村上原基人生勉強会 人生一言3  事務所:京都市伏見区/滋賀県高島市
村上原基人生勉強会 MKJB
    村上原基人生勉強会 人生一言3  
 
 
  
頁責任者:村上和隆
             目       次
149 .資産を分割して持つことの必要性⇒円(紙切れ)から金白金積み立てへの勧め「もう時間がない、資産の分割を真剣に考える時期が来た」
148 甘い自分・甘い親・甘い上司・甘い友人・甘い社会が自分を甘く評価する
147 マナー(気配り)は全ての基本である (例)私の守っている、他人の家にお邪魔した場合の心がけ・気配り
146 幸福を外に求めない・物に求めない・楽に求めない・・・・
145 社会に巣立つ人・大学に進学する若者へ(今年大学に入学が決まった親族の若者SSさんに贈る言葉)  2010年2月吉日 村上和隆
144 欧米文化に溺れ、どんどん人間は横着になり、結果的に自らを苦しめ崩壊へ導く
143 駄目夫さん駄目子さんへ、何でも一流にやろうとする心がけを持ち続ける
142 こじれた人間関係はどうすべきか、第三者の忠告はどうすべきか
141 2010年元旦に思う『人間は嘘つきで弱く、腰抜けで、虚栄心だけ強いものだが、自分だけは、現代人の自堕落な生き方と差別化したい』
140 今年も早々と来年の年頭所感を掲載しました
139 無駄なこと・無意味なことをやって人間や世界は自滅していく
138 自己点検をしよう、人生は日々反省と是正
137 「人間は大きな後悔をしないと真っ当になれない」最近のニュースで改めて感じたこと
136 執着を次々に脱ぎ捨てること
135 お久しぶりです。お元気ですか、山の畑仕事や本業がやや忙しくてご無沙汰しています。
134 勇気を持って向こう岸に渡れ、向こう岸からこちら岸を眺めて見よう
133 厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国
132 つまらん思い込みが生涯自分を苦しめる、まず自己の基礎・土台を見直すことが大事
131 仕事が忙しい時に、会社の人が言うことは、「忙しくてとてもそんなことできません」ですね。
130 「面白くなさそう、楽しくなさそう」だから見向きもしない、そんな人の人生は底も奥行きも狭いものだ
129 人間は、一体何のためにこの世に生まれてきたのか?
128 できませんは老人の証拠、できますは若者の証拠
127 人間は本来の生き方からどんどん遠ざかっている、これで良いのか?
126 私の体験に基づく、成人・大人についての認識
125 「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし・・・・」徳川家康
124 違う視点からものごとを診ることができますか?
123 秀才型の人は努力を怠る、だから碌な人間にならない、バランスのいい人間に成熟しましょう
122 人生において、自ら整えるべきこと
121 二兎追う者は一兎をも得ず
120 こんな人になれ、村上和隆の一事例
119 つくづく日本の政治家の無能さにあきれるが、世界の紛争やサブプライムローン問題やその後の金融破たんを見るにつけ、日本だけでなく、世界中愚民愚政になってしまったようです。
118 健康に関する誤った行動
117 社会人として私のあるべき人間像
116 生活をあらゆる部分で半分以下にしてきました
115 与えられたものに安住する怖さ
114 自分なりの高齢化・物価高・巨大地震などへの予防処置の重要性
113 心の病一覧
112 歳とって、[気がついたら自分自身が何もなかった]で良いのか?
111 物事を複眼的に捕え、立体的に捉えるために、多くの違う経験をしましょう
110 がっかりしても、しょうもないのに、人間は何かあるとがっくりする、愚かしいことだ
109 便利で豊かな社会で誤魔化して暮らす
108 矛盾は矛盾でなく、安易に矛盾を排除することこそが矛盾である
107 夏が来るとなぜ森は涼しくなるのか?
106 ライフスタイルを変える時期がきています(今すぐに、早く・思い切って自分だけでも変革しよう)
105 本物と偽物の区別ができない現代人、勧んで偽物(肥溜め風呂)にどっぷり浸かっている都会暮らしの現代人
104 「何故・何故・何故・・・・・・と10回以上繰り返し質問せよ」
103 人生とは思っているより、無限に奥深いものである
102 幸福に本物と偽者があるが、大半の人は偽者の幸福を追い求めるから悩みが増えるのです
101 なぜ私、村上和隆は人生塾を立ち上げたのか、信頼できる人を増やしたい
100 簡単なようで難しい「捨てる・欲ばらない」とは一体どうすれば良いのか?
99 経営は成り行き管理から科学的管理に変革されたが、人生は成り行き管理のままだ
98 毎朝誕生し、毎夕死ぬという感覚で日々暮らす、良いことも悪いことにも日々向き合い、日々精算・日々完結してこと
97 豊かさと便利さの都会で暮らしていて、心身の病気をしないのは不思議なくらいだ
96 実現損失に対して、機会損失というものがあるが、知らない間に多くの損をしているのだ
95 人生は相対性幸福論で
94 沢の基準のレベルをかなり下げてみましょう。幸せ感がより高まるはずです
93 現代は「箱物文化」立派な箱を作り、その箱の中に「引き篭もって」暮らす
92 現代の過度な主義の猛反省し、自分の生き方を見直そう → 自然主義
91 多くの物・多くの人・多くの仕事・多くの贅沢・多くの趣味に浸っている都会の暮らしが極上の暮らしなのか?
90 「力を抜け、力むな」こんな簡単で効果のあることが、人には案外できない
89 有能な他人を応援してどうするのよ?そのエネルギーを自分自身をもっと応援し自分自身が頑張れ
88 悩む人は悩みが大きいほど、深刻なほど、長いほど、進むべき方向が間違っている
87 物価上昇や税や費用負担増にどう対応するべきか?
86 小ぽけな人間のままで満足しているのか?
85 貴方の人生は、いつも順調とは限らない、甘えた生き方によって逞しさを失うな
84 神仏から与えられた大自然から遠ざかる現代人・都会人それで良いのか?
83 今年も滋賀県安曇川の支所開設
82 安易に親兄弟や社会に頼るのは、その時は楽だが、つらさを避ける小さい人間に繋がる
81 小人、閑居して不善をなすか?
80 人は、本来すごい素質があるのに、自分は問題だらけだと強く自覚する改めようと決意することがスタート
79 禅の教えを取り入れて自分を変革するとものの見方が大きく違ってくる
78 何を捨てて何を残すか、まずは思い切り捨て、そして新たなこと始めよう
77 失敗しよう、どんどん失敗しよう、失敗なんかくよくよするな、失敗こそ我が人生
76 人間は喜びたがり、しばしば喜び、はしゃぐが、一体、そんなに喜ぶべきなんだろうか?
75 止めることはなんともすがすがしいことなんだが、人は一度手に入れたものを手放せない
74 些細なことでも暮らしのあらゆる事において、真剣勝負という言葉を思い出し、真剣勝負の気持ちを取り戻そう
73 ここ何年も止めることに挑戦し続けていますが、指導者は率先垂範、手本を示す
72 世界に冠たる日本の精神文化の伝承も途絶える時が来ている、なんとか自分だけでも日本人でいたい

■過去blogに投稿したものの記録

今すぐに真剣な対応を:資産を分割して持つことの必要性⇒外貨や金白金積み立ての勧め 2010-03-11 07:47:12?|?暮らし
195.資産を分割して持つことの必要性⇒円(紙切れ)から金白金積み立てへの勧め「もう時間がない、資産の分割を真剣に考える時期が来た」
日本の状況が危ないので金白金の購入を始める人が最近多いらしいのです
ギリシャより数倍ひどい日本の財政赤字ですから、財政赤字以外にも政治の貧困など多くの困難な問題を抱える日本は、いつどうなることか心配はつのるばかり
世界一財政が最悪で、国力が日増しに低下し、年々外貨収支も減少している日本の状況ですから、いつか、第二のギリシャも視野に入ってきそうですね
円も所詮は株券(紙切れ)です、今はまだ外貨準備も健全ですし、日本が信頼されているので各国で円を持っているし、日本国民も持っているのです
円という株が値上がりしているうちは、むしろいいのですが、今後いつか、本格的に値下がりし始めたら怖いですね
円高が今問題になっていますが、どうなんでしょうかね、ここ3年のイギリスのポンドが40%韓国ウオンやユーロなんかの低下は30%とすごいですからね
円だって40%くらいの値下がりは十分ありえることで、覚悟しておく必要がありそうです、そうなれば日本企業にとっては有利な面もある一方で、国民は、輸入に大きく依存している食糧や原油や金属をはじめ諸資源、ただでも値上がり傾向ですが、更に急速に大幅に値上がりし、消費税の20%や30%程度なんかでは収まらなくなってきます
逆に言えば、日本の将来を展望すると、今のうちに消費税を上げて早く膨大な借金を減らして健全になっておいたほうが無難なのです(更に借金してまで支援金なんかは、全くの愚策で、かえって迷惑千番です)
株価が下がるということは一般的に「その会社が駄目だ」ということをつきつけられたということなんです
「危険な株式投資は絶対にやらない」という人も、実は円という上がり下がりする株券を大量に持っているということなんですよ
近い将来、日本人が「莫大な円という紙切れ株券を持っていること」に気づくときが、そろそろ来るかもしれません?
自民党の麻生政権や予想外の鳩山政権の無能さぶりですから、もう政治に期待するのは無理・無駄ですかね?日本の政治がやっと三流から二流・一流と少しづつ良くなっていくと思っていたら四流・五流に更にひどくなりそうですね
日本の政治家や悪役人に依存するという姿勢は、もう絶望的で依存すればするほど、日本国民の将来は暗くなりそうですね、もうそういうおぞましき段階ですね
日本の政治というか国家には頼らず、自分自身の力でどうにかやりくりしていかないといけないというわけでしょうかね?
私流に、極端な言い方をすると、”日本と半分、縁(円)を切る、政治家と役人を見捨てる”というような感じになりそうですね
すなわち円という株券もいつ暴落するかわからず、老後の全資金を円で持つ高齢者としては、早めに分散しておくべきかもしれません?
日本の財政赤字は、昨年まで黒字化を目指していましたし、民主党には維持又は更に削減を唯一期待していたのですが、(温暖化ガスの大幅削減・高速道路無料化とか子育て支援(=飲み食い支援?)なんて誤魔化しは要らないのですがね)
少しくらいはしかたがないとしても、今度の鳩山政権は、非常識と思うような信じられない多額の赤字予算を組んでしまいました(恐ろしいほどの愚かさですね)
「巨額の赤字は自民党が作ったもので民主党には関係ねー」みたいなことらしいですが困ったものです。自民党以上に赤字増やすなんて政権交代の意味が全くないですよ
鳩山政権も国民の期待を大きく裏切って、マタマタお粗末・世間知らず・苦労知らず・親離れできてない・いいとこのお坊ちゃん首相で、お金の苦労を一切してこなかったのでしょうか、国民の将来確実に起きる超膨大な国家や地方の借金による深刻なお金の心配なんかどうでもよいようです
もうこれ以上、へっぽこ政治家や穀つぶしの悪徳役人どもに頭下げて「お願いします」なんて言って、自分の将来を預ける・任せるなんてもう金輪際しないことです
怪しげな単なる思いつきのマニフェストをかかげ当選したらホコロビだらけ、馬鹿でもできるバラマキ政策、親からお金もらっていたが、それを知らなかった一国の首相(本当は知っていたに決まっています、この嘘つきめ)いいとこのアホ坊ちゃんに、右肩下がりで高齢化や豊かさボケでかつて世界一優秀・勤勉であった国民も加速度的に無能化するばかり、なんで日本や自分達の大事な財産や暮らしや将来なんか任せられますか???
