルタントに限ったことではないのです。否むしろAコンサルタントは、ましなほうの部類なんです。それほどコンサルタントというものは、扱い難い・喰えない人種=天狗様なんです。むしろ優秀な人ほど他人の忠告を拒絶するものです。「お前にそんなこと言われたくない」。他人に忠告するなんてことは、おばはんでも出来ることなんです。大事なことは他人の忠告を素直に受け入れ自分の成長に結びつけることであり、それができる人が本物の人間なんです。
「問題を自ら発見又は他人から指摘されたら即刻直す」というのが管理・改善の基本なんですがねー?そういうことを指導する立場のコンサルタントが、そういうことが不得手なんて信じられますか?「紺屋の白袴」「医者の不養生」というのは例外なのではなく、昨今むしろ非常に多いということなんです。
昔は、医者の不養生なんてことは例外に近いことだったかもしれませんが、現代は例外の諺でなく、例外でない諺になってしまったのです。昔は「医者は意外にも不養生する者がいるものだ」くらいの内容だったのが、現代では「ほとんどの医者は例外なく不養生でいい加減なものだ」となっているのです。優秀で徳の高いはずの政治家や学校の先生も、今やほとんどが無能で自堕落なのが当たり前になってしまったのです。他人の忠告を受け入れようとする人間としての度量が乏しいのですが、まあ大半の人はそんなところですね。
さて何度言っても直さない頑固者(=意志薄弱者)はコンサルタントだけでなく、どこでも多く、ますます増えつつあるのです。下手に忠告なんかしようもんなら、切れる若者が多いのもその例です。
松下電器の創業者の松下幸之助さんが「素直な心」ということを提唱しておられましたが、当時から世の中の多くの人は「何度言っても直さない人」だったようです。まあ、ひょっとして、皆様も、何度言っても直さない部下や家族や友人や生徒や仕事仲間に囲まれていませんか?しかしひょっとして、貴方ご自身も、何度言っても直さない人なのではありませんか?今の政治や役所なんかがその典型ですね。だから国や県は、全然良くならないのであります。
何故なんでしょうかね?「何度言っても直そうとしない」のを「言われたらすぐに直す人に」変えることができたら、さぞかし国も社会も会社も家庭も良くなることでしょうね。トヨタ自動車が、すぐ直して成功している会社の典型的な例です。
原因は多分次のようなことなんでしょう?
@他人にそんなこと言われたくない、すぐに頭に来る(気位だけは人一倍高い)
Aそんなこと、どうでもいいことだ、じゃかましい
Bそんなはずはない、俺はきちんとやっている
Cそんなことやっても、自分には何のメリットもない
D人間は他人の意見を受け入れない基本的な精神構造だ
E本人自身がそういうことを日頃反省していない
F他人の忠告の意味や重大性がわかっていない
G自分を客観的に認識できない
H面倒だ・馬鹿馬鹿しい
Iとにかくわかっていない・考えようともしない(人間の巾・深みが乏しい)
J総合的な資質・能力が低い(未熟な証拠)
K謙虚さ・素直さ・徳が元々薄い
豊かで便利で金や物重視の時代にはま、すますこういう傾向は顕著になっていくのでしょう。医者や先生や評論家みたいな人は、さぞかし立派な振る舞いをしているのかというと、とんでもない、むしろ最低・最悪の人が多くなっているのです。
・偉そうなことを言う人は要注意
・忠告されて頭に来る人にはなるな
・忠告されない人になったら、人間はお仕舞いだ
・忠告してくれる人は大恩人だ
・忠告されたら心から「ありがとうございました」というのだぞ
・他人の忠告はしっかり聞け
・忠告されたら、わかるまで相手に内容を確認すること
・忠告されたらしっかり考えよ
・忠告されたことは素直に直せ
・直ったかどうか、自ら点検監視せよ
こういう本質的な問題を解決しないと何やっても結果は出ませんよね。
http://www.meico.org/p14.html
他人に忠告するのが好きな人ほど、他人の忠告を受け入れない
 ⇒ 泥棒が正しい道を説くようなものだ
http://www.meico.org/zayuunomei.html
102.「汝の敵を愛せよ」
2007年08月24日 14時03分36秒 | Weblog
人は一般的に、自分が好きな人を選び/愛し、敵を避け・憎む
大雑把だが、世の中は、半数の味方と敵がいる
味方同士が集まり意気投合する
好きな人と友人・親友になったり結婚したりする
世の中、益々仲良し倶楽部化している
安倍首相の内閣が仲良し倶楽部的だと言われている
親父は嫌い・上司は嫌い・先生は嫌い・・・嫌いな奴は簡単に殺す・引き篭もる
アメリカはテロ国家を敵に廻し、徹底的に打ちのめそうと、味方の加勢を得て戦争を始めた
相手側も仲良し倶楽部を作って壮絶な抵抗をしている
「民主主義は絶対的に正しい・正しいに決まっている」と信じる人が多い
民主主義というのは、所詮、多数決主義(数の力)である
間違っていても、多数が賛成することを優先する主義である
民主主義という名前がついているが、かなり欠陥や疑問が残る
499対501でも多数がまかり通ってしまう
丁半博打に似ているし、占いのように当っても当たらなくても責任はとらない
当然のこと、いろいろ不具合な結果が生じ、結果は問題だらけで、むしろ問題を大きく複雑にしていく
目下の民主主義とは、おそよ科学性や合理性は少ないのである、多数が賛成したから責任はない
神様の多数決ではなく、欲深い愚かな人間の多数決であるから
経済も地球環境も教育も財政もどんどん破綻・崩壊していく
破綻や崩壊を修正するような政策は賛成されない
困ったことに共産主義国家も、民主主義は美味しいぞと一挙に乗り換え始めた
自民党が参議院選挙で予想外(?)に大敗した
原因は、長年与党に胡坐をかいて、やりたい放題やってきたツケだ
大敗して大騒ぎしているが、自民党独裁政治であったのだ、長年権力の座にいると、奢り・腐敗が生じる
壊すと宣言した小泉さんでなく、壊すつもりのなかった安倍さんや大臣達が、自民党壊しの引き金をひいてしまった
賛成者が多ければ、手当たり次第何でもやってしまう
バブル期の日本がそうだった、賛成賛成・行け行けドンドンだった
ブレーキ役が存在しない「賛成多数」は水戸黄門様の印籠みたいなものだ
勝ち負けで、大事な事を決めてしまえというのは、非常に大きな問題である
日本でも、高額な金のかかる選挙なんて、不可思議なシステムが存在する
民主主義(?)の前提である選挙は、単なる人気取りの活動なのである
選挙は笑顔・スピーカー・手振る・握手するなどと、およそ科学性・合理性がない
現実に、映画俳優やスポーツ選手や有名人が多数得票で政治家になって行くのである
本当の民主主義というのは賛成と反対が十分に話し合うことなのである
圧倒的賛成の場合であっても、大丈夫か?と疑うことこそ民主主義なのである
人間というものは、慎重で熟慮し、本来そういう崇高な生き物であるべきなのだ
「強いものが勝つ」みたいな非常に原始的な手法を良しとしてはいけない
最近は圧倒的賛成ではなく、50−50%の課題が増えているのだ
賛成多数こそ危険なのであって、50%の賛成50%の反対こそが望ましいのだ
しかしそうだと、物事が進まないので、ついつい、多数決依存にしてしまうのである
人間は「賛成多数ならばナンデモやる」ということをいつまで続けるのか?
こんな民主主義が世界中に蔓延していくと、地球の命ももう長くはない
世の中を良くするには、民主主義を壊す以外にすべはない、数の力で無理を通すのは良くない
・ゆっくり
・慎重に
・謙虚に
・反対されることを、もっと歓迎すべきだ
・反対者の意見をじっくり訊くべきだ
・安易に賛成する人ほど疑うべきだ
・多数が賛成することが正しいとは限らない
・21世紀の人間の生き方は、一人の反対者になることかもしれない
4.人生における苦難の意義
2007年08月04日 10時52分35秒 | Weblog
人の一生には、大きな苦難が何度も・何度も繰り返しやってくる
 人によっては苦難が大きい人
 人によっては何回も苦難が連続してやってくる
 苦難が多い・大きいという人の多くの場合、その責任は自分自身にあるものだ
 しかし苦難がほとんどやってこない人がいたとしたら、その人はある意味怖い
 苦難が少ない人の一生が素晴らしいかというとそんなこともない
 いや、むしろ苦難が大きい人・多い人のほうが結果的に最高の人生を送る
 苦難とは何であろう?
 苦難とは神が「反省・悔改め・成長」の機会を与えるものだ
 ところが、「苦難をやり過す、早く逃れたい、早く忘れたい」という消極的な人が圧倒的だ
 無理もないことだが、そういうことを続けていると人間は成長しない
 神様がせっかく与える機会を無駄にしてしまうというわけだ
 苦難は逃げるものではない・苦難とはガップリ四つに組み合うものなんだ
 相撲では、いなし・はたき込みは、例え勝っても長い目で見ると、いつまでたっても強くなれないと言われる
 苦難に遭うことを悩むより・苦難を成長に結びつけられないことこそ悩むべきだ
 苦難に対して四様の対応の仕方がある
  @苦難に負けてしまう
  A苦難を忘れようとする
  B苦難を続ける(脱出できない)
  C苦難に打ち勝つ
 大きな苦難の場合は確かに忘れることも大事な対処法ではあるが
 苦難は苦難であるから、手ごわい、
  @慎重に付き合うこと
  A付き合いを深めること
  B苦難との付き合い方を勉強すること
  C苦難を敵でなく味方・友人・師とすること
 大事なことは苦難に打ち勝つ力を持つようにすることだ
 「苦難よ、いらっしゃーい」「苦難様歓迎」のような認識を持つことだ
 宝くじに当たって喜ぶ人がいるが、苦難も喜ぶくらいの大きな心を持てるようになりませんか
 苦難から逃げようとしても、一生、指名手配のように追われ続ける
 苦難が何回もやってくると悩む人の多くは、苦難から逃げている場合が多いのである
 自分の人生を振り返ってご覧なさい
 苦難こそが自分を大きくし成長させてきたとは思いませんか?
 その苦難に堂々と戦い苦難を打ち破った戦歴こそが、自分の勲章なんではありませんか?
http://www.meico.org/zayuunomei.html
93.霊長類の人間は、獣以下であってはならない
2007年08月02日 15時08分07秒 | Weblog
人が動物と違う点は、
「万物の霊長」というように、生きるものの最上部にあるということです。
しかしそれは同時に、やり方を一歩間違えると、その逆の生きるものの最下部にもなり得るということです。
そう言えば、社会で最近最高層である”政治家””先生””警察官””僧侶””親・・・・が
最下部のようなとんでもない破廉恥な振る舞いをするようになっています。
人間としてあってはならないことを再認識しないといけないようです。
情けない時代ですね。
 @人は横柄であってはならない
 A人は怠惰であってはならない
 B人は不親切であってはならない
 C人は危害を与えてはならない
 D人は法律(規則)違反・悪事を働いてはならない
 E人は傲慢であってはならない
 F人は油断してはならない
 G人は陰気であってはならない
 H人は争ってはならない
 I人は嘘をついてはならない
 J人は華美であってはならない
 K人は欲張り過ぎてはならない
人間であれば、他人はどうあれ、いつもこういうことを心に置いて日々行動を慎むことが大事です。
生き物の最高に位置するはずの霊長:人間にこんなこと言わないかん、もう世も末ですね。
しかし世の中に偉い人やテレビに出ていかにも偉そうなことを言っている人達はまあ0点ですね。
92.日本人は真剣にリスクを避ける重大な時期が来ている
2007年07月29日 16時22分49秒 | Weblog
またまた新潟で巨大地震が起きました。TVやマスコミは、「政治や役所がけしからん」という論調が圧倒的でしたが、国民一人一人がもっと事前の予防や対策をしないことをもっと厳しく非難すべきです。マスコミがそんな出鱈目な論調(災害被害者は大赤字の税金を投入して助けるべきだ)を続けると、災害頻発国家の未来はありませんよ。避難所の人の半数以上の人は、自分で予防や対策を十分にしていない駄目人間なんです。
巨大災害のあるたびに、「巨大地震は来ますよ」「巨大台風は来ますよ」と何度も言っているんです・誰でも知っているんです・何度も警告されているのです。しかし、今の日本や世界中には、「リスクなんて難しいことは俺の知ったことではない」「リスクなんて来てから考える」「自分には関係ない」「予防にお金をかけるくらいならば、遊びや贅沢に使う」という間違った安易なノーテンキな考えが国民及び政治家・役人に充満しているのです。
巨大地震が、まだ大都会で起きていないからいいのですが、あれが東京・大阪・名古屋で起きたら、あらゆる意味で、日本にとって致命傷・トドメになるのは必至です。日本のあらゆるものが崩壊し、「陽出づる国の終焉・日本沈没」になっていきます。もはや「政治家や役人がどうのこうの」なんて言ってられない深刻な事態が100%確実に間近に迫っているのです。企業もこの際、巨大地震対策や予防を1年がかりで真剣やるぐらいのことが不可欠なんですが、多分多くの日本企業は阪神大地震以後、完全に忘れ去られてしまっているのです。
苦しい中から、300〜600万円くらいのお金をかけて、きちんと予防や対策していた多くの人は、地震の被害を少なくすんでいるのです。そういうことは評価されず、マスコミでも報道されないのです。
「被災者は可哀想だ」という考え方は、リスク管理ではタブーなんですがね!「リスク回避のできない怠け者」「国や周囲に迷惑かける厄介者」「事前のリスク回避をしたか」こそが大事なんです。海外から、「災害多発国家なのに、日本はリスク意識の欠如した国民だ」と言われ、軽蔑されているのをご存知ですか?
「病気する人・事故起こす人・事件にあう人・災害に遭う人は、可哀想な人である、国や県や市町村が当然助けなければいけない」という考えは、今後少なくとも日本では、捨てないと、膨大な財政赤字に更に税金負担が確実に増え、この国は一夜にして、更に駄目な国・超貧乏国家・世界一哀れな国へと崩壊していくのです。世界一大金持ちの国が一夜にして大貧乏国家になり得るのですよ!もっとリスクを国民一人一人が自分自身で責任をもって管理しないといけないのです。
マスコミや政治家や役人は、リスク回避の自助努力・自前でできる予防方法の教育・点検活動・予防を促進する施策を実施することが急務なんです。災害の後始末(応急対策)なんかやっている場合じゃないんです。恒久対策・再発防止対策こそが急務なんです。しかし残念ながら、そんな有能な政治家は日本には存在しないのです。
ということは「できることから早急に自分でやっておけ・自前でリスク回避しておけよ」なんですよ!
さて、この際次の10項目を、改めてチェックしてみて早速、予防やいざという時の対応を準備して下さい。「お金を全額円で預金しています」なんてボケた人がいるのも信じられません。そんなに円やドルは安全ではないのです。過去の巨大地震でも毎回「水が一番困ります」というわりに、水の確保なんて簡単なことすらできていないのです。有効な予防や対策は何もせずに「災害がきたらお助けを」という態度の人々に「もう勝手にしろ」「国家や県に頼るのは止めろ」というのが私の感想です。
予防や事前の対策をしたのに、被害にあった人だけを助けるというのは理解できますが、何も努力していない人に、一律多額の税金を使う(努力しない人を助ける・努力する人は助けない)というのは、国家や組織を滅ぼす何ものでもありません。
@巨大地震(都会脱出・補強工事・地震保険・ログハウスや鉄筋や面構造家屋)
Aお金(円でなくユーロで・預金・高リスク品は控えめに)
B健康(禁煙・運動・和食・節酒)
Cヒートアイランド(都会から脱出・断熱)
D石油などの資源高騰に起因する物価上昇(節約・高寿命・工夫・贅沢排除・修理)
E高齢化(病気・介護・お金・住まい・趣味・仕事作り)
F巨大台風・洪水など(安全地域へ移住・安全対策)
G汚染・公害(田舎へ移住・汚染防止・光化学スモッグ・中国からの汚染)
H贅沢・便利・快適・平和による堕落(仏教等信仰・真面目・肉体労働)
I食事(中国品・安い食品は要注意・油分・砂糖・農薬・防腐剤・野菜・バランス食)
※項目毎に10点づつ=完璧が10点、ある程度やっている5点、全くできていないが0点を目安にして下さい
合計が80点以上が理想ですが、さしずめ、まずは早急に60点狙いですかね。
こういう中で当面私の3つの重要ポイントとして実施していることは、
 @田舎暮らし、都会脱出
 A円からユーロへの移行
 B心身のきちんとした健康管理
私は、できれば日本というリスクの多いかつリスク管理の弱い国を脱出したいくらいなんですが、今後も日本に住み・暮らすのであれば、相当リスク管理を真面目に考えるか相当の覚悟が必要であろうかと思っています。
『リスク意識』⇒『リスク回避』⇒『自己責任』⇒『リスク管理』
http://www.meico.org
91.物理法則曰く、「作用があれば、反作用あり」
2007年07月24日 10時08分18秒 | Weblog
物理法則曰く、「作用があれば、反作用あり」すなわち、「得ようとすれば、同じだけのものを失う」
得るとは、どんどん継続的に得られ続け、良いものがどんどん蓄積すると勘違いする
「得る=得る」ではないく、実を言うと、「得る(作用)=失う(反作用)」
貴方が多くのものを得たとしよう、喜んでいる場合じゃない、同じだけ失っているのだ
戦後、欧米化により日本は世界の富を得たが、掛け甲斐のない日本文化を失なった
戦争は、人の命を奪った以上に、日本という掛け甲斐のないものを失わせた
得るものが多いほど大きいほど、失ったものは二度と蘇ることはない
例1)豊かさ・便利を得て、地球環境を失う
例2)物質を得て、精神を失う
例3)平和や安全を得て、油断する
例4)速さを得てゆとりを失う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
金持ちやその子供の多くは、金や物や豊かさ以外のほとんど多くの大事なものを失った抜け殻になっていく
それが証拠には、保有する多額の金に依存する
己を高めず、金によって己を高いように見せかける・誤魔化すようになる
金ばりの「張子の虎」みたいになっていく
幸せには、
  @得る幸
  A失ったもの取り戻す幸
  B何もない幸がある
人は@得る幸を幸と勘違いする
現代は、@得ることの幸を目暗滅法に追求する時代である
 その結果大事なものを次々に平気で失って行くのだ
気がついたら丸裸・無力・無能になっている
「子孫に美田(多額の財産)を残す・子供に贅沢をさせる」などということは、与えるにあらず
子孫から魂を奪う何物でもないのである
現代と戦前の大きな違いは、昔は、
貧しく・飢え・怯え・つらく・耐え・勤勉・規則的・敬い・謙虚で・節約的
であったが、今はみじんもその名残がない
現代は、そういう大事なもののほとんどを失った/得たものは泡のような刹那的な快楽だけであった
ところがどうだ、いまだに血眼になって「金が欲しい・物が欲しい・名誉が欲しい・贅沢がしたい」というじゃないか?
人の浅ましさは信じられない
私は、「多くの人が作用としたら、自分は反作用になれ」と思う
@人が集まろうとしたら、自分は離れろ
A人が高み(右)に行ったら、自分は低くき(左)に行け
B人が贅沢したら、自分は倹約しろ
C人が都会に住むなら、自分は田舎に住め
D人が急ぐならば、自分はゆくりしろ
E人が争ったら、自分は柔和になれ
F人が無駄使いしたら、自分は節約しろ
G人が外見を大事にしたら、自分は内面を磨け
H人が安心したら、自分は心配しろ
I人が楽したら、自分は苦しめ
J人が工業をしたら、自分は農業をしろ
K人が浮かれたら、自分は自重しろ
この際、かつて高校時代に習った「作用あれば、反作用あり」という法則を思い出してみようじゃないか
「得ることで失う」のが良いのか「失うことで得る」ことが良いのか?
90.何でも相手の責任にすることを止めよう、甘えん坊の子供を卒業しましょう
2007年07月18日 20時31分27秒 | Weblog
現在は立派な仕事をしているある方が、自分の若い頃のことを反省して次のようなことを言っておられました。
その方は、昔少年期から青年期は愚れ続け、結婚してからも社会にも同化せず、仕事も満足にやらず、そういう鬱々としたものを誰彼構わずに社会や他人のせいにし札付きの悪だったらしいのです。しかしある時に思ったそうです。「自分が悪いのにも拘わらず、俺は何でも社会や他人のせいにしてはいないか?」
そしてその瞬間から猛反省し、全く逆に、他人のせいにしないで、自分が悪いんだと受けとけめて、それからは、むしろ人一倍真面目な生き方に戻り、大層立派な仕事をやり、世の中のために貢献されるようになったらしいのです。立派な大人からしたら、つまらんことなんですが、その方自身にとっては、相当に大きな転換だったらしいのです。
その方が、当時を振り返って、「とにかく何でも他人のせいにし、八つ当たりしていた」「それが高じてどんどんエスカレートして自分でもコントロールできなくなっていったらしい、当時は他人のせいにするのは当り前だった」ということを話されていました。
私もいろいろな方とお話をする機会が多いですが、95%以上の場合は、「妻が悪い・夫が悪い・兄が悪い・親が悪い・先生が悪い・・・・・」というような話ですね。そういう時、「また来たか」と観念します。何故かというと、他人の批判は、なかなか止まらないのです。奥さんの立ち話・会社帰りの居酒屋のサラリーマンの話のほとんどが他人批判なんです。自分を反省するなんてのは、歓迎されないのです。とにかく人間は他人批判が好きですね。
人というものは、何故か「病高じて、何でも責任をなすり付ける」ようになって行くようです。お酒や女や麻薬やパチンコに依存するのと全く同じことのようで、どんどん深みにはまって行くらしいのです。しかしこの方が偉いのは、ある時にハット気づいたことです。
まあ世間には、大なり小なり他人のせいにする人、「責任なすりつけ症候群」の方は多いのです、というより、ほとんどの方がそうだとも言えるのです。いい大人がまるで子供じみているというのが実態なんです。
@親のせいにする
A妻のせいにする
B学校や先生のせいにする
C上司のせいにする
D部下のせいにする
E社会のせいにする
F国のせいにする
G子供のせいにする
H役所のせいにする
I兄弟のせにする
J友人のせいにする
K会社のせいにする
立派な大人は絶対にそういうことはしません。ある意味、『大人と子供の判別の基準』みたいなもので、
・大人=自分の責任で、何事も自分で対処する
・子供=他人のせいにし、自分は何もしない
ですから、よく「お前が悪いんだ」などと得意顔かつ、声高に相手を罵る人がいますが、一見偉そうに見えますが、子供じみているのです。アルコール中毒患者も紙一重なんですが、とりあえず酒を止めればいいんですが、止められないんです。もし止めれば、結果は良いことだらけなんですが、何故か止めないんです。同じように「責任なすりつけ症候群」も簡単なことですが、なかなか止められない人間の代表的悪癖なんです。是非、こんなくだらない癖を止める努力をして欲しいものです。
料理がまずいのも・子供の成績が悪いのも・雨漏りするのも全部奥さんのせいにするなんて旦那さんは多いし、逆に稼ぎが悪いのも・持ち家がないのも・欲しいものが買えないのも・家族団らんがないのも全て夫のせいにするなんて妻も多い。その他不平・不満は数え切れない。
最近は子供のことを、何でも学校の先生のせいにする若いお母さんが多いそうで、社会問題になっているそうです。しかし毎日周囲の多くの人にそういう文句や不平不満を言っても事態は一向に改善されないのです。いや、むしろ事態はどんどん悪化して行き、夫婦離婚なんてことに繋がって行きます。改善や効果があるのであれば他人のせいにし、どんどん文句を言えば良いのですが、そうではないのです。そういう基本的なことをまずしっかり認識しないといけないのです。
民主党や野党が長期政権の駄目自民党に勝てない理由は、自民党の批判ばかりして、格好よく自民党をこき下ろすことに快感や生き甲斐をおぼえており、自分達の真剣な努力を怠っているからです。
まず
「自分は、偉そうに他人に文句ばかり言ってる、どうしようもない未熟な甘えん坊だ」
という認識を持つことです。
他人を責めないことを日常化することです。逆に相手に感謝し、相手を褒めることに転換してご覧なさい。プラスマイナス倍の違いが出てきます。バブルの頃、破綻した山一證券の社長さんが言っていました「社員は悪くありません。経営者が悪いのです」というようなことを言う人が少ないのです。「他人のことを許す・自分の責任にすること]
は立派な大人としての条件ですよ。貴方だって、生きることやその他多くのことを自然や社会や周囲の人々から許されているのですよ。わかっていますか?
また日本特有のことですが、「外面は良いが、内面は極めて悪い」こういうことも直すべきです、外面以上に内面も良くする努力こそが大切なんです。
さあ甘えん坊の貴方、今晩奥様に「お前はいつも、いろいろやってくれてありがとう、お前は偉い」「妻は悪くありません、私が悪いのです」とでも言ってみて下さい。しかし長年他人を批判することに慣れた貴方は、そんなことを言うこと自体が恥ずかしいのです。出来損ないの乙女みたいなもんです・未熟な甘えん坊の子供そのものなんです。
私は、基本的に他人を責めません。「人間は生涯、自分の未熟との戦い」なんです。他人に責任を擦り付けるなんて馬鹿馬鹿しいことは全然考えもしません。むしろ他人の良いところを真似、他人の悪いところは自分の反省に使うようにし、むしろ他人を褒め、教えを乞うようにしています。そうすると、人付き合いも自ずと楽しく・スムースに行きますので、一挙両得です。
アルコール中毒や麻薬患者のように、「責任なすりつけ症候群」を卒業してみたら、その効果の大きさを実感できるはずです。さあ今日から貴方を変えてみませんか?今やっておられる”他人を批判し、他人を変えようとする無駄な努力”は止めましょう。
86.多くの人と同じ道を歩むべきか違う道を敢えて選択すべきか
2007年06月07日 05時54分27秒 | Weblog
人間はオギャーと生まれてから、親に育てられ親の思うままに大きくなる。そして社会に出ると社会のしきたりや習慣に従うことになる。そうしないとうまく生きていけないし、つらい目にばかり遭うことになるのです。会社の仕事においても、お客様の満足を考え・上司や先輩の覚えをめでたくし・同僚や部下ともうまくやって行くことが必要です。金儲けするため、なんとか生きていくためには、世の中の意向や動きに自分を合わせていくことを余儀なくされるのです。
まあそんなことでよくぞ息が詰まらないと関心するのですが、そういう社会や競争に耐えられず、フリーターとかニートや自殺・鬱病など社会から脱落し、狭い殻に篭って自分だけの生き方をしてしまう人も多いのです。その結果、社会と自分のギャップに悩まされ続ける人が増加するのです。病気の時の発熱のように、ある意味、当然で健全なことかもしれません。
社会のとおりにやっても何か納得できないし、そうかといって反社会的にやっても、つらくなるのではないでしょうか?
どちらかを選択し、どちらにウエイトを置くしかないので、完璧な社会埋没も反社会もないのでしょうし極端になったり、柔軟性を失うと良い結果は得られませんが、どちらにウエイトを置くかということを各自考えるべき時代なんだと思います。
私の場合は、どちらかというと今のような状況下では、反社会的立場が必要になってきているような気がしています。一昔前、日本が右肩上がりの時代は、社会迎合で良かったように思いますが、現在は社会にあまり迎合していると、かえって、とんでもないことになっていくように思います。個人の主体性を強く持つべき時代がやってきたというほうが正しいでしょうか?