国民へいい格好しで大衆迎合だけの政治家は、いりません。国家百年の大計を立てて果敢に実行するのが真の指導者であることを全く忘れていませんか?
かつて世界戦争で完敗した日本が今や長かった平和ボケにより世界に完敗しつつあるのです、日本は歴史上類を見ないほどにジェットコースターのように頂上からトコトン崩壊の奈落の底へと急降下し始めているのです。そのきっかけが膨大な財政破綻になろうとしているんですが皮肉ですね
巨額の財政赤字と円安とは、目下のところは、直接すぐに結びつくのではないのだそうです
日本国債は世界的にみても特殊なケースで、ほとんど全て、国内で引き受けているので、今すぐには円の暴落には結びつかないようですので、まあ一安心ではありますが(???)、
安心できるのは、「借金が減るという確かな見通し」がある場合だけのことであって、借金が増えるという予測に変われば、明日にでも日本国債は暴落しとんでもない厳しい事態が、ある日突然起きる可能性があるのです
それは今回のギリシャどころの騒ぎでは収まりませんよ、世界を巻き込む日本の崩壊・消滅になるかもしれないのです?そういう意味では、日本が第二次大戦に突入したことと同じように、ある日突然、とんでもないドロヌ沼に引きづり込まれるかもしれないのです。まだなんとかなる今こそ、もっと日本は、しっかりと主体的・長期展望を持つべきですね。もう、せいぜい、3年くらいしか猶予はありませんよ。
もし、国が駄目なら、今すぐに、よほど自分自身で自己防衛を強固に実施しておかないと世界一の借金大国日本の巻き添えを喰らいますよ。
こんなことは誰でも考えれば、おわかりですよね”膨大な借金が返すあてがなければ”今余分の現金が少しあるくらいのことは屁のつっぱりにもならないのです
1.5億円の借金をしている人が、手元に5千万円持つていても、借金を減らす見通しがなく、むしろ利子だけ考えても更に大きく増えるのであれば、手持ちの5千万円なんてあっという間になくなってしまうのです、もう誰もお金を貸してくれなくなるのは当然で高利な利子も吹っかけられるのです、返すことを真剣に考えることが大事なんです
国の借金が1000兆円、国民の資産が1500兆円だから安心なんてのも、リーマンショック以前の話であって、今や、かなり怪しくなってきているのです
日本の国や地方の借金は日本国民が抱えているということですかね?でもそうするとそのツケはやがて確実に、国民に帰ってくるのです(子育て支援でなく、親の飲み食いに消えた子育て支援などの借金のツケだけが、子供の肩に、更にずっしり重くのしかかるのです)
国民としては「お父さん、サラキンに頼らず、早く消費税あげてもいいから行政改革や無駄の徹底削減や行政法人を減らして、地道に借金返して」と叫びたいのですが、言うこと聞きません(民主党も自民党と変わらないどころか、自民党よりかなり俗悪というわけです)
まあ収入の何十倍の借金をしていて、今後これが更に増えるなんて、財政赤字に関しては、日本の崩壊は、ギリシャどころの騒ぎではありませんよ
(外貨収支も減る傾向ですが、今現在日本の外貨準備高はまだ大丈夫ですが、今後は不安が加速度的に増大しそうです)
「借金すれば地道に返す」これは当たり前のことなんですが、政治家や役人は相当異常なようで、更に平気で借金をするのです、精神異常者としか言いようがありません。諸外国も実にあきれているんですよ「もう、いよいよ日本もお仕舞いだね」って
国民は政治家に、あれこれお願いしないことです。国民自らが、もっと質素倹約・耐乏生活をし、苦しみに耐えること勤勉に努力することです
どこに、大借金している親にお金をせびる又はもらって当然・もらって有難いなんて思う子供がいますか?そういう意味で、今の日本は国民は異常ですよ、狂っていますよ、「お父さん私がお金出すから借金返してよ」というのが正常でしょうに
いつの時代も崩壊の直接の原因というのは、甘え・油断・保守・保身・堕落・解決先延ばしなんです
私が感じる目下のもっとも危険な考え方は『なんでも国家のせいにすること』なんです。マスコミは是非この姿勢を根本から是正しないと、この国の崩壊は早いですよ
ところが目下の日本人やマスコミが悪いことは、国家存亡の一大危機にあるのに、その解決をボロボロの国家や痴呆政治のせいにしてしまって傍観者や弱い者攻撃者や依存者(金せびり・支援頼み)になっていることです。これは、国民が国家に、国の行く末を無責任に任せてしまった第二次大戦の前夜とすこぶる似ているのです
日本のGDPは年々低下し、国民の一人当たり所得もどんどん減っています
税収入はどんどん減る方向ですから、1〜2年以内に長期金利がアップすれば、
金利分の増加により、国や地方の借金は更に雪だるま式に増え、
銀行や日本企業の業績悪化・株価低迷・消費税アップ・行政サービス低下など悲惨な状況になるのは必至の状況です
低金利・ゼロ金利で感覚がマヒしてしまっているのです。重傷の麻薬患者みたいなもんです。日本はこの際『良い意味で開き直るべきなんです』『大手術を覚悟すべきなんです』
ところが大手術を避けるような甘い政策(人のため・愛の政治???)しか出てこないのが民主党です、民主党は、とんでもない本質的な勘違いを犯しているのですが、マスコミも国民も、そのことに気づかないようです、あえて目をつぶっているようです
今こそ政治家は、厳しさや国民からの大きな支援・犠牲・献身を求めるべきなんですが、全く逆のことをしているのです
今後予想される少子高齢化や日本企業の競争力低下により輸出も減り外貨収支が悪化でもすれば悪化は更に加速します
日本の問題は山積みで、問題だらけ満身創痍、身体中末期癌のような状況なんです
単に巨額の財政赤字だけの問題ではなく全体的に多くの大きな不安要因をかかえていることが問題なんです
「財政赤字は単に国内の身内同士の借金だ」などと呑気なことですまなくなってくるのです
そういう安易な大丈夫論の姿勢は、今後弱体化し世界の地位が年々低下し、製造工場もどんどん海外に逃げていく日本にとっては、かなり要注意ですよ
(高齢化・財政赤字・企業の競争力低下・少子化・低い食料自給率・巨大地震国・年金破綻・膨大な生活保護世帯の増大・健康保険破綻・学力低下・意欲や勤勉性低下・外貨収支の悪化傾向・石油や資源の高騰・漁業や林業の崩壊・インフラの老朽化・医療崩壊・異常気象・自然災害の増加・・・・・)
問題は、それがいつから表面化するかということなんです。悲しいことに、日増しに悪化していってもおかしくないのです
さて現実に戻って、経済的な面で、我々高齢者はどう自己防衛すればいいのでしょうか?
今、円高で消費税が5%の、このときにきちんとした守備固めのポートフォリオにしておこうというのが高齢者の戦略だと思いませんか?
まあ実のところ素人の私も、高齢者のなけなしの財産の当面最適な維持保全の方法がよくわからないのですよ、正解があれば教えて欲しいですね
私はとりあえず、欲出して、儲けるのは止めにし、守りに徹し防衛体制ということにしました
今円の一人勝ちで、円高や消費税が安いうちに金・白金や外貨などを買っておくとその分が得になりますからね
グローバル化なんて嫌なことですが、逆に利用しない手はありませんよ、日本人だから資産は円で持たねばならないことはないということを強く認識しないと良かれ悪しかれグローバル化の時代には生きていけないのです
何度も言いますが円は日本国の発行する株券なんですよ!!暴落し単なる紙切れになることもあるんですよ!!株券ですから、今値上がり(円高)しているうちに一部を売って、外貨で持とうと金・白金で持とうと自由なんですよ!!
日本に住むことと日本に大きく依存することは別物になっていることを再認識しないととんでもない大きな落とし穴にはまりますよ
今の時代は、個人的にも日本の政治家や役人を実質的見放す、見捨てることもできるのですよ
まさに明治維新に日本各地の郷里を捨てて東京に出てきた人々に似ているのですよ
当面1/3くらいを金白金で持つように目標に決め積み立て開始したらと思っていますが?
実は、金・白金は使うのが面倒なだけで、円は日常使い易いというだけの違いだけなんです
ですね、本来は全額、金・白金で持つほうが良いのです(昔はマジで金本位制であったこともあるのです)
 ・円 で 1/3  (もっと少なくていってもいいかもしれない?)
 ・外貨で 1/3  (ネット証券やネット銀行の外貨MMFなどでよい)
 ・金白金で1/3  (金・白金現物を購入)有事の貴金属
のポートフォリオを設定するように決めるというのは、いかがですか?
欲張って、株でお金を増やすことより、今の財産をきちんと保全することを最優先にするべきでしょうね
もしどうしても株式投資も、少しはしておきたいというのであれば、旧来の企業への投資は完全に止め、デイトレーダーもやめ、これからの技術力のある成長産業や堅実な安定企業に限定すべきですね(例:ネット関連・バイオ関連・環境関連・ニッチ・世界的な高度技術企業)
このブログのメインテーマ「リスク分散のための金・白金はどこでどう買うのが一番よいのか?」疑問になりますよね(ところで「貧乏人間ですから金なんて縁がありません」というは大きな間違いで、少しでもいいから、貧乏人間ほどやっておくべきなんですがね、また金・白金の商品先物取引は絶対にやってはいけません)
●いろいろ素人の私も調査しました、買い方には次のような種類   金地金購入
 1・第一商品や豊商事など商品先物取引業者
 2.町の金加工品や金貨幣や金装飾品業者
 3.住友金属や三菱マテリアルなどの金属鉱山関係会社
 4.田中貴金属のような金属取り扱い専門業者
●選定基準は
 1)信用
 2)売買の容易さ
 3)保管
 4)料金
 5)全体的利便性
その結果次のものを選びました、理由は信用や利便性や売り買いの容易性や保管などの点です
田中貴金属のG&Pプランナーというのが気に入りました、ネットで会員登録をすれば、その日から開始できます
http://gp.tanaka.jp/
田中貴金属金投資の評価
会員登録以前にまずネット銀行の口座開設しておくと便利です
・イーバンクか
・ジャパネット銀行などネット銀行
に加入しておくことが良いです(ここらへんは実地にネットで調べて勉強して下さい)
田中貴金属のG&Pプランナーは、ネット株取引のような感覚で金白金地金を蓄えることが可能です
その他を調査しましたが、どれもやや面倒で素人には不向きです
●良いところ
・会員登録して毎月の購入金額を設定し、イーバンクなどから毎月引き落としができます(他の購入先では、できないものがある)
・毎月の定期買い以外にスポット買いもできます
・購入金額もネットで随時変更できますし(他の購入先では、できないものがある)
・解約もいつでもできます
・金白金の現物も随時引き出せますし、郵送してくれる(他の購入先では、できないものがある)
もし私の考えが間違っているとか、他にもっと良い方法を知っているという人は、是非ご教示下さい
ちなみに、最近も、金・白金が値上がりし続けているのも、お金という株券を持つことのリスク回避の証拠だと思いませんか?
ちなみに、最近ある専門家が金・白金は、今3月ですが、ここ当面数ヶ月、上がりそうだということです。関心がおありの人は、今すぐに、いろいろ情報収集してお調べ下さい。
もっとも比較的安全な金・白金と言えども値下がりすることはありますから、自己責任で、ほどほどにどうぞ
●5月19日追記
ギリシャ財政破たんによるサブプライムローン並の大不況が再来しそうだ。やっと景気回復かという矢先に、困ったことだが、手持ちの株式や債権や投資信託などの処分は早めに、迷わず、今すぐにでも、株価も9000円台前半への下落の可能性もあるとか???
甘い自分・甘い親・甘い上司・甘い友人・甘い社会 2010-03-08 20:46:05?|?人生
その83.甘い自分・甘い親・甘い上司・甘い友人・甘い社会が自分を甘く評価する
多くの人間は、自分自身のことをどう思っているのだろうか?
多くの人間は、自分を案外、素晴らしい者だと思っている
それが証拠には他人からけなされようもんなら、烈火のごとく怒るのだ
でも、自分が素晴らしいかどうかなんて、一体誰がそんなこと言ってるんだ
誰なのか?自分勝手にそう思っているに過ぎないのではないのか?
甘い自分が自分を評価鑑定してどうなるというのか?
評価鑑定は、相当に厳しい人にやってもらうのが良いのだが
そんな人は自分の周囲にもいないし
もしいたとしても、そんな人のそばには近づこうともしないですよね
普通、自分の周囲は、自分と同じ程度又は以下の人が集まっているもんだ
大企業の社長でさえ周囲にはおべっか言う人間を取り巻きに置くものだ
すなわち、日々甘い周囲の人々とナーナーの付き合いをしているだけなんだ
人間って奴はそんなもんだ、他人から少しでも忠告されると良い気分はしない
生き物のなかで一番、それほど了見の小さい生き物なんだ
まだ「いやそんなことはない厳しい会社や社会の評価に日々晒されている」なんて言うのか
でも会社や社会も、所詮、自分と大して変わらぬ人間ではないか
かくして日々死ぬまで「自分を徹底して甘やかして生きる」のが人間なんだ
甘い自分が甘い人に囲まれて、甘い生き方をしているということだ
そんな甘い自分に、生涯、一体どれほどの大事ができようか?
「そんなことはない、これまで幾多のつらい厳しい生き方にわが身を晒してきた」なってまだ言う
もしそうであれば「さぞかし日々が楽しく、充実し、微塵の迷いも悩みもなく、平常心で誰からも尊敬もされている」というわけか?
そういうことを言われると、「そんなことはない」という自信のない答えが返ってくる
いいか、一度真剣に自分の評価鑑定をしてもらいなさい、または自ら厳しい評価をしてみなさい
そうでしょ、多分何一つとして自分の行いがきちんとできていない子供以下の自分に驚愕するはずだ
まあ驚愕する人は、まだましなほうで、まだ見込みがあるというものだが
ほとんどの人は、依然として、自分はそこそこの人間であると信じきっているから始末が悪い
そして団栗(ドングリ)の背比べで、「やれ誰より自分のほうが勝っているのなんの」とわめくのだ
何よりもまず、とてつもなく自分自身に甘いことに気づくことが第一歩だ
全ての修行というものは、不完全極まりない未熟な自分をまず強く認識することから始まる
そして、全ての修行というものは、最後死ぬまで自分が不完全極まりないということを認識し続けることだ
世の中は、中途半端な人間を世の中に送り出し、日々甘い環境で育てられるのだ
特に豊かで便利で平和になった現代はそうである
特に豊かで便利で平和になった日本や欧米がそうである
豊かで便利で平和というものは、人間から強く逞しい健全な魂を抜き取るのだ
豊かで便利で平和は、人間をますます甘くするだけなのだ「子孫に美田を残すものではない」のだが
それでも、豊かで便利で平和を求めて、人間を弱体化するのに全勢力をかける
国や親達は、多額の税金やお金を使って、教育していると言うが
親や社会が家庭での教育を放棄し、甘えん坊先生や塾やテレビやネットにお任せで、真の努力を放棄してしまった
親が自ら子供達に真剣な教育をする代わりに、いかにずる賢く生きるかを教えるのだ
豊かで便利で平和でない国の人々を見て「可哀想だ、何とかしてあげたい」なんて先進国の人間は言う
大間違いもはなはだしい、思い上がりもはなはだしい、愚かなことこの上ない先進国の甘い人間
可哀想なのはどっちだ、甘えた日々の暮らしにドップリ浸かって、自分を甘やかし放題甘やかして暮らす
片や、日々食べる食物も水もお金もなく、厳しい日々を真剣に生きる磨かれた人間と
一体どちらが人間として優れているというのか?
甘やかさされ放題の先進国の人間は、人間を物や金や暮らしぶりでしか見ない
人間として立派かどうかなんてものは、見ようともしない
むしろ人間として立派でなくても、お金や権力がある人間を素晴らしい人間と誤認してしまう
自分を厳しく評価・鑑定し、日々反省に結びつけ切磋琢磨していくのでなければせっかくの人生も無駄に終わる
真剣に生きるということは、そんなに難しいことではない
難しく考えるから、難しくなり、実行につながらないのだ
日々の行い・暮らし・仕事・身の回りの雑役・人様との付き合い・・・いつも真剣に向き合うことだ
悟りを開こうなんて考えていると、いつまで経っても悟りどころか、人間としての基礎さえ出来ずに終わってしまう
頭だけで考えようとするな、頭で良い・悪いを考えるな、つまらんことに欲を出すな
いいか、日々の暮らしの中で身の回りの全てにおいてきちんと真摯に真面目に素直に実行すればいいのだ
人間は堕落すると、徹底して堕落するものである
堕落し続けるほど怖いものはないはずなのに、人間は喜んで堕落に身を任せてしまう
怖い・怖い・怖いそんな傲慢で怠惰で欲張りで我侭な軽蔑に値する自分を人間として受け入れてている自分が怖い
放っておくと自分はどんどん甘やかされてしまう
甘やかすのは社会でもあるが
その甘やかしを止めるのは、厳しい鬼のような自分以外にはいないと覚悟せい
甘い人間に手当てを出すなんてことを今の政治家は好き好んでやる
努力も反省もしないで「くれくれ」「もらって当たり前」なんていう人間が増えているが
こんな世の中にしてしまったのも、政治家や役人などの無能な人間のやってきたことの結果なのである
戦後の衣食住に困っていた時代を思い出せ
誰も手当てなんかくれなかった、その日の暮らしにも困り果てていたじゃないか
でも皆元気で明るく、未来を信じて、質素で倹約で謙虚で勤勉で素直で真面目だったじゃないか
逞しく、素直で、質素で、元気で、明るい、きちんとした人間に育てるのが教育である
自らもそういう人間になるように日々努めて、子供や若者の手本になるべきなのだ
社会や政治や大人は、自分自身と子供を逞しく育て、決して甘やかしてはならないのだ
何事によらず、全ての前にやっておくことはマナーである
2010-02-22 21:01:49?|?人生
82.マナー(気配り)は全ての基本である (例)私の守っている、他人の家にお邪魔した場合の心がけ・気配り
何によらず、日本では古来弟子に対して最初から芸を教えずにまず、礼儀作法からというようなことがあったのです
会話だって同じことでして、まずは礼儀作法=マナーから入るべきですよね
ところが最近の若い人も無論大人でも結構お付き合いのマナーに欠ける人が多いのは情けない話ですね
例えば、私のやっているコンサルタントの先生やISO審査員のような、本来模範的であるべき人ですらも案外マナーのできていない人や無神経な人がいるもんです
そういう人に対していくら立派そうな先生や審査官であっても「あのコンサルタントや審査員にもう一度来て欲しいですか?」とお客様の感想をお聞きすると、答えはNOですね
そのNOの原因は、@マナーの悪さA会話の下手さBやさしさや気配りのなさC役立たない、という順番ですかね
さて次に、あくまで一例としてマナー(相手への気配り)のお話をしましょう
相手のいかんを問わず、私は他人の家や会社を訪問したときに礼儀というかマナーを自分なりに決めてしっかり守っています
それを次に紹介します。
しかし私の場合、これらは普段自分の家でも全く同じようにやっていることで他人の家や会社を訪問したときだけ格別にやっているものではありません
よくあることですが、自分の家では、ひどいが、他人様の家ではきちんとできるという人がいますが、これでは、心がこもっているとは言えませんね
普段から身につけておいて、いついかなる時も、普段どおりに、きちんとできるのということが大事ですね
1 きちんと事前に用件や訪問者、訪問時間の約束をしておく
2 約束の時間にきっちりにお伺いする、早くても遅くてもよくない
3 食事の心配をするような時間には訪問しない、又は食事時間前に帰るような時間設定をする
4 前の日から、身だしなみをととのえておく
5 前日からニンニクや酒など口臭に結びつくものは食べない
6 必要に応じて、1000円程度の土産を持参する、小さいもので、しかも気の利いたもの
7 事前にトイレに入り顔・頭髪・歯・目・衣服の掃除など身だしなみを確認し整える
8 トイレで当然用を足しておく
9 外でコートなどは脱いでおく
10 許可が出ても、タバコは絶対に吸わない
11 玄関では脱いだ靴を端に寄せ方向を変えてきちんと置き直す
12 せっかくお宅訪問をしたのだから、家のことなど良い点をみつけ褒める
13 座る席は、まずは入り口に近いほうに座る
14 畏まったお宅の場合、いきなり座らずに立って待ち、先方から、座るように言われてから座る
15 洗面所などを利用する場合は使用後にきちんとテイッシュで水や汚れをふき取る
16 トイレを借りる場合は、尿を飛散させないように、座って用を足す
17 宿泊して風呂をもらう場合は、入浴前にお湯で身体や尻などをきれいに洗い入る
18 浴槽で温まって、身体を洗った後は、シャワーで荒い流し、洗った後は浴槽に入らない
19 浴槽の周囲や抜けた毛などはタオルやテッシュなどでふきとっておく
20 ハンカチとテイッシュは必ず持参しておく
21 最終的にシャワーの水を床に20秒くらい万遍なくかけて洗い流す
22 食事では音をたてないで食べる、ゲップをしない
23 飲み物がでたら、少なくとも終わったら隅っこにきちんとまとめてから立ち上がる
24 食事などは残さず、皿についた醤油やマヨネーズもできるだけきれいに食べる
25 終わった食器は片付けるか端に寄せておく
26 使用後の皿は重ねない
27 場合にもよるが、特別の理由がない限りは、訪問時間は1時間を目安にする
28 または最初に「今日は何時頃までには次の用事がある」というようなことを言っておく
29 ゆっくり座ってからも相手の家のことや相手の良いところを見つけて褒める
30 自分だけ一方的に話をせずに、あくまで相手中心なり、先方の好む話題を中心に会話を進める
31 そこにいない他人の悪口などは言わない、もし言う場合は、かなり慎重に言う
32 相手に十分な気配りをし、楽しい会話をすることを心がける
33 固い雰囲気にならないように終始なごやかにする
34 欲を言えば、お互いに何か得るものがある出会いとするように努力する
頭は良いが、金持ちだが、美人だが、一流会社の人だが、会話は上手いが、・・・・マナーが悪いでは、全てが台無しですね
飲食店などでよく言われることは、メニューの良し悪し以前に店の清掃・清潔・気配り・オモテナシが大事と言います
マナーは、何事においても基本的に大事なことですが、これ以外にも、基本的なこととしてきちんとしておくべきこととして、例えば、人格や品格を磨いておくこととか、趣味や読書や教養や様々な体験や人生観なども積み上げておくなどということなども大切なことですね
幸福を外に求めない・物に求めない・楽に求めない・・・・ 2010-02-18 07:40:33?|?人生
平和で豊かで便利な日本でも、不満や欲望には際限がない
@ 美味しいものが食べたい
A 楽がしたい
B きれいになりたい
C あちこち旅行がしたい
D 立派な家に住みたい
E 自動車が欲しい
F 美人と結婚したい
G お金がもっと欲しい
H 新しい服が欲しい
I 楽しい人と友人になりたい
J 立派な家具が欲しい
K いつまでも若くいたい
まあ世界には、その日の食べ物にも困る悲惨な暮らしをしている人々も多いというのに、これだけ恵まれた日本でもむしろ不満や欲望は増すばかり
一体、人生をどう考えているのだろうか?