極論かもしれませんが、最近及び今後は、社会や他人がやることと逆のことをやったほうが適切なような感じがしています。昔、糸川教授が言っておられた「逆転の発想の時代到来」でしょうかね?どうやら社会が肥大化し、身動きできない状態になっているし、益々なっていくような昨今のように思います。
平和・環境・教育・暮らし・人間関係・経済・福祉・・・・何をとっても信頼をおけない、むしろひどい仕打ちを受けるような気配が強くします。
「もう放っておいてくれ」「自分のことは自分でやる」みたいな感じがします。政治も役所も諸外国も自分にとって味方であるより、どんどん痛みを押し付けてくるような時代になっていくような感じがしています。裏をかえせば、世の中がどんどん異常になって、是正が利かなくなっている時代になっていくことを暗示しているんでしょう。豊かで・便利で・平和な時代を享受していて、いかにも良さそうに見えますが、実態は、環境も経済も福祉も教育も家庭も社会秩序も望ましくないどころか日々確実に悪化し、改善の見通しが見えません。
今日本も世界も地球も山登りに例えると
・麓は快晴、天気予報も快晴
・さあ元気で登ろう
・まあ五合目までは順調そのものだ
・今後も頂上を目指して、どんどん登ろう
・しかし六合目くらいでやや曇り始めた
・でも天気予報は快晴だから一次的なもんだ
・しかし七合目で急激に曇り、パラパラ雨まで降り出した
・ここでも「天気予報は快晴だ、すぐに快方に向かうさ」
・八合目、いよいよ雨は本降り、快晴どころじゃない
・引き返すべきか
・しかし頂上はもうすぐだし、ここまで登ってきたのに今更下山なんて無しだぜ
・雨は土砂降り、風も吹く・視界も不良、もう引き返すに引き返せない
・このまま山小屋までたどり着くしかない
今の時代はこういう時代ですが、登山のリーダーの言うまま従うか
それとも一人下山するか
なんです。
私は反体制主義でも、反社会分子でもなくごく普通の市民です。しかし世の中は、節度なく、いいはいいはでやりたい放題やり続け、世界中の無能な指導者達に巧妙に騙されて従わされているのは事実です。
もうこれ以上、指導者に期待するのは、徳川が崩壊した時、徳川将軍に頼ることは無意味だったことのように思われてしかたありません。
今の時代・今後の時代において、私は下山を選択します。「すみませんが、皆さんはどうぞこのままお登り下さい、私は下山します」「ついて行くべき正等な理由も見いだせませんし、もう限界で、これ以上ついていく行くこともできません」。
徳川の江戸幕府時代で言えばそろそろ江戸幕府崩壊すべき時期ですかね?徳川は崩壊し明治維新を迎えたのですが、現代においては維新などというものはありえないのです。そう考えると徳川幕府の打倒・明治維新というのはすごい所業だったのですね。当時の日本人の偉大さ・崇高さには、ただただ感嘆するばかりです。今の時代にはそんなバイタリテイーや誠意というものは全くないですね。
八合目で土砂降りであっても、天気予報は快晴なんだからと、頂上を目指すのです。多くの人は、世界中の勝手気ままなリーダー達に騙され続けていくのですが、さあ貴方はどうしますか?
ところで、今BRICSなどと新興国家の台頭が脚光浴びていますが、どうもBRICS現象は、皮肉にも世界や地球崩壊を早めることに大きく貢献しそうな状況です。一頃”バブル崩壊”なるものが大騒ぎになった時期がありましたが、BRICSは、”地球崩壊”になりかけているのです。局地戦争よりもっと恐ろしい事態が急速に進展しているのです。そんな時代には、もう「社会に合わせる」は通用しないと思いませんか?
かの有名なデタラメ中国の崩壊が北京オリンピック間近い時点で秒読みになっているのご存知ですか?中国というのはご存知かもしれませんが、出鱈目・やりたい放題を絵に描いたような国ですし、他のBRICSも中国に似たり寄ったりの可能性が大いにあるのです。そのBRICSなる異常現象をいいわいいわで、目先の個人的利益のために、日本国民も後押しし助長しているんですよ。中国・インド・ブラジル・ロシア・南アは、ある意味で、新たな巨大公害及び巨大な混乱や紛争の火種を世界中にばら撒いているのです。
最近数年、新年の年頭所感http://www.meico.org/p18.htmlでも申し上げていますとおり体力の弱い会社や個人は、少なくとも中国から早く身を引きましょうね。すでに多くの会社が中国から工場を移転しているという話を聞きます。今年秋までにある日、ある朝、とんでもない衝撃が世界中を走るかもしれませんね。ある日突然、世界同時大不況になる可能性もそろそろ真剣に視野に入れておくべきですよ。もう社会や指導者というのは信頼も信用も依存もできる代物ではない時代に突入しているんです。アメリカのブッシュが最悪の見本ですが、世界を指導していくアメリカがあんなお粗末なこと・取返しのつかないこと・ベトナム戦争の二の舞みたいなことをやるのですが信じられませんね。北朝鮮の金正日よりもっと性質が悪いですよね。ブッシュはあれだけ多くの人を殺し・不幸に陥れ続けているのに平気なんですから。アメリカ国民も黙って認めているのですから恐ろしいですよね。
私達は、国・世界・地球が個人にとてつもない裏切りをしかねない社会や時代を覚悟して生きねばならないようです。
ある日当然・・・・・・・、お覚悟めされ・・・
83.若い時に苦難や苦労が多いのは当然だ
2007年04月02日 20時52分39秒 | Weblog
若い時、まあ10〜50歳くらいは、人は真面目な人ほど、努力する人ほど、多くの苦難や苦労が襲いかかってくるものらしい。苦難や苦労が多い人はその人が有能である勲章なのだ。
戦争末期に東京で生まれ・物のない時代に育ち、間違って東京工業大学などと身の丈以上の大学に入ってしまい、親族の全くいない大阪の松下電器に単身赴任し、10年目に会社を一度転職し、38歳で再度ロームに転職し・妻が癌で手術を繰り返し・あげく他界し・子供を育てながら・54歳で会社を辞め・55歳でコンサルタントを自営し・今度は自分が癌になり・・・・まあ世間並みかやや多い苦難や苦労を味わってきた。その都度次のように思ったものだ。
 @なんで、こんな苦しいことが自分に降りかかるのか
 Aなぜ、いつまでも楽にならないのか
 Bなんで、次から次につらいこと、嫌なことが起きるのか
 Cもうどうにもならない、もう駄目だ、助けてくれ
 Dどうしよう、大変だとんでもないことが起きた
 Eやっと問題が解決できたと思ったら、またまたもっと困難な問題がおきた
 Fいつになったらこんな苦しみから解放される時期が来るんだろう
 Gいっそのこと、もう頑張るのを諦めようか
 Hいっそのこと苦しいことから逃げて楽な方に進もうか
 I酒だ・女だ・博打だ・・・とあらぬ方向に走る
 J俺はつくづく駄目な人間だ、自分に愛想が尽きた
 K神仏に御願いしても一向にかなえてくれない、自殺でも?
昔の若い頃のことを思い出すと、次から次にいろんな苦難・苦労が降りかかってきて、自信も経験も能力も金も権力ない若さだけしかない自分にとっては、つくづく、「もう勘弁して欲しい」と何度も思ったものだ。占い師が「望ましくない背後霊がついています」なんて口からでまかせを言うが、もしそうであれば若者にはみな望ましくない背後霊がついているということに他ならない。そのとおりほとんどの若者には、何か神がかったものがついているのだ。それがとれるのはかなり年数が経ってからだ。
そういう苦難に対しては、苦しい・しんどい・心配だ・解決の道が見つからない・夜も眠れない・自分の無能さに嫌気がさす・他人がすごく偉く見える・それに引き換え惨めな自分・・・・・となるのは当然なことだ。
「はたらけど はたらけど猶わがくらし楽にならざり じっと手を見る」「友がみなわれより偉く見ゆる日よ、花を買って来て、妻としたしむ」若き石川啄木にしてこうだったのだから、自分ふぜいが惨めさ・お粗末さをつくづく思うのも無理もないことなんだろう。
おかげさまで、どうやら自暴自棄にもならず、自殺もせず、落ちこぼれることもなく、どうにかこうにか歳を重ねてきた。
生き物というのは、なにも人間に限らず、魚でも虫でも鳥でも獣でも例外なく日々つらいことの連続なのである。そういう過酷な自然界や社会において、多くのたまごや子供の中で僅かに無事生き残ったものだけが、成長し次の子孫を産み育てるという繰り返しをしているのだ。人間だけが格別大きな苦難に遭うのではない。むしろ人間の苦難などしれたものだったり、贅沢な悩みなのかもしれないのだ。
私の場合について言えば、、そういう苦しい若き時代を経て、50歳過ぎた在る日突然のように、かなり大きな苦難がまたまた、やってきた、しかしどうだ、そんな大きな苦難に対してかなり冷静かつ的確に対処できるようになっているではないか。
当時を思い起こすと、「なんだこれは・すごく自分も替わったなー」と何となく思ったものだ。「ひょっとして俺って成長したのかな?」「なんでこんな大きな苦難なのに冷静に対処できるんだろう?」「何だろう?」苦しいことでもあるのに拘わらず、少しくすぐったいような嬉しいような気分になったのを今でも覚えている。苦しい状況だから、そんな嬉しがっている場合じゃないのだが、かなり冷静であった、大人になったような気分さえ込み上げてきた。
その後も大きな苦難がやってきたが、あまり物怖じせず、むしろ「何とかやるぜー、何とかなるぜー」と余裕の笑顔で落ち着いて考え・行動できるようになってきた。そして困難・苦難を無事切り抜けたばかりか、むしろ満足するような結果になって自信を深めて行く自分を見出すようにさえなってきた。
学校のテストに例えると、若い時は、計算問題や暗記問題は解けるが、応用問題は全く歯がたたない。しかし50歳以降は、かなり難しい応用問題でも余裕をもって、解けていくような感じになってきたのだ。まあもっとも、もしそうでなければ大人になった意味も価値もないのだろうが。
蛇のように、人間にも、心の脱皮の時期がある。そして大人になっても何回か脱皮を繰り返すのである。いつまでたっても脱皮しないまま大きくなった大人は子供のままであるというわけだ。まあ人生には多くの出口と入り口みたいなものがあって、常にそこを入ったり出たりする、そうしているうちに、新しい入り口でもスーと入ってスーと出てこられるようになるようだ。
多分昔の若い頃であったら、深刻に悩み、落ち込み「一体人生とは?神仏の存在は?苦とは?死とは?・・・・」なんて、哲学少年のように狼狽し、ひたすら不安と心配で夜も眠れず、暗い顔して、悩むだけで、結果が出ないまま、ひたすら、うろたえていたであろう。入り口から勇気をもって入ることできず、入れば入ったで中でグルグル堂々巡りし、なかなか出口から出ることができない、そんな時期だったんだろう。
しかし、いつからこんなに変わったのだろうか?若い時から真面目に生きてくれば、幾多の苦難に負けなければ、それなりの大人に変身できる、本当に有難いことだ。苦難に揉まれ。もがいている中に、春になって桜が見事な花を咲かすように、いつの間にか成長して行くんだ。本格的な悟りというのは、何十年もつらい修行をした高僧にだけ起きることらしいが、凡人でもそれなりに努力をし苦難を乗り越えてくれば、ミニミニ悟りみないなものがあるのだろう。
若い時に悩むだけで結果が出ない理由は当然のことなんだ
 @若い時は、苦しみは皆、初めての体験ばかり
 A若いから、苦難へ対処した経験がない
 B若いから、次から次に失敗の連続になる
 C若いから、知恵もなく、考えることもお粗末
 D若いから、力も金もない
 E若いから、余裕がない、あせる、うろたえる、決断できない
 F若いから、臆病で、失敗を恐れる
 G若いから、いろいろ壁を作ってしまう
 H駄目なわりに、謙虚に人に教えてもらおうとしない
 I全てにおいて、尻が青い
 J未熟者のわりに格好つけたがる
 K未熟者のわりに努力を惜しむ
まあそういうことだが、神様は次々に苦しい宿題・試練・応用問題をお出しになる。そういう苦しみを、黙々と何度も潜り抜けられた者にだけに、ご褒美をお与えになる。人間は初めてのことに臆病だ。分からないし経験がないから当然だが、人生というのは死ぬまで新しいことばっかりだ。とすれば新しいことが向こうからやってきても対処できる能力というものを身につけない者は生涯臆病で、失敗を続け、真の幸せを実感することがないということになる。まあ一生涯かかるのだが、新しい苦難がやってきても動じない・狼狽しないで冷静に対処できる人間になる努力をしようではないか
最後にもう一言、苦しいことを苦しいと思って悶えて切り抜けて行くことは正常なことであり、極めて健全なことだから、くれぐれもそういう苦しみに負けないようにだけはして欲しい。本当に苦しく自殺でもしたいなんて場合は「休め」「一時的に逃げろ」である、というのは、人間や生き物の若い時期は、そんなに強くないのだから。
http://www.meico.org/p19.html
http://www.meico.org/p14.html
82.苦しいからと、自殺なんかするなよ、悩みなんか笑い飛ばせ
2007年03月23日 07時32分30秒 | Weblog
  悩むことは若者の特権だ
   若い時は障害物競走
   壮年は短距離競争
   老人はゆっくりマラソンだ
  山登りのように、それぞれの時期を「そういうもんだ」
  と逆転の発想で楽しむくらいの気分
  で生きることが大切だ
  つらいこと=真面目に生きている証なのだ
 @戴いたかけがいのない生命
 A二度とこの世に生まれないぞ
 B自分が生まれる確率は全宇宙の塵一つの確率だ
 Cなにしろすごい貴重な命なんだぞ
 D自分が一人で勝手に悩んでいるだけさ(一人相撲というやつさ)
 Eどんな困難も必ず解決できる
 Fまずその苦や困難から遠ざかれ
 Gまずその苦や困難を忘れろ
 Hそのためにはまず寝ろ
 Iそのためには旅をしろ
 Jそのためには他人にそのことを聞いてもらえ
 K巨大台風も必ず終わる、晴れの日が来る
 Lずーと雨や風が吹き続けることはない
 M苦難は神様が与える試練だ、甘んじて受けるしかない
 N苦難はつらいものだ、気を休める場所や人や遊びを持て
 O全ての苦難を解決するのは時間だ、なにしろじっと待て
 P大きな苦難は争うのでなくじっと耐えろ・静かに耐えていろ、じたばたするな
 Q若者や苦難の人にも明るい未来は必ずあることを信じろ
 R肩の力を抜け人間なんてそんなに強くも有能でも立派でもない
 S他人は皆立派に見えるが案外皆悩んで暮らしている耐えている、自分だけじゃない 
ちなみに私なんかも何回も苦しい状況があった、入社して2年目、ノイローゼになって半年休職したこともある、
会社を辞めて次の会社が見つからなかったこともある、奥さんが癌で介護しながら会社勤めしたこともある・・・・
自分が癌になったこともある、まだまだ沢山ある、でもそれらを乗り越えてきた。若い時の苦難は、全て皆始めての体験だから大変なのは当り前だ。歳とって思い出すと、さほど大したことなかったことがわかるのだが。例えばゴルフでも最初から連続パーやバーデイーなんか出ん、OBやチョロやセブンパットばかりだ。ゴルフでも最初の2年くらいは失敗ばかり、そんなこと一々悩むか?悩む以前の問題だろうに。
64歳の私は、さすが今はそういう苦難が来ても「いらっしゃーい・ご無沙汰」なんていう感じにやっとなってきた。
そうなるまでに60年間かかった。若い人や苦難に喘いでいる人もまあ耐えることです。打開の道を求めることだ。
まあ人生とはつらいものだが、そのつらさを幾度と乗り越えることが、やがてその人を立派な人へと成長させていくのだ。
またつらい時の相談相手を得ることも大事だが、いそうでいないんだ、腹わって相談できる人が。そういう話相手の人を作るように努めることだ。
私でよければ、いつでも相談して戴いてもいいですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自殺は人殺し・殺人ですよ、なぜそんな恐ろしいことをするんだ?
殺す貴方はいいとしても、殺される貴方は可哀想だ
殺人は相手が憎いからやるんだが、自分が憎いはずがない
人生谷あり・山あり、若きウエルテルの悩み、雨のち晴れ、
人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし急ぐべからず(徳川家康)
私くらいの歳になると、全てがはっきり見えてくるんだが
若者は、全体が見えないから、悩むのが仕事だ、悩みが栄養源
悩まない若者のほうが、おかしいんだ、悩むこと=正常な姿
悩むというのは、若者の特権であり、若者であることの証だ
まあ障害物競走みたいなもんで、その障害を全部くぐり抜け
ゴールまでゆっくり走ればそれでいいんで、途中で止めることはない
人生そんなもんですから、若者よ若いうちに多いに悩もうではないか
そういう意味では、悩みのない人・悩まない人こそ問題なんだ
悩み=成病=為闇・・・⇒むしろ明るく受け止める/笑い飛ばす
桜は厳しい寒さに耐えて後に、暖かい春を迎え花を咲かす
やって来い悩み・俺は歓迎するぜ・悩みと付き合ってやるぜ
「悩みさん一緒に楽しくやろうじゃないか、つきあうぜ」
「嫌なもの=必しも悪いではなく」、「嫌なもの=非常に良いこと」
逆に「良いもの=必しも良いものでなく」、「良いもの=悪いもの」
楽は苦の種/苦は楽の種、今の世、あまりに楽し過ぎている
逆説的だが、意外にそうなんだ、物事さかさまに考える
と意外と正解が見えてくるし、悩むことも少なくなるのだが
『急がなくていいから、悩みと戦って、大きな大きな人間になれよ』
http://www.meico.org/p19.html
それともう一つ、悩める若者同士が苛めあうなんて、愚かしいことは止めような
悩める若者同士、互いに励ましあわなくてどうするんだ
苛めるお前こそ、同志を苛めるなんてお粗末な自分を大いに悩め
79.知ることがいいとは限らない
2007年02月26日 09時34分39秒 | Weblog
『知性や教養が邪魔する』という言葉がありますが、生やさしいものでなく、現実は、大いに邪魔しているんです。『知性や教養は確実に自分を蝕む』一面をもっているものなんです。それにいつ迄も気づかないと貴方は地獄に落ちるのです。
  「人は知れば知るだけ賢くなると思い込んでいる
   ところが人は知れば知るほど馬鹿になるものだ
   なまじ、少しばかり知るくらいならば
   何も知らないほうが、よっぽど良かったに違いないのだが
   知るとは一体なんなのだろう
   いくら多くを知ったとしても、わかることにはほど遠いのだ
   知るということを知った・知っていると間違う
   人はなまじ知ることによって遠回りしてしまうのだ
   そして多くの人は肝心なもを知ることなくあの世へ旅立つ」
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   人は日々学び・これでもかこれでもかと知り続ける
   それは良いことであるには違いない
   食事と同じで、生きるために必要であることは間違いない
   しかしである、良いからと言って過ぎたるは及ばざるが如し
   食べ過ぎると肥満になり、ついに病気へと進むのと似ている
   食事と同様に考えてみると、知るということも
   @必要な時に・要なものを・必要なだけを知ること
   A必要以上に知識をほうばらないこと
   B知識に偏重しないこと
   C知識はわかることが目的であること
   D自分の知識を疑ってみること
   E録でない知識は整理し、知識の質を高める
   Fなんでもかんでも知ればいいという考えを改める
   G知らない人はもっと知れ
   H過剰に知っている人は、むしろ減らせ
   I人間は生まれて以来頭に刷り込まれた知識がありそれが邪魔しているものだ
   J知識以前に人間としてあるべき姿をまず描け
   K知識が人間のあるべき姿への前進に役立つことが重要だ
知識も食事も生きるために大事なことには違いないが、肝心なことは、そのとり方・使いかたである。
物事万事がなんとなくやっていると過食になりただただ肥満になり、病気に役立つだけとなる。
食事も選んで食べ・噛み砕き・消化し・きっちり吸収することが大事です。
知識も同様です。選らんで知り・考え・理解し・きっちり身につけて実践することが大事です。
77.世の中おかしくなって、女が女らしさを失い、男なみに堕落していく
2007年02月18日 22時13分51秒 | Weblog
「男女平等」ということでも、安易に「単なる平等論や男女雇用平等法みたいなもの」として導入するから、女が男のように男が女のようになって、本来それぞれが持っている大事なもの大切なものを失い、男女相互をかえって切り離してしまう結果になるのです。男や女がいなくなって、世の中は「おかま人間」ばかりになってしまったのです。
特に女が男みたいになってしまったのは、もう世も末だ。いかにも良いことのように言う人がいるがそうではない。神様は女は女として作られたのであって、男のようにしようと作られたのではない。女である権利を女も男になる権利にすり替えてしまった。馬鹿げた大誤解である。
  @子供を生まない
  A子供を育てない
  B家にいないで外で仕事する
  C男と争う
  D女のたしなみを全て捨てる
  E男女同権を大声で主張する
  F子供が家に帰っても母親すらいない
  G男と同じことをやり同じことを考える
  H母親の機能が家庭から消失する
  I考え方や行動まで男になっていく
  J男特に能無しの男は更に自信喪失になる
  Kしかしどうしたって、男は子供を生めない
一体本来の女の役割や喜びをそこまで捨てて何が楽しいというのか?当然であるが男は女になれない。なぜ女として生まれたのに女として生きる権利を放棄するのか?男女平等などと男に成り下がることを喜ぶのか?しんじられなーい!
神様がせっかく男女を不平等にお分けになったのに、それを「無理やりエイヤ一緒にするべきだ」とやってしまっているのです。男女平等の導入は、とりかえしのできない新たな大きな問題を出現させてしまっているのが現実なんです。この例以外にも、こういうことがあまりにも多すぎるんです。小賢しいのです。中途半端に頭の良い一流大学出の人間のやりそうなことなんです。
ところで私は、欧米の女性がすこぶる嫌いだ、女として認識できない、彼女達を、男以上に男のように認識してしまうのは私だけだろうか?当然だが全然好きになれない。彼女達の心の中に男と女の関係で入れ込めないような気がする。昔は、自分の母なんかはその点大好きな最高な女性で、控えめだが、品格というか尊敬できる女性でした。よく働き・家庭を守り・夫を敬い・子供を愛し・質素で・控えめで・何でもできた・謙虚であるが芯は強かった・明るかった・・・。「封建社会は悪い」とばかり、本来の女そのものも全てを破壊し尽くしてしまったようだ。女の男化・おまか化である。最近は日本の女も欧米化してきた、日本の女も精神的には、そろそろ全く魅力を感じられなくなっている最近の自分に気づく。がばいばあちゃんというか昔流の温かみで一杯の女性や母親は絶滅したらしい。
ちなみに信じられないかもしれませんが、64歳男の私は、今私の母親のようになろうと真剣に努力している日々なんです。だってかつての日本の母親達はあまりにも素晴らしい女性であったからです。多分もう二度とああいう昔の日本の母親は現れないでしょうね、残念です。未だにあとにも先にもおふくろは尊敬する唯一の存在ですからね。現代の尊敬できない日本の母親からは素晴らしい子供ができるわけがないのですがねー。これが悲しい現実ですかねー。
あまりに堂々としたツーンとすまし顔の欧米の女性は、まず会った瞬間に違和感がある、こんなのは女性ではない、無性だ、無表情・とっつきにくい・気位が高い・全く謙虚さは感じられない、温かみも感じない、女性の魅力なんて微塵も感じない、謙遜なんか間違っても絶対にしない・・・・・欧米の男性は、こういう高慢ちきな女に慣らされて、久しいのだろう可哀想なことだ、外人男性が日本女性に惚れるのも納得する。昔の日本女性を知る私に言わすと、欧米の女性は、中に秘めた品格や本物の優雅さ優美さというものがない。これでもかこれでもかと表に出すが、それほど大したものではないのだ。彼女達は謙遜しない、謙遜すべき秘められた大きなものがないからだ。その代わりにか、胸や身体をやたらに露出する。謙遜しない女・奥ゆかしさのない女は、品格がない。そういう女にあるのはケース一杯の化粧品や衣服やバッグの山でしかないのだ、品格のある女性ではなく安物の下品な商品でしかない。まあ品格や優雅さなんか要らないというのなら何をか言わんやだが。
日本女性の顔も、最近急速に欧米人の顔になっている。私などは、お面を被ったような日本の女性に全く魅力を感じなくなりつつある。顔だけでならともかく、精神も完全に悪く欧米化しつつあることを実感する。そのうち日本男性もアジアやアフリカの女性が良いなんていう時代が間違いなく来るだろう。結婚しない男が多い・離婚が多い・少子化するのも当然だ。女を放棄する女が増え、本物の女が絶滅しつつあるのだから。
もっとも男は、すでにかなり欧米化し軟弱な人格やたくましさがない若者が急増しているのだが。男なんてつまらんものでっせ。その点女はそのままでも随分素晴らしいものですよ。それをなんで男になろうとするのか?西欧の女は毎日「お前を愛する」と言われないと許さないということを聞く。まあ西欧の病んだ一面を思う。そんなこといちいち言ってないと不安だというわけらしい。何がレデイーファーストじゃ。世も末じゃわい。
女は男より下に思い込む女が多いがそんなことはない。表面上、男は腕力だけは強いから、男のほうが上だと勘違いしているが、どうあろうと、冷静に分析すれば、女のほうが男よりずーと上ですよ。
老若問わず、欧米や日本で離婚する女が増加しているという、旦那が退職したらそれを契機に離婚を切り出すという。日本の男も、もっと女のことを考えてやらんといかんとつくづく思うから、わからないではない。でも旦那をそういうふうにしたのは、最近風・欧米化した考え方の日本の女にも半分責任はあるんだと思う。否むしろ女のほうに多くの責任があるのかもしれない。すぐに離婚でなく、お互いに根本から反省し、生き方をを大きく改めることこそが大事だと思うのだが???しかし衣食住を含めて欧米化した日本人は、どうももう魅力ある女や男の関係には、戻れないようだ。
現代急速に男も女も若い人から笑顔や温かみが失せていっていることにお気づきでしょう。昔、高度成長とともに、都会から無関心というものが少しづつ広がっていった時期がある。しかし現代はそれが、いよいよ終幕に近づいたような気がする。「無関心、ここに極わまれり」みたいなもんでしょうか?特に若い女親が無表情・冷たい・厳しい(やたら夫や子供に厳しさだけで、やさしさが欠落している)そういう味気ない社会になってしまったのだろう。かつてのように、これからは、女に女を求める時代は終わったようだ。朝から晩まで男のほうが「お前を愛している」なんて言い続けないといけない時代が来ようとしている。
男ももっと男らしくならんといかんが、平和で豊かな時代、男の堕落は今に始まったことではないが、女の尻を追い回す宿命を持った男のだらしないこと・お粗末なこと、それが最近すごい勢いで加速しているのだ。女よ世を救うのは女ですよ。男は生命を生むことも育てることもほとんど無力なしょうもないもんですからね。その男を真っ当にできるのも女ですよ。
それを「女も男になります」とは一体なんてこと言うんや!
すばり言うわよ、「男女同権だか何だか知らないが、魅力的な女だけでなく魅力的な男・魅力的な人間が少なくなった」ということよ
ブラックバスが日本の魚を食い荒らすように、女が男になって男を喰い荒らす、そんなことかもしれない。本来か弱い男は喰われ、子供も行き場を失ってオロオロしている。こんな国が真っ当なわけがない。
大昔は女が世の中を支配していた。ある時男が男女平等を叫び、戦争に男が行くようになってから男がのさばって今日に至ったということらしいが?