際限なく欲望を満たすのが人生の目的でもあるかのようですね
例えば美味しいものを食べたとします、でも「あー幸福」と思うかもしれませんが、そんなのは一瞬です
永続しないのです、というより、むしろそういう幸福を味わったことが更なる新たな欲望の追求に結びつくのです
「もう一度食べたい」「ずーっと美味しいものを食べ続けたい」「もっと美味しいものを食べたい」・・・・
私は、60歳の頃から、こういうことを、真剣に抑制し捨て去るようにしてきました。
そうすると、当初は確かに禁断症状のようなものでそれがストレスになるようなこともありましたが、
やがて、むしろ爽快というか、贅沢を求めなくても平然としていられるようになってきました
最近では、むしろ無意識のうちに、質素を求める気分のほうがより強くなってきたような気がしています
そして質素な生き方は、いろいろな面で自分を向上させたり、経済的にも楽になったり、世の中のお役にたつことを実感するようになってきました。
一膳の飯でも美味しいと感じる、一汁一菜の粗末な食事でも美味しいと思う
今日も健康で元気でうれしい
平和な暮らしができてうれしい
皆当たり前ではないのです、何もないということでも実にありがたいことなんです
平凡や普通であるという幸せに感謝したいものだ
私の体験によると、贅沢をしない効果は次のようなものですかね、それは予想外に大きく、素晴らしいものですよ
@ ストレスが減る
A 健康になる
B 経済的に余裕になる
C 時々贅沢なことをすると、非常に幸福を実感する
D なにを食べても何をしても美味しい・楽しい
E ガツガツしなくなる
F 不幸を感じることが少なくなる
G 忍耐力や我慢することが平気になる
H 資源の節約になる
I 地球環境にやさしくなる
J 以前に比べて、物事の本質が見えてくる
K どんどん自由な境地に近づいていく
キツネが落ちるというか、悪霊が落ちるというか、見せ掛けの・マボロシの幸せから解き放たれるというかそういう心境ですかね?
まあ麻薬患者のことを考えて戴くと、こういうことが理解して戴けるかもしれませんね
贅沢や欲望を満たすために貪欲になる人は大げさに言えば、麻薬患者のようなものです
麻薬が幸せだと勘違いする、麻薬が切れるのが怖い、麻薬を吸っていればかろうじて幸せを感じられる・・・ということですかね
浦島太郎の話ではありませんが、亀を助けたばかりに、竜宮城につれていかれます、そこで美しい乙姫様や鯛や平目の踊りを見、美味しいものを食べて
楽しい数日が経ち、それに飽きて戻ってみれば、なんと年寄りになっていたという話ですが、乙姫様が言うように玉手箱を開けなければよかったものが、開けたばっかりに老人になった自分に気づくことになるのです
浦島太郎の話を良い爺さんの話と思っている人が多いのですが、一見良い爺さんが陥りやすい過ちを諭しているのですねー
これは現代人にも通じるのですね、高度成長によって亀を助けて、竜宮城に行き、豊かで便利な暮らしをしていて、よせばよいのに更に開けてはならない玉手箱をあけたために、今はすっかりお爺さんの惨めな日本になっていたということです
麻薬患者にとって、麻薬を止めるなんてことは、考えられないこと、極めてつらいことなんですね
しかし、どうでしよう、私のように少しでもやめていくと、「なーんだ、止めたほうがいいじゃないの」ということがわかってくるのですね
でも止めるということが、こんな簡単なことが、実は、最大の難関なんですね
止めること、そうすればそこに大きな幸せがあると、何度も言っても聞く耳を持たないのです、
耳を持っていても、心や身体が伴って行かないのであります
仏教や禅で「捨てよ」「無」「空」とか言いますが、修行中の見習い僧でも、簡単なようでなかなかできないことのようです
禅修業をしようというような素養のある人でさえ、そんなものですから、いわんや凡人には難しいのでありましょう
@ 外に求めるのではなく内に求める
A 物に求めるのではなく、心に求める
B 贅を求めるのではなく、素を求める
C 取るに求めるのではなく、捨てるに求める
D もっとに求めるのではなく、もうに求める
E 量に求めるのではなく、質に求める
F 欲に求めるのではなく、足に求める
G 大を求めるのではなく、小を求める
H 多を求めるのではなく、少を求める
I 華美を求めるのではなく、清楚を求める
J 勝ちを求めるのではなく、負けを求める
K 得ることを求めるのではなく、与えることを求める
幸福というものを外に求めてはいけないのですが、まだ未熟なんですねー、ついつい外に外にと、物に物にと求め続けるのであります
そうして永遠に外や物にと求め続け、何の成長もないまま、幸せを実感することなく一生不平不満の中にいき続けるのであります
何事も、ほどほど・控えめ・節度・質素・・・が肝心のようです、それが幸せや健康の元なんですね
うつ病なんてのは言わば「贅沢病」なのかもしれませんから、原点に戻って、質素でほどほどに生きれば直ると思いますよ
社会に巣立つ人・大学に進学する若者へ  2010-02-11 08:41:36?|?人生
80.社会に巣立つ人・大学に進学する若者へ(今年大学に入学が決まった親族の若者SSさんに贈る言葉)  2010年2月吉日 村上和隆
日々、一流の人間を目指せ
日々、一流の生き方を求めよ
そのために、常に自分の生き方が一流であるかを問い続けよ
一流の生き方を模索し、真面目に一つづつ実行し、身につけて行け
道元・ 白隠・ 親鸞・ 二宮金次郎・・・数限りなく非凡な先人がいる
日本人として、多くの日本の先人・賢者に貪欲に学べ
一流の人間とは何かを問い続けよ
日々、一流の人間の生き方を追求せよ
古来高名な僧が「衆生本来仏なり」と言う、人間も皆、尊い仏性を備えている
仏性を持つ人間が、日々一流を求めずして人生に何の意味があるのだ
「一流な人間とはどうあるべきか」は自分自身が考えろ”一流”に決まった定義があるのではない
その結論を出すことが一流の人間の最初で最後の課題でもあるのだから
自分は、一流の人間とは何かを問うこと自体を最初から放棄していないか
自分は、一流の人間になることを頭から諦めていないか
苦しいから・つらいからと泣き言なんか言うんじゃない
安易さや・安楽を求めることは、若者の役割ではない
すすんで苦を受け入れる広い心さえ持てば、苦しいことも良き師・良き友となる
平穏に逃避することこそ、確実に苦につながることを肝に銘じるべきなのだ
安易な生き方は、薄汚い・元気のない負け犬の老人にも劣る
安易な生き方は、一流の人間からほど遠い
汗を流せ・涙を流せ・つらさは一流人間の肥やしであり勲章なのだ
自分を人間以上にするのも、人間以下にするのも自分次第だ
この門出は、ゴールではない、厳しさへの旅立ちだ
「一流の人間なんかなりたくない」と言う者には、若者の資格はない
怠惰・自堕落な生き方は、どんどん人間を崩壊させていくだけだ
麻薬のように、ますます不幸へと自分を引きずりこむだけだ
病・老・災害・事件・事故・争い・貧困・苦難が次々に襲うはずだ
そんな時、人間はうろたえ、なんともひ弱で、お粗末なものだ
そんな時でも、平然としていられる人間になりたいものだ
そんな時こそ、他人を励ますような人間になりたいものだ
豊かで便利で平和な社会に生まれたことを幸せにするのも自分次第だ
良き時代に、引き篭りや人生の落伍者になるなんて、何とも情けない
物欲・金欲・食欲・名誉欲・権力欲・愛欲・性欲などに溺れてはいないか
そんなものは、できるだけ早いうちに、徹底してキッパリ捨て切ってしまえ
若者よ我が人生の目的を模索せよ、自分の天命・使命・役割を知れ
自分にしかできないこと、自分だからできることは一体何なんだろう
軽率に欧米や金持ちや秀才や美人の表面的な真似なんかしてはならない
日本人として一流の人間になりたいのなら、古の賢人や自然や神仏に学べ
何かのきっかけで安易さに逃避したいことが、何度もあるだろうが
逃げてはならない、心を穏やかにして、忍耐強く、我慢強く求め続けるのだ
質素・倹約・謙虚・誠実・勤勉・素直・親切・創意・健康・元気・真剣・・・・
そして、一流の人間の生き方を周囲の人にも、及ぼして欲しい
他人に説明できないような破廉恥な生き方だけはしたくない
欧米文化に溺れ、横着になり、結果的に自らを苦しめ崩壊へ
2010-02-07 10:10:58?|?人生
欧米文化に溺れ、どんどん人間は横着になり、結果的に自らを苦しめ崩壊へ導く
ますます便利で豊になるということは、本当に良いことなのか?
ますます人間は横着で怠惰で傲慢になっていく
特に若い人にとっては、大きなマイナスである、人間が人間じゃなくなってしまう
欧米文化ウイルスの世界的な蔓延によって、現代は人間を人間でなくしていく
いったい、人間はどこまで人間でなくなっていくのか?
恐ろしい、今に気がついたら「人間は一体何だったのか?」わからなくなる時代が来るのではないか
多分それもこれも戦勝国の欧米の流儀を世界全体に無理やり適用してしまったことに起因するのだろう
欧米文化は、@闘争的Aゲーム的B刹那的C効率的D機械的E記号的Fデジタル的
G破壊的H個人的I物質的J利己的K攻撃的
そんな文化を世界標準にしてしまったツケが確実に世界や地球を崩壊へと導く
欧米は良いことをしてきたと思っている、「世界はどんどん豊かになってきたじゃないか」と
しかし、異常なマネーゲームによる世界経済の崩壊や環境破壊や国家財政の破綻や格差社会など深刻な問題を拡大している
結果的に欧米の責任は重大である、
欧米こそ「欧米文化の反省とその是正」について世界に新たな考え方や社会システムを提言すべきなのだ
又は日本こそが堂々と提言すべき時がきているのだ、日本のみがその資格と力量を持っているのかもしれない
今やその間違ったやり方が、蔓延しつつあり、高い精神文化を誇ってきた中国やインドや
ブラジルを欧米流の節度なき発展へと誘惑している
経済発展や物質的発展も行き過ぎると、人間自身の崩壊になり、とりかえしがつかなくなることを知ってか知らずか?
何事も行き過ぎれば、結果は悲惨なものとなるのであって、皮肉にも、良いと思うことほど、
いき過ぎは良くはならない
自分の身の周りの家事や少しのことでも行わない代わりに、くだらん悪知恵や悪知識ばかりが増える
自ら考えなくなり 考えが浅くなる、借り物になる
あくまで借り物の考えで、考えが浅いから、身体までも病的になっていく
身体を使って動く・行うことが減るから、怠け心がどんどん身についてしまう
動ける五体満足な身体を、この世に貰い受けたというのに、凄まじいほどの怠け心が湧き、怠けた分だけ欲張りを生む
しかも、その欲は真面目なものではなく、つまらない・くだらないものばかり
麻薬患者のように、つまらん欲・自堕落な欲を追い求め続ける
麻薬患者のように、次第に、極めて悪性の依存に陥り抜け出られなくなる
多くのくだらないことをやりたがるから、自分自身の人間としての本質的な成長は全く停止したままだ
人間としての、”本来仏としての自分”を振り返らない
真っ当な人間になるべく、自らを反省し、直そうとしない、改めようとしない
それどころか、悪知恵をつけ、どんどん、つまらんことに貴重な人生の多くの時間を費やす
だから、一向に幸せ感がない、むしろ不満がつのるばかり
それどころか麻薬患者のようにもっともっとと麻薬を求め、幻想・幻覚・幻聴に苦しみ始める
麻薬だけで、麻薬さえあれば幸せになると信じ込んでいるからだ
麻薬が切れるとイライラする
麻薬が切れないように、麻薬を買うのに金を必死に工面する、犯罪も犯す
儲けた金は全部麻薬に使ってしまう
麻薬をやめて自分自身で自分自身のあるべき人生を真剣に考えることだ
麻薬以外の本物のことが何なのか、俄かには、わからないのだが
それこそが人生の大きな仕事の一つであることを忘れてはならない
熱帯地方や温帯の日本はもともと自然の豊かな恵まれた土地なのであり
一方北に位置する欧州は、必しも恵まれた環境ではなっかた
欧州各国は、最先端の武器を開発し、恵まれた地域を侵略し、植民地化してきた
欧米文化を全面否定はしないが、欧米文化は麻薬のような危険性を孕んでいる
安易に日本やアジア・アフリカが導入すべきではなく、欧米文化に対しては、慎重さや節度や注意深さが必要だ
そうしないといつしか欧米文化の麻薬的な側面が自分を苦しめ、崩壊へと導いてしまう
欧米も欧米文化を過剰に受け入れてくれとは言ってないし、私も欧米文化を否定しているのではない
欧米以外の国が無闇矢鱈に無批判に貪欲に、欧米文化の安易な部分を取り入れることが怖いのだ
欧米は、昔から欧米流の考え方や生き方が必要であったからそういう風になったに過ぎないのだが
どうしても欧米の豊かな暮らしに憧れて、ろくに分析・評価・検証もせずに、
見かけの良さに目を奪われ、自らすすんで、その落とし穴にはまっていく
遠回りしても行き着けばよいのだ、古来、日本人には世界一優れた日本文化があるじゃないか
現代人は、ともすると見せかけの良さに目を奪われ、欲張り・近回りしようとするが大きな間違いだ
人生とは、遠回りが基本なのだ
現代は世の中の原点・大基本から大きく乖離している
現代においては、常識と良識も乖離する一方だ
そういう現代において、世の中の常識にさからって、原点・大基本に戻るほうが正解だ
「自分の行いは一流だろうか?」の問いかけ  2010-01-31 09:56:38?|?人生
駄目夫さん駄目子さんへ、何でも一流にやろうとする心がけを持ち続ける
最近平和で便利で豊な時代になると、「一体進歩・発展というのは何なんだい」というように、想像しなかったほど、人間はどんどん横着になって堕落していくきます
現代人は若い人も含めて大人もだらしない人・尊敬できない人が多くなっていますが、昔不便で貧しい時代のほうが、むしろ今の何倍もきちんとしていたし、尊敬できる人が多かったように思います
昔の人がいみじくも言ったように「艱難辛苦、汝を玉にす」であって「楽は汝をカスにす」が実態なんですね」
一体世の中は本当に豊で進歩・発展しているんでしょうかね???多分答えはNO(違う)と断定してよいでしょうね
特に世界に類稀な高度な文化・文明を誇った日本も例外なくその堕落振り・崩壊は凄まじいものです
最近経済発展する中国やモンゴルや東南アジアの国も、経済発展が急なあまり、その堕落振りも高度成長のようです
経済発展の素晴らしい先輩でもある日本が経済発展を煽っているのかもしれませんが、精神荒廃という副作用も輸出していることが残念ですね
ここらへんで、人間は基本・原点に立ち返って自らを反省し、暮らし方・生き方を軌道修正していくべきであると思いませんか?
経済発展が意外にも反対の結果をもたらすことであったなんて悲しいことでし人類にとって危機であり大問題ですよ
素晴らしい衣服をまとって威張る見掛け倒しの裸の大様・お坊ちゃま・閑居して不善を成す・中身空っぽ・引き篭もり・・・・・は恥ずべきことですよ
ところが、物質文明・消費文明のぬるま湯に浸っている人間に、この場に至って、真面目なこと言っても聞き入れないものです
まあ、そういう多くの堕落する人のことはさておいて、自分だけでもきちんとしてみませんか?それとも豊かさや便利さによって自分を堕落するのにまかせますか?
自分だけでも、もっと、根本的な人類に対する強い危機意識・人間再生の強い願望を持つべきですね
ところで、本題に入って、私の最近ここ数年心がけていることは、暮らしや生き方において次の言葉をいつも声に出して言うことにしていることです
これは、習慣になってくると、たかが念仏ですが、すごい力・効果を発揮しますよ
「自分のやっていることは、一流の人間のするものか?」
こういう質問を何に対しても、してみるのです、それが私流の自己改革方式を身につける第一歩と言うべきものであります
この質問はあらゆる日常の生活・暮らし・生き方・仕事・人間関係・・・例外なく全てにおいて問いかけてみるのです
そうすると、当然なことですが、ほとんどの場合、NO(駄目)なんですね
そしてこの質問を毎日し続けていると、NO(駄目)という感覚は、どんどん多く・深くなって行きます
「駄目な自分」駄目夫・駄目子 という意識が根付いてくるというわけです
そしてそのNO(駄目)に対して愚直に思考や行いを直していくのです
「トヨタ自動車方式:徹底した無駄とり」みたいなもんです、トヨタでは現場でいつも「なぜ?」を3回以上徹底して問い続けることですね
村上流の自己改革でも、「一流か?」を3回以上問いかけるのです、その結果当然改善が促ながされ、より望ましい規則ができ、それが守れるようになるのです
次のことだけしかないということではありませんが、何をするのかわからないという人のために身近な例を紹介しましょう
@ 靴を脱ぐときに脱いだまま揃え直さずにそのまま上がってしまう ⇒一流か? ⇒一流になるにはきちんと揃えるべきだ
A 家の中に多くの物が雑然とほったらかしになっている ⇒一流か? ⇒一流になるには毎日きちんと整理整頓し片付けるべきだ
B 風呂や便所が汚れているが掃除はいい加減 ⇒一流か? ⇒一流になるには徹底して掃除し、続けるべきだ
C 挨拶ができていない ⇒一流か? ⇒一流になるにきちんと笑顔で挨拶すべきだ
D 虫歯や歯槽膿漏らしい ⇒一流か? ⇒一流になるには歯を毎日4回3分以上時間をかけてきちんと磨くべきだ
E エアコン・自家用車・電気などをなどの無駄使いをしている ⇒一流か? ⇒一流になるには必要のないものは一切使わないでおくべきだ
F 身体がどんどん老化していく ⇒一流か? ⇒一流になるには安易に歳のせいにするのではなく健康管理をきちんとすべきだ
G 親子や地域や友人となんとなくうまくいかない ⇒一流か? ⇒一流になるにはまず自分自身の生き方を猛反省し謙虚・素直・真面目・・になるべきだ
H すぐに怒る・心配する・落ち込む ⇒一流か? ⇒一流になるにはもっと大きく、おおらかになるべきだ
I 若いのに家に閉じ篭っている ⇒一流か? ⇒一流になるにはもっと興味を持ち、あちこち出かけたり、いろいろな人とも付き合うべきだ
J すぐに衝動買いする ⇒一流か? ⇒一流になるには買う前に1月待つようにすべきだ
K すぐに飲み過ぎ・食べ過ぎ・間食してしまう ⇒一流か? ⇒一流になるには節食し間食は一切やらないようにすべきだ
その他、歩く・座る・掃除する・料理する・洗濯する・食べる・・・・全てにわたって一つづつ日々問いかけることです
まあ、ことごとく何に対しても徹底して問いかけてみるのです、最初から欲張ってはいけませんし、現実に最初からどんどん自己改革には結びつきはしませんがね
しかし、もしこんなことで簡単に、どんどん自己改革できるようでしたら、人生も簡単なもんですがね、そうはいきません
私のようにしつこく一つづつじっくり焦らずに、懲りずに何年も死ぬまで一生続けることですよ
そうすると、何年後かは保証できませんが、そのうちどんどん自己改革に実を結ぶような時期・開花する時期がやってくるのです
そうなんです。「一流か?」という質問も、ついには、素晴らしい道具・魔法のランプみたいに進化していくのです
どんな小さなことでもいいから「一流にしよう」「一流になろう」「一流でなければ恥ずかしい」「一流になれなければ生きる意味がない」と思って見て下さい
そして一つづつでいいから、コツコツと積み上げていって下さい、サプリメントみたいに、すぐに大きな効果は出ないにしても長い間にはどんどん効果が出てくることは折り紙つきです
但し、注意して欲しいのことは、「一流か?」一流にするにはこうしましょうとやっても、即一流になるのではありません、一流に半歩一歩近づくということですよ
最初から欲張ってはいけません、自分なりに考えて、自分なりに考えた”とりあえずの一流”でも構いません
大事なことはそういう改善を積み上げて、年齢や人生体験を踏むにつれて、そのレベルが徐々に上がってくればそれでいいのです
また気をつけるべきことは一流になるということはイチローやオリンピック選手のように、”他人を打ち負かす・他人に勝つというという意識”ではありません
”他人に勝つという意識”は、むしろ結果的に、自分を本物の一流にするにはマイナスです、大事なことは駄目な自分自身に勝つことですかね
「一流か?」と念仏のようにいつも問いかけること自体が大事なんです、仏教で{南無阿弥陀仏}と念仏をしなさいというのと似ているのです
「自分の行いは一流だろうか?南無阿弥陀仏」ですかね・・・?私としては単に”南無弥陀仏”の念仏だけよりずーっとご利益があると確信しています
安全衛生では「右よし左よしの指差呼称」というのが効果的と言われていますが、人生においても「一流か?」という問いかけは指差呼称みたいなもんです、やる人とやらない人の差は意外に大きいのですよ
まあ”一流か”という言葉はそれぞれ人によって他の言葉に置き換えて戴いてもよいのですが、今のところ私にとっては一流というのがしっくりしているのです
”一流か”の言葉に置き換える言葉の候補としては、次のようなものがあるかもしれません
@ 真っ当な人間 がするものか?
A 立派な人間 がするものか?
B 立派な大人 がするものか?
C 素晴らしい人間 がするものか?
D 強い人間 がするものか?
E この世に生を受けた者 がするものか?
F 親・先生・上司 がするものか?
G 男・女 がするものか?
H 日本人 がするものか?
I 仏の子・神の子 がするものか?