75.「できません」と平気で言う社員さんや会社さんが増加している、そういう時代になった
2007年02月09日 12時00分14秒 | Weblog
ISO14001をはじめ経営支援していて最近数年感じていることは、
会社さんが、せっかくコンサルタントを導入しているのに拘わらず、せっかくいろいろ改善を提案しても、大方「できません」の連発なんです。
一つや二つの企業さんでの話しなら、私も、さほど気にはならないのですが、どうも、ほとんどの会社様でそういう状況なんです。
そこでこれは大変なことだと思い、理由を私なりに想像してみますと
@バブル崩壊以降、トップからの指示が増加した、もうこれ以上は無理だ
Aトップダウンは良いことではあるが、かなり行き過ぎている
B「トップの言うことしかやらない」という副作用が出ているようだ
C人員削減で忙しいので、新たな改善や仕事までやりたくない
D社員からの提案に、そう簡単にお金や人を出してくれない
Eすぐに利益に結びつく、確実に大きな利益になりそうなこと以外はNO
F新しいこと・前向きなことに対する拒否の姿勢
G大きなことをやるには、それなりに力がいるが力がない
H自分にやれと言われても、やれる自信がない(臆病になっている)
I「余計なことは、やらないほうがまし」という意識の蔓延
Jなにしろ忙しいから余分なことをやれる余裕などない
Kトップも自社の利益確保に必死で前向きであっても手間のかかることまで手が廻らない
L日本人の努力・頑張りの能力の低下
Nさしあたって仕事が忙しくなっているので、日々の仕事さえやっていればいい
O一般的に若い人に意欲がなくなっている
Pその他
環境問題の場合についても、せっかくISO14001を導入しても環境改善は100を目的にすると、せいぜい10くらいしかできていないのに、それ以上はやろうとしていないような印象を受けます。むしろ「随分やっている、これ以上は無理だ」という意識なんです。
「できない」という発言に対して、更になんとかやって戴こうとして、私もいろいろ説明や助言をしても「頭から考えられなーい」「絶対に無理でーす」という感じです。
トヨタの徹底した無駄とりをやっているレベルの会社がある一方で、「できません」を連発する会社もその数倍あるというのが現実です。すごい立派な会社を知っている私のようなコンサルタントとしては、情けないやら、指導の限界や大きな壁にぶち当たってしまうわけです。
世界に冠たる「KAIZEN]はどうなったのでしょうか?政治(抵抗勢力)や役所は最たる「できませーん」の代表ですが、日本の指導層である政治や役所がもっと「KAIZEN]を率先して実施し、日本企業にトヨタの徹底した無駄とり改善を広めて欲しいものです。
ちなみにKAIZENをやっている会社というのは、これまた逆の意味で「すごーい」ですよ。マスコミも、日本企業や日本再建のために、そういう素晴らしい事例をもっと紹介して自覚ややる気を高めて欲しいですね。一時、小泉首相の時に「抵抗勢力」という言葉がはやりましたが、会社も個人も「国民総抵抗勢力」なんですね。環境問題しかり、例えばレジ袋の有料化みたいなささいなことさえできていないのです。
私もエアコンや自販機やFAXや天井照明や残業や郵便を止めるか大幅削減しましょうと提唱しているのですが、大阪市役所の職員のように「できません・絶対に無理です」という醒めた答えが帰ってくるだけです。一方そういうものをごく当り前にやっている会社も、案外あるのです。そういう私も手本を示すために達成しています。例えば、冬の場合かなり厚着をして、暖房はお客さんが来られる時以外は、使用していませんし、冬でもよほど寒くない日は、むしろ、ドアを開け空気を通しています。
動物達は裸で寒い山の中でしのいでいるんですよ。知恵も家も洋服もある人間にできない理由なんかあるわけがありません。私はそのおかげで身体の健康まで取り戻したほどです。エアコンに頼る→体力や健康に悪いのですよ。身体が弱るだからますますエアコンに頼るのですよ。嘘だと思うのならばいつでもお越し下さい。
でもそういうことはやる決断と思い切ってやってみないと実現しないのです。だから私のようなことをやる人や会社はほとんどありません。「そんなこと嫌・駄目・無理」ですって!
トップの責任は重大であって、改善に対して、意欲を見せ、自ら手本を示すとともに「どんどん改善しろ、全面的に手伝う、表彰もする」でなくてはならないというのに。政治家もそうですよ、安倍さん、悪名高い日本の政治家や役人の名誉回復したらいかがですか。
クールビズとかウオームビズなんてことだけでなく、もっと率先して、国会や役所からエアコン使用の大幅削減・紙・ごみ・電気の大胆な削減なんかをやって欲しいものです。
最後にまとめると「何も言わず、やらなくなった若者よ、ロウジンカ?」
 @めんどくさい
 Aしんどい
 Bやる気が起きない
 Cやったことがない
 D怖い
 E自分の責任になるから
 F能力がない
 G失敗が嫌
 H忙しくてそれどころじゃない
 I上がOKするわけがない
 Jそんなこと、やったことがない
 K身体がしんどい
 Lやり方がわからない
 Mやっても褒められない
 N給料が増えるわけじゃなし
 Oチャレンジ精神なし
 P言われたら、しかたなくやる
 Q誰かがやるじゃん
 R汚い・臭い・面倒・
 S考えざる・言い出さざる・やらざる
●2
.昔の人は当り前に苦を求めたが、現代人は楽を求める
2006年09月20日 05時34分02秒 | Weblog
私は大学を卒業後、東京から関西に出て来て、大阪門真の松下電器で10年、京都伏見のエンゼル工業に4年、京都右京区のロームに15年、大阪中央区のテクノ経営に半年仕事をして後、自営して9年前から経営コンサルタントの仕事をしていて最近つくづく思うことは、会社様において、経営者や社員さんといろいろなことをお話していて、例外なくどこでも「どうしたら楽できるか?」ということを真剣かつ基本的に考えておられることなんです。お許し願ってあえて悪く言わして戴ければ、「どうしたら手抜きできるか?」と真剣に考え・行動する習慣が身についておられるということです。
こういうことは、最初は少ない会社や少ない人のことだろうと勝手に思っていたのですが、どうも例外なくそうなっているようで、私にとっては、かなりびっくりしていることなんです。
私も63歳の気の弱いしがないコンサルタントですから、大切なお客様に「馬鹿もん」などと、どなりつけるわけにはいきませんから、エンゼル工業やロームでの体験をベースに、じわじわとお話をしますが、それでやっと少し理解して戴ける範囲であって、「諸手をあげて私の意見に賛同してくれる」という方に出会うことは皆無です。エンゼル工業やロームでは常識的なことであったはずのことでも、むしろ「随分大変なこと言う先生だなー」というようにお考えのような印象を受けるのです。
今迄そんなことは、思ってもみませんでしたが、「そうかエンゼル工業やロームの仕事のやり方や管理のし方は、思った以上にレベルが高かったんだ」ということさえ感じるようになってしまったのです。(私にとっては嬉しいというより、むしろかなり悲しいことなんですが)
昔、私が小さい頃、戦後のとてつもない苦しい時代、社会全体が食べ物も物資もない、貧しい時代をなんとか生き抜いていた頃は、大人達は「苦を求めて仕事や暮らしを営んでいた」とつくづく思うのです。社会や会社が楽になることは良いことだが、「人々が楽を求める癖」「楽にドップリ浸かってしまう悪癖」がどんどん身体にしみ込んでいく恐怖感みたいなものを実感する今日この頃です。
振り返って身の回りを見ると、自分の子供の家での暮らし方を見ていると、自分が子供だった頃に比べて恐ろしいほど、「楽を身にまとってしまっている」のです。それでも、まだ私の子供なんかは、ましなほうで、社会一般の日本の子供達や若い大人達は、もう絶望に近いほどです。
・楽に慣れ
・楽を求め
・楽に浸かり
・楽に溺れ
・楽に依存し
・苦を遠ざけ
・苦を厭い
というように日々暮らし・仕事をし・管理をするようになっているのです。
だからそういう中で苦の味を少しでも知っていると「凄い人間」のようにおだてられるのですが、とんでもない、昔の日本人に較べたらもう比較するのも馬鹿馬鹿しいほど堕落(楽につかる・楽に手を染める・手を抜くこと)してしまっているのが現実なんです。
・政治家しかり
・役人しかり
・先生しかり
・親しかり
・経営者しかり
・管理者しかり
なんです。
・プロを目指しているようじゃ大した人間にはなれんぞ、プロのプロを目指せ
・楽をしたことのツケは大きくなるばかり「安易に楽なんかするもんじゃねー」
・他人の目を誤魔化せても、自分や自分の師の目は誤魔化せない
・中途半端な苦を苦と思うべからず、かえってそれが苦の種になる
・えーい、そんなもんは、まだ苦のうちにゃ入らねー、出直してきやがれ
・不思議にも苦を多く体験することによって苦はどんどん減っていく
・楽することを手間省くと考えると落とし穴にはまるよ
冷静に考えれば、ここ100年くらいの現代というものは、ひたすら「楽」を求め、「楽」を賞賛してきた100年なんです。もう今更、戻ろうにも戻るすべさえない状況なんです。この100年捨ててきたものはもう取り戻すことはほとんど不可能なほど人間は、本質的に変化してしまったのです。
「苦を知る人種というものの絶滅」又は「絶滅危惧種」なのでしょう?
こんな世の中にしてしまって、今更何を言っても始まらないのですが、最後にもう一言「楽は苦のたね・苦は楽のたね」
これからこれまでの100年の楽の代償として、苦の100年がやってくるのでしょうが、その苦の100年で人間が再生できればいいのですが、コウノトリの再生の何百倍も難しいのではないのでしょうか?
48.管理できない人が増えています→崩壊への道か?
2006年09月18日 08時41分13秒 | Weblog
管理というのは、出たとこ勝負で結果にまかせるのではありませんが、何事も”おまかせ”、”ほったらかし”の人が多い。
人間にとって最重要事項の一つである管理ができない人間が増えているのは何故なんでしょう?
昔の人々は、暮らしや仕事を厳しく規範・規則で律し、厳格に守りとおして来ました。
安全・快適・便利な生活に浸かっているために、堕落・油断・傲慢・ボケが急速かつ広範囲に進行しているんでしょうね。
自然の中で暮らす動物を見ていると、彼らは彼らなりにしっかり管理していますよ。むしろ最近のだらけた人間以上です。
管理とは、基準・規則・目標・計画を設けて確実にそれらを順守・達成することです。
仏教の修行なんかも、だらけた人間を真っ当に戻すための、ある種の厳格な管理のための厳しい修養だとも言えるのです。厳しい修養もしなくなった若者や更に大人達まで、その堕落は目を覆うものがあります。
野球でもサッカーでもゴルフでさえも勝利を得る者やチームは厳格かつ有効な管理が必要なんです。
管理が益々必要になるのに「管理はますます疎かになっている」、その先にあるのは『崩壊』なんでしょうね。
何でもおまかせしてしまうタイプの人は、早晩「運命」に飲み込まれてしまいますよ。
@他人まかせ
A時まかせ
B成り行きまかせ
C親まかせ
D上司まかせ
E国まかせ
F運まかせ
G妻まかせ
H部下まかせ
I結果まかせ
J業者まかせ
K流れに身をまかせ
とにかく自分できちんとやらない人が多くなっています。そしてこんな人に限って占いに頼るんです。そしてむしろ失敗するんです。
そういう人は、自力・自活・自制・自信・自立がない、きちんとすることができない。
47.苦を師とし・苦を友とす 村上和隆
2006年09月14日 06時18分27秒 | Weblog
「生きて死す・死して生きる」
「富みて貧す・貧して富む」
「勝って負ける・負けて勝つ」
「楽して苦する・苦して楽する」
苦を師とし・苦を友とす
楽に近づかず・遠ざけ
楽のほうから来るようにする
あせらなくても必ずやって来る
『威張るな・奢るな・風格を持て』
@当たり前のことをきちんとやる
Aやるべきことは、徹底してやる
B自分自身を厳しく見つめ、磨く
Cそして本物の自由と安楽に浸る
村上和隆
46.偽装人間の多い現代は土台・基礎・根本崩壊時代が進展する
2006年09月08日 22時01分21秒 | Weblog
現代において、人間も会社も国家も地球も、基礎・土台・根本が腐りつつあるのではないかと大いに懸念しています。又は実は元々いい加減なものであったがそれが今になって表面化してきたのかもしれませんね。基礎・土台・根本が腐っているのに、脆弱な土台や基礎の上に、無理やり、更にこれでもかこれでもかと積み上げていくように思いませんか?
土台は白蟻が喰い、木は腐り・コンクリートはヒビが入り、ボロボロになり、崩壊寸前の家のように、個人も会社も国家も世界もあちこちで、とんでもない状況が不気味に進展し、不具合や事件・事故が頻発しているように思います。
基礎や土台というのは、家で言えば建築当初の1週間くらい、人間で言えば10〜20歳くらいで出き上がるんです。
家の場合では、えてして手抜きされ易い場所の一つなんです。
人間の場合、若い時の生き方や周囲の大人や人間や環境が極めて大事なんですが、案外いい加減に過ごしてしまうもんなんです。
昔は、厳しくかつ暖かい親・兄弟・先生・社会というのがあって、赤ん坊から若者の基礎・土台の構築に日常的に大きく拘わっていました。しかし今から20年くらい前:高度成長が進展する中で、急速に若者を取り囲む環境は変化し、基礎・土台の弱い若者が表面化してきたのです。しかも同時に本来強固であったはずの大人もバブル崩壊とともに、何故か急速に土台が腐りはじめたのです。
例えば家の場合、どうしても上物や外観・表面に目を奪われがちで、普段見えない箇所である土台や基礎などを見落としがちです。そういう部分は、本来は、家を支える大事な部分なんです。もしそういう大事な部分が損傷・劣化したり上物を支えられなくなってくると@家が傾くA地震によって倒壊するB家が痛むC家が腐る。
基礎・土台・根本が腐る又は腐りはじめた場合は、非常に大きな決断がいるのではありますが、一度上物を取り壊し、根本的に土台・基礎から建て直すことが必要になるのです。
今年起こった事件で、姉歯マンション偽装事件というのがありましたが、外見は立派でも、地震時などに基本的に必要な強度が不足しており周囲にも危険が及ぶので、一度取り壊さないといけないそうですが、3〜4千万円も払って、やっとのことで手に入れたマンションですから、壊すなんてとんでもないことだと思います。
被告の首班格は、「どちみち巨大地震が来れば、ほとんど皆倒壊するのだから、少しくらい強度が不足していても、とり壊す必要なんかない」と言っているのだそうです。このような偽装マンションの場合は、家主の意向を尊重するわけにもいかず、もったいないとも言っておられないので、取壊す運命だそうです。但しローンをかかえて家賃まで払って立て直すことは大変なことで、実質不可能なことなんでしょうね。ご心痛お察しします。
ところで現代においては、気づいてみたら「偽装人間が多い」ことが判明してきました、いや偽装マンションどころの程度の騒ぎでは済まないのです。人間は、そんなに簡単に建て直しなんかできませんから、今後、先進国家を中心に崩壊人間が続出するのは、火を見るより明らかです。
現代は、個人・会社・市町村・国家・世界は、一度思い切って腐りきった今の状況をとり壊すべきなのに、壊さずそのままにしています。当然ですが、間違いなくどんどん状況は更に悪化して行きます。
会社の例でお話しますと、バブル崩壊開始した当初の頃の話ですが、
A社は、売り上げも順調で、新規に社員を雇い設備も増強しどんどん拡大路線を歩んでいきました。業績はどんどん上がり、暇もない状況が続きました。
B社は逆に、売り上げが伸びず、社員を20%減らし、設備も更新できず、製造を中心に間接部門も含めて徹底したコストダウンに取り組むとともに、新規の研究開発に必死に取り組みました。急速な景気後退場面ですから、当然業績は低迷のままです。
ところが、その後経済環境は、年々どんどん急激な不況が進展し大不況が襲ってきました。A社は固定費が多く、一転して赤字に転落しました。B社は赤字はそれほど増えず、むしろ新規開発した製品がヒットし、不況知らずに売り上げが拡大しました。不況にも拘わらず大幅な黒字になってむしろ優良企業へと変身していったのです。
A社は上辺の華やかさに目を奪われ基礎・土台の点検や強化を忘れていたのです。一方B社は、幸か不幸か業績が低迷したために基礎・土台の強化をしたのです。
こういう事例は会社だけでなく、個人・国家でも同様なことが過去沢山あるのです。今危ない国は、例えばアメリカ・日本・中国やこれらに類似した多くの国です。何故かというとガタガタしているのに、しばしの経済状況の好況などに目を奪れ、基礎・土台の深刻な弱さに心を配っていないのが危惧すべき点です。
重度の肥満・高血圧で、医者から養生を命じられて、少し改善したので油断してしまい、またまた根本的な養生の手綱を緩めつつあるのと似ています。
癌にかかっている人が、「俺は今まで病気一つしたことがない、病気になんかならん」とばかり、癌になっているとは知らずに仕事や遊びや金儲けに走りまくっているのと同じです。過去人一倍元気であって、今も一見元気な人でも、そんなことは何もなりません。ある日「末期癌です」と言われたら、もう手の施しようがないのです。基礎や土台は普段は見えない「縁の下の力持ち」しかしここが腐ったり・崩壊していれば、突如ある日突然、縁の下から崩れるのです。
崩壊現象の例
@山崩れ・がけ崩れの頻発
A都会の停電・大水道管の破損
B石油・ガスや金属類の急速な高騰
C銀行・金融機関・大企業の赤字・破綻
D未婚・晩婚・子供生まないための少子化進行
E国市町村の財政赤字・破綻
F自己破産・ホームレス化・自殺増加
Gフリーター・ニート・引篭もり・
H学生の減少・私学の採算悪化
I会社の乗っ取り・違法な株取引
J突如切れる・犯罪の低年齢化・親殺し・幼児虐待
K小学校の学級崩壊・中学校の校内暴力・大学性の放蕩
さあ基礎・土台という地味で目立たない箇所を、敢えて思い切って、直すかどうか?
村も町も会社も家庭も国家も、基礎・土台に目を配ることで建て直しをする最後のチャンスなんです。その気になり真剣に土台・基礎を抜本的に直しさえすれば、建て直しは不可能ではありません。
当面する多くの諸問題の根本は、上辺・外見でなく、基礎・土台の腐り・破損なんです。
地球環境問題なんてのも、すでに基礎・土台を抜本的に何とかする時期に来ているんですが、もう手遅れかもしれませんね。気候変動などによってある日突然日本中に大洪水や大雪や巨大台風がきて、日本中の山の木が一挙に枯れでもしないと、その深刻さを認識できないんでしょうね。
・若者のニート・フリーター・引き篭もりの方々に一言:そんなことしている場合じゃないぞ、しっかり土台を築けよ
・政治家・役人に一言:思い切った財政赤字の解消や国民のための政治をやらんと国や村が滅ぶぞ、崩壊するぞ
・多くの普通の人々に一言:自分は、基礎・土台がしっかりしているなんて甘い認識を捨てないといけませんぞ
45.本物の学歴社会
2006年09月03日 07時24分23秒 | Weblog
私は4回転職した後、今のコンサルタントを自営しています。
松下電器は有名大学出の社員が沢山いました。一方エンゼル工業やローム株式会社には、それほど有名な大学出身者はいませんでした。しかし会社の業績・能力・パワーは後者のほうが飛びぬけていました。エンゼル工業もロームもトップレベルの優れた会社でした。
世間一般的にも、有名大学出の多い会社は、業績不振になると言われています。政治や役所の世界においても、東大・一ツ橋や早稲田・慶応など有名大学出身者や頭でっかちの人が多く、その結果、最悪かつさんざ不正を働く政治やお役所仕事をして世界の恥さらし・国民のお荷物になっているのです。
だから「学歴不要論」というようなことが言われ定着してきました。松下電器も幸之助さんが創業した当初の10〜20年の町工場のような時代には、有名大学出がほとんどいませんでしたが、その当時の松下の力は相当なものだったということをよく先輩社員から聞きました。幸之助さん自身が小学校しか出てませんが、幼い頃から社会に出て、大学出の何百倍・何千倍も努力したのです。松下電器も大卒が増えるに従って確実にパワーが弱っていったのも事実なんです。
私は学歴というものは、6つにあると思っています。
@幼児学歴:誕生〜学校までの教育
A学校学歴:小学校〜大学の学校教育
B社会学歴:企業など社会に出てからの教育
C経営学歴:親になって上司(指導者・経営者)になってからの教育
D家庭学歴:家庭での暮らしを通じての教育
E趣味学歴:習い事や趣味を通じての教育
ですから会社を転職する時には履歴書にこの6つに分けて教育歴を書くことが必要なんです。この6つの学歴が揃って立派であれば、どこの会社に行って働いても全く心配することはありません。まあ一度履歴書をこの6つを意識して作成してみて下さい。学校の履歴だけが光っているという方は、非常に問題なんです。こういう人を採用すると、会社にとって益するより弊害が多くなるのです。また働いた会社が、1社だけとか、1職場とか1業種では、あまり立派なものとは言えません。幅広くいろいろな体験をしいろいろな苦難を乗り越えてこそ初めて「立派な学歴」と言えるんです。
学校の学歴より、社会の学歴や家庭の学歴のほうが大事なんです。また意外に大事なのが、幼児学歴です。「三つ子の魂百まで」と言いますからね。お子さんを生み育てる場合の親の責任や、会社での上司の責任は、極めて重大なんです。
学校の先生・学校の教育は、先生も社会学歴が全くなく、あくまで座学・耳学問・目学問にすぎませんので実践には向きません。人の真の実力とは、新しいことや困難に、どれだけ、どう対処するか、要するにテスト問題の何倍も応用問題が大事なんです。
生涯教育なり。生まれてすぐの幼児教育、家庭内での教育、指導者や経営者としての教育こそ、最も大事なことですよ。どちらかというと、学校出てからの学歴が大事なんですね。そういう真の学歴を持っている社員が沢山いる会社が強いのですよ。絶対に勘違いしないことです。
44,貴方は、結婚相手に何を求めるか?
2006年08月17日 10時54分46秒 | Weblog
結婚相手というのは100%パーフェクトな人なんかいるわけがない。もしそういうことを考える人は、
相手を見つけることはできません。
結婚は、結果的には、「一目ぼれ」「アバタもエクボ」「清水の舞台から飛びおりる」とばかりエイヤーで決めざるをえないのです。
幸運にもいい人に当たれば良いのですが、ご存知のように、現実は、とんでもないものを掴まされる場合が多いのです。
全てが満点のような八方美人なんてのは存在しないか、もし存在したとしても、宝くじじゃありませんが、そんな素晴らしい人がよりによって自分に廻ってくるわけがありません。
そういう観点からすると相手を冷静に評価し、自分は相手の人に何を求めるのか決めることは無意味な
ことではないようです。(各々4点で評価し合計を出して下さい。満点48点です)
貴方にとって最も重要なもの(これだけは絶対に譲れないもの)は何ですか?
貴方にとって捨てるもの我慢できるものは何ですか?
@やさしい思いやりのある人
A美しい人・かわいい人
B聡明な頭のいい人
Cたくましいバリバリやる人
Dきちんとした几帳面人
E楽しい面白い人
F明るい人
G金持ちの人
H冷静で、物静かな人
I健康な人・元気な人
J同じ趣味・仕事の人
K料理や家事ができる人
さて相手の方はどれとどれが貴方の求めるものでしょうか?
1)合計点は?30点以上が望ましいですが、あとは貴方の判断次第です。
2)4点のものは?4点のものこそ貴方がその人に求めるものです。
3)0又は1〜2点のものは?0〜2点までのものは、貴方が我慢するものです。
大事なことは貴方が相手を冷静に知ること、貴方の求めるものが何か決めること、
相手の欠点を事前に知ってそれは我慢すること又は貴方自身がカバーすることです。
家事が全く駄目でも彼女の美貌に惚れたんでしたら、家事ができないことは諦めること、文句を言わないこと、自分でで家事をすることなんです。
ここら辺をいい加減に考えて結婚すると100%離婚又は、一生涯我慢をするしかなのです。
こういうことは結婚相手だけでなく、
友人・上司・会社・・・何でも言えることです。完璧なものを求めるということも大切ですが、そうはいきませんよね。
ちなみにすでに結婚した奥様やだんな様とか友人・上司・会社についても、この際、以上のように「相手に求めるもの」「相手に求めないもの」を分析してご覧になってみて下さい。
42.迫るリスクへの対応はできていますか?いざとなって泣かないように!
2006年08月07日 04時14分11秒 | Weblog
最近世の中は、相変わらず騒々しいですが、一体日本にとって会社にとって、家族にとって、自分とって具体的に何が問題なんでしょうか?又は問題になるのでしょうか?自分はそういうリスクをきちんと認識しているでしょうか?
それらのリスクにきちんと予防・緩和・対応処置をしているんでしょうか?
最近でも、子供や親が殺される・北朝鮮のミサイル・巨大洪水・中東戦争・石油高騰・マンション偽装・エレベター事故・村の財政破綻・負担増・・・・リスクがどんどん表面化していますね。
私なりに下記の12のリスクで検証してみました。12×5=60点満点になります。
私の場合、平均的な人より、かなり努力してるつもりですが、結果は43点でした。相当頑張っているつもりですが、不合格ライン、低いですね。
45点〜48点可、 49〜51点良い、 52〜54点優、 55〜57点秀、 58〜60点完璧
(□自覚してない0点 □自覚だけはしている1点 □ほんの僅かだが気配りはしている2点 □やや対応している3点 □かな対応できている4点 □万全である5点)
@ドル暴落・円暴落(3)
A巨大災害(4)
Bインフレ(3)
C税負担増(3)
D重大病気(3)
E格差拡大(3)
F親兄弟子(4)
G熟年離婚(5)
H環境悪化(5)
I財政破綻(3)
J都会機能(4)
K凶悪犯罪(3)
( )内は村上和隆の場合
■補足説明
 ・Aの巨大災害は地震・洪水・地すべり・火災等、特に地震と洪水が問題
 ・Fの親兄弟子は親の介護・兄弟のトラブル・子のやる気喪失非行などです
 ・Iの財政破綻は財政破綻によりいろいろなサービスが受けられなく
   なるとか最悪円の暴落などです
 ・Jの都会機能は都会の水道・電気・道路・下水・その他今迄当然のように
   できてきたことが長年の劣化等により維持できず、都会のインフラが
    駄目になっていくことです
さあ貴方は、どのくらい当面するリスクに対処できていますか?
「リスクなんてそんなもの心配なんかしているか」ですって、そんな強がり言う人は、確実にリスクのどれかによってぶちのめされ、傷みつけられ、しんどい日々が襲ってくることを覚悟しておくことですね。
ところで、石油価格の高騰自身は、30年前から予想されていたことですので、そんなに心配していません。むしろ1L=200円くらいは覚悟し各自対応すべきでしょうが、いつか落ち着きますよ。北朝鮮も基本的には心配していません。株価も有望株や成長株は、従来どおり、むしろどんどん急激に上がるでしょう。要するに格差社会への突入です。ここ10〜15年は、誰がなんと言おうと、努力する人は報われるが、何もしない人は我慢し苦しくなる社会が続きますよ。「良い会社や個人は大幅に伸びる」というのがコンセプトです。努力しない人に十分な給付が与えられるなんて甘い時代は当面ありえません。
もし、何らの予防・緩和・対応の準備をされていないとしたら、せめて相当悲惨な覚悟だけはしておかないといけませんね。
覚悟というけど、いざ深刻な状況になってみると、人間は覚悟どころか想像以上に狼狽みっともない様になりますよ。
もし貴方が、暇であるというのであれば、今後10年間津波のように、次々に間違いなくやってくるこれら12のリスクにはなんらかの事前の投資・処置・準備をしておいて下さいね。もう遅いくらいですよ。もうそんなに時間はありません。
現実、国も市町村自体が国民を助けるだけの余裕が全くないという非常に厳しい状況ですからね。
例えば何も妙案がなく、そういうことが苦手でかつ、心配な方は、それこそ海外移住や自給自足なんかやっておいたほうが良いかもしれません。
まあ素晴らしき老後を過ごすには、まず「後顧の憂い」をきちんと除いておくことが先決ですよ。
41.現代への思い村上和隆
2006年08月02日 20時45分47秒 | Weblog
便利で豊かな社会で日々、生活の糧を求めつつ快楽を追い求めて動めく
どんなに便利で豊かになっても人は、薄汚い生き方を改める気配はない
それどころか、更なる便利さと豊かさを追う宿命を背負っているかのようだ
最近フリーターやニートなる者が多く出現しているが、むしろ納得できる
「作用があれば反作用がある」というのが、自然界の法則であるのだから
一般の常識的な人間は「フリーターやニートなどはあってはならぬ」と言う
長年戦争や紛争に明け暮れる国が、一向に戦争をやめないのと同様に、
足るを知る事ができない現代人達も大いに責められるべきではないのか?
グローバル化し進歩・発展してきたというのに、必しも実態はそうなってない
最近の人間を見ると、どんどん「浅いさん」「狭さん」「小さん」が増えていく
饅頭を見てきた人に「饅頭とはどんなものか?」と尋ねたら、白く丸いものと
答えるだろう、饅頭を見ただけだから、そういう答えも無理からぬことである
しかし本当の饅頭というものは、黒い練餡を白皮でくるんだ甘い食物なのだ
しかし現代の人間は「饅頭を白く丸いふわふわしたもの」と答えるのだろう
この饅頭のような錯覚をわかり易い別の例で言い変えると、「美人」でしょうか
美人というのは饅頭の皮みたいなもので、本質というのは物事の中身である
上べだけ見て美人は、美しいなんて思ってしまうのが人間の浅はかさだ
だから私は美人というような上辺を飾ったものは、特に信用しないことにしている
必死に美人になろうとする女や、そんな女を追い回す男は人間として情けない
見掛けの姿を真実と認識して固定観念に振回され嘘臭い人生に押し流される
社会・愛・平和・善悪・人生・美・・・それらを饅頭の皮のように認識している
個性的に生きているなんて言うが、日々、世間の通年・固定観念に従って
旅行者の案内人の後についてツアーするように、主体性なく生きているだけ
もっと真面目に事実や実態を疑い、自分自身の生き方も深く疑うべきなのだ
日常生活において「疑う」ことといえば、つまらない些細な身の周りのことだけ
自分を疑わず、親兄弟を疑い・友を疑い・子を疑い・先生を疑い・先輩を疑う
「疑う」というのであれば、もっと本質的なことを疑うべきではないのだろうか?