自分がやらずに誰がやる
今すぐやらずに、いつやるのか
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
こじれた人間関係はどうすべきか、第三者の忠告はどうすべきか
こじれた人間関係を修復するのは、難しいのかもしれませんが、
逆に、当事者が大きく変わろうとすれば、話は別、トコトン考え直せば、案外すごく分かり合える絶好の機会かもしれまん
とことん、こじれているのであればあるほど基本・原点に立ち戻って、一から出直しみたいな心の切り替えや覚悟が必要ですね
そのためにヒントとして(主に夫婦間や身近な人とのこじれを意識しています)
@相手を許す心、人間はそんなに完璧ではないのだから
  (他人の考え方行動は、他人が、どうしようもないことなので、基本的な姿勢として『全面的にユルス精神』が一番いいのでは?)
自分も許されてこの世に生きているのだから(こういう考えがわかるのが本当の大人だと思いますが)
Aこの際開き直って、トコトン互いに相手の問題点をぶっつけあう・話あう(但し一切喧嘩しない、自分も謙虚に反省するという固い約束をした後にやること、できれば第三者を介在させるのもいいかもしれません)
B相手を尊敬する(元々尊敬できないからこじれているのですが、逆転の発想で、相手をみさげる視点をキッパリ捨て去り、尊敬することに切り替える=意識・スイッチの切り替えですよ)
Cそのために、懸命に、相手の良いところを見る(他人の悪いところばかり探すのは悪い癖です)
D互いに自律・自立すること、依存しあわない・ベタベタしない
E離れて暮らす部分と一緒に暮らす部分とはっきり分ける、物理的な距離を置いて暮らす、そのために自分自身の趣味を持つなんてことも大事ですね
F親しき仲に礼儀あり、互いに守って欲しいルールを決めて守りあう
Gできればこの際ぶっちゃけ互いの嫌な点を話し合う
H相手が自分に対して嫌がる点を禁止・封しする、また相手の嫌なことはあえて見ないようにする目をつぶる
I相手に感謝する(感謝することが多いはずですよ)
Jこの際過去を一度ご破算して一から出直す
Kもっと気軽に考える、例え嫌な人間でも、付き合い方次第と割り切る(暴力振るうとか、酒乱とか麻薬依存とか、そういうは例外としてですが)
こんな”一度基本から”みたいなことができたら、いいのになーと思います
それでも難しいのであれば、正直申し上げて、互いの相手の問題もさることながら、ご本人自身にも本質的な問題があるのではと疑ってみるべきですね
「人間関係について自分は、今まで人生でどれほど真剣な勉強」をしてきたのか?と・・・いうことですかね
人間関係をエイヤーと絶つのもいいですが、一度直面する課題解決に挑戦するというのも前向きの大人のすることだと思いますが・・・・・
ところで、話は少し変わりますが、こういうこじれた人間関係において、当事者達を放置できずに第三者として参加せざるをえない状況もあるでしょう
「他人のアドバイスを素直に聞く、それを取り入れることの大事さ」を私は、嫌というほど知っていますが、
多くの人は、心が狭く小さいために、素直に受け入れるどころか、一般的には、アドバイスをされたことで、かえって人間関係が悪くなることが、かなり多いものです
だからアドバイスは、相手を見て、言葉をよほど慎重に選んでしないといけないとつくづく思います
私がコンサルタントで一番気を使うのは、相手が私の助言や提案をどう受け取るだろうか、気持ちよく受け入れてくれるだろうかということですね
アドバイスする内容自体も大事なことですが、それよりも、ある意味それ以上に相手にあったアドバイスの仕方をいかに適切にしてあげるかが大事です
いかに素晴らしい忠告であっても、相手が受け入れなければ、なにもなりませんからね、上司か部下にとか親が子供にヅケヅケと言うなんてのも失敗することが多いですね、かえって反発を招くだけです。
私の経験でも例えば相手が社長さんの場合、実は、コンサルタントとして良かれと思って、うっかり「かくあるべきです」などと安易に助言をするのは極めてまずいことも多いのです
少なくとも日本では、社長さんに言う場合と部長さんに言う場合と課長さんに言う場合と社員さんに言う場合、同じこと言っても、相当に言い方を変えないといけないのです
ましてや、本人が「こーだ」と強く思いこんでいる場合、それをくつがえすべき場合の助言の仕方は、時期やタイミングや言い方を慎重にしても
なおかつ思い込みの強い人の考えや思いを変えるのは、細木数子さんでもないと難しいのかもしれません(細木数子さんは別格ですよ)
すなわち、忠告する人の責任・役割というのはすごく大きいと思うのです
”たかが忠告”と思っているかもしれませんが、忠告の仕方一つで、大袈裟に言えば、相手の人のその後の人生が大きく変わってしまうからです
細木数子さんの場合、内容も素晴らしいですが、相手に受け入れられる魔力みたいなものを持っていますね、占い師というのはそういうもんなんです。相手を飲み込んでしまうのが実は、彼らの本領・力量なんです
こじれた場合こそ、時間をかけて、慎重に時期を見て適切な助言をすべきなのです
ということは、誰が助言するかが意外にも大事なことなんですね、誰でも構わないとか、賢い・立派な人がすれば助言は全てうまくいくとは限らないのですね
自分勝手な思い込みや安易な思いつきで、相手のことを考えずに自分勝手な忠告をすれば逆効果になることも非常に多いのです
大きな決断こそ時間をかけて、いろいろな人の忠告を貰ってその上で判断すべきなんですがね
もし状況が暗いとすれば、それは問題で悩んでいる時や決断を下した時ではなく、あとになって、結果的に不幸なことになってご当人達が後悔する時だと思います
重大な決断をする場合は、最悪のことも考えて、その上で、結果の全責任を自分自身で追うという覚悟が必要です
しっかりとした裏づけや確信がないのに、他人の忠告も受けず、そのときの感情で、安易な決断をすればその結果は、本当に暗いものになるでしょう
あくまで当事者やご本人達が考え決断すべきことではありますが、周囲の人の責任も少なからずあるということを肝に銘ずべきですね
2010年元旦に思う 2009-12-31 21:27:55?|?人生
2010年元旦に思う『人間は嘘つきで弱く、腰抜けで、虚栄心だけ強いものだが、自分だけは、現代人の自堕落な生き方と差別化したい』
2010年元旦「豊かさ・便利さ・幸せは、お目出度くもあり、お目出度くもなし」私のここ10年くらいの偽らざる心境です。
人間は万物の霊長などと威張っていますが、実態は、ある意味、腰抜けで、非常にひ弱なものです。英語で言うと”悪い意味でデリケート”です
豊で便利で平和もよろしいですが、反面人間をどんどんひ弱なものにしてしまったのです
甘えと依存が人間をひ弱にし、更に年々、ひ弱さを加速し、どうしよもないほど、救いがたいほど、お粗末なものにしていくのです
ひ弱な人間、根拠なき豊かさ・嘘で固められた幸せ感、こういうものは一旦崩れると脆いものですが、崩壊過程では人間は更にひ弱です
敢えて、私を含めて現代人を激しく罵るとすれば”臆病者・嘘つき者・ヤクザ者・穀つぶし・卑怯者・怠け者・・・”ですかね
 ・人間は一見、強そうで、いざとなると非常に弱いですね
 ・人間は一見、賢そうで、いざとなると非常に愚かですね
 ・人間は一見、誠実そうで、いざとなると非常に不誠実ですね
テレビなんかで偉そうなこと言っていた人が、何かをきっかけに急速にテレビから姿を消して行くなんてこともありますが
よくよく調べてみると、仕事もなく落ちぶれていたなんてことで、すっかり当時の元気さや勢いがなくなっているのですね
会社で重役だった人が退職した途端なんともだらしない、情けない人になっていたなんてこともよくあることです
病気した人が、寝たきり、元気もなくなり、ひところの勢いがなくなる
金持ちだった人が投資などで大穴あけて、仕事もなく、貧乏のどん底、ホームレスに落ちぶれる
火災、地震、災害で家や家財やお金を失いスッテンテンになって路頭に迷う
人間は、例えば、一見頭の良い人(頭でっかち・頭でものを考える人)や素晴らしそうな人を信用してはいけませんよ
私はある大手企業から零細企業。中堅企業に転職しましたが、頭の良い人(頭でっかち)の多い会社は、よくよく見ると恐ろしく無能な集団・病的な集団であることに気づかされたものです
くれぐれも頭の良いこと、もっともらしいことを言う人を信用してはいけませんよ  (理解しにくいことなので、多くの普通の人は、マンマと誤魔化されるんんです)
頭の良い人は、頭だけで考えるので一見格好のいい、綺麗ごとを並べるのであり、難しいことや汚いことやしんどいことは避けるんです
そういう人が一流大学出の多い大企業には沢山いましたが、零細企業や中堅企業にはそれが全くなかったですし、非常に真面目で厳しい姿勢の人達ばかりでしたね
一流大学出で埋まっている日本の政治や役所がお粗末なのも、間違いなく”頭でっかちのガチガチ組織”だからですよ
現代は、詐欺師・オレオレ詐欺師で溢れかえっているというわけですが、このことをしっかり貴方の心に染み込ます・刻みつけることですよ
「貴方は、まんまと騙されいる」  否、むしろ
「率先して騙されようとしている」 更に最悪なのは
「騙されることに快感を感じてしまっている」
  頼むから、せめて、そこから早く、脱出してくれー
強そうな人・頭のよさそうなひと・美しい人・有名人・真面目くさったこと言う人・・・怪しいものですよ
親に依存していた子供が親が死んで路頭に迷う
・・・・・・まあこんなことで、人間は、普段偉そうなこと言ったりやったりしていますが、いざとなると、こんな弱いものはないのです
また偉い人や有名な人ほど家庭ではだらしない・尊敬されていない・信頼されていない「家にいる時くらい、のんびり生き抜きさせて」なんて言い訳するのですが本質的には大したことないのですよ
ところで人間の隠された駄目さはどういうものがあるでしょうか?
 @ 臆病(暗闇・高所・発言・人前・挑戦・・・)
 A いつもおどおどしている
 B とにかく何でも、だらしない
 C 整理・整頓ができない
 D 炊事・洗濯ができない
 E 汚くなっても、掃除ができない
 F 挨拶ができない、人と交わることができない
 G 簡単な作業や仕事ができない
 H お金が貯まらない借金に依存する
 I 何でも、親に頼る・依存する
 J 運動もせず、過食で肥満になる
 K ルールを決めずに何事も、いい加減
 L 良いことが続けられない(三日坊主)
 M 病気がち、体力がない、虚弱体質
 N いつまでも子供のように幼稚
 O 失敗を恐れる冒険しない、挑戦しない
 P 逃げ込む、引き篭もる、面倒は避ける
 Q 忍耐できない、我慢できない
 R 困難に遭遇した時、自力で対処できない
 S すぐに切れる・怒る・喧嘩する
更に人間をひ弱で堕落させることは
 @親元に暮らす(親元依存)
 A家事を親にやらす(親依存)
 B生まれ故郷を離れない(故郷依存)
 C大企業で働く(大企業依存)
 D都会で暮らす(都会依存)
 E自動車・エスカレーター・エアコン依存(便利依存)
 Fマスコミや有識者の考えに依存(他社依存)
 G妻に家事や子供のこと依存(妻依存)
 H冒険・挑戦をしない(冒険逃避)
 I家に閉じこもる(室内逃避)
 J酒・麻薬・セックスなど快楽を追い求める(快楽逃避)
 K豊かさにどっぷり浸かる(豊かさ依存)
一言で言えば、”過保護””かばい過ぎ”ですよ、最近の親はついつい過保護・過干渉になっていますよ、その原因は自分が子供の頃から保護され続けてきたからですよ。
今からでも遅くないから、もっと自律/自立しなさい、子供と離れなさい、ほったらかしにしなさい
私は、ここ11年、冬以外は滋賀の山に家出しています、我が家でも、子が出て行かないので、親のほうから子離れです
親はもっと冒険しなさい、子供から「この親は一体明日は何をするのか?」「毎年次から次に、あれこれする親だ」と思わすことですかね
代わり映えしない惨めたらしい親、一日中家でテレビを眺め、奥さんの後について買い物に行くような貴方、そんな親ではねー???
短くまとめてみれば、”臆病・堕落・怠惰・ひ弱・依存・不真面目・無頼・無愛想・暗い・貧乏・逃避・不潔・飽きっぽい・優柔不断・がさつ”ですかね、いいところなんて全くないのですよ
私の住む山中で、多くの都会の人が来て言うのは、夜怖くないですか?虫が怖くないですか?蛇が怖くないですか?ムカデや蛇なんか見ようものなら飛び上がって怖がるのですが、都会に住む現代人は、とにかく臆病ですね
そしてこんなひ弱な人間ほど他人を苛めたり、虚勢をはったり、見栄はったり、切れたりするのです
ところが、真実、人間はとてつもなく、だらしないのに、そういうことを認識していなかったり、隠そう・誤魔化そうとするのです
認識していれば、直そうとするはずですよね、しかし直そうとするどころか、いっぱし自分は立派・真面目・努力家・強者・しっかり者と思い込んでいるのですからタチが悪いのです
こういうだらしない人間を改造していくにはどうしたらよいのでしょうか?
簡単に言えば身近なこと、日常的なこと、人間的なことからコツコツ年数かけて改革していくことです
千里の道も一歩から、ローマは一日にしてならず、急がば廻れなんですね
禁煙というのは簡単なようでなかなか成し遂げられないものですが、やり方の基本は、難しいことをやるというより、禁煙の場合とほとんど同じことなんです。
 @ まず現代人の自堕落な生き方・自分の自堕落な・嘘つきの人生を強く認識する
 A まず手始めに整理整頓から
 B 毎日、自分の家や周辺の掃除をきちんとすること
 C 炊事や洗濯など自分のことを自分自身できっちりすること
 D 運動や歩きや軽作業を日常的にすること
 E タバコや飲酒や過食などをやめること(無論薬物も)
 F ルールをきめること
 G ルールを守ること
 H 恐怖や脅迫や臆病を克服する
 I 固定観念の束縛から逃げ出す・自らを解き放つ
 J 都会から離れ、山の自然の暮らしをする
 K 日々の行いを通じて、強い自分に脱皮することをしっかり意識して目的にする
こういう基礎的なことがまず、きちんと三度三度できてから、いよいよ自分の本物の長い永遠に続く改革が始まるのですが、こういう基本的なことができない段階では、何を言っても無駄なことです
改革とは、最初から大きなことをやるのではない、まず身近なことから始める、自分自身から始める、日常から始める
現代人の生き方は、一言で言わしてもらえば、大半の場合、誤魔化し・嘘つき・ほらふき以外の何物でもないのです
朝から晩まで、誤魔化し・嘘つきを大真面目に追求しているのが悲しい姿なんですが、なぜか気がつかない・気づこうとしないのですね
それを助長するのが政治家・役人・マスコミ・経済発展という周囲を堅固に取り巻く”人間を堕落させる方法・手段・しくみ・体制”なのです
人間って一見ご立派で、親切で、聡明で、強く、正しく、清く、見えるのですが、手に追えない・喰えない代物なんですね
人間は、現実に生きているようで、文化・文明が進化(???)するにつれ、虚構(最近の英語の言葉ではバーチャルな生き方)に染まっていく・はまって行ってるのです
その虚構がどんどん進むと現実とのギャップが大きくなり、人間の思考の限界を超えてしまうのです
自分自身のことさえ正しく見えなくなってしまう、否むしろ、自分のことが一番わからなくなってしまうのですが、恐ろしいですね
この上ない平和で幸せな暮らしを与えられているのに、自己矛盾に悩むようになっていくのです。言わば贅沢な悩みに落ち込むのです
昔、貧乏で、災害や病気や戦争が周囲に充満していた時代は、あくまで現実の中の悩みでしたから、ある意味単純で理解しやすい悩みでした
しかし現代は虚構の中にどっぷり浸かって暮らし出すと、矛盾が解けなくなくなり、現実の悩みと虚構の世界の悩みとに複雑に責めさいなまれることになるのです
そのために人間の精神的な悩みは、こんがらがった毛糸のように複雑なもの、容易に解けないものになっていくのです
社会と隔絶し、閉じ篭り、酒や麻薬にのめり込む、手首を切ったり、うつ病になったり、ついには、焼け糞で犯罪行為や自殺行為に走るようなことになってしまうのです
現代の虚構にどっぷりはまり、嘘の生き方に安住していくんです、なぜかどんどん嘘の生き方にがんじがらめにはまっていくのです(朱に交われば赤くなるのです)
政治家もマスコミも英語をやたらに使って誤魔化す、やれグローバル化だやれエコだやれ改革だと新しい言葉や難しい言葉を使って次々に騙してくるのです
真実の生き方というか真面目な生き方なんて、「ちゃんちゃらおかしくて」「そんなのつまらない」「とんでもない」なんていうような認識や感覚が心の底に定着してしまうのです
バーチャルなんてものから離れなさい・誤魔化しを捨てなさい。貴方の周囲は、”膨大な誤魔化し”でゴミ屋敷のように埋め尽くされているのです
人間は安易な豊かさや便利さを、この際捨て去る勇気を持つべきで、その結果それに付随するつまらん多くの間違った認識や感覚も綺麗さっぱり洗い流すことが大事ですね
欲望のままに、くだらん買い物で埋め尽くされた薄汚れた部屋のように身動きできない状況だというのに、更にどんどん買い込む姿に似ているのです
嘘はどこまで行っても嘘でしかない、文明・文化・技術革新・経済発展に汚染され、ついには麻薬患者のように依存症になって、莫大なお金・時間・労力をかけて手に入れようと日々もがき苦しむのであります
文明・文化・技術も行き過ぎると、大きな副作用・取り返しのつかない破滅へと人や社会を導くことになるのを忘れないように
もし、貴方が日々、矛盾や深い悩みや虚無感や虚脱感や人生の目的を見失ったと気づいたら、是非一度、つまらんものを思い切り捨てて、原点・基本に立ち返ってみて下さい
最近不景気で世界中が混迷していると言いますが、そんなことは、本来、もう、どうでもよいことなのです。
そんなことより精神的な混迷をどうにかすべきなのに、肝心なことをそっちのけで更に誤魔化しの”経済依存””お金依存”へと逃げ込むのであります
現代において大切なことは企業でも国家でも他との差別化ですよ、他の多くの自堕落な人間と同化していては駄目ですよ
人間は生まれたときは、当然のこと人格も品格はない、しかし意外にも成長するにつれて、むしろ落ちて行く、
せめて死ぬ時迄には是非とも自分独自の人格・品格を備えたいものですね
人として生まれたのに、人格も品格もないまま死んで行くなんて、悲しいこととは思いませんか?
自分が自分を騙して、騙して、騙し続けて、やがて、その悲しい人生を終焉させるのです
「依存していけない」なんて私は言ってません。私の言いたいのは、「依存すべき相手を間違っている」ことなんです
「詐欺師にひっかかっていませんか?」
オレオレ詐欺では、「銀行員が貴方はオレオレ詐欺にひっかかっています」と忠告しても大金を振り込む人がいるそうですからね
自分がやらずに誰がやるのか?
今すぐやらずに、いつやるのか?
もっと自分自身をしっかり見つめ直し、自分とは何なのか、まずはそこから再出発ですかね
とにかく結果はどうあれ”他人まかせ””運まかせ””天まかせ”は駄目ですよ
今年も早々と来年の年頭所感を掲載しました
2010年年頭所感(平成22年年頭所感)
2010年こそ、自律・自立、自己を律し・自らの足でしっかりと立とう
他人や国家のことよりまず自分自身を抜本的改革し尊敬に値する人格・品格者となりその上で他人や社会に貢献・還元する
現代、尊敬に値しない政治家・社長・コンサルタント・主人が国家・会社・家庭を運営・管理・指導するのは根本的間違い・崩壊の元凶だ
法に違反して麻薬に走った酒井法子のように、世界中が何かに依存している,、何かが狂っている、幻想に惑わされている
麻薬のように、あたかも現代の見せ掛けの豊かさや生き方が素晴らしいことのように錯覚して、ドンドンのめり込む
世界でも類まれなる日本人にとって 人の大原点=大根源=大基本 に戻ることが急務だが、おかまいなし
世界中が、いかに狂っても、日本人である自分だけはそうはならん、自分だけ自分独自の道を歩む
自分だけは、個性の失せたグローバル人間や豊さにドップリ浸かる人間になんかなってたまるものか!
国も会社も個人も無理・無駄・無らを根本から見直せ・基本から見直せ・抜本的に見直せ!
目先の良さというものが、将来の良さを保証するものではないどころかむしろ将来の危機であることが多い
狂い続ける世の中、頭の良い人を信じて、まんまと乗せられ、
崇高な日本人として生まれ育ったのに、何が欧米化だ何が情報化だ何がグローバル化だ、
結果的に、どんどん、シンドクなって行く、崩壊していくだけではないのか
  人が本来の人間に戻る、自然界の生き物としての暮らし方を取り戻す/日本人として更なる異常さを求めず普通に戻る
  何事にでも言えることだが、従来良しとされた事が必しも良くなく、むしろ排除すべきことになる時期がある
  無闇に進むことより、基本=大原点に戻ることが大事であって、そうしないとやがて戻ることさえ困難になる
この怪しげな世界の状況を根本から立直す力量と勇気を持つ指導者は現れそうになく行き過ぎた文明社会の欲望に飲み込まれる
  世界や国家や社会にこれ以上振り回されたくない、誇り高い日本人として清く・正しく・美しい自分を取戻そう
  自分は日本人ではないのか?もし日本人でなければ世界人か欧米人なのか?一体お前は何人なんだ?