便利さや豊かさが乏しい時代には、日々の暮らしが大いなる疑いの連続だった
日夜、社会や親や夫や家族や自分に大きな疑問を抱き、その回答を探し続けた
人間は豊かになると考えなくなる、疑問を持ち、必死に考え答えを出そうとしない
現代人の恐ろしさとは、「浅いさん」「狭さん」「小さん」がどんどん増えて
いくことではないだろうか? 人間が人間ではなく、豊かさや便利さのために、
魂を抜かれた浮遊する幽霊のようなものに、なって行くというのだろうか?
現代人は社会通念から、とにかく脱出することだ、現代社会を一度捨てることだ
社会から遊離するのは良くないが、現代は自分自身から遊離してしまっている
社会もわからないが自分のこともわからない、そういう人が確実に増えている
ロシア・中国・インドが先進国の仲間入りをしつつあるのだそうだが、彼等も懲りず
西欧や日本人の失敗を懲りず、とんでもなく間違った生き方を又々していくのだろう
後発国を経済技術支援して、我々が歩んできた嘘の生き方を教えてやると言うのか
最近京都から東京まで高速バスで行くことがある。時間は8.5〜10時間かかる
だが旅を楽しむという点では、時間がかかることがむしろ望ましいことに気づかされた
その上安いし、煩い子供やおばさんはいないし、景色はゆっくり眺められるのだ
時に新幹線のぞみに乗ると、いかに早過ぎるか、いかに無駄か、いかに味気ないか
やたら便利・早い・楽を追い求めるのでなく、むしろ不便や苦を味わう事が楽の近道
凡夫は苦を求めるなんて考えもしないが、苦行する修験者のほうがかえって楽だ
日々楽をしている凡夫のほうが、修験者より難行苦行をしているのかもしれない
お金・豪邸・贅沢な生活を得るために必死に仕事をするのなら止めたほうがいい
古寺や経典は沢山残っているが本物の仏法らしきものは何処に行ってしまたのか
強欲で腑抜け人間が世界を覆いつくす地球は、今後も物心ともに汚染されていく
どうしようもなく、是正不可能な時代に突入していることを自覚しているだろうか?
後戻りできない世界であれば、今、自分は人生をどう生きていくべきなのだろうか
30.普通の人間は絶対に「人は人になれ」ない
2006年06月08日 13時52分41秒 | Weblog
最近豊かで便利になればなるほど、どんどん「人は人でなしになっている」ように思われませんか?
自分自身の場合を考えても、いろいろ立派なことを言うわりには、むしろ逆に駄目人間になっていくのを止めようもありません。
一番良い対策は豊かさも便利さも全て捨てることなんでしょうが、ドップリと便利さと豊かさに浸かってしまうともう抜け出せそうもありません。
日本はかつてジャパンアズN0.1と言われ、経済大国とも言われ、日本人の優秀さを世界に披瀝したものです。
ところが裏を返せば、日本が世界一、便利さと豊かさにドップリ浸かってしまっているということになるのです。昔私の幼少の頃には、日本は不便さや貧しさが沢山ありました。ところが今や本質的な貧乏人や飢える人は激減し、一億、中流意識の時代になってしまったのです。
そういう日本の事実を冷静に考えるとすれば、現在及び今後の日本は音をたてて堕落していく運命にあるのです。「奢る平家は久しからず」というように野球の巨人軍の成績が不振なように、奢る者の運命・末路は哀れなものです。
世界一・世界に勝つことは、日本もそろそろ右肩下がりの段階にさしかかったことを意味するのです。時あたかも高齢化・少子化の時代を迎えています。こういう状況は20年後30年後の日本の没落をさらに加速することになるのですが、こういうことはどうやっても避けることはできません。
江戸時代300年の平和が続いたなんてことは奇跡的なことなんですが、そのために文化や芸術は進歩しましたが、やはり副作用としていろいろな複雑な問題が多くなって、ついに崩壊し、明治維新を迎えることになるのです。平和・栄華・発展は、無限ではありません。否、もし続くほど、結末はむしろ恐ろしいことになるのです。
大昔、マンモスは敵なしでのさばっていたようです。しかしその敵なしのマンモスは、今地上に現存しないのです。
自然から学ぶ尊い教えは、「自然という言葉そのもの」なんです。
自然とは、
@原理原則を精査又は正しく認識する
A原理原則を確立する
B原理原則を厳密に守る
C原理原則を安易に変えない
D不自然な手を加えない
E不自然な手を加えたら、すぐにその排除を検討する
F無理なことは、むしろやらない
G問題があれば、都度細かく調整する
H良い・悪いでなくあるがままを受け入れる
I状況の大きな変化の有無を監視する
J予想される大きな状況の変化に備える
K常に不自然になっていないか、原理原則から逸脱していないかチェックする
自然の法則・原理原則にそって生きていけば大きな問題はないのですが、人間は弱いので、どうしても離れていく運命にあるのです。
原理原則から離れていくことが最も恐ろしいことなんです。しかし人間は一人では生き、暮らすことは出来ませんから、人間同士の利害の衝突が起き、争いがおき、自分勝手なことをやる多くの人の中で生きていかざるをえません。そうすると自然の原理原則なんかに拘ってはいられません。否、むしろ原理原則から大きく離れ融通をきかせてないと生きていけなくなってしまうのです。そして次から次に、武器や便利な道具や手法のような不自然な科学・文化・技術が生まれてくるのです。科学・文化・芸術なんてのは、人間の自分勝手(エゴ・利己主義)に過ぎないのです。
そもそもの発生時点での良し悪しは問題ではありません。例えばダイナマイト・レントゲン・自動車やその他ほとんどもものが結果的に重大カツ深刻な影響や問題を及ぼしてしまうのです。
ということは、人間がいかに立派なことを言おうと、人間は原理原則を無視する、逸脱するように考え・行動するものであると言えるのです。そう考えると自分を含めて人間というのは、随分恐ろしい許しがたい罪深い生き物ということになります。
私は「人は人になれ」という言葉をいつも心にかけていますが、「言うは易く・行うはとてつもなく難し」なんですね。
日頃、学校や会社や社会で時間をかけ勉強し、いろいろな教育を受け、偉い人の話を聞いたところで、結局「人は人になれない」のですね。
「人が人になる」ということは、かくも難しいことですから、相当腹をくくって覚悟の上で努力しないといけないようです。少しでも「人は人でなし」でもいいと思えば、それこそ永遠に人にはなれませんね。
28.日本文化は、日本語の文化、その日本語が絶滅の危機に、残念です
2006年05月28日 12時15分44秒 | Weblog
東京から大阪、大阪から京都に移り住んで長いことになりますが、東京生まれの私が日本語のとてつもない特殊さ・すごさを実感したのは、京都に住んで否応なしに下手な京言葉で会話し始めてからでしょう。日本語は、本来難しいのですが、京言葉はその何十倍も何百倍も難しく奥深いように思います。おこらないで欲しいのですが、標準語の東京弁は最悪・最低で、あんな言葉使っていると、東京人は、日本人ではなくなってしまいますよ。
フランス語というのは世界一きれいな言葉ですが、それと同等またはそれ以上に京言葉は繊細で素晴らしく、優美なものであることを実感します。そしてそこから更に日本語・日本文化のすごさを改めてつくづく実感したものです。
日本語というものは、そんじょそこらの国の言葉とはわけが違うのです、多くの類まれな特徴があるのです。「日本語は英語と比較して世界語になっていない」と言う人がいますが、それは「京言葉が日本語になっていない」などと暴言をはくのと似ています。日本語というのは、日本人でさえも往生しているというのに、そんじょそこらの記号語を話す外人がしゃべれるようなそんな生易しいものではないのです。外人が日本語話すなんてのは、凄いことなんです。
@言葉自体が記号でなく、言葉一つづつ、それぞれ独自の意味を持つ
A言葉の数が非常に多い(多分世界一では?)
B同じ意味でも何十種類の言葉がある
C更に抑揚や言い回し、語尾、状況によってもかなり意味が変わる
D尊敬語・丁寧語・謙譲語がある、しかも種類も多い
E文法や表現の仕方は、バライテイーがあり、自由度も大きい
F話すことはできても、読み書きは更に相当複雑である
G間違って伝わる場合も多いが、どちらとも取れるような曖昧な表現が多い
H反対の表現をすることがある(例:つまらんものですが)
I謝る表現や一見無意味・無駄に思える会話が多い
J女と男の言葉が違う、年齢毎の言葉も違う
K擬音語や情を表す微妙な表現も豊富
※日本語は争うため、交渉のため、取引のため、相手を服従させるための言葉ではなく、互いに融和する心を通わせるための言葉と言うことができるように思います。そういう日本語を是非取り戻す必要があります。現代は日本語も西欧化しています。
漢字・ひらがな・カタカナがあり、日本人は欲張りで本来の日本語以外に更に外来語もあり、読み書きも大変なんです。日本人は世界一難しい日本語を話すということで他所の国の人より頭の働きが良くなっているはずなんです。日本語を読み・話し・書くのは、当り前ではないのです。すごいことなんです。
30歳40歳になって日本語がきちんと流暢に話せ・書け・読める人は、すごく頭の働きが良い人のはずなんです。歳とらないためにも生涯、きちんとした日本語を話し・書くことを是非お勧めします。
『日本語というのは、かけがえのない最重要な世界文化遺産』なんです。そういうことが日本人自身に理解されていないことが残念です。日本語に比較したら、日本の建造物や寺や美術品なんかどうでもいいんです。そんなものは、写真でも模造品でも保存できますし、壊れてもそれらしい物はいつでも作ることが可能なんです。ところが日本語は生ものですから、一度廃れていくと、どうやっても回復や保存が不可能であり、やがて本当に絶滅してしまうのです。
テレビで出鱈目かつ下品かつ安易な日本語を話すタレントや放送関係者は、彼等はそうは意識していないでしょうが、日本語の破壊者であり、「自分が儲かりさえすれば、日本語なんかどうなってもいい」という彼等の罪は相当に深いものなんです。
周囲を海で囲まれ、島国で長いこと平和で一民族的の国であったせいか、言葉は、どんどん複雑になり、洗練されていったようです。
したがって日本語には、非常に優れた面を持つと同時に、大きな弊害が共存しています。
ちょうど和服は素晴らしいのですが、和服を着る面倒臭さが表面に出てきたのです。最近の若者の衣服のように、ジーパンにTシャツのほうが着やすく、洗濯も簡単だし、安いので良いとなってしまいがちです。アメリカ式は多民族国家(寄り合い所帯)ですからあらゆることが、単純化・記号化されています。
企業などで標準化ということをやっています。標準化すると能率が上がるのです。
標準化には、
@単純化 A統一化 B規格化 が行われます。多くの人がばらばらなことをやると非常に手間がかかるのはご存じのとおりです。だからまず単純なものにし、統一し、規格化してしまうのです。アメリカ語や標準日本語は単純化・統一化・規格化されていますよね。しかし方言(地方言葉)はその地方で同じ年代の人にしか正確に通じません。私など東京人が関西に移り住んでも、最初のうちは関西人の言うことは1/10くらいしか理解できていませんし、喋るなんてことは、なかなかできません。私のように関西に35年も住んで下手でも関西弁を使い関西の人と付き合って、それでもやっと半人前以下なんです。京言葉や方言は生まれて何十年かその地でその土地の言葉で生活をしないと、とても身につくものではないのです。
まさに口伝えの文化なんです。
最近、京言葉や難波言葉だけでなく日本語そのものが崩壊しています。若者が和服を着ないのと同じように、若者が本物の日本語を好まなくなっているからという理由です。
残念なことではありますが、こういうことを阻止することは、ほとんど不可能なんです。地球環境問題で種の絶滅ということがあり、コウノトリのように本当に絶滅寸前の状況ですが、古来の日本語も絶滅・崩壊に近いんです。ある程度のものは残るでしょうが、まあ本来の日本語や京言葉、難波言葉とは似ても似つかないお粗末な言葉に変化してしまっており、そういうことは誰も止められないのです。
地方の方が京都に来ると京都の人が話すのを聞いて、「京都の言葉はいいですね」なんておしゃっていますが、京都に住んでいる者にとっては、京言葉なんか、もうほとんどなくなっていると同然と認識しています。大人達自身が話す京言葉でさえ、かなり無茶苦茶なんですから。
◎日本語は最重要な世界文化遺産です。残念ですか絶滅の危機にあるのです
1)日本人は日本語だけ使えればそれで十分過ぎる
2)日本語はそれほど優れている
3)日本語はそれほど奥が深い
4)日本語は、世界の宝
5)英語なんかしゃべるよりもっと日本語の能力を高めよ
6)英語化は益々日本を喪失していく
7)日本人は英語的ではない、苦手で当然だ
8)日本語をきちんと使えるには生涯かかる(50年必要だ)
9)日本語は標準語しゃべれるだけでは日本人ではない
10)日本語のルーツ京言葉・難波言葉が使えないのは日本人とは言えない
11)本語は複雑で面倒だから、どんどん捨てられていく
12)日本語をきちんと読み・書き・喋れない人は日本人とは言えない
子供だけでなく大人も、きちんと京言葉や難波言葉を話す人はいなくなった。和服や和家具や和建築などはともかく、日本語は一度絶滅したら元に戻すことは200%不可能なんです。
残念です。少なくとも英語みたいなものを勉強するのは従来のように、学校で6年やっても多くの日本人が満足に話せなくてそれで十分なんです。むしろ本来の日本語教育や京言葉教育をきちんとやるべきなんです。NOVAも日本語会話スクールや京言葉会話スクールを全国に作って欲しいですね。英語みたいな記号語ではなく、意味語・手作り語・情語・心の伝達語である日本語をもっと大切にして欲しいですね。
遅ればせながら東京生まれの私も京言葉をもう少しきちんと喋れる努力をしようと思っています。非常に難しいことではありますが、35年もまがりなりに京都で生活してきたのですから、60の手習いでも不可能ということはないと思っています。少なくとも、ご飯のように、ゆっくり味わいながら京言葉をしみじみと話すようにしていこうと思っています。
時々年配の関西の女性が本物の京言葉や難波言葉を話すのを耳にすることがあります。それを聞いていると、どんな音楽や芸術より何倍も素晴らしさを感じ、うっとり聞き惚れてしまいます。いつまでもそういう方の話を聞いていたいと思ってしまうほどです。相当の高齢の方でもそういう人と一緒に暮らしたいなーなんて思ってしまうほど、一流の文学作品をはるかに超えるほど素晴らしいものです。
まあひょんなことから、私は、東京から京都に移り住んで、そういう素晴らしい京言葉や難波言葉を日常耳にする幸せを味わえる時期に生きていただけ幸せなんでしょうがね。そう思って自分を慰めるしかないのでしょうね。
日本人には、貴方ご自身のために「きちんとした日本語を話しなさいよ、できれば京言葉に触れ、勉強しなさいよ、心が豊かになりますよ」と言いたいですね。
27.「松井選手が謝った」ことがアメリカで話題になったとか?
2006年05月21日 06時12分51秒 | Weblog
ヤンキースの松井選手が試合中骨折して「チームに申し訳けない」と心から侘びたそうな。アメリカ人は「あんな偉大な松井選手が素直に謝ったことにびっくりもし、いたく感激もしたそうな。
日本では、全然当たり前のことでニュースにするほどのことでもないのです。そこでよくよく考えてみますとアメリカや西欧の国は、「謝らない文化」「謝れない文化」「心の狭い文化」「喧嘩ごしの文化」だということを改めて認識させられたのです。
そうか自分が悪くても他人のせいにする文化なんだ、そうしないと生きていけない文化なんだ、謝ったら損害賠償を請求される文化なんだ。
アメリカで、普通の人は、安易に謝らないのだ。謝ったら損害賠償を請求されるからなんだ。口が避けても謝らないんだ。そう言えば、アメリカ人は、アイムソリーは言いますが、あれは、謝っているんじゃないんだ。本当に謝る場合や状況では、絶対にアイムソイリーは使わないんだ。
一方日本では、「すみません」「申し訳ございませんでした」「お詫び申し上げます」「お許し下さい」「深く反省しております」・・・・まあとりあえず手当たり次第、謝ってしまう。謝ったほう勝ちの世界なんだ。なんたる違いでしょう。
私も日本人、「結構毎日、気軽に謝っている」もしアメリカに行ったらアイムソリーを使わないようにしないといけないなー。これ真面目な話ですよ。
それほど今回の大松井選手の謝罪には、アメリカ人もびっくりしたらしいのです。「えー、松井が謝ったって、嘘だろ、アンビリーバブル」とか言ったようですね。
そしてアメリカ人がどう思ったかは、よくわかりません。
想像すると、多分賛否両論だったことでしょうね。
@松井選手は、偉い
A松井選手は、すごい謙虚だ
B松井選手は、素晴らしいますます尊敬する
C松井選手は、びっくりした・自分のことを考え直した
D松井選手は、偉大な人間だ
E松井選手は、神様かもしれない
F松井選手は、やっはり日本人だ
G松井選手は、安易に謝るべきではない、馬鹿か
H松井選手は、まだアメリカ人になりきってない
I松井選手は、謝ったんだからヤンキースにその損害賠償をすべきだ
J松井選手は、訴えらるはずだ
K松井選手は、悪くないのだから謝るべきではない
松井選手の発言を、日本人としては多分当然であると感じたことでしょうが、アメリカ人の場合は10人10色だったんではないかと思うのです。
更に想像しますと、アメリカでは、ここ何十年のベトナムやイランの戦争体験からアメリカ人も「謝ることの必要性というか効用を少しは認識してきたんではないか」と思うのです。ちょうどタイミングよく松井選手の謝罪があって「おいブッシユ大統領よ、少しは松井選手に見習えよ」「日本人って案外凄いな・謙虚だな」と思ったかもしれません。
またアメリカのマスコミ、日本の「謝る文化」「謝れる文化」「謝って人間関係をスムーズにやっていく文化」をここぞとばかしに紹介したのかもしれません。
日本は、最近外国で認識を改められているのをご存じですか?例えば食べ物・技術・管理・改善・漫画・芸術・音楽・小説・詩・俳句・考え方・人間関係・・・・・
日本では謝る文化以外に、世界にはない特徴的な文化が沢山あるのです。
@謝る文化
A曖昧文化
B横並び文化
Cお風呂につかる文化
D軽薄短小文化
Eお弁当文化(美味しさと見た目の美しさ)
Fおじぎ文化
G接待・贈答文化
H飲み会文化
Iお座敷文化
J仲間意識文化
K片付ける文化(布団等)
しかしこういう類まれな日本特有の精神文化を世界の非常識などと言う、とんでもないトンチンカンな有識者がいて、「日本は駄目だもっとアメリカや西欧を見習え」「日本の古い文化を捨てろ」とやっているのです。私は以前からこういう愚かな評論家が日曜日に堂々とテレビで日本をけなす言動をしていることを残念に思っています。その結果どんどん日本の良い文化が消失していくことになったのです。
でもまだ間に合います。日本の文化をこのあたりで世界に広め
「日本以外の世界の常識は、非常識です」
を広めたいですね。
少なくとも私はそういう考えをあちこちで宣伝して「日本人よ自信を持て、むしろ外国人に教えてやって下さい」と申し上げています。
22.人生バランスが大事、直すというより正常なバランスに戻すべき
2006年04月15日 21時44分25秒 | Weblog
我々は当り前のように思っているのですが、女男・上下・右左・大小・押す引く・愛憎・戦争平和・善悪・・・・・・・あらゆる物事は、対(ツイ)になっています。こういうことは、よくよく考えてみると、不思議といえば不思議であり、実にうまくできていると、改めて関心するものです。単純に考えますと、物事というのは、そのバランスが保たれていることが健全である証拠になるというわけです。片方にもし偏ったら、確実かつ適切に元に戻すように是正すれば良いだけのことなんです。偏るのは、ものの常ですから、それ自体が悪いというのではなく、偏ったら元に戻すことが大切なんです。自動制御システムとでも言いましょうか。ところが機械でもこの自動制御が組み込まれていない場合は、故障や不良が多発します。最近の機械はマイコンや全般的な技術が向上したために無人で何時間も停止せず、不良も作らないものが当り前になっているのです。しかし一方人間社会というか人間は、多くのトラブルと多くの不良を垂れ流す今日この頃です。機械やロボットの進歩と反比例して、人間や人間社会は、バランス感覚が弱体化し、急速に堕落しているのです。
戦争があり平和がある、病気があって健康がある。金持ちがあって貧乏がある、手遅れになってバランスが大きく崩れると、大きな困難や崩壊につながるものです。神様の自動制御システムによって、バランスを失えば警報が鳴ったり、ストップしたり、元に戻そうとする力が働くようになっているのです。
バランスを崩した時に、神様の意思や自然のフィードバックや自動制御が働かないような場合があると、バランスをとるきっかけをつかむことができないわけですから、そういうことは恐ろしいことですね。更に現代は、あちこちで警報が鳴りっぱなしなのに何もしないでいるという最悪の状況・末期的な状況なんです。機械に例えると警報が鳴りっぱなしなのに、おかまいなしに生産を続けているというわけですから、結果は不良の山になるというわけです。
ごみが落ちていても誰も拾わないように、暴力に遭っている人をみても誰も助けないように、未成年者がタバコを吸っても注意しないように・・・・・・・・・・。
ガスが漏れています。自動的に警報機が鳴る又は自動的にガスコンロが停止するというものが最近は多いですが、ガスが漏れても漏れっぱなしという場合、恐ろしいことですが、結果は明らかです。中毒から死に至ります。
現代や現代人の落ちいる落とし穴も存外そういうことにあるように思います。
最近、世の中にいろいろな問題が起きています。ほとんど毎日・毎時間です。
@凶悪事件
A役人の汚職
B役人の税金の搾取・無駄使い(詐欺横領の犯罪です)
C企業の不祥事
D子供の殺害・幼児虐待・家庭内暴力
E先生の性的犯罪
F放火
G俺俺詐欺・振り込め詐欺
Hテロ・紛争
Iニート・フリーター
J引き篭もり
K自殺・・・・・
そういう現象がこれでもかこれでもかと新聞やTVを賑わします。新聞やTVは、そういう事件の大安売り・大劇場と化しているのです。もう絶望的な限界をはるかに大きく超えています。
そういう現象が現れているということ自体は、ある意味健全なんです。原因があれば結果が出る「結果や現象から原因を分析し適時・適切な手を打つ」というのが自然の法則・原理・原則です。
この場合大事なことを改めて整理してみますと、
@原因をきちんと分析する
A原因にきちんと手を打つ
Bその手の結果を検証する
Cその手が適切であればそれを維持する
Dその手が不適切な場合は是正する
ことができていれば、その社会や企業や個人は極めて健全なんです。どんな困難なこともこういうことさえきちんとやっていれば安心なんです。悪い現象によって打ちのめされ、是正せず、放ったらかしにしてしまうことは最悪です。
しかしもっと困ることがあります。そういう現象や警報が鳴らない場合です。
物質や肉体以外の目に見えない、精神的な領域、人間の本質的なこと、人間そのものに関する場合には、現象や警報が鳴らない、鳴ってもかなり遅いことがあります。
人間は真面目に生きる人にも、そうでない人にも、「お前さんはまずいよ」「お前さんは危険だよ」という警報はそう簡単には鳴らないのです。だから人間はついつい問題意識を持つことなく、悪い人は悪いなりのまま、又はどんどん悪くなって、一生を生きながらえてしまうのです。バランスをとるきっかけを失ってそのままずるずるというやつですね。
タイムリーかつ明確に警報が鳴りませんから、警報は自分で鳴らさないといけないのです。そのために厳しい先輩・厳しい修行・厳しい暮らしをしないといけないのです。そうすることで、そういう人にも警報が聞こえてくるようになるのです。
やさしい先輩・困難を避け・安易な暮らし・自堕落な暮らしをしている人には、警報アラームが聞こえませんから、益々いい加減な仕事・いい加減な先輩・いい加減な惰性の暮らしに浸っていくのです。こういう人は、問題解決や精神的な成長がありませんから、永遠に本物の幸せがやってきません。
■問題があると普通は何らかの警報がなります
■警報が鳴ったらすぐに行動すればよいのです
■しかし警報が鳴らないものがあります
■鳴らない場合は、警報を聞くように自分なりの努力が必要です
■それによって見えないものが見えてきて、適切な手を打つことができます
■もしそういう努力をしない人は、本物の満足も安楽も幸福も味わうことはないのです
■死ぬ時に、くだらない人生を振り返って、大きな後悔をすることになる
バランスをとると一口に言っても、バランスをとろうとするあまり冷静さを失い、むしろ更にバランスを崩してしまうことも多いのです。病気になった、栄養のあるもの食べて暖かいフトンでゆっくり2日ほど寝ればよいにですが、バランスのとり方を間違えると薬・注射に頼ることになるのです。本当のバランスでなく誤魔化しのバランスとりになってしまっているのです。病気を直そうとするのでなく、基本的なバランスを正常に回復するという感覚を身につけることが大事です。
ノイローゼになる躁鬱になる人が増えているのだそうです。躁鬱病というとあたかも最悪のように考える人が多いのですが、案外そうでもないのです。躁鬱になったのには原因があるのです。また躁鬱になることは、発熱と同じように、人を保護する働きもあるのです。病気になると熱が出ます。熱が出るのは、病源菌と戦っている証拠なんです。だから徒に熱を下げるのではなくそのまま安静に寝ることが、確実に直す早道なんです。躁鬱の症状もできればそのまま躁鬱を受け入れてしまったほうが良いのだそうです。元気がなくなったら、当分元気を失なったままにしておけばよいのです。下手に元気を出そうとあせることは、直るものも直らなくなってしまうらしいのです。「躁鬱になったら、躁鬱になってしまえ」というのだそうです。下手に早く逃げ出そうとすると、かえってバランスを崩してしまうようです。
周囲の人がびっくり仰天して、下手に直そうとあせるのは最悪です。全て自然の摂理・自然の成り行きにまかせるべきなんです。問題というのはかなり最悪の場合は、むしろ何もせず、任したほうがいいこともあるらしいのです。なだれに巻き込まれる、強い潮に流される、海で溺れそうになるなんていう場合も、状況が最悪であるほど、とりあえずあまり、もがかないほうが良いのだそうです。
「がんばろうとして」それが果たせずに疲れ切って精神が錯乱しているのですから、更にがんばり躁鬱から抜け出そうとあせるのはバランスをとるにでなく更にバランスを崩すことになるのです。
まあバランスをとるとかキッカケをつかむというのは、案外むずかしいもののようですが、まあいろいろの問題に遭遇したら、又は一見問題がないように見える場合でも、冷静に「どうしたらバランスがとれるのか?」「どのようにバランスをとるべきか?」と考えることが大事なようです。
21.ニートはけしからんのか?@美田を残すなA結果に手を打つなBもっと真摯に反省しよう
2006年04月06日 19時19分11秒 | Weblog
昔、今ほど豊かでない時代においてさえも「子孫に美田を残すな」という考え方が代々受け継がれてきたようです。
貧しい時代でさえも、金や財産を多額に残すことは結果的に子供を駄目にすることがわかっていたようです。
現代においては、社会そのものがとてつもなく豊かになっているわけですから、個人的にも、社会的にも次世代に膨大な美田(働く意欲をなくす元)を残す結果になっているのです。しかもその美田(意欲をなくす元)の多さ大きさは昔の比ではありません。
ここ10年くらいで、ニートやフリーターなどという昔の私達には想像を絶する若者がボウフラのように出現しているようです。そこでニートやフリーターを無くす対策などというものが政治の場でも真剣に考えられているのです。「ニートやフリーターを支援する対策」なんておかしなもの怪しげなものがやられつつあるようです。「美田を残してやったからこうなった」という原因からすると、対策は美田をとりあげることなはずなんですが、更に美田を与えようとしているというわけです。
現代の病巣というのは、このニートやフリーター問題同様に、原因分析し、根本解決しようとせずに、解決困難そうだから、カンフル注射でも何でも症状さえ治れば何でもいいから、結果そのものに手を打ってしまえというやり方です。
■例えば風邪を引きました。原因は過労です。だったら栄養とって2日くらい寝て下さい。のはずですが、
⇒原因なんかどうでもよい。休むなんてけしからん。薬だ・注射だ・早く直して仕事せいというようになってしまうのです。
こういうことが、ごく稀なことであればまだしも、こういうやり方(結果に手を打つやり方)は増える一方で、かえって、ますます状況を悪化させているのです。
昭和・第二次大戦以前の昔は問題に対して次の四通りのいづれかの対応がなされてきました。
@オーソドックスかつ真摯に原因に手を打つ
A原因に手を打たないが、とにかく事態をご破算にし元に戻る
Bはやり病や自然災害、飢饉などによって否応なしに、事態が元にもどった
Cあれこれせずに事態をそのまま放置しておく、自然に戻るか・崩壊させる、崩壊したら一から出直す
※昔も結果に手を打つというやりかたはあるにはありましたが、その結果は長続きせず、うまくいかなかったようです。昔は、ほとんどが自浄作用・循環作用・淘汰作用等が機能していたんです。
現代は、上記の4つの方法ではなく、技術進歩・経済発展によって、かなり難しいことでも人工的に対応することが可能になったために、問題は一見解決されているように見えて益々悪化し深刻化していくようになっているのです。俗に言う「屋根の上に屋根を葺く」「そのまた上に屋根を葺く」なんです。
よく言う「先送り・つけ廻し」というやつです。病気なんですが、注射・薬でその場をしのぐというやり方です。子孫に美田だけでなく、その上に汚田までも残し、崩壊に導くことは避けられない状況なんです。
ニートやフリーター問題もその根本原因である「豊かになり過ぎた社会の是正」を先送りして、「ニートやフリーター支援対策法」みたいなもので税金と手間かけて応急処置されていくのです。
こういう履き違いのことを、かなりの有識者という人が平然と言い、やらせているのですから実を言うと、事態は更に深刻です。
■現代社会とは『いかに根本原因を解決しないで、問題を処理するか文明』『根本対策先送り文明』と化しているんです。
年金問題・高齢化問題・環境問題等、どれも根本対策は皆無で暫定対策・応急処置ばかりです。
例えば
地球温暖化を例にあげると、
・原因は化石燃料の使い過ぎです
・対策は化石燃料の使用を半減することです(半減でも物足りないのですが)
・世界的に法律を作り一律半減をすることです
こういうのが合理的かつ唯一最善の対策なはずなんです。小学生でもわかること、いや小学生のほうがわかることなんです。ところが学者や頭でっかちの政治家はいろいろ考えます。経済が縮小し世界経済が大混乱する・一律だと後進国家が反対する・そんなことは一般市民が許すわけがない・・・・・・・と次々に言い訳をまず最初に考えるのです。
経営コンサルタントをやっていて、素晴らしい提案でも、それがすんなり企業様に受け入れられることは、あまりありません。ほとんどの会社で「先生そんなことはできません」なんです。すぐにできることなんか経営コンサルタントに相談するな。あなた方ができんというから経営コンサルタントが厳しいことを言っているのですが。「先生やりましょう・やりとげます」こういう会社だけが有望なんですが滅多にいませんね。
■『薬・注射に頼る文明・お金・技術に頼る文明』なんです。
こんなことは永遠に続くはずもありませんから、あと長くても50年いかないうちに地球は100%崩壊します。「いやそんなことはないはずですよ」と言われるのですか?「貴方は大きな勘違いをしています」「貴方の考えは甘いです」。真っ正直に原因に手を打たない場合100%いつか破綻するんです。ねずみ講というのがあります。あれがその典型です。あれは誤魔化しから出発し、誤魔化し続ける方式なんです。誤魔化しが継続できなくたった時点で、100%いつか確実に崩壊の時期が来るんです。それが早く来るか・遅く来るかのほんの少しの違いしかないのです。
ニートやフリーター問題に対して、「お前さん達は、けしからん」「真面目に働け」というのは
風邪をひいたことに例えると、「休むなんてけしからん、お前の評価を落とすぞ」「薬か注射打って会社に出て来い」
■(ニートやフリーター=悪)(風邪で休む=悪)という認識こそが世界を崩壊させる元なんです。ニートやフリーター、風邪で休むことそのものが良い悪いではないんです、それらは症状なんです。
ニートやフリーターも風邪も何らかの原因から生じてきた結果なんです。ニートやフリーター現象は、社会への警鐘なんです。風邪は貴方の身体への警鐘なんです。下手すると肺炎で重病になったり、死ぬこともありえるんです。
ニートやフリーターをいかに働かすか、環境問題でもエネルギー消費を減らすことなくむしろまだまだどんどんエネルギーを使っても地球温暖化にならないようにするにはどうしたら良いか。そんな虫がいい目先のことばかりを考えるんです。空調使うのやめよう・公共交通機関を利用しよう、間接照明から直接照明に変えよう、食べ物残さないようにしよう・・・・・と原因に手を打つべきなんです。働く・経済至上主義・進歩発展主義・物質主義の大幅な是正を今、勇気をもってやらないと、もう20〜30年くらいしか持たないのです。
多分あと10〜20年すると、私の言うことの正しさがわかってくると思います。(今わかってもらえないと手遅れなんですが)
「ニートやフリーター=悪」これら問題の若者をどうしようではなく、むしろ「こういう若者を生む社会」をどうしようでなければいけないのです。解決しやすい簡単なほうを選んではいけないのです。こういう解決のやり方を「生贄を捧げる」と言うんです。自分達がさんざやってる悪業を、自分たちのせいでなく生贄に背負わすのです。今はそれでなくてもこういう悪化現象が次々に毎日のように登場し、ひどくなっていきます。もし、ニートやフリーターをゼロにできたとしても、問題は何も解決していないのです。少子化についても同様ですが、安易に増やそうという対策を考えてしまうのです。そんな安易な対策では、本質的なことは何一つ解決されないことがわからないことが不思議でたまりません。
ところで、もし今、昔の人が現代人の生き方を見たとしたら、彼等は「こいつらとんでもいない堕落者達だ、どうにかしないといけない」と思うに違いないのです。現代人としては「どうだ、すごいだろう」ということなんでしょうが、我々がニートやフリーターに抱くもの以上に異常に感じることでしょうね。ニートやフリーターは、大きな病巣の単なる症状の一つに過ぎないのです。しかし根本治療をせずに、病状は悪化しつつ、時間だけが徒に経っていくのです。
そろそろ自由主義(勝手放題・やり放題公認)に代わる新しい社会のシステムを考えるべき時期にきているんです。社会がまだなんとか持ちこたえている内に、ノアの箱舟の設計と建造を開始しないといけなんです。人類の歴史総決算みたいなことを考え・実施するべき時期にきているんです。少子化なんてのも、金も時間もやるから子供を生んでくれという、その場しのぎの対策で誤魔化してはならないのです。
社会はいかにあるべきかを根本から考え直す時期に来ているんです。そういうと場合の基本理念は「子孫に美田を残すな」質実剛健の気風ではないかと私は思っています。
■改革とは、
@非常に大きな痛み(激痛)を伴う
A基本を根本から変える
Bきっぱりと現状否定する
なんですが、これらを皆避けているとすれば一見改革に見えることも、本質的には改革なんかとは言えるようなものではないのです。
19.WBC(世界野球大会)で日本が勝ったことはそんなに良いことなのか?
2006年03月25日 18時16分17秒 | Weblog
『物事の元凶は、物事を二つに分け、そのどちらに属するのか、白黒はっきりさせて、終えてしまおうとする心にある』
日露戦争の日本海海戦の勝利さながらに、WBC(世界野球大会)で日本が土壇場で奇跡的に勝ったということで日本中が大騒ぎし久々に明るくなっているようです。
そういう中で私の気分は、どうであったかというと、正直な話、嬉しかったし、日本野球の能力の高さに感激しましたが、その一方、少しへそ曲がりでは、ありますが、
「喜び半分・そうでない半分」「目出度くもあり目出度くもなし」というような気分でした。
@韓国の人達は、さぞかし頭にきているだろうな、ものすごい復讐を誓っただろうな
Aアメリカは、がっかりしているだろうな、日本の大相撲みたいに絶望しているのだろうか?
B長いこと世界一だったキューバも、残念に思っているだろうな、大いに反省しているだろうな
Cその他の国は、日本の勝利に関心さえないだろうな、チクショウ日本の奴め、覚えてろ・・・
Dニューヨーク・タイムスは、しきりに自国批判だ、米国野球選手は大いに反省したことでしょう
E喜びの絶頂は日本だけだ、「奇跡の優勝・実力世界一」だなんて手放しの喜びようだ
今回の日本の技術に感動し・学び、参加した他国野球の改革に結びつくことは間違いありません。今頃真剣に繰り返しビデオを分析し、研究していること間違いなしなんです。
逆に日本は他国から得る具体的なものがあったのでしょうか?かつてのバレーボールのように、「恐るべし日本」とばかり、急速に今回の日本の優れた技や戦術や練習方法まで分析され、吸い取られ、技術・秘術をまんまと盗まれることでしょう。早速、日本のコーチ獲得なんかやったりしますよ?油断してはいけません。次回のWBCは、コテンパンにやられますよ。一体、前回の日本の優勝は何だったのか?とならないようにしないといけませんよ。本当に勝つということは、とてつもなく厳しいことなんです。
■勝ちチーム(例:かつての巨人)
・喜ぶ
・奢る
・強いと思う
・チヤホヤされる
・問題点をつかまない
・目標を持たない
・祝勝会に振り回される
・緩む
 → 駄目になる
■負けチーム(例:かつての阪神)
・悲しむ
・謙虚になる
・弱いことを反省する
・非難される、なじられる
・問題点をつかむ
・目標を持つ
・即座に反省会をすぐに行う
・厳しい努力が始まる
 → 良くなる
どちらにしろ「勝つ」ことそのものは、結果に過ぎず、一時のハカナイ喜びでしかありません。大した意味はないどころか、むしろ以上のような弊害を生むことが多いものです。かつて大勝したために、その後急激に没落する選手や企業はどれだけあったことか。
日本がかつて日露戦争で、大国ロシアに勝ったことを思い出します。今回の日本の優勝は私にとっては、実のところ日露戦争の勝利のような気分なんです。日露戦争に勝った当時の日本は、提灯行列・花電車が繰り出し、祝勝ムード・日本強し一色だったと聞いています。まあ戦争でないからスポーツだから平和的だから素直に喜びたいとも思いますが、どうみてもタナボタですし、本物の初代チャンピオンなのかなー?
日本では、昔から、次のように言います。
@負けるが勝ち
A奢れるものは久しからず
B勝って兜の緒を締めよ
C勝てば官軍
D勝敗は時の運
E敗軍の将、兵を語らず
F勝てば負ける
日露戦争後、日本はロシアに勝ったことで不幸な状況に追い込まれていきます。そしてやがて第二次大戦によってアジアを中心に多大の苦痛を隣国および日本自体にも与えるように突き進んでいくことになるのです。
しかし他方、第二次大戦で、大空襲と原爆二発を落とされ、決定的な敗北によって、日本人の誇りとあらゆるものを奪われましたが、その後、結果的には、日本は世界の技術大国・経済大国にのし上がって行ったのです。
勝つこと、勝つことによって奢ること、お祭り気分になること、勝つことで自分を実態以上にすごいものと誤認することが不幸な結果をもたらすのです。
そういう意味から多くの諺が言っているように、勝つことは、むしろ結果的に大いに危険であることを認識しておくことが肝心です。
勝って悪いことはありませんが、
@異常なほどに勝とうとすること
A勝つことを異常に喜ぶこと
B勝つことで傲慢になること
C謙虚さを失うこと
ことは厳しく戒めなくてはいけないのです。というか勝つことなんかそんなに素晴らしいことではないのです。歌の歌詞にあるように「他人に勝つより自分に勝て」なんです。勝つというのは単なる方便なんです。もし、勝つことで思い上がり、結果的に自分を駄目にするしたとしたら、なんのことはないのです。
勝つことは単なる結果に過ぎないので、勝つ能力を持ち・不断に能力を高める努力を続けることこそが大事なんです。
日本人の私でさえ、今回の優勝は韓国であったような気がしていますし、韓国に優勝させてあげたかったと思います。日本に2回も勝っているし、勝率もトップだったということを忘れてはいけません。(日本は、韓国の言うように、恥ずかしい優勝でした。韓国の人々から日本は汚い国だと思われたでしょうね。恥を忘れ・失った日本選手に良い気分はしませんでした)3回も戦って3戦に勝つというのは確率的にも難しいことですよ。日本選手や王監督は、自分達が喜ぶ前に、韓国の健闘を贊え敬意を表するべきでしたよね。
勝ったら、心を失って大喜びするのではなく、むしろ余裕を持ち・寛容で広い心を持ち・自分の自惚れた心を戒めることこそが大事なんです。
江戸時代に宮本武蔵という大剣豪がいました。若い頃は勝つこと日本一の剣豪になることだけを目的に、剣術の果し合いの日々を過ごすのです。
しかしその武蔵が晩年は、他人に勝つことより自分に勝つことを目的に、大きく生き方を変えるのです。
今回のイチローは、正に若き頃の武蔵ほどではないにしろ、武蔵のような感じを受けました。いつになく冷静さを失い、独りメラメラと燃える、対戦国に対して問題発言を乱発していました。(もし日本人であれば、あんなことは言うべきではありません。ああいう礼を失した物言いは、武士道精神の日本人としての発言ではありません)
「30年は日本とは戦いたくはない」
「負けて、最も屈辱的な日であった」
結果的に日本が勝利したからこのイチローの発言は、賞賛さえされていますが、韓国の3戦目に負けて、まかり間違って決勝で負けていたら、イチローは長いこと、大いなる非難に曝されることになったでしょう。多分イチローは、心の底から、ホッと胸をなでおろしていると思いますよ。
「30年は日本とは戦いたくはない」というのは、実際にはそんなにも強くはなっかたのですから、全く失礼かつ・いい加減極まりない発言であったと強く反省し、できれば謝罪すべきでしょう。まあ「もう後の祭り」ですが、口は災いの元です。
武蔵同様に劇的に勝利したからこそ、許された発言だったのです。まあ「絶対に負けてはならん」イチローは一つの大きな賭けに出たのでしょう。失いかけていた日本チームの気迫を、挑発的とも言えるような(アメリカ的)、殊更に強い表現で世界に示したんでしょうね。
彼は意外も意外、ここ数年アメリカで勝っていないのです。そういう意味で、今回は、なんとしても勝ちたかったのでしょう。特に日本人として勝ちたかったのでしょう。勝てないマリナーズで骨を埋めることになるとすれば可哀想な気もします。これも、イチローだからこその神からの誠に有難き大試練なんでしょうね。でも今回、神様は、粋なプレゼントを彼に与えたのです。神のご加護をもらうイチローはすごいかもしれません。
今の時代は、勝ち組/負け組というように分けるのがはやっていますが、そういうことは事実ですし、勝ち組になる努力も必要だとは思います。負け組にどっぷり漬かっている若者は、ゾーッとしますし、軽蔑の対象でしかありませんし、負け組の人や会社は、やはり、あまり良いとは思えませんからね。しかしその上でも、やはりそういうわけ方は、どちらに属するにせよ良いことではないような気がします。「負け組は駄目・悪い・無用というように断定する」のは間違っていますし、社会全体としては危険なことです。
私は次のように思います。
@勝つことは大切なことであると思っています
Aでも勝つことを最終の目的としてはいけない
B負けても相手を讃えよう
C争って、我を忘れないようにしよう
D勝って、おごる心を戒めよう
E負けることも、大いに価値がある
F負けた相手のことを、思い遣ろう
G勝ったら、勝ったことに捕われず、淡々としていよう
H勝つということは、相手を打ちのめすことではない
I勝ち負けに、こだわらない強い心を持とう
J勝ったからと言って、それほど大したことじゃない
K豊かな時代に、勝つということはさほど意味がない
L現代においては、勝つことより協力や協働が大事
M他人に勝つことより、自分に勝て
N勝つことで多額のお金や名声を得ようとするのは戒めよう
O勝ち負けというのは、争う心から生じている
P勝つことそのものが目的になることは良くない
Q勝つことを周囲が異常に賞賛し過ぎるのはいかがなものか
R人間は自然に勝つことより、自然に負ける(従う・妥協する)ほうが良い
S負けてもガッカリすることはないむしろ、負けた原因を考え努力研鑽しよう
第二次大戦で敗戦後、食料も物も娯楽もない時代に、水泳の古橋選手のように、日本の選手が競技で勝つことは、日本人の荒んだ心に恵みと勇気と元気を与えたことでしょう。しかし今日のように豊で便利な時代に日本の選手が勝ったといって大騒ぎ・大はしゃぎするのは、おかしいというか、子供じみていると思わざるをえません。
むしろ恵まれない国の選手が頑張って日本を打ち負かし喜んでいれば、一緒に喜んであげることが日本の役割なんではないでしょうか?わざと負けることはありませんが、気違いのようになって勝つことに執着するのは大人気ないことだと思うのです。
子供と競技してムキになる大人は最低ですよ。
ところで、自然のことに話しを転じますと、自然は勝つなんてことを考えていません、淡々とやるべきことをやっているのです。私はイチローのそういう姿が好きでした。でも今回のイチローは私にとってはややがっかりでした。(彼は若い日本選手のためにあえてああいう態度をとったという人もいますが、多分そうなんでしょうが、もしそうだとしたら、「そんなことイチローにやらすな」と言いたいですね。やはり、彼は表面的にはクールなほうが似合います)
若いのに神様のように思えるほど素晴らしい人間と思っていましたが、やはり彼もまだ若い一面を残していたようです。そういう意味では、むしろ、ある意味安心もしましたが。「大人以上に大人のように見えたイチローもまだ若者のようであった、まだまだ修行することが残っていた」と思ったからです。あの歳で出来すぎていることはむしろ、気持ち悪いし、人間を小さくするだけです。
あんなに勝ち・負けにこだわる尻の青さも持っていたんだ。勝つことは負けることは若者の特権であり、そこから学ぶものも多いのです。若者は大いに勝ち負けにこだわれ。
 ・若者は、大いに勝ち負けにこだわるべきだ、だって若者は未熟で不完全なものだから
 ・大人は、勝ち負けにこだわり過ぎてはいけない、大きな落とし穴に落ちる危険があるから
 ・老人は、勝ち負けにこだわってはいけない、老人にとって自分に勝つことが大事だから
日本という国は高齢化し、大人になろうとしているのですから、勝ち負けにこだわるような子供じみたことを卒業しないといけないと思います。
今回WBCの試合を見ていて、貴方は次のどれでしたか?今回の真昼のテレビの視聴率が50%くらいということからすると、@とCが多かったのでしょうね。私もどちらかというと@でしたからね。
でも私は最近は、少しづつですが、冷静にAやBになりつつあるのです。というか、そういうように見るように変わろうとしているのです。
@カッカして、日本の勝ちに非常こだわって観戦していた
A日本の勝ち負けには関係なく、淡々と野球を観戦していた
B日本とか他国とは関係なく、良いプレーそのものを楽しんだ
C観戦はしなかったが、日本が勝って非常に喜んだ
D観戦もしなっかたし、日本が勝ったこともどうでもよかった
E全くなんの関心もなかったもなかった
最後に負けることについて、特に大人・老人に一言
 ・甘んじて負ける
 ・負けることを楽しむ
 ・負けることを栄養源にする
 ・負けることに喜びを感じる
 ・負けることに負けるな
 ・勝つことに勝ち誇るな
負けることを知り、笑みを浮かべ平然と負ける人のほうが、より勝利者に近い
  (負けられない者は、臆病で、ひ弱で、自信がなく、脅え、いつも身構える)
負けてグジグジ言うのは、最も最低です。
@徹底して節約(無駄取り)
A徹底して謙虚(謙遜)
B徹底して努力(勤勉)
C徹底して愚直(素直)
D徹底して明快(明るく・快活)
E徹底して誠実(真面目)
F徹底して親切(思いやり)
G徹底して健康(食事・運動・良習慣)
H徹底して自然(あるがまま)
I徹底して工夫(創意・創造)
J徹底して反省(懺悔・悔悟)
K徹底して労働(汗と涙)                
18.格差拡大というが、悪いことなのか?
2006年03月20日 09時31分07秒 | Weblog
景気が安定的に良くなってきて、収入も支出も増えているのだそうです。
しかし副作用でしょうか、格差というものが顕在化してきたようです。どこの国も最近は格差というものに悩み始めています。
中国もロシアもインドも欧州でもどこも格差がどんどん拡大しています。むしろ日本なんかは、まだましなほうです。昔に比較すると、日本は豊かになったための格差というようなレベルだと思います。しかしその日本でさえも、格差で深刻に悩む家庭は増えています。景気拡大が急務で、それに伴って発生している深刻な底辺や貧困家庭やホームレスまで考えや政策が行き渡っていないのは事実です。
しかし格差そのものが悪いことかというと、そういうことを言い切ってしまうことは問題があります。というのは不景気から脱出するには、頑張ってくれる人が多くないと困難なことです。とういうことは、格差拡大は、景気回復の当然の結果でもあるのです。
すなわち抗癌剤を打てば吐き気や抵抗力が落ちるなどの弊害が伴います。そういうことを知っていて抗癌剤を投与してもらったはずです。格差拡大というのは事前予想されていることなんです。自由主義の社会とはそういうものです。努力しない者や能力の低い者を豊かな者が助けはしますが、ある程度の格差を我慢をしなくてはいけないのです。いやむしろ格差を認める社会のコンセンサスが必要になるのです。そしてできた格差をなくすようなマイナスの努力でなく、問題となる格差(穴ぼこ)だけを埋めていく努力をするべきなんです。
野党が格差拡大をあたかも小泉さんの改革の失敗のように言うのはおかど違いです。格差拡大は抗癌剤同様にあとで検証し必要な対処を施すべきことなんです。ということで、景気回復という大目的に対して格差拡大というのは、むしろどちらかというと、狙らっていることなんです。野党の人やある種のマスコミヤ評論家は「格差拡大はけしからん」という論調になりがちですが、それは大きな間違いです。インドも中国もロシアも格差拡大は問題ではありますが、そうは言いながら、それによってその国の景気は良くなっていってるのです。
大都会と地方の格差が拡大しているとも言いますが、そんなことは今でなくとも昔から明らかなことで、経済的な格差はあるが、逆に相当に恵まれた自然環境が地方にはあるのです。地方に住んでいる人はそういう覚悟は必要です。都会を見るからそういうことを言うのですが、ここ50年地方から都会にどんどん人が流れてきたのです、貴方はそういう中で田舎を選び続けてきたのです。
現代人や豊かな国では、格差を全面否定してはいけないのです。だって自分で住む場所や職業を選択する権利や自由があるのですから、共産国家や非民主国家ならともかく日本では、「格差がけしからん」というのは禁句なんだと思います。格差と弱者は違います。民主主義国家でも、弱者は助けてあげるべきです。でもいくら弱者でも、まったく努力もしない人や企業や県を助けるというのはおかしな話です。
昔、農業に多額の補助金を出したことが日本の農業を歪めてしまったのです。彼らは弱者に甘んじてしまい、自助努力を怠り続けたのです。場を提供するチャンスを与えることは必要であっても、努力をしないような支援政策は絶対にやってはいけません。
ところで格差拡大していることは悪いか良いかという議論を横に置いておくと、格差拡大が進展していることは日本もいよいよ本格的な景気上昇局面になっていることを暗示しています。ここ10年、格差がない時代が続きましたが、結果は景気悪化・不況の元凶だったのです。
「格差拡大=やる気のある人が頑張っているということ」なんです。国も企業も個人も意欲のある者が多いほど、格差拡大するのです。そして勝ち組と負け組みに分かれるのです。勝ち組/負け組についてもすぐに「けしからん」という人がいますが、そういう人は不景気を肯定していることになるのです。一方で景気を良くしてくれ、でも勝ち組・負け組はけしからんというのは大きな間違いであるのです。
昔、高度成長期の日本では、まさに「熾烈な競争の日々」でした。今はフリーターとかニートとか気力の失せた若者や高齢者が増えていますが、問題なのは、むしろ負け組・格差の底辺の人々なんです。このことをもう一度思い返して欲しいものです。昔のように異常なほどエコノミックアニマルになるのは問題ですが、頑張るとかハングリー精神というものは、いつの時代でも大切です。
  @当たり前のことをきちんとやる
  Aやるべきことは、徹底してやる
  B自分自身を厳しく見つめ、磨く
  Cそして本物の自由と安楽に浸る
やるべきことをやらずに「格差拡大反対」「負け組に手厚い保護を」というのはお門違いです。そういう考えが日本や先進国家には蔓延っていますが、それこそが大きな問題の根本だと思います。思い出せ「ハングリー精神」「がんばり精神」。フリーターやニートという人にチャンスを与えることは大切ですが、ただでお金を与える(保護)は、最悪の愚策でしかありません。もっとも日本ほどチャンスが多く、環境に恵まれている国はないのですがね?
 先頭集団がまず頑張る →結果を出す →格差が生じる →格差をバネに頑張る
日本は、あまりに恵まれ過ぎてしまったのでしょうね。白隠禅師のお言葉のように「衆生近くを知らずして遠く求むるはなかさよ、例えば水の中に居て、渇を叫ぶが如くなり、長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず」
最後に、格差の話ですが、格差が開くほど、格差が問題になるほど、二・三年は日本の景気は、かなり上昇するということですかね。
逆にもしさほど格差が開かなかった場合は、日本の景気もたいしたことがないということができるように思いますし、もし、またまた同質社会に戻った場合、日本は、厳しい苦しさが、再びぶりかえすことになってしまいます。
17.無能で不誠実な政治家や役人の思いつきの対策にまかせていいのか、またまた失敗するのでは?
2006年03月10日 15時52分43秒 | Weblog
「デフレから抜け出したい」「物が売れなくて困る」「少子高齢化が進み、財政がますます厳しくなる」と言って、テレビやマスコミで騒いでいますが、私には何故か素直に理解し賛同できません。バブル崩壊によって、ある意味せっかくエコノミックアニマルから卒業できたのに、またまたエコノミックアニマル的な対策をやって景気が良くなりさえすれば、それで良いとなりそうなんです。これからの日本はもっと精神的なリーダーシップをとる世界をリードする誇り高い国を取り戻していくことが大事だと思うのです。
昨今、大問題のように言われ、マスコミでも、かんかんがくがくの議論がされています。しかし冷静に考えると、そんなに簡単に良い・悪いと断言できることではないように思います。というのは、こういう現象は、それぞれ理由があってこうなってきたのであって、昨日・今日急にそうなったわけではないのです。もし大騒ぎするのならもっと早くすべきことだったはずです。例えてみると、「若気の至りで不摂生をしていた人が、ある日突然癌になった、さあどうしよう?」というような状況なんだと思います。
しかし、そんな場合でも、そのまま、ありのまま受け入れるしかないと思いますし、とってつけたような対策をやっても目覚しく状況が良くなることは期待できないのです。無能で私利私欲に走る政治家や役人ども一部の学識経験者がデフレ脱却・景気拡大・人口増加が必要だと真顔で言い、対策を考えているらしいのですが、これは、ひょっとして、またまた彼らの陰謀ではないかと疑うほどです。また国民は騙されているのではないでしょうか?大丈夫ですかね?そのうちインフレになった時になって、デフレに戻してくれ・資材の価格を安くしてくれ・人口が少ないほうがいいなんて言わないでしょうね?「質より量」ということには懲り懲りしているんです。頭も根性も悪い政治家や役人が思いつきで、見よう見真似で数字合わせ・形だけ合わすことは、またまたとんでもない悪い事態を引き起こすようないやな予感がします。
バブル崩壊では思い切り騙されましたが、彼らは謝罪もしないし、責任もとりませんからね。
少なくとも、政治家の先生達が大騒ぎし、いっぱい面舵をとるほど、私には悪い状況ではないように思えるのです。政治家や役人は重要なことをやるのは遅いのに、つまらんことは思いつきで、どんどんやりますから危なくてしょうがありません。
いくらデフレと言っても、物の価格がただになることはないのですし、人間もそんなに馬鹿ではありませんから、いつかは自然に止まるはずです。一面だけでなく多面的・長期的に見てみることも大事ですよ。物事は良い面もあれば必ず悪い面もあるのです。逆に良い面があるということは、同じくらい悪い面があるのです。「馬鹿は馬鹿なりブスはブスなり、貧乏人は貧乏人なり」で良いのであって、それらが悪いと身勝手に決め込むのは、むしろ危険なんではありませんか?もっとゆっくり時間をかけてやる、それよりも無駄な歳費の出費を大幅に減らすことのほうが先決なんではないのでしょうか?
1)デフレ:物の価格が下がるんだからいいじゃないの?
2)物が売れない:資源が無駄使いされなくていいじゃないの?
3)人口が減る:世界は人口が異常に多くて困ってるんだし、人口減れば暮らし易くなるんではないの?
何も悪いことなんかじゃない。勝手に悪いと考えているだけだ。彼らは、底の浅い屁理屈を何だかんだと彼らの都合の良いように振り回すだけなんです。
物事というのは、本来あるがまま・自然にまかせればいいんじゃないですか?なんじゃかんじゃと現状に不満を漏らす奴にろくな奴はいないんです。
無能で根性の悪い政治家や役人なんかが、あわてふためいて、下手にいじくりまわすから世の中結果的に、どんどん悪くなっていくんです。
病気なんかも悪い時は、薬や注射もいいですが、できればゆっくり時間をかけて直すのが一番ですよ。
世の中を良くするためにもっと大切なことは、自分自身を磨くことなんです。自分以外のことに解決策を求める、他に依存する、下手な対策を打つ、保護政策に頼るのは邪道でしかないのです。
日本では1970年以前は、為替が1ドル360円くらいでしたが200円更に100円台に急速に円高になってきました。最初は大騒ぎをしました。でもその後円を安くするように対処したかというと、そのまま円は高いまま今日に至っています。当時日本人は、円高になって困りはしましたが、一生懸命努力し円高をそのまま受け入れ、今日に至っているのです。変な抵抗はしなかった、でもかえって、おかげで日本は豊かになったのです。世界の一流の仲間入りができたのです。
そして今為替は100円〜120円を自由にうごめいているのです。実に自然です。自然にまかせているのです。困ることがあるとすれば、大した理由もなく、急激に為替が上下する時だけなんです。
アフリカで深刻な絶滅の危機にある動物を保護したところ増え過ぎて、結果的に殺すことになったことがあります。絶滅の危機だから手を打つというのはいいことではありますが、本来から言うと可能な限り、自然にまかすのが最高の策であると思うのです。人の知恵は、所詮猿知恵以下ですから、「人が良かれと思ってやったことがかえって状況を悪化することがある」ということを夢夢お忘れなきように。
「アジアの国で、ある日本人が、現地の人がよく働くので金を余分に与えたら、翌日からとたんに働くなくなった」という話があります。理由を聞いてみたら、「お金がこんなにあるのだから働く必要はない」ということだったらしいのです。そういう意味からすると日本なんかはこれ以上何を望むの?と言いたくなるのです。日本では景気が悪い給与が下がった財政赤字だと言っても「食べるものも・寝るところも・雨露しのげる家も・全てが揃っているのに」と思うのです。強いて言えば今すぐに果敢にやって欲しいことは、無駄な歳出の大幅削減くらいでしょうかね。
・人口が減るのなら、当面はそのまま受け入れて、「子供生めば金やるぞ」みたいな変な対策をやらないほうが良いのではないかと思います。日本の農業がお金ばらまきをやってきたために、外国に比べて数倍高い野菜や米を買うはめになっているのです。沖縄なんかは、普通に子供を沢山生んでいるそうですよ。お金もらえるから子を産むなんておかしいですよ。
高齢化ということは、素晴らしい高い能力を持つ有能な人材が沢山巷にあふれてくることであり、若者は、そういう人に教えてもらうことができるというわけです。こんな素晴らしい状況がかつてあったでしょうか?
むしろ逆転の発想で日本の人口をひとまず半分くらいにして、頭数より有能な日本人を育てる、労働は、若者の数十倍働くロボットに任せればいいんです。そういう国家戦略のほうが長い目で見て日本にとっても世界にとってもいいことじゃないのですかね?なにしろ、これからは人口が多い国は、むしろやばいですよ。大企業が膨大な社員かかえて困ったことを忘れてはいませんよね。食料不足・資源不足になった場合人口が少ないということは、それだけあれこれ有利なはずですよ。
世界は人口増加と多くの人が贅沢を始めたことで資源や食料の枯渇の危機に瀕する前夜なんです。無能議員や役人どもや学者さんに、まかせないで、国民自らが、皆で深く考えないといけませんね。
・「デフレを解消するのにインフレ目標をあげて」なんてのもおかしい話ですよね。物が安くなるのは、貧乏人や高齢者にとっては、結構な話なんですよ。それどころか日本の物価は、まだまだ外国に比べて異常に高いと言われているのですよ。
またそんなことしなくても、物価はどんどん上がっているのですよ。皆様が想像できるかどうか疑問ですが、間もなく更にびっくりするほど急激な物価高に悩まされることになるのです。
少なくとも私にとってデフレではぜんぜん困っていませんし、むしろ非常に恩恵を蒙っています。無理やりインフレなんかにして欲しくないのですがねー。
・国民がそこそこお金を持っているのに、物が売れないなんて、よくよく考えれば、素晴らしいじゃないですか?買わなくて済ませれば、資源やエネエルギーの消費が抑制されていることになるのです。お金を使わないでなんとかしているということなんです。これぞ、循環型社会のお手本のような昔の日本の暮らし方そのものなんです。自動車止める・家は中古マンションにする・衣服は買う必要はない・贅沢な食事は止める・海外旅行なんかも止める・酒とタバコを止める・冷暖房も止める・携帯も控える、それで十分お釣りがくるはずですよ。
昔は衣服が破れても母親が夜なべして繕い、兄の衣服は弟にお下がり、物はとことん修理して使いました。食べ物なんか残すなんて絶対にしないし、捨てるなんて考えられませんしとんでもないことでした。
景気が悪い収入が少ないと言ってるわりに日本人の無駄使いの習慣は改まっていないのです。むしろもっと無駄を減らすべきじゃないんですかね?ところがそろそろ昔のように無駄や贅沢を始めたいのか、安易に「景気上げよ・給与あげよ・人ふやせと」、右肩上がりの再来を夢見るのです。
日本の場合、もし景気が良くなって、物価が上がっても、個人の収入が劇的に増えるわけはありません、かえって一般の人の生活は苦しくなっていくようにも思います。
最近の人件費は、中国やインドなどの低賃金の国と比較されて評価されるのであって、日本人の生活が贅沢だから、日本人の給与が高くて良いという理屈は通らないのです。どんどん資材の原価が高騰すると、そのしわ寄せは、更に人件費にくるはずです。もし給与をあげてもよいという理屈がとおるとすれば、その時は、日本からは多くの企業や工場は無くなっていくか、ロボットや自動機械に置き換わっていくことになるはずです。
下手に景気がよくなったり、インフレになって困るのは一般の人々なんです。そういうことを冷静かつ客観的に考えておかない、あとあと「そんな馬鹿なことはあるかい」と言ったところであとの祭りになるだけです。
まあ私の言いたいことは、自然にまかす。もっと昔の生活スタイルに戻れということなんです。高齢化して病気になり死ぬなんてことは、昔は当たり前だったのです。むしろ高齢化社会なんてのは愛でたいことなんではありませんか?
松下幸之助さんが会社の講演でしょちゅう言われていました。「”自然治癒力”というものが人間や自然界には、備わっているから、その力を最大限に活用すべきだ」とね。
「下手な考え休むに似たり・果報は寝て待て・待てば海路の日和あり」
大切なことは「自然」に戻すこと。不自然が一番いけません。
なにしろ無能で不誠実な政治家や役人におまかせというのはなんとも怖い・恐ろしい話ですなー、ゾーさむーい。どんどん日本はそれこそ三流国家に落ちていくように思います。このままでは、日本の祖先がえいえいと築いてきた誇り高き伝統を失っていくようなことを大いに懸念します。経済なんかよりそのほうが心配ですが、すこぶる無能な政治家・役人は、どうも枝葉末節のことばかりやり・やり方もお粗末極まりないように思います。
私が、いつも政治家や役人や学者さんは無能と言っていますが、冗談でなく、彼らは一見良さそうに見えるだけで、本当に正真正銘の無能・無気力・無責任・無力・無知な人々ですよ。絶対に信頼なんかしてはいけませんよ。私なんか、ずーと以前から、できれば、彼らのいない国に亡命したい又は彼らを国外追放したいと何度も思っていますからね。
13.何事も徹底してやれ!我が事務所の「捨て捨て作戦捨て作戦」の巻き「たかが捨てる・されど捨てる」
2006年02月07日 16時35分11秒 | Weblog
最近歳のせいもありますが、経営コンサルタントである立場上、少しでも人様の手本になるように、自分をきちんと鍛え直す意味で「なくす」「ゼロに戻す」「原点に帰る」「整理整頓」みたいなことに目覚めはじめたというわけなんです。人間のもっともいけないことは無用なものを捨てきれないということであるようです。貴方も、そういうことでお悩みのことが何かありませんか?
未曾有の困難な事態を迎えている日本も、難しいことを言ってないで、政治主導でトヨタの「徹底した無駄取り作戦」を是非やるべきです。まず役人が信じられないような悪いことや無駄なことをやって、税金を無駄使いしたり、自分たちの懐に入れたり数々の不正を働くことだけでも、非常に大きな財政負担なんです。まず悪いことしかしない役立たずの役人を切る、次に悪いもの、不要なもの、無駄なものをバッサバッサと切ることです。そんなことすらできず、世界一膨大な借金があるというのに懲りずに不正役人の言うなりに高額の予算を計上し、繰り返し、役人の不正が明らかになるようでは、日本の政治家・地方(痴呆)議員もとんでもなく無駄・無能ですね。そういう無駄・無能な人が政治家をやっているんですから困ったものです。
私の座右の銘(http://www.meico.org/zayuunomei.html)にも、最近次のようなものをかかげました。
@人生の目的は、金・贅沢・豊かさ・楽・名誉・名声じゃない、人間の完成である くれぐれも本来の目的を見誤ってはいけない
A得れば得るほど失っていることに気づかない、貴方はどんどん失っている(基本式:「得る=失う」「失う=得る」/「会う=別れ」「別れ=出会い」)
B人間は「全てを失った感覚」を持って日々暮らすと、随分幸せを実感するものだ
 多くのものを失った人が言ってた「裕福な時より、今は全てが有難いことばかりだ」
 「あれもこれも欲しい、あれもこれも持っている、あれもこれも失いたくない」は不幸の元
C一度全てを失ってゼロの状態から考え直し、出直し、一生に一度生まれ変わるべきだ
D腹すかないのに食べてはいかん、腹すかないのに貪り食えば当然身体はおかしくなる
といった具合で、この歳になって昨年末から、やっと身の回りの整理整頓から始めているのです。会社さんや個人のお宅にお邪魔したり、テレビでお宅を拝見すると、最近は、物であふれかえって整理整頓のせの字もできていない状況を、数多く見うけます。
1〜2月に京都事務所を大掃除した結末報告(まだ最終目標の70%くらいでしょうが、それでもかなり片付きました)
@本70%(150冊)(50kg)
A小物30%(10kg)
B家具5%(3個)(20kg)
C資料60%(20kg)
D洋服30%(40)(20kg)
E袋・包装材60%(30枚)(5kg)
F傘30%(4本)(1kg)
G花瓶・装飾品30%(20kg)
H靴10%(5)(1kg)
I古い食品・乾物20%(10kg)
J布団5%(2)
Kついでにレイアウト変更と素人大工で改造をしてすっきりしました。
昨年もすでに280kgくらい捨ててますが、更に約220kg合計500kgを捨てたというわけです。さすが、かなり整然としますよ。タバコの禁煙で言えば、1日30本吸っていたのが、どうやら吸わなくても我慢できるくらいのレベルでしょう。
@気分が良く、すっきりする
Aスペースに余裕ができる
Bごちゃごちゃ感がなくなる
C掃除が楽になった
D見た目もきれいになる
E物の所在が明確で、すぐに取り出せる
Fやたらに物を買わないようになる
G作業や全ての効率が良くなる
Hお客様への印象が良くなる
I部屋を親がきれいにしたことが、子供にも好印象を及ぼす
J精神的に達成感と満足感ができ、しゃきっとする
Kだらしない自分をおさらば、人間が一段格上げされたような実感
桃太郎さんの昔話をご存知ですか?「ある時山の上流から大きな桃が流れてきて、お爺さんとお婆さんが拾って桃をわると中から桃のような男の子が出てきて、大きくなって鬼が島に鬼を退治に行き、金銀財宝を持ち帰った」という話なんです。まさに捨て捨て作戦は鬼が島の鬼退治そのものなんです。
ちなみに、捨てるのは結構抵抗感があり、過去に大金で買ったものは未練があって、なかなか捨てられません。そこで目標を立てます。
目標例えば
・100kg捨てる
・5年間使ってないものは全て捨てる
・場所を20%増やす
・ここ5年使わんものは原則として全て捨てる
・それぞれ20〜60%廃棄
そして作業の間中、勢いをつけるために、次のように声をあげておりました。悲しいことに、勢いがないと捨てられないのです。つい捨てる手が鈍るのです。まさにテレビでおなじみのゴミ屋敷のお爺さんやお婆さんがゴミを捨てられないのと同じ心境なんです?
「捨て捨て作戦捨て作戦」
これを呪文のように何回も唱えて捨てていきました。
ちなみに、捨て捨て作戦は3カ月から長い場合で、1年くらいは覚悟して下さい。かなり捨てた、これで終わりと思っても不徹底で、5ステップくらいに分けて捨てていかないと最終目標がクリヤーできないはずです。なかなか一度で全てのものを捨てきるのは困難なものです。
人間は過去に未練が残るものですから「火事にあったと思え」「洪水にあったと思え」「どっちみち使わないぞ」「未練たらしい心を捨てることこそ意味あることだ」と元気づけることです。
それでも捨てていくうちに、段々捨てることが苦痛から快感になっていくにつれ、最後には「よくもまあ要らんものを多く買ったもんだ」「どれだけ無駄な金を使ったんだ」「愚かな自分だ」と反省しました。
いよいよ、捨てるものがなくなれば、次は「買わん買わん作戦買わん作戦」という呪文も合わせて唱えていきますかな。
程度の差はあれ、我々の住む部屋は、言うなれば「テレビでもおなじみのゴミ屋敷」みたいなもんです。あの爺め「なんであんなしょうもない汚いものを、屋敷の内と外に貯めているんだろう、近所の人は大迷惑しているというのに、わからんのかい?」他人のことは、そういうふうに非難するわりに、自分のこととなると、要らんものを部屋中散らかして、わざわざ部屋を狭くし、能率を悪くし、雑然とし、年中物を無くしたと言っては探しまっくているんです。
部屋も心も同様です。貴方の心の中も、要らんものが沢山詰って身動きとれないゴミ屋敷のような心の状態になっているはずんです。心を整理整頓する前に、まず簡単なところで、手始めに部屋の整理整頓をやってみてはいかがですか?案外難しいですよ。「たかが捨てる・されど捨てる」でしょうか?
捨てるなんてどうでも良い、些細なことと考えてしまいがちですが、さにあらず、まず捨てないと大きなことは始まらないし、結果はうまく行かないのです。そいうことは大事の前にはまず捨てることです。
捨てるとは過去との決別・過去の清算・過去の反省・新たな旅立ちなんです。
多くのくだらないものを持っているから肝心のものを得ることができない。だからまず無用なもの(無駄)を捨てることです。
捨て捨て作戦がうまく行かない場合はご一報下さい。駄目先輩としてお手伝いしますよ。
12.増える偏りたがる現代人へ、偏ることの危険性について
2006年01月30日 18時04分52秒 | Weblog
私は、人間を二つに分類し次のように定義しています。
人種1:カタヨリスト(どちらか一方に偏りが大きい人)
人種2:バランシスト(両面を心得て、妥協しつつうまくバランスをとっている人)
人間というのは、多少程度の差はあっても物事の両面を受け入れて、その間をやじろ平のように左右にゆれながら、平行を保つようにできているのです。そうしないで、一方向に固定する又は偏ったまま放置しておくと、必ずと言ってよいほど、不幸や事故や失敗をしてしまうのです。自動車の運転でさえ、真っ直ぐに走っているのでなく、ドライバーが常時ハンドルを左右に微妙にふらしているからむしろ安全なんです。
わかりにくいかもしれませんので、例で説明しましょう。
1.肉が好きで肉食に偏ると、高血圧や肥満や癌やその他重症の成人病の元になります。肉は身体に良いからと言って肉中心の食生活をすると身体を壊してしまうのです。
2.拝金主義と言って世の中には、「金よ金さえあれば幸福になれる」みたいな人ですが、こういう人は、金で買えない大事なものを失っているのです。
3.頑固な人というのは、身の回りにすこぶる多いのですが、言うまでもなく典型的なカタヨリストです。
4.女は美人なら誰でも良いという男、美人であればすぐに惚れてしまい結婚したがるが、結婚した相手が中身のない女だったとしますと「とんでもない奴と結婚した」「顔はいいが家事はしないし、つまらん女だった」と一生後悔するのです。
5.頭の良い人は何事もまず頭で考えて良い・悪い、やる・やらないを判断してしまいます。物事はやってみないとわからないということが、理解できてないのです。いわゆる頭でっかちで悪賢い人々です。
6.「身体が丈夫で健康には絶大な自信を持ってます」なんていう人に限って、そのうち大病をし寝たきりや若死にしてしまうもんなんです。
7.戦後日本は欧米流は何でも良いと日本式の良い面をあれもこれも捨ててしまいました。しかし最近欧米人は、日本の文化のたぐい稀な素晴らしさを見直しているのです。
8.秀才で一流企業に入り、見目麗しい女性と結婚し会社での働きも素晴らしい世間一般が羨むような、出世街道のレールの上を歩む三高、四高の男性ですが、はたが見るほど、言うほど、幸せではなく、本人は人生の夢も希望もなく土日は家で一人モンモンとしてぐったらぐったら暮らしている。
その他例をあげればきりあありません。
諺でも次のように偏った考えや行為を諌めたものが多数あるのです。ということは安易に偏ってしまうのが、さもしい人間の宿命であるということなんでしょう。
「紺屋の白ばかま」「木を見て森を見ず」「医者の不養生」「過ぎたるは及ばざるが如し」「急がば廻れ」「負けるが勝ち」「禍福はあざなえる縄の如し」「一病息災」・・・・・
自然は、よく見ると、物事の両面を巧みに調整して安定を維持しています。同様に人間も両面をきちんと持ってバランスをとりながらやっていかないとうまくいかないものなのです。へんな言い方ですが、「二重人格」というのはある意味望ましいことなんです。例えば、男女(おとこおんな)のほうが女だけ男だけより望ましいというわけです。
やじろ平は、左右に身体を振らすから立っていられるんです。真っ直ぐではないがフラフラゆれながらも容易には倒れないのです。綱渡りをする芸人は、長い重い棒をもって綱の上に乗ります。やってみればわかりますが、この長い棒を持たずに綱渡りするのは至難の業なんです。
二足歩行する人間は、実を言うと人間はまっすぐに立っているのではなく、常時左右に触れながら微調整しているから立っていられるのです。左右にふれずにまっすぐに立っているだけですと、力がどちらからかかると簡単に倒れてしますのです。
人は、「カタヨリストは危険でバランシストはより安全だ」という原理原則をきちんと認識していないものなのです。又は日々の生活や仕事にこの考えをきちんと使っていないのです。多くの人はカタヨリストだということです。人生は時々、日々、毎月、毎年右に行ったり左にいったり上がったり下ったりするもんなんです。右にも左にも上にも下にも行かないような人生は多分実りのない、むしろ不安定で危険な人生なんです。
幸福・成功・勝利・健康・裕福・・・だけが良いのではありません。不幸・失敗・敗北・病気・貧乏を体験して始めて一人前とういうか本物の安定が訪れ、本物の安心が得られるのです。
もし今貴方が一方に偏っていたら、それは大いに危険信号ですよ。幸せの絶頂は不幸の前夜かもしれないのです。(偏食・偏屈・偏見・偏執・偏狭・偏愛・・・・)
@俺は男だ女のことなんか知るか
A俺は客だ偉いんだぞ
B俺は強いんだ、弱い奴はぶっとばすぞ
C金のない奴はもっと努力しろ、俺の知ったことか
D俺は身体が丈夫だ、無理しても大丈夫だ、病気なんかするもんか
E俺は上司だ部下をこき使うのが仕事だ、てめえたち働けよ
F日本人は戦争犯罪者だ、何でも謝っていればいいんだ、絶対に許すもんか(中国・韓国人)
G親は文句ばかり言いやがる、親なんかいらんのだ
H俺はいつも正しいし、他人の言うことなんか、馬鹿馬鹿しくて聴いてられないぜ
I俺は肉が好き、野菜や魚なんて不味くて喰ってられるかい
J俺は医者の先生だ、患者は俺の言うとおりすりゃいいんだ
K年寄りは、汚い・臭い・うるさいだから嫌いじゃ、あっち行け
Lきちんきちんと真面目な奴は嫌いだ、しんき臭くてたまらんわ
M人生は、今を楽しみ面白おかしくしていればいいんだ
N勉強なんかやってられるかい、遊んで飲んで喰ってやりたいことやるだけで誠意一杯じゃ
O金持ちはなんでも好きなことができるんじゃ、貧乏人なんか付き合ってられるかい
P俺は社長だ、社員は俺の言うこと聴かんと給与下げ、降格し、俺の一言で首にするぞ
Q好きな人と結婚すれば、必ず幸せになれる「愛しているから幸せよ」
R大きな会社に入って、失敗せず、出世していけばそれでいいんじゃ
S修行だなんて嫌じゃ、なんでそんなしんどい思いせないかんのか
・・・・・・・・・・
雨が降れば晴れの日もある、雪の季節があれば草花で一杯の季節もある、寒い日もあれば暖かい日もある、それが自然界や人生の重大な法則なんです。むしろそういう「ゆれ現象」を前向きに取り入れて健全な発展をしていくことが人間にはもっとも大切なことなんです。
一本調子の貴方、マンネリの貴方、頑固な貴方、元気のない貴方、冒険をしない貴方、家に閉じこもっている貴方、化粧や衣服にしか感心のない貴方、美人の尻を追い回すだけの貴方、一日パチンコばかりしている貴方・・・・・・もっとあれこれやってみなはれ。
「失敗した・とんでもないことになった」ですって、それはそれで良いことなんですよ、夜も眠れないようなつらいこと、何年ももがき苦しむこと、本当の平静や平和なんてものは、そういう戦いやもがき苦しみの後に来るもんなんですよ。むしろ失敗も事故も病気も不幸も味わわない人間は成長しないですよ。
株式で大儲けして贅沢な生活しているデイトレーダーの若者や堀江もんみたいな若者は、最悪・最低の人生を送る不幸な運命なんです。
堀江もんなんかも典型的なカタヨリストで、偏り方が半端でなく自分もわからないくらいのめり込んでしまい、気づいたら拘置所の中にいたということなんです。偏る人というのは、いつしか自分がかなり偏っていることの認識すらなくなっていくほど、更に偏っていく運命なんでしょうね。身体を使うこともなく家でごろごろしていて、あれこれ食べているうちに、本人も気づかないうちに、百貫デブ/千貫デブ(巨大肥満)になってしまうのです。
 ・俺は男だもよいのですが、時には女の一面にも触れるべきであり、
 ・男子厨房に入るべからずでなく、男子も厨房に入るべしであり、
 ・社長や部長も時には、部下の立場に立つべきであり、社員は社長や部長の立場に立つべきであり、
 ・奥様はだんなさんの立場に立ち、だんなさんは奥様の立場に立つことも大切であり、
 ・アメリカはイラク(特に反対派)の立場に立つべきであり、イラク(特に反対派)はアメリカの立場に立つべきであり、
 ・韓国・中国は元敵国・敗戦国日本の立場に立つことも必要なんです
どちらか一方という点では、日本の政党・政治家もそうです。与党も野党も、カタヨリストの典型であり、柔軟性がなく意固地・頑固です。その最たる政党は共産党や社民党でしょう。ある意味自民党も民主党も同類ですね、少なくともバランシストではなく意固地・頑固(小)ものです。カタヨリストの政党は、国民に心底受け入れられないばかりか、どんどん国民の心から離れ、堕落し凋落していくばかりです。民主党も、「自分の党は正しい・自民党は出鱈目だ」と”文句を専門に言う政党”という印象を国民に強く与えてしまっています。口では二大政党と言ってますが、このへんが万年野党の原因でしょうね。
国民にとっては、与党の自民党と一緒に協力して、この国を素晴らしくしていって欲しいのですが、一向にそういう気配はなく、無駄な対立やあら捜しや批判や文句ばかりを国会でやっていては困りますし、本物の政治になっていないことで、民主党が力めば力むほど、むしろ政治不信や民主党離れに輪をかける原因になっているのです。
良い悪いは別にして、自民党や小泉さんを支持している多数の国民がいることを忘れてはいけません。民主党は、他の野党と同様に文句屋・反対だけ・感情的・野党的・チッポケ・チンケ・無責任・自画自賛・糞真面目なだけ・・・・のようにとられてしまうだけなのです。与党になろうとする政党というのは、「自分の党が全て正しい」というポーズを徒に強調するだけではなく、基本的には、国民・国家のため極端な理念を振り回すことでなく、中立であってその中で、責任感や裏づけのある前向きな政策・対案を常時明確に提起するようなことであるべきです。二大政党の一方の党は、「反対・反対」「非難・非難」ということをあまり前面に出すべきではないでしょう。台湾もそうらしいのですが、国会でとっくみあいの喧嘩をするような、そこらへんのあんちゃんのように喧嘩ぱやい感覚の政党は、与党にはなれないのです。
ことほど左様に対立とか競争というものは、行き過ぎると弊害が多いのです。うまく両方を尊重してバランスさせることが肝要です。
日本では、昔から、次のような素晴らしい言葉が普通に使われて実行されています。
・穏便に丸くおさめる(欧米人などには、絶対にできない芸当です)
  注):欧米等では、逆に自己主張し、そのために相手と戦い、打ち負かし、自分の意見を通し、自分の利益とする。自分を守るには鉄砲で相手を撃つことは当然であり、平気なんです。欧米人等は日本人は優柔不断だとかなんとか批評しますが、彼らは偏った立場で物事の良し悪しを決め最後は力にものを言わすだけなんです。
日本には、まだ、世界に類稀な素晴らしい「穏便に丸くおさめる」という考え方というか手法というか習慣があるのです。日本人は対立・争う前に、そういう深刻な事態を回避するための根回し・付き合い・付け届け・尊敬し合い・へりくだりあい・遠慮や配慮に並々ならん努力をするのです。その努力たるや外人がみたら馬鹿馬鹿しいというか卑屈にも思えるほどのものなんです。(外人には、なんとも不思議なことをする民族だと思うでしょうね、彼らにはわかりっこないですよ)
もし世界中が日本のこの考えを取り入れれば、世界は平和になること間違いなしなんです。こういう考え方は、やれ世界の非常識だとか、悪いやり方だなんて誠しやかに言う大そう立派な学識者の方もおられるようですが、そんなことはないのです、世界でこんなことが当り前にできているのは、世界広しと言えども、日本人くらいのもんなんです。
「一方に偏しギスギスするのでなく、どちらの立場も取り入れてうまく丸く物事を納めていく」という本来素晴らしいはずのこの言葉を、当の日本人自身でさえ、欧米人の批判を真に受けて、ゆがめて薄ぺらいものに変形させてしまっているのは嘆かわしいことです。
特に欧米をはじめ多くの地域の人々には、こんな簡単なことでさえできないのです。頑固というか心が狭いというか、コテコテの日本人の私に言わしてもらえば、自然の法則に逆らったこういう欧米流の個人主義や自己主張や対立主義は、世界・国家・企業・個人のあらゆることに行き詰まりをもたらす何ものでもないのです。
もっと人間は自然の英知を学び、「偏る」ことの危険を強く認識すべきと思います。
自然を見ると、糞人間どもが愚かしい屁理屈だけで、物事のyes/noをせっかちに決めるようなことをせずに、謙虚に素直、気の遠くなる時間をかけゆっくり慎重に評価し是正していくのです。自然の歩みは、欧米流でなく、まさしく日本式なんです。
現代人は都会に住み過ぎ、依存し過ぎています。もっと自然の懐に飛び込み、交わることが大事なんです。都会にいて、豊かで便利な生活をしながら、環境問題の根源的なことや基本的なことを論じる空しさが理解できるはずです。都会で暮らす人は、半分を田舎で暮らすべきなんです。これは肉食の人が同量以上の野菜を食べるべきだということと全く同じことなんです。一日30種以上の食べ物を食べよということと同じなんです。
金正日は論外ですが、例をあげるまでもありませんが、ブッシュ米大統領や日本のやることには何かにつけて非難ばかりする温家宝中国首相・盧武鉉韓国大統領などは典型的なカタヨリストです。「穏便に丸くおさめる」なんてことは、これっぱかりも考えてませんし、そんなことは絶対にしません。
日本は、第二次大戦では、多くのカタヨリストの世界を相手に日本のお人よしが無謀な争いをしかけてしまい、裏に出たケースでしょうね。無謀にも真面目なだけの子供が辣腕な大人に喧嘩しかけたようなもんだったんです。世界にはそれほど恐ろしいカタヨリストがうようよしているのです。
そこそこの国で日本だけですよ「戦争放棄」を憲法でうたっているのは。そういう国を強大な軍備を持つ中国や韓国が日本はまたまた戦争をするのなんのと言いがかりをつけているのです。靖国参拝問題なんて中国と韓国のごく一部の人のでっちあげた日本虐めの手段の一つに過ぎないのです。日本国民の大多数がほとんど問題視していないんですから、外国がとやかくいう問題ではないのです。ところが日本のマスコミの馬鹿者だけは、こんなことを取り上げるのです。それも中国・韓国批判でなく小泉批判一色なんです。なんなんですかね?日本の政治家同様に、日本のマスコミの幼稚さ・愚かさは信じがたいのです。
中国と韓国だけは、どんなことでも、日本たたきの道具に使うのです。日本と心底仲良くなろうなんて思っていません。日本を利用し日本から甘い汁さえ吸えれば良いのです。恐ろしいことに現実の世界や外交とは、そんなもんなんです。「穏便に丸く」なんて崇高な考えというか甘い考え方は、残念ですが、多分日本にしかなく日本にしか通用しないのです。
カタヨリストというのは、一見良さそう・強そうに・格好良く見えますが、結果的には行き詰まり最後は大きく崩壊する運命なんです。
見ていてご覧なさい。アメリカや中国は今のままでは、そのうち、とんでもなく大きく崩壊しますよ、それどころか世界を巻き込んで世界の崩壊につながる恐れが大いにあるんです。クワバラクワバラ、カタヨリストとは、あまり深く付き合わず、そこそこ距離を置くことです。同盟関係とかなんとかうまいこと言われて、さんざ金を巻き上げられ、こき使われ、あげくはポイ又は切り捨てご免がいいところですよ。
『カタヨリストは世界も滅ぼす』のです。
最後に貴方は
「カタヨリスト」それとも「バランシスト」ですか?
多分、物凄いこてこてのカタヨリストでしょ?例えば話をするのでも、仕事の話ばっかりだったり、女の尻や胸がどうのこうのばっかりだったり、身内や会社の上司の愚痴ばっかりだったりするんじゃありませんか?そういう貴方には、生涯、本物の幸福が訪れることはありえません。もし、あったとしたらそれは偽者か一時のもののはずです。
10.神仏や法律の要求事項やルールを見直しましょう。ルールを定め厳格に守ること
2006年01月19日 09時03分20秒 | Weblog
世の中には、有形・無形のルールが存在します。多くの人はそれらのルールに従って日々行動しています。
ルールと一口に言っても、ルールには次のようにいろいろなものがあるのです。
@自分だけのルール・自分以外のルール
A文書化されたルール・されていないルール
B罰則を伴うルール・罰則のないルール
C全体的なルール・部分的なルール
D自然のルール・人工的なルール
E受け入れたルール・受け入れないルール
F一時的なルール・永続的なルール
G善のルール・悪のルール
H古来から続いているルール・新しい出来立てのルール
I楽しいルール・つらいルール
J他人に課すルール・他人から課されるルール
K組織のルール・個人のルール
またルールの守り方も人によって千さ万別です。例えば無法地帯とか無法者なんていうものもありますし、最近では、一流企業や政治家や先生や役人が法令違反すなわち犯罪を犯すなんてこともあるのです。また北朝鮮のようにやりたい放題人間の道や神の意思にはずれるような行為をやっていても周辺国家や世界は手も出せないなんてこともあるのです。最近では、インターネットのハッカーや俺俺詐欺や振り込め詐欺やリフォーム詐欺、大阪府などの役人の横領や搾取、聖職者の立場を悪用した性的犯罪などルールの盲点をついて悪いことをやる人間も増加しているのです。ルールを守ることが前提であり、ルールを悪用する人がいるとルールは弊害をもたらすのです。
またルールをめぐって血なまぐさい戦争やテロが頻発しているのです。
1ルールがない
2ルールがあっても守らない
3ルールの目を盗んで、むしろ隠れみのにして悪さを働く
4ルールのためにかえってうまく行かない
5ルールを巡って紛争や裁判がおきる
6ルールが実態に合わない
7ルールを厳密に守り過ぎて、硬直化する
8ルールが合わない事態がしばしば発生するが迅速な対応ができない
9ルールに縛られて自由や柔軟性や発展性を損なう
10ルールの解釈が人や立場によって異なる
11ルールが増えて理解できない
12ルールが難しくて理解できない(専門家が必要になるほど)
ルールは良い面を持つと同時に同じくらいマイナスの面を持つ可能性があるのです。
ルールによって生活や仕事がスムースに行くのでなく、かえって非効率になったりムダが生じたり、損害が発生することがあるのです。こういうことがルールの難しさなんです。
ファーストフード店なんかで、お客対応マニュアルをしっかり教育し、そのとおりやるのは良いのですが、応用動作ができないとか杓子定規になるとか、サービスの質がかえって低下するなどの欠点もあるのです。ルールを作った人がルールに振り回されというわけです。ロボットに人がこき使われるみたいなものなんです。
@ルールは自然の原理原則・神仏の意思に沿うものであること
A法律を順守していること
B厳格なものであること
Cわかりやすいもの
D守れる環境整備・条件整備をすること
E厳格なものであること
Fルールによる副作用や抜け穴に注意すること
G言うだけでなく、文書化すること
H順守状況を定期的にチェックすること
I毎年1回は内容をきちんと見直すこと
J相応の罰則を伴うこと
K説明や指導を継続的に行うこと
・ルールは嫌いだ
・ルールなんか煩わしい
・ルールなんか守ると人間が小さくなる
とんでもないですよ、ルールを作り守り、ルールを直して、更に守るそういう積み上げによて、人間を成長させるのです。日本人は昔からルールを大事にしてきました。皆様は、ご自分でルールを作っては直し、作っては直しながら、厳格に守る良い習慣を身につけて下さい。大事ですよ。
そのためにまず、守るべきことを文書化してみて下さい。座右の銘などでも良いですよ。
お経なんてのもそういう意味では、是非馴染んでみて下さい。解説本もいろいろありますから。
http://www.meico.org/zayuunomei.html村上和驍フ座右の銘)
1.神仏の意思(自然の法則)
2.法律・条例
3.組織の規則
4.個人の規則
ところで、今回のライブドアーの堀江もんや強度偽装の姉歯や銀行で何億円の金を流用した銀行員・・・・のように一見すると、きちんとルールどおりやっているように見えて、実際はそうではなく、ルールを隠れ蓑にして、巧妙に誤魔化していたということも最近かなり多いですね。『ルールというものはきちんと守るためにある』のですが、誤魔化すためにも使われることがあることを認識しておくべきなんです。ですから、頻繁に確認点検ということが必要なんです。「ルールは決めておきさえすれば、きちんと守られるはずだ」というような安易で簡単なものではないのです。
もう一つ
ルールが多くなり、複雑になり過ぎ、時代の進展が早くなると、ルールがかえって深刻な問題を作ってしまうことにもなりかねません。そして皮肉にもルールが、結果的に国家や組織の崩壊をもたらすことにもなるのです。たかがルールされどルールなのです。現代は、どちらにしろ、大きく変質してしまったルールによって社会や人間は押しつぶされそうになっているのが実情です。それはあたかも難病に著しく効く薬が、かえって新たな不治の病を生み出すようなものなのでしょうか?
まず現代人は、自分自身=自然の一生き物に立ち返って自然法則というか神のご意思というか、そういう根源的なものに戻って、自分の歩むべき道筋というかルールを立て直すべき時がきているようです。
羽目をはずした人間それをルールで縛ろうとする、そういういたちごっこによって益々ルールが多く複雑になり、守りにくく、守られなくなり、闘争がおき、多くの異常な状況が出現し、問題は解決するどころか、人間が考えれば考えるほど問題は深刻化し拡大するばかりなのです。
9.魅力的人間とはどういうものか?受け狙いの安っぽい男(女)になるな
2006年01月14日 08時32分39秒 | Weblog
やれヨンサマだ、やれキムタクだと自分の好きな人とか自分の尊敬する人というと、決まって外見や金持ちや何かで成功した有名人がでてきます。「素晴らしい・嬉しい・死んでもいい・好きー・一夜をともにしたい」だって、馬鹿じゃない。いや、言うほうも言われるほうも、本物の馬鹿・愚か者ですわ。なさけなや日本の女性も落ちぶれたものです。尊敬できる男が少なくなって、金持ちやイケメンみたいに顔やスタイルだけしか、まともな男がいなくなったのでしょうがね。
本当に魅力的な男とは、スタイルブックから抜け出てくるような格好つけた若者や中年や老年のいかにもギンギラギンの感じの男ではありません。「魅力的な男特集とかイケメンになるには」みたいな雑誌から抜け出てくるようなノウハウ男は、むしろ最低・最悪ですよ。本物の男出てこい・本物の女出てこい。しかし本物の人間が少なったというかいなくなったですね。
私は、そんな外見だけの「○○サマ」「アイドル女」なんてものは全く関心もありませんし、むしろ、そうい奴ほど、つまらん奴だとしか思っていません。世の中がちやほやする奴に碌な奴はいませんからね。ましてや、チヤホヤされてそれで金儲けしている人を見ると、それ自体で、うんざり・がっかりしてしまいます。少しくらい並の人より優れているからと言って、そんなシケタものを売りにしたり、人気だけで金を取るなんて最低の人間ですよ。こういうことは、女にもある程度あてはまりますがね。
男アイドル・みてくれ男・受けめん男・ノウハウ男・雑誌男・見て見て男・・・・・・め。女の受け狙いで、勝手にやっとれ。誰も見ておらんがな。
私のイメージする魅力的な人間とは、次のような雰囲気がしっかり身についている人だと思うのです。
@静かな人・穏やかな人
A明るい人・楽しい人
B黙々とわが道を行く人
C人や流行に媚ない人
D金持ちすぎない人・清楚な人・つつましやかな人
E有名すぎない人
F堂々としている人
G温かみのある人
Hチャレンジする人・決断し思い切りやる人
I整理・整頓・清潔・清掃がきちんとできている人
J日常の雑事・家事・大工・工事が自分でできる人
Kきちんと管理できている人
L相談しても頼りになる人
M思いつきでいい加減なことを話さない人
N情のある人・配慮のできる人
Oセンスのある人
P礼儀正しい人
Q威張らない人
R淡々と生活する人
S勉強している人・思慮深い人
こういう人というのは、風貌も落ち着いていて、言うことが味わい深く、しぐさがきちんとしているものです。ちゃかちゃか・どたどた・じゃんじゃん・キャピキャピ・・・・・・というような一般の人が好むような人とは正反対の人のように思います。残念ですが、最近こういう男や女の人に出会ったことはありません。
自分はというと、そういう努力はしていますが、どうもまだまだ、付け焼刃で、そういう味わいが、滲み出ていないように反省している段階なんです。あと何年かでそういう雰囲気の魅力的な人間に磨いていこうと思う今日この頃です。そうい人の姿は多分、思慮深いが目立たず・自然で・すがすがしいものであると想像しています。夏が終わり、初秋に吹くそよ風のようなものなんでしょうか?
どちらにしても、凡人には、かなりの難問のようです。でもそういう人に少しでも近づきたいと思う今日この頃です。
最後に一言でいうと
・本当に格好いい男は、堂々とした風貌・あじわいのある男でしょうか
もう一言
・本物の格好いい男や女は、何か着けたり・塗ったり・切ったり・貼ったりで一朝一夕でできるのもでないことは確かです。
本物の素晴らしい男や女が少なくなったんではありますが、いつの世も目立たないところに優れた立派な人はいるものです。残念なことはそういう人がほんの一握りしかいないことです。逆であればこの世はますます良くなるのですが、貴方も数少ない人になりませんか?
まあ本物志向する人が少なくなって、簡単に手に入る、小っぽけなニセもの志向の人が増えているのは、日本や地球や人類の崩壊を暗示する何ものでもないのでしょうね。偽者が偽物を持ち歩く、偽者と付合い、偽者と結婚する、・・・・あー嘆かわしいや。
例えば猫も杓子も持っているルイビトンなんて袋物やブランドものなんてのは、あれは本物ではありませんよ。あれこそ偽者ですよ。その偽者の偽者が出るってんだからもう駄目じゃ。
8.結果はどうでもよい、大事なのは過程(プロセス)だ、結果とはウンコなんだから
2006年01月06日 22時06分39秒 | Weblog
「結果が大事なのか?過程が大切なのか?」というようなことをよく言います。「結果と過程の関係は鶏とたまごの関係」だとも言います(鶏は過程たまごは結果です)。
目的・目標を掲げてチャレンジしろということを言います。ISO14001環境マネジメントシステムでも目的・目標の設定は重大な要求事項の一なのです。ISOでも、その目的・目標を掲げるだけでなく、達成するためのプロセスをきちんとすることを要求しているのです。
一般的に結果とは、次のようなイメージがあります。
@ゴール・終着点
A成果・業績
B目的
Cとりかえしできない
D結論
E出来事
F終わり
G動かせない
H最終地点
I成功・失敗
J夢
K頂上
過程(プロセス)とは、次のようなイメージがあります。
@活動・作業
A作業
B手順
C工程
D業務
Eシステム、しくみ
F内訳・中身
G方法・手段
H一里塚・途中
I旅
J努力・がんばり
K道
「結果さえ得られば、結果さえよければ、プロセスなんかどうでもいいじゃないか」というのは極めて危険な落とし穴です。どちらかというと、昨今の考えは結果第一・結果重視主義(業績評価主義)なんです。国家や人類の破滅の原因になりかねません。
人間は、ライオンが獲物を追うのと同様に、結果を追求しますが、それは間違ってはいません。神様は生き物に欲求や目的を持たせ、それによって動いたり努力するように仕組んでいるのです。神様は結果・目的を餌・動機づけの手段にしているです。まあ結果とか目的・目標とかは、猿(人)回しの芸を仕込むための餌なんです。ところが人間や生き物は、悲しいことに、結果(餌)そのものを価値あるものと思いこんでしまうのです。人間も所詮、猿回しの猿と同じなんです。
例えば大金持ちになることは、単なる手段・一里塚なんですが、人間にとっては、目的・ゴールになってしまうのです。例えば試合に勝つとか負けるということは、本来どうでもよいのですが、人間は金メダルをとったのチャンピオンになったと喜び、、逆に負けてしまった、もう駄目だと顔を歪めて大泣きするのです。
悲しい・嬉しいがバネになるから、そういうことも、ある意味、良いのです。結果というのは、ゴールや終着駅でなく、本当はほんの一里塚、出発点に過ぎませんが、結果を求めて努力し続けることは素晴らしいことです。結果は新たな出発点です、大切なことは、ゴールしたらそれを次にどう繋げるかということなんです。人間は日々・年々結果を出していくのです。その結果をバネにして、あせることなく着実に、飛躍・成長していくのです。
ということは勝つことも大事ですが、負けることも同じくらい大事なことなんです。泣き喚くことはないのです。泣くなんてことは人間が未熟な証拠です、ひ弱な証拠です、根性なしの証拠なんです。人生・競争においてはだらしなく泣くなんてことは、やめるべきなんです。泣いても良いですが、すぐに泣き止み、頭を切り替え次のことを考えるべきなんです。
ところで人間や生き物と自然の違いは、
●人間や生き物は結果を求める
●自然は過程(プロセス)を求める
自然は過程を完璧にしようと永遠に努力し続けるのです。自然は結果には関心を持ちません。淡々としています。淡々と過程を遂行します。
一方、人間は過程より結果に関心を持ち過ぎるのです。過程(作業や努力)を好みません、結果だけ欲しがります。
人間だから、ある意味それでも良いのですが、私の言いたいことは、「プロセス重視」の生き方をしろということなんです。
もう少し具体的に言うと、貴方の一日の仕事・作業・家事・人付き合い・・・なんでもその過程を重視しなさいということです。過程を重視すれば、結果は必然的についてくるのです。
世の中には、何をやっても、どうやってもうまく行かない人が沢山おられます。そういう人の根本原因は、過程・プロセス・方法・手段・手続きを疎かにするからなんです。結果ばかりを求め過ぎているのです。
かの有名なイチロー選手が偉いのは、偉大な記録を達成しても、その次を着実に求めていくことと、日頃の行いが実にきちんとしていることです。彼を見ていると見てくれや結果を問うのでなく、見えない部分・裏の部分・地道な部分・プロセスの部分を大切にしていることです。彼は試合が終わると誰よりも早くあっという間にベンチを去ります。彼にとってはその日の勝ち負けは、もう終わっているのです。彼の気持ちはもう翌日のことを考えて次の行動へといち早く進めているのです。だらだら日本のサラリーマンのように残業したり、一杯飲んで仕事の愚痴なんかこぼす暇はないのです。
イチロー選手にとっては、「結果良ければ全て良し」なんかはとんでもない話なんです。彼にとっては、なんとなく結果が出ている時は、むしろ大きな問題なんです。むしろ彼は、「何故打ててしまっているんだろう?」と真剣に悩むのです。イチロー選手にとっては、ヒットにならなくても打ち方:プロセスが思い通りで納得するものであれば、それはそれで良いのです。
例えば、巨人ジャインアンツは、長年なんとなく勝ててきたチームなんです。何の疑問も持たなかったのです。あまり努力なんかしなくても投げ・打ち・とって・勝ててきたのです。
最近の巨人ジャイアンツの挫折は、そこに根本的原因があるのです。かつての阪神も逆の意味で結果に埋没していたのです。バブル崩壊直後の大企業も同様でした。大企業の経営者も社員も、自分たちは、非常にプロセスを大事にし、しっかりしていると信じ込んでいたのです。ところが彼らも結果満足に陥っていたのです。
一般的に大きな挫折を味わった人はプロセス重視型・そうでない順調な人生を歩んできた人は、結果重視になりがちです。「結果が良ければいいじゃん」となり、又は結果がよくないと、「こんなもんよ、しょうがねーよ」となりがちなんです。
私の場合、過去を振り返ってみると、松下電器時代は「松下はプロセス観念の乏しい結果主義(結果重視)の会社でした」エンゼル工業やローム株式会社は、日々プロセス(プロセス重視)ばかりでした。今自営している関西ISOシニアコンサルタントネットワークの仕事は日々、まさにプロセス重視のなにものでもありません。
結果満足の人というのは、世間に沢山います。そういう人はアイドルみたいな人なのです。一時期はスポットライトを浴びることがあっても、それははかない夢か蜃気楼にすぎないのです。
美人であることなんかたいしたことではないのです。美人であろうがそうでなかろうが、大事なことは、その人の中身、目に見えない部分なんです。ところが美人という結果に関して、女は必死に美人であることを追求し、ろくでなしの美人の女に男は目を奪われるのです。美人は、必死に美人にすがりつくのです、すがり続ける一生を送る運命にはまるのです。その点、むしろ不美人のほうが、ずーっと幸せです。そんな幽霊みたいなものにすがって一生を送らなくてすみますから。
結果を求め過程をいい加減にしたための悲劇的結末の例には次のようなものがあります。
@環境破壊.地球温暖化
A種の絶滅
B家庭崩壊
C高齢化&少子化
D学校崩壊
Eバブル崩壊
F海岸線の破壊
Gダム建設による自然破壊
H役所・役人による出鱈目な赤字事業
I役人・役所の不正
J農村・島の過疎化
K大企業の急速な収益悪化
・・・・・・・・・・・・
『過程:プロセス』とは、最高の方法・手段・ルール・手順・システムのことです。株式投資の例をあげますと、株式を購入しますが儲からない人というのは、株式の買い・売りのためのプロセスが実にいい加減で、出鱈目なんです、安易です、思いつきです、エイヤーです、どんぶり勘定なんです。儲けよう儲けようと結果だけを求めて失敗を繰り返すのです。
結果は偶然に得ることもありますが、それは実は大きな失敗なんです。本人が勝手に成功したと大喜びするだけなんです。イチロー選手は言います「今日は4打数4安打だったが、今日は納得していない」とね。彼の素晴らしい所以ですよ。プロセスがいい加減でも結果が出たというのは、むしろ失敗した場合の何倍もまずいことなんです。「棚から牡丹餅」はいけません。
株式投資でも「結果として儲けりゃそれでいい」でなく「読みとおりに儲からない」人は結果的に大損する宿命なんです。素人の競馬・競輪も同様で儲かることはありません、最後は必ずかなりの損をしてしまうものです。人生も競馬・競輪と同様なんです。ほとんどの人が大損の宿命を持っているんです。人生も素人は大負けし、人生のプロだけが大勝ちするようにできているのです。
・結果主義=誤魔化し=その場しのぎ=甘い対応
・過程主義=真実探求=根本対策=厳しい対応
現代の日本の子供は作業をできませんし、ほとんどしません。ボタンを押せばテレビが見え・カードを出せば物が買えるからです、過程プロセスを知らずに結果のみを得る習慣が身についてしまっているのです。こんな恐ろしい話はないのです。動物園の猿以下で、いざという場合の生活力が全くないのです。
宝くじなんてのは、その最たるもので1億円に当選したなんてことは、その人の人生にとって、大不幸の何ものでもないのです。それを幸福と勘違いするのは、浅はかな人間のなせる業なんです。くれぐれも「棚から牡丹餅」はやめなさいよ。当たらなかったら「良かった」と思うべきなんです。自民党の杉村太蔵議員なんかは、まさしく棚ぼたで当選したんですが、典型的に不幸な人ですよ。マスコミにちやほやされ有頂天の彼がそのことに気づいているわけがありません。気づいていれば辞退すべきなんです。だって杉村君は、実力で勝ったのではないからです。棚ぼたの人、何かで当てて大儲けした人、成金の人は、はたから見ても足が地についていないのです。
結果は、過程の正しさを証明するもの又は間違いを指摘するものですから、結果・アウトプットはきちんと分析・評価することも大切です。汚い話で恐縮ですが、ウンコに血が混じる・ゆるい・硬すぎる・妙に黒い・色が悪い・臭い・詰まるのは結果が悪いのですから、プロセス(内臓)に問題があるのですし、赤信号なんです。ほっておくと”ウンノツキ”ですよ。「臭いものには蓋」というのがそもそも最たる結果主義であり、悪い結果に対して予防処置でなく、隠してしまえという最悪のものなんです。美人が化粧ばかりして自分の人格を誤魔化すようなものですかね。
女・子供というものは、甘やかすと結果主義に陥り、簡単に堕落し易いものなんです。男は過程主義が中心ですから結果主義で堕落する割合は本来少ないのですが、最近は男が女性化・子供化し、女・子供のような結果主義の甘い男が増えています。女・子供は元々結果主義ですからそうならないように手綱を絞めておかないといけないのです。昔日本の母親達は、手綱を厳しく握られていましたから、今思うとものすごくしっかりしてました。だから日本の国もかなりしっかりしていたんですが、男女同権や技術進歩、文化的生活などによって、一時に綱を緩めたものですから、その堕落は目に余るものがあります。その結果、日本の男も子供も、女諸共に、だらしなくなってしまい、取り返しができないくらい堕落・崩壊してしまったというわけです。
「結果」とは良くても悪くても、単なるウンコなんです。
人は、言ってみれば、ウンコを喜んでいるんです。ウンコは過程(プロセス)の良し悪しを評価するものでしかないのであります。
結果管理以上に、何倍もプロセスコントロール(工程管理)を重要視しないと結果はどんどんおかしなものになっていくのです。例えば年寄りの寿命が長くなって高齢化社会になっていくのですが、問題は高齢化によって少子化になっていくことです。過去、えんえんと人間が祖先から子々孫々に伝えてきたものが、大きく途切れようとしているのです。長寿という結果を求めたために、子孫の減少すなわち子孫への伝達というプロセスに多大な支障を生じているのです。寝たきり老人・草木に例えると枯れ葉・枯れ枝を大事にする一方で、種を蒔かず、新芽を踏みにじるようなプロセス管理しかなされてこなっかったということなんです。そのために、子孫を絶やすという不合理な結果が出てしまっているのです。
一般に少子高齢化というのは、年金問題とか税収不足とか労働力不足の問題として扱われますが、そんなことはどうでもよい問題なんです。老人が野垂れ死にするのは当たり前のことなんです。むしろ老人が長生きすることのほうが問題なんです。重要な問題は祖先からの文化や伝統などの諸々のものの子孫への伝達・伝承が途切れることなんです。日本の国家として、人口のプロセスが管理されておらず大きなゆがみを放置して、長寿世界一なんて結果に、単純かつ安易に大喜びしていたのです。国家も企業も個人も、結果だけを追い求め、工程管理(プロセスコントロール)をきちんとしてないと破滅するんです。
人は欲(結果)で操られ、欲をかいて、欲に振り回されて、最悪の人生を送る人が多いのです。真っ当な生き方をし、真から素晴らしい人生を送る人はほんの一握りなんです。
「山(結果)があるから登るんだ」ではないのです。「坂道(過程)があるから登るんだ」なんです。山(結果)なんて登ったら降りるしかないのですが、坂道(過程)は永遠にあるのです。少なくとも「山に登った」「勝った負けた」ということだけで、一喜一憂なんかしないことです。
禅の修業で、悟りを開いた高僧が言うことは「禅に悟ったということはない、死ぬまで永遠に修行が続くだけだ」禅僧は悟るという結果を求めているのでなく、修行という過程を求め続けているのだということです。
政治家も景気を良くしたり、年金問題を解決することもさることながら、そういう結果を出すこと以上に大事なことは、政治や役所のプロセスを継続的に改革することなんです。高度成長期には、結果が出ることをいいことにして、ずさんな政治や役所の仕事がまかり通ってきて、その膨大なマイナスのつけがまわされてきたのです。
結果を求めたあまりにも大きな代償・つけなんです。アメリカのブッシュ大統領も「結果主義の罠」にはまって抜け出そうと喘いでいるのです。
”結果・外見にのみ目を奪われて物事を判断するとババ引く”
”大切なのは、過程・プロセス・中身の良し悪しだ”
6.今思い出そう「欲しがりません勝つまでは」の意義
2005年12月28日 22時22分09秒 | Weblog
昔、第二次戦争中に「欲しがりません勝つまでは」というのが、日本国民の合言葉だったそうです。結果は日本の惨敗に終わり、あれほど楽しみにしていた欲しがることは、絶望的になってしまったのです。当時、少年の私達は、その日の食べ物や衣服にも事欠く毎日でした。
しかしやがて高度成長期に入ると、欲の充足は様相を一変します。あれよあれよという間に欲しがる時代へ、欲しがるものは何でも手に入る時代になり、やがて飽食の時代、レストランで食べ物を残す、ものを粗末に扱う時代へと坂道を転げ落ちるように進んでいったのです、自転車なんかあちこち置き放し、盗まれても平気というとんでもない時代になったのです。
あまりにも早かったこのような時の流れを、今つくづく思い返してみると、戦争中及び戦後、長いこと無理して我慢したことの反動かなーとも思います。今は「欲しがります、何でもかんでも闇雲に」「欲しい物は、手当たり次第手に入れる」「欲しくなくなったものは、あっさり捨てる」という感じなんです。大義名分がなくひたすら、見境なく、欲しがっては捨て去り、また欲しがっては捨て去る、ようになってしまったのです。結果的に取り返しのつかないほどの地球環境破壊と精神荒廃をもたらすに至ったのです。
昔と今のどちらが人間として望ましいのかも、改めて考えてみますと、欲しいものが何でも手に入る時代より、なんとかして手に入れたいと必死に頑張った頃の人間のほうが、夢も希望もあり、真剣で、真面目で、勤勉で、素直で、生き生きしていたし、可愛くて、仲良しで、人間らしかったような気がします。
否、むしろこのまま進めば、人間本来の値打ちや尊厳さえも完璧に失いかねないと思う今日この頃です。
そこで、そうだもう一度「欲しがりません、?までは」みたいな感覚を自分なりに、復活させてみようと思ったのであります。こんなこと考えなきゃ良いのに、平成17年12月に私は考えてしまったのであります。思いついたらやってみないと気がすみませんので、誰に何と言われようとやると思います。
それが証拠に、H18新年から「欲しがりません、死ぬまでは」を日々呪文のように唱えて実践してみようと決断してしまったのであります。でも禁煙のように、最初から100%完璧にやろうとすると無理があるので、来年は、可能な限りとすることにしました。
@「欲しがりません」という感覚を思い出したい
A過食症のように何でも欲しがり、手に入れてしまおうとする悪い癖を直したい
B手当たり次第何でも手に入れるということや現実に手に入るということが本当に望ましいことなのか身をもって考え直してみたい
C欲をかなり抑制することの結果として、何か素晴らしい得るものが、あるんではないかと想像している
昔の日本人は、何かを成就するために、ある一定期間「お茶を絶つ」とか「酒を絶つ」とか「色恋を絶つ」とかする習慣があったようです。これはその人の覚悟を示す一つの素晴らしくも精一杯の方便であったようです。
私は比較的欲しがらないほうの人間ではありますが、そんな私でも、もっと何かを絶とうと思ってしまったというわけです。さて何を絶とうか?と考えると、私の場合、酒・タバコ・女・博打・肉食・等、すでに、ある程度絶っており、そんなものではあまり意味がないし、もっとつらいものを設定しないといけないと、またまた更に無理なことを考えてしまったのです。まあ歳相応にかなり我慢強くなっているのではありますが、正直な話、良い歳して子供みたいに、まだまだ欲深なために、いろいろと無用な悩み・苦しみを味うことがあるのです。
つまらんものしか出てきませんでしたが、考えると次のようなものがまだまだ、不十分のようです。
@菓子・甘いもの間食する
Aやたらに衣服を買う
Bやたらにバッグや帽子を買う
Cやや大目に食べてしまう(腹八分目ができない)
Dいつも、あせる・あわてる
Eものを落とす・割る・壊す・なくす
F仕事を何でも引き受ける・受注しようとする
G自分勝手に一方的に話しまくる(さんま状態)
Hものを適当にしまってしまう(あとで探しまくる)
I次々にあれこれ手をつけて、やり放しにしていく
J使わないものを捨てられないで、沢山しまっている
K人前でいい格好したがる
まあ、以上しょうもないことではありますが、今年はかなり意識してこれらを我慢する/捨てきる覚悟であります。「あー、こなんに沢山あげてしまって、できるのでありましょうか?トホホ」
最近食事を具沢山のおかゆ(米は茶碗に一杯弱)の一日2食にしています。それでも、そう簡単に体重は減ってくれません。身長182cmで体重66〜68kgが私のベストなんですが、75kgですので身体のあちこちに支障が出ているのです。
でもこのおかゆ作戦によって少しは肥満防止に役立っています。肥満防止以外に予期しない効果として、時々外食で普通の食事をせざるをえない場合があります。その時の食事のうまいこと、食事の内容や質なんかどうでも良いのであって、おかゆ以外のものを時々食べる快感・陶酔のようなものを実感できるようになったのです。そうだったのか「ものを絶つということは=常にものが一杯満たされていることの何倍も幸せを実感できる。我慢というのは金もかからず妙案だ」ということでした。恵まれているということは、欲ばり、その欲を貪欲に満たし続けるということは、
@有難いという感覚を失う/麻痺する
A恵まれていることを完全に忘れる
B感動を忘れる
C自分の至らなさを忘れる
Dあまりに贅沢に慣れ過ぎていることを忘れる
E本物が何かを忘れる
Fものごとに無駄が多くなる
G一杯・沢山でなく、少しのものを味わうことの大切さを忘れる
H恵まれていることがかえって不幸であることがわからない
I足りないことによって知恵がわかない
J心にゆとりがない
K傲慢・自惚れ・強欲・放漫・怠惰・横着へと堕落していく
「欲しがりません死ぬまでは」無茶な運動開始!宣言します。
関連する言葉
@損して得とれ
A大賢は愚なるが如し(大愚は賢なるが如し)
B急がば回れ
C負けるが勝ち
D満ち足りる者足るを知らず
E一番のご馳走は空腹なり
F勝って兜の緒を締めよ
G乞食に貧乏なし
H腹八分目は医者知らず
I楽は苦の種、苦は楽の種
J肥満は病気の元、裕福は堕落の元
K空気を良く吸うためには、良く吐き出すことだ
5.多くの日本人が過去を清算し来年の希望を新たにせずに年を越す。年末大掃除の意義は大きい
2005年12月25日 11時10分21秒 | Weblog
今年も、いよいよ、押し詰まってきましたが、今年一年の後始末と来年の準備をやっていますか?
私は、年末に年頭所感をここ6年間毎年ホームページに書いてきました。当初は私自身でも、馬鹿げた大げさなことやっていると思っていましたし、結果も芳しくなかったのですが、6年も続けるうちに最近「こりゃ結構役にたつわい」と思うようになって、年々真剣に書くようになってきたのです。
昔は、日本人は皆全員、年末には真剣に大掃除をやっていたものです。今は、そういう日本古来の意識も行為もなくなってしまったのですが、そうやって思いをはせると昔、2,3日もかけて町内全家庭・家族全員がよくも大掛かりな大掃除をやっていたなーと感慨深いものがあります。「昔の日本人は地味で質素だったが、立派だったなー」。だって大掃除を真剣かつ一斉にやるんですから、それは「すげーもんでありました」ごみ拾いのおっちゃんやおばちゃん(リサイクルマン)なんかがいて、稼ぎ時とがんばっていましたっけ。
そういう点では、昔の日本は、今の進歩した日本の数倍立派で凄かったですね。それに引き換え現代は格好や見てくれは良くなったものの、大幅に無精者で横着でボロボロで性根が弱くなったような気がします。
少なくとも昔の日本人が持っていた和の精神・大和魂というか、人間のハート・スピリット・ハングリー精神・ガッツ・エレガンス・魂・意欲を失ったような気がします。年末の大掃除どころか日々の掃除さえしなくなって家は汚いだけでなく美的感覚から言っても殺伐としたものになっているのです。
本来横着で質の悪い人間が年末にすべきことは、
@不要物の廃棄
A資料・情報の整理・整頓
B室内のレイアウト改善
Cホームページの整理・整頓・清潔
D一年間の行状・実態調査
E一年の反省・問題点抽出
F来年の抱負・方針作成
G来年の重点3課題設定
H引きずっている大きな問題点の根本処置(過去の精算)
I過去の悪いことは忘れる(いわゆる忘年)
J気持ち・気分の一新
K来年に明確な目標をかかげ明るく・元気で新年を迎える
古い昔の習慣が良いとか悪いとかでなく、人間や生き物は、1年を区切りに、新たに生まれ変わるべきなんです。年を越して尚、昨年の駄目をブル下げ引きずったままでは、正月及び年末の意味はありません。
そういう意味で大事なのは、新年でなく、むしろ年末の一月なんです。残りの一週間をいかに調査・分析・評価・対策立案にかけるかが来年の貴方の幸か不幸かを分けるのです。
年末に、忘年会をして大騒ぎするのは良いのですが、酒のみ、くだまくだけでなく、忘年会に関する認識を大きく変えて、忘年会の参加者と有意義な対話をして少しでも反省や来年の飛躍に結びつくものにすべきだと思います。
こういう頭の切り替えができない人は、いつまで経ってもウダツがあがらないし、彼女もできないし、金儲けも、楽しい人生もできないまま取り残されていくのでしょうね。それほど、年末の1週間はたかが1週間ではありますが、心構え次第で貴方の人生は、毎年大き変わって行くのです。
まあ、もっとも大反省・大掃除は年末にまとめてやるのでなく、日々・朝な夕な、普段にやっておくことが、更にレベルの高い人間なんです。
でも、せめて・せめても一年の終わりくらい、物と心の大掃除をしてみて下さい。そして、できればというより必ず、それを毎年続けて、書き物に残して下さい。
4.姉歯事件に思う3:恫喝や法律違反を内部告発のできる会社・社会へ
2005年12月24日 15時29分23秒 | Weblog
今回の姉歯の強度偽装事件では、発注者というか手配士側と取引業者間の恫喝にも根本原因の一つがあるようです。
遠くは織田信長やヒットラー、最近ではコクドの堤義明や北朝鮮の金正日や上層部が部下や人民を押さえつけ、批判を一切許さず、もし僅かの批判やそれらしいと疑われた場合には、相当ひどい恫喝・制裁処置やリンチやいじめ行為が行われています。日本もかつて第二次大戦終了以前は典型的な人権侵害のひどい国の一つでした。
有難いことに、現在の日本では、表面的には、そういうことはほとんどなくなり、世界やアジアでも有数の民主的できちんとした国であると自他ともに認められるようになりました。しかし裏や見えない水面下では、会社や役所をはじめ学校なども含めて個々の組織内部に関してはかなりひどい虐待や恫喝、いじめ、制裁行為が温存されているのも事実です。個人の家庭の中でさえも、親が子に対して夫が妻に対して恫喝や暴行(ドメステイックバイオレンス・幼児虐待)が大きな問題になっています。
私の京都の東証一部上場のR社での体験でも、新参の常務連中が特定の個人:主に高齢者や高給とりを攻撃対象にしつこく「死ね」「首つれ」「退職願い出せ」と、ひどい恫喝やいやがらせが横行していた事実を知っています。そのあげく、社長や幹部連中が気にくわぬという理由だけで、仕事中に、これ見よがしの嫌がらせが行われ、見せしめのために多数の上層部や有能な社員が、次々にあっさり首切りされたことを思い出します。このようなとんでもない言動が日々の仕事の中で、一流企業の常務取締役が頻繁に口にすることを皆様信じられますか?魔がさしたのかもしれませんが、恐ろしいことに、これが現実だったのです。つらかったですし、従業員も皆、戦々恐々としていきました。
信じられないことかもしれませんが、元々R社はかなりの駄目企業で幹部も従業員も本当に真面目に寝る間も遊ぶことも忘れて働き、素晴らしく緊張感があり、私も非常に楽しかったのですが、株式上場し業績が格段に向上するにつれ、急速に幹部の首切り・常識を超えた大幅かつ頻繁な組織変更・移動や新参幹部の横暴は目にあまるものになっていったのです。業績の良くなった会社にありがちなことですが、そういう急成長する会社には、えてして、そういうとんでもない幹部連中が突然ボウフラのように湧き出すものなんです。順番で、当時54歳の私もついに高齢者(攻撃/排除対象)リストに乗せられたのでしょう、ある日突然、「来週辞めてくれ」と理由もなく、無理やり追放されたのですが、泣き寝入りし、辞職するしかなかったのです。私は、当時も会社にかなり大きな貢献をしていたのに、わざとこれ見よがしに、あまりに一方的であり、どうしようもなかったのです。その後も多数の高齢者や若い有能な社員が、退職し転職している事実も知っています。
会社ではお客様はタクシーに乗られ、門を出てみえなくなるまで付近にい合わせた社員は、全員お辞儀をし直立してお送りすることがすることが厳しく言われていました。素晴らしいことは、R社の社員は全員きちんとそういうことを守る会社でした。礼儀の重要性について、社長や幹部は、社員に日頃から切々と訴えていたのです。私達社員も、社長や幹部は偉いなーと思っていましたし、そういう心温まる行為を自慢もしていました。
しかしその社長や常務は、長年会社で汗水たらし土日も夜も徹して、必死に働いてこの会社を日本一までにしてくれた幹部社員に、最後に労苦をねぎらうこともせず、お辞儀をするどころか、お前は歳だから出て行けと、裏門からひっそりと追い出すように、次々に順番に古物を捨てるように、足蹴にするような経営陣だったんです。本当にがっかりしました。尊敬していたR社の社長や経営層にこんなひどい仕打ちを受けるとは思いもよりませんでした。立派なことを言う人でも安易に、人は信じられない・信じてはいけないとつくづく思ったものです。R社のOBで当時の仲間は皆、R社を日本一の会社にした誇りと同時にまあ世の中の厳しさ・汚さ・怖さを知るということでは大いに勉強にはなったと、今となっては感謝しているくらいですが。「よくぞあそこまで嘘つき、苛めてくれた」とね。
まあこの京都のR社の社長さんのように、日本の東商一部上場の一流の社長さんで、一見大そう立派そうな人のようでも、実態は、意外とこんな程度の低い人が多いのですかね?誠に残念ですね。どうして日本のトップクラスの指導者は、こんなになってしまったのですかね
ほとんど転職したR社の当時の仲間と、今も時々遭うのですが、いつも決まって出る話は、はずむ話は、R社での恫喝された頃の話なんです。もっとも今は昔の話なので、「そんなこともあったねー!」と酒の肴にして皆で大笑いしてますがね。
以上は、一例に過ぎませんが、東証上場の会社でもこんな会社は沢山あると思います。そして最近10年間を見ても、そういう高業績の会社のとんでもない事件は、多く報じられてきたと記憶しています。
今回の姉歯事件でも総研又はヒューザー又は建設会社から設計会社に対して「設計会社はお前のところだけじゃない、他に幾らでもあるんだ」というような恫喝があったやに聞いています。社員や業者は、予想以上に弱いものです。社長、お客や権力者の言うことには無理なことでもそう簡単に逆らうことはできないのです。明智光秀をはじめ多くの勇猛な武勇の者達でも織田信長に逆らえなかったのですから。
今回の事件も含めて、今回の強度偽装事件のような社会問題の多くが、組織内部や親企業からの恫喝(弱い者苛め)が原因であるというのは日本においても依然として悲しい現実であり、今後もなくなるどころか、ますますひどくなっていくものなのです。
会社や役所などの組織にこういう恫喝がはびこる状況は、私の体験やその他の事例、例えば校内暴力などからは、どこでも同じなのですが、次のようなものです。もし自分が次の13階段のどこかにいたら、甘い誘惑に負けないようにふんばることです。ある程度の厳しい指導や叱責はよいですし、私の場合も会社での厳しい指導が随分大きな肥やしになっていますが、そのうち経営者やリーダーというものは、無意識のうちにどんどんエスカレートしてしまうもんなんでしょうか。コクドの堤義明氏や今回の偽装事件や織田信長をひきあいに出すまでもなく、とんでもないこと、取り返しのつかないことやっていたということに、随分後で気づくものです。
私は、S社長を一時すごく尊敬していました、マスコミも彼を賞賛しました、しかし今は、あんなけしからん、人間のカスみたいな羊の皮被った狼みたいな男を、例え一時でも尊敬していたこと、見抜けなかったことが我ながら残念かつ情けないのです。
(注:R社という会社自体や会社そのものは、社員もよく働きレベルの高い良い会社でしたよ。私もかつてR社社員であったことは未だに大いなる誇りに思っていますが、R社の後輩達が、私達のかつてのように、未だに同様な厳しい状況下におかれていないかだけが心配ですが、過去を反省し是正されていることを切望しています)今はどうなっているんでしょうね?良くなっているんでしょうかね?
こういう事例で現実にお困りの方は、是非勇気をもって内部告発、しかるべき機関に相談し公開して下さい。今の日本の状況は、そういうことができるような環境になっていると思います。
恫喝・苛めの13段階の一般的な例
段階@ 社長の権力が絶大になる
段階A 会社や組織が駄目な状況から脱し、多くの場合成長路線に乗った時に芽生える
段階B 社長の周囲の批判型幹部は有能でも、あれこれ理由つけて、どんどん首切る
段階C 社長の周囲は取巻きのイエスマンに首がすげ替えられる。能無しか品格なし
段階D 新参幹部が横柄になり虎の威を借り威張りだし訳のわからんことを言い出す
段階E 社長の指示によって新参幹部による恫喝・いやがらせが始まる
段階F 大幅な組織変更が一方的かつ頻繁に起きる。社員は恐怖感を感じ萎縮する
段階G 排除の攻撃対象を決め、しつこく攻撃する
段階H 死ね・退職しろ・左遷・干す・業務妨害など手変え・品変え、あれこれ苛める
段階I 1回限りでなく、あらゆる場で繰り返し、しつこく恫喝する
段階J 会社をやめるか死なないと苛めがエスカレートし他の社員の前でも苛め出す
段階K 更に駄目な場合は故意に失敗させるか、ある日突然一方的に退職を押付ける
段階L ついに犯罪に相当する行為に、染まっていく
恫喝・苛めの目的は、社員をロボット化することです。ヒットラーや織田信長なんです。
@全員に一切の不平・不満・意見を言わせない、黙らすこと
A全員に自分の命令を有無を言わせず受け入れさせること
何事も限度というものがあります、厳しい叱責や指導は否定しませんが、それがどんどんエスカレートし苛めや恫喝になってしまうことは経営者として気をつけるべきだと思うのですが、織田信長のように何らかの原因によって、冷静で有能であるはずの経営者でも越えてはならない一線を越えてしまうのですねー。最近では親の幼児虐待やドメステイックバイオレンスや学校での苛めなんてのも、理性を失い、そういうことに踏み込んでしまうのでしょうね。
人間は権力を持つと人が変わるのです。鬼になるのです。
織田信長の明智光秀に対する苛め・戦争時の日本軍幹部・その他歴史上の裏表で無数の恫喝や苛めが日常茶飯事に行われてきたのです。・・・・最近では、そろそろ、やや小泉さんにもそういう危険がありそうな感じがしています。小泉さんも注意だけはされたほうがよいですね。
恫喝・苛めは、愛情がなく単なる暴力行為であり、指導は愛情や思いやりのある厳しい忠告・指導なんです。しかし人間というものは、浅はかなもので、愛が変じて憎悪に急変していくことがあるのです。
厳しい指導と恫喝は違います、特に社員の前で「死ね」と言ったり、暴力を振るったり、法律を犯すことになる恫喝は、理由の如何を問わず、断じて許されません。暴力団対策法が必要というならば、組織内暴力対策法も不可欠です。法律違反する組織内の恫喝・バイオレンスに対しては告発できる社内組織及び社外機関を明確にし、安心して告発できる体制作りが急務なことを今回の事件は教訓として教えているのです。
従業員や納入業者に対しても謙虚というか対等な経営者が、「本物の一流の経営者」ということができます。今回の事件の会社や元コクドの堤義明氏や今回の偽装事件ヒューザー社のように、いくら高い業績を上げても、お世話になっている社員や業者の恫喝やいじめ・脅しなんかに頼る経営者は三流以下、経営者の風上にもおけませんし名経営者の資格すらありません。R社のS社長は私も尊敬していたような本来有能な経営者でしたから「名経営者」と言われた時期もありましたが、恫喝の指揮者でもあったのでしょうか。かつては、稀にみる立派な社員が多かった会社ですし、過去の一時期のことを謙虚に反省し、今は従業員が自由に上層部に対して発言でき、明るく伸び伸び仕事ができるようになっていると信じたいものです。
現在に至るまで謝罪しなかったR社の社長と幹部の卑劣な行為を断じて許すことはできません。R社の数人の先輩にお聞きすると、まあこれ以外にもいろいろとんでもないことがあるようです。私の知る範囲でも同僚・元部下や心ある多くの社員は、将来への不安とあきれ果てて、その後自らR社を退職する道を選んでいるのですが、こういう思いのR社OBは沢山いるのです。
自分がやった悪事は素直に謝るべきなんです。あれこれ考えず、心の底から直接本人に遭って謝る、相手の許しを得るという基本的なことができない指導層も多いのです。単に謝るということによって過去に犯した悪事の後悔から逃れられるのです。
組織内や学校や家庭内のいじめや恫喝は、誘惑に負け、つい魔がさしてやってしまうものですが、犯罪に近い行為ですから、くれぐれもおやりにならないほうが自分及び自分の会社にとって無難であることを明確に申し上げておきます。恫喝の代償は高くつきますから。社長や幹部やリーダーは徳をもって人を動かすべきであって、人を脅かして人事や取引を操ることだけは絶対にやってはいけません、そういう悪魔の誘惑があっても乗ってはなりません、必ずあとで大きな後悔をし、会社にとっても自分の人生にとっても大きな傷跡が残るだけです。厳格なマネジメントのためには、素晴らしいISOのマネジメントシステムがあるじゃないですか。
さしあたって金正日や北朝鮮幹部も「人民への抑圧を当然だ」という姿勢を改める気配がありませんが、国際的な強い批判もあるので、屁理屈言わずに早く止めるべきですね。
ところで、今回の事件でいかにも被害者面し善人ぶっているイーホームスという検査機関ですが、もっとも悪いのは検査機関ですよ。だって悪いことを防止するのが検査機関の重大使命ですから、無数のいい加減な検査をやっていたというのは絶対に許されません。姉歯氏や関係者が全員悪いのではありますが、ある意味きちんと申請してそれが許可されているのですから、本質的に考えると、姉歯氏が有罪になるというのはおかしな話かもしれません。
最後に京都事務所の近辺に、そう言えばやけに工期の短い安価なマンションが多いのに気づき、買わなくてよかったと、ゾーとするやら、胸をなでおろすやら。ここ4年くらいでやけに安い物件が多くありましたから、まだまだ偽装マンションが次々に出てきますよ。      村上和隆経歴
3.姉歯事件に思う2:「専門家まかせで、関与せず」の体質
2005年12月24日 15時26分00秒 | Weblog
世の中技術革新が進みますと、インターネットでも医療・電気製品・工業製品・住宅・手続き・・・なんでも非常にむずかしくなって素人には手がおえないようになってきます。私のやっているISO認証支援についても我々経営コンサルタントにおまかせになってしまう傾向があります。経営コンサルタントが経験もあり有能でしたら問題はないのですが、未熟でいい加減なコンサルタントですと、指導の仕方によっては、おまかせになりがちで、企業様の主体性が欠如してしまう場合があります。
医者や手術なんかは典型的であって、全部おまかせですから、未熟で無能な医者にかかると、結果は悲惨なものなんですが、医者の責任かどうかがわかり難いのです。もし全部厳しいチェックをしたら今回の姉歯事件どころではないのです。役所や年金基金や郵便局なんかも同様です。国民が知らないことをいいことに、目を覆い耳をふさぎたくなるような悪事の限りを尽くしているのです。
役所の仕事も本来国民の関与・チェックが必要なんです。厳しいチェックがないと物事は堕落するのです、悪事が入り込むのです。会社でもいろいろなところで日々チェックが実施されていますが、やらせ放しまかせ放しの場合が多いのです。その結果チェックと言いながら、隠れ蓑・誤魔化しにさえなっているのです。こういうことは今回の姉歯事件が示したように、非常に危険なんです。チェックというのは、本来それほど重要なことなんです。使い込みや横領事件、汚職なんかはその典型です。
今回の事件でも@犯人探しA緊急処置だけでなく、Bチェック体制の調査・分析・是正が大切なんです。
みずほ証券の誤発注事件の原因も、本質的には、みずほ証券の社内のチェック体制のずさんさにあるような気がします。こんな会社が倒産するような規模の大事件がおき得ることを放置していたんですから。こんなミスは、みずほ証券として、簡単に予防できることなんです。こんなことさえできていない,
みずほ証券の株式なんて、私だったらすぐに売りですよ。多分チェックのいい加減な会社は日本では圧倒的多数ですから、今後も次々に政府・役所・会社はミスを再発していくのです。
姉歯事件では、経営者や政治家や役人や一家の長、一般の方々に気づいて欲しいのは、
「きちんとしたチェックの重要性」「第三者チェックを加える」「経営者・責任者が関与する」ことです。
@チェック項目・チェック基準は責任者・経営者の最重要管理事項と認識する
Aチェックの頻度は毎月・毎週・毎日か適正に決める
Bチェックする者にその重要性をきちんと認識させること
Cチェックは、きちんと確認してさせる
Dチェックした結果を上司及び責任者が確認する
Eチェック結果が正しくやられているか、時々上司・責任者自らもやる
Fもし問題が発生した場合、チェックのずさんさが暴露された場合、厳罰にする
Gチェック項目は年1回見直し、追加・修正させる
Hチェックの記録は残させる
I最重要事項は写真記録を残させる
Jチェック以外に第三者の監査・パトロールを実施する
K監査やパトロール結果からチェックのいい加減さを委員会で確認し必要な処置をする
家をたてる場合を例にとると、依頼者として自ら、建築工事が始まったら毎日又は定期的に現場を見て回ることです。できれば早い段階で専門家を同行させることです。そしておかしい状況に関しては臆せず、写真をとるなり問題指摘をすることです。場合によっては建築停止を命じることです。
姉歯事件では、関係者・当事者がみな事故の責任を他のせいにしています。まさしくずさんな監視体制の典型なんですが、こういうことはどこの会社や組織にもありがちなことなんです。「他人を疑わずに安易かつ無闇に信用し 監視をしない」というのは全ての間違いの元なんです。「監視なし」という家や会社をよく見受けますが危険ですよ。
@総研(黒幕)
Aヒューザー(売主)
B姉歯設計(設計)
Cイーホームズ(検査)
D木村建設(建設)
E行政(監査)
F買手(買主)
監視ということを軽ろんじている証拠なんです。この責任は、会社で言えば社長や経営層にあり、今回の事件の場合は国や地方自治体に根本的な責任があるのです。または買主にあるのです。他に責任はないとは断言しませんが、社長は監視がきちんとできるように仕組みを作り厳密に関与していかないといけないのです。今回の事件でも民営化しても国はきちんと関与をしていかないといけないのです。会社でも権限を委譲したら委譲した者はその状況を監視し関与することが不可欠なんです。単なるお任せ・権限委譲や委託は、もっとも危険なことなんです。
2.姉歯事件に思う1:姉歯建築設計事務所の耐震性書類偽造事件
2005年12月24日 15時24分32秒 | Weblog
千葉県の「姉歯建築設計事務所」が耐震性などを決める書類を偽造した問題がおきて大きな問題になっています。
この事件を含めて最近思うことは、「さまざまなリスクが続発していること」と「リスクに対する意識の欠如」です。
@俺俺詐欺
A高利の利殖詐欺
Bリフォーム詐欺
Cカード被害
Dインターネット取引詐欺
E手抜き工事
F津波・巨大地震・ハリケーン被害
G少年・少女による殺人
H個人情報流出
I役人の使い込み・裏金作り・無駄な工事
J大手有名会社の社員の放火事件
K町や村に熊や猪の出現
まあ想像しなかったようなリスクが次々に起きています。今回の姉歯事件は、国家が認定する設計士が設計し・国家が認定する検査官が確認し、経験豊富な専門の建設業者や工事人が建設しているのです。ところが少し大きめの地震であっさり倒壊するというのですから、驚きです。しかも件数は100件とか200件とかいやそれ以上だとか言われているのです。前触れもなく、巨大ハリケーンに襲われたようなもんです。
手抜きのマンションを購入し、多額のローンを抱える人々にとっては、驚くだけで済む問題ではなく、下手すれば首くくるような大事件なんです。一般住宅で手抜き工事が問題になっていましたが、そんな被害は今回のに比べたらまだましなほうだと言いたくなるほど、とんでもない悲惨な超大事件です。
まあ場所変え・品変えて次々詐欺みたいなことが横行しています。
平和が続くと人間は油断の上に大胡坐をかくようになるのです。今回の犯人は、姉歯であり・ヒューザーでしょうが、真の原因は関係者全員の「油断」に他ならないのです。平和主義者というのは、その他の○○主義者と同様に無責任なものなんです。平和が続くと、むしろとんでもなく大きく世の中は乱れるのです。
身体が丈夫な人は、油断して、とんでもない大病を患うものです。油断の上に胡坐をかく多くの人の目を盗んでやった大きな詐欺行為である今回の事件によって、我々は、次のことを強く認識しないといけません。そうしないとこんな大掛かりな詐欺事件が続発し国家混乱の元になりかねません。今回の事件はそういう大詐欺時代の幕開けを高らかに宣言した歴史的な事件であることは言うまでもないのです。
@自分の周りは、四六時中リスクだらけと認識する
A絶対に他人を信用してはいけない、他人にまかせ放しにしない
B自分自身できちんと確かめる
C予防策を確実にやっておく
Dいざとなっても大丈夫なように緩和策や対応策をしておく
E欲張り過ぎず・あせらない
F油断大敵・大丈夫と思う時ほど危ない
Gいい加減に決めるな・いい加減に行動しない
Hうまい話なんかないと強く認識する
I二重・三重・四重に予防策・安全対策をしておく
Jリスク・危険を分散しておく
K普段から、安全側・安全側に行くように努める
これからの時代は、リスク・調査・分析・防災・予防・警戒・監視・点検・準備・保険・保全・・・・が大切なことでこれを疎かにする人にはある日とんでもない姉歯の強度偽装事件まがいが降りかかるはずです。

この頁の先頭に戻る

inserted by FC2 system