  こんな歳で、これ以上、口先だけの頭の良い人(?)との妙な・おかしなお付き合いは御免蒙りたいものだ
  真っ当にごく平凡な人間として、成仏して行きたいものだ、進歩・発展・成功・反映・平和・愛・豊かさ・幸福
などという言葉を人間が軽々しく口にしてはならない、そういうことを口に出してよいのは神仏だけだ
  神仏は、雄大な自然を気の遠くなるように長い年月改善維持(マネジメント)されてきたのだから、
  猿と大差ない人間がごときが神仏の言うべきようなことを口に出す場合は、よほどの謙虚さや慎重さが必要だ
  しかるに、頭の良い者とか権力者とか指導者とか詐欺師みたいなものが登場して人々を次々に騙すのである
  「人間は万物の霊長」だなんて、そんなに威張っては駄目だ、
  一見素晴らしそうな人間が世間では有識者とか指導者とか有名人とか・・・
  でも、神仏の前では、ゴロツキや犬・猿と大差ない、とにかく事態が悪化するほど、人間のやることは、ドンドン怪しげになる
天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず、しかし、人は人の上に人を作り人の下に人を作る、なんともおぞましい
おごり・自惚れ・勝ち負けにこだわる・損得にこだわる・目先のこだわる・固定観念に縛られる
  人間はいかにあるべきかの方針も具体的な目的・目標も定まらない中で、あーだこーだやること自体が奇妙だ
「日本は中国等に追い越される」と言うがそんなのは予測できた当前のことで、殊更に大袈裟に問題にすることではない
むしろ日本は彼らの相変わらずズーット先を進んでいることには、これまでと何らの変化もない・
  ところでつくづく思うのだが昔当たり前にあった「やさしさとか芯の強さとか」なんてものがなくなった
無駄なこと・無意味なことをやって人間や世界は自滅していく
20世紀、日本や先進国は、飛躍的に進歩し(?)豊で平和で便利になった。しかし失ったもののなんと多いことか
そういうことを最近生まれ育った人達には、すでに実感できなくなっている
生まれた時から、豊で平和で便利だったから「それが当り前」になっているが
しかし、どっこいそうはいかない、大不況の中へこたれた若者・自殺する芯のか細い人(特にか細い男)が増加している
戦後食べるものも、家も服もない時代に生きてきた者にとっては、今はどうあろうと、少なくとも日本は、天国のような恵まれた状況だというのに
それを政府がよせばいいのに借金までして助ける、ほとんど効果はないのだが
信じられない、豊で平和で便利で、その上地球環境破壊や財政破綻までして更に安易な助け舟をこれでもかこれでもかと繰り出す
麻薬患者から麻薬を取り上げるべきところを、麻薬を与えて「これで元気出せ」なんてやってしまう
「おかげさまでスッキリ・元気になりました」なんて言うが長続きはしない、そして次はどんな麻薬を与えようか政治家が考える
そんなこといくらやっても良くなるどころか、今の日本に関する限り、事態はますます悪化する
政治家は、個別の可哀想な(?)人間を助けるより、他国に比較して状況が深刻に悪化する日本を今後どうしていくのかを明らかにし、大きく舵を切らねばならないというのに?
こんなこと続けていると状況はいよいよ再生不可能・国家破綻に陥るのは必至だというのに
麻薬患者に麻薬を与えるような政治とか生き方を捨てよう
自分は努力もせずに国に異常なほど頼るのは恥ずかしいこと、情けないことなんだぞ
まあ少なくとも日本という国はこのままでは、世界でもかつて経験をしないほどの崩壊になってしまうかもしれない
日本がまたまた先陣を切って、案外、世界に最悪な手本を示してしまうのかもしれない
自民党はともかく、民主党も頼りにはならないかもしれない
全くもって、皮肉な話だが、悪政治が終わって善政治になった途端、むしろ足元から大きく日本は崩壊する可能性もあるのだ
「あの日本が世界一最悪な状況になるなんて信じられない」なんてことを言う時が、ひょっとして早晩来るかもしれない
@ 贅沢をして ⇒ 無用な努力をする・更に欲張る
A 安易にゴミを捨てて ⇒ 資源を枯渇させる・海山川を汚す
B 電気製品など便利になって ⇒ 横着になる・怠け者になる・肉体作業に耐えられなくなる
C カードで物やサービスを手に入れ ⇒ 勘違いする・自ら物を作ったりやったりする能力が失われる
D あまりに多くの情報が氾濫し ⇒ ますます無用なことを考え、とんでもないことをする
E 自動車などで楽をし ⇒ 足腰・内臓・更に精神までも弱くする
F 一見清潔な暮らしをし ⇒ 免疫力・抵抗力を減らす
G 裕福で金持ちになって ⇒ 金さえあればの感覚になる・マネーゲームに熱狂する
H 長生きして ⇒ 元気ない若者や無気力で病気の老人が増え、お荷物となる
I 経済発展して ⇒ 地球環境を破壊する・精神も荒廃する
J 災害の被害が減って ⇒ 心に油断が生じる・ある日突然生活の全基盤を失う
K 大都会に人が集中して ⇒ 自然や田舎が荒廃する・自然から学ばなくなる
L 社会や企業が大規模化して ⇒ 人はやる気を失う
M 政治や役所に依存して ⇒ 政治や役人が腐敗する
N 世の中、豊で快適になって ⇒ ものの有り難味を忘れる・忍耐や我慢を忘れる
O 仕事が忙しくなって ⇒ 孤独になり、人間関係が希薄になる
P 競争社会になって ⇒ やさしさを失う・心配りを忘れる
Q グローバル化して ⇒ 個性を失う・尊厳も失う
R 平和が続いて ⇒ 備えや予防を忘れる・傲慢にもなる・腑抜けにもなる
S 技術が進歩して ⇒ 人間がロボット化する・人間性を失う・資源が無駄使いされる
自己点検をしよう、人生は日々反省と是正
便利で豊かで平和な社会において人間は、どんどん横柄で横着で横暴になっていく
本来、人間は謙虚に真面目に勤勉に真剣に生きるべきであって、不真面目に生きた一生は何の価値も意味もない
せっかく親がたった一度気の遠くなる確率で生んでくれたのに、あまりにももったいない
物を無駄に使うのをもったいないと言う人がいるが、自分自身が不真面目に生きたとしたら
自分の一生は”究極のもったいない”になってしまうのである
そのために日々反省しかない
人間なんて死ぬまで勉強と修行である
そのためには常に謙虚であり、常に改めていく精神こそが大事である
そこで、私村上和隆が、まだ不十分ながら自分でやっていることを中心にじぶんなりの点検表を作ってみたのでご利用戴きたい
●村上和隆式自己点検表
1 仕事以外に3つ以上の趣味を持つように努めているか
2 都度及びときどききちんと片付けているか
3 不要なものを思い切って整理できているか
4 物事を深く、自分自身の頭で考えているか
5 炊事・洗濯・掃除は自分できちんとできるか
6 自分で稼いだ金で自分の家で暮らしているか
7 適切でかつ自分が好む住まいに住んでいるか
8 夜は11時までには寝ているか
9 遅くとも30歳過ぎたら親元から離れて暮らしているか
10 同じ失敗を繰り返さない工夫をしているか
11 無用なのに自家用車を持っていないか
12 豊かさや便利さに埋没しやすくないか
13 ときどき、家や仕事場のレイアウトを変更しているか
14 食事を自分なりにきちんと献立しているか
15 歯を磨いたら間食は一切していないか
16 牛・豚などの肉や脂を採り過ぎていないか
17 栄養のバランスを熟慮して食事しているか
18 飲酒は少なめにしているか休みを入れているか
19 多くの種類の野菜を食べているか
20 暴飲暴食をせず、腹八分目ができているか
21 朝おきてすぐや汗や排尿したら水分を補給しているか
22 塩分を控えめにしているか
23 精白の砂糖を控えめにしているか
24 炭水化物をとりすぎていないか
25 添加物の多い菓子や食品をとりすぎていないか
26 一日30品目以上の食品をとっているか
27 野菜を食べるようにしているか
28 豆類を食べるようにしているか
29 海草を食べるようにしているか
30 イモ類を食べるようにしているか
31 果物を食べるようにしているか
32 魚を食べるようにしているか
33 適度な運動を毎週・毎日やっているか
34 年齢に見合う体力を維持するように努めているか
35 毎日5000〜1万歩以上、歩いているか
36 毎日肉体作業を適度にやっているか
37 自分なりの健康のルールを決め実行しているか
38 睡眠は過不足なく毎日同じ時間とっているか
39 便秘していないか
40 血圧が高すぎないか
41 肥満を放置していないか
42 毎食後、3分間きちんと歯磨きしているか
43 食事は10〜20回噛んでいるか
44 呼吸はできるだけ深くゆっくりしているか
45 喫煙をやめるようにしているか
46 極力、エアコンを使わないようにしているか
47 極力、エスカレーターを使わないようにしているか
48 近い距離は電車バスに乗らず歩くようにしているか
49 口臭がないか
50 体臭がないか
51 健康の大切さや有難さを強く認識しているか
52 胃弱・虚弱の体質はジョギング等で改善しているか
53 定期的に健康診断・検査をしているか
54 人として、十分な人格があるか
55 創造的な仕事や活動や趣味を持っているか
56 誠実であるように努力しているか
57 親・兄弟・夫婦など他人に依存していないか
58 法律を守るように努力しているか
59 つらい場合でも、じっと耐え忍ぶ能力があるか
60 どんなときでも、適切に調査・分析・判断できるか
61 極当たり前のことであっても感謝しているか
62 目的・目標達成のために、とことん努力できるか
63 他人の真似でなく自分自身で考え、行動できるか
64 他人がやっていないことでも自主的に始めているか
65 固定観念で物事を決めたり・行動していないか
66 天職となる生涯の仕事を持つようにしているか
67 見聞を広めるために3度以上転職しているか
68 いろいろな職種・地位の仕事を体験しているか
69 色々な資格能力保有するように努力しているか
70 どんな人とも、臆せず付き合いが気軽にできるか
71 他人の悪口を言わないようにしているか
72 他人の話をゆっくり聞くようにしているか
73 どんな人とも、積極的に会話できるか
74 誰をも友人にできるか
75 初対面でもどんな人とも気軽に打ち解けられるか
76 人脈を作る努力をしているか
77 誰にも進んで支援の手を差し伸べられるか
78 互いに協力し物事を進めるような姿勢があるか
79 相手をたて、相手を敬い、相手を思いやれるか
80 何かやるのに情熱を持ち、持続できるか
81 他人に優しくできるか、他人を許すことができるか
82 理屈より人情を優先できるか
83 尊敬できる師を、尊敬される後輩を持っているか
84 仏教など生き方の基本となる信仰を持っているか
85 子供から尊敬できる暮らしや生き方をしているか
86 安易に人を騙すようなことをしないようにしているか
87 自慢や威張らないように努めているか
88 意地悪や苛めをしていないか
89 隣近所と親しく付き合うようにしているか
90 何でも悪いことは他人のせいにしていないか
91 パーテイーや会合で知り合いとだけ話していないか
92 日本人のアイデンティティーを持っているか
93 日本語を的確に使えるか
94 日本人の生活の知恵を使っているか
95 日本人であることに誇りを持っているか
96 過剰に欧米崇拝をしていないか
97 和食を中心にしているか
98 自分の生まれ住んだ土地以外の日本を知っているか
99 日本人として特質や利点欠点を正しく認識しているか
100 自分の性格は自分も他人からも好かれているか
101 欲や、やってはならないことを自制できるか
102 喧嘩や怒るのではなく円満に処理できるか
103 やたらに何でも心配していないか
104 勝手に思い込み、こーだあーだと決め付けていないか
105 異常なほどせっかちや逆にノロマがでないか
106 物事に異常なほどこだわり過ぎることがないか
107 必要な場合、他人に援助を頼むことができるか
108 他人に喜ばれることを一生懸命やれるか
109 なんとなく、家や殻に閉じ篭ろうとしないか
110 苦難がきても前向きに受け止め、チャンスと思えるか
111 自分なりのきちんとしたルールを定めているか
112 身の回りの問題を、どしどし改善しているか
113 決めたルールを厳密の守っているか
114 現状に縛られず、思い切って改革しているか
115 物事について綿密な調査をやるようにしているか
116 目的・目標を定めて、達成の努力をしているか
117 物事を的確に企画することができるか
118 物事の良し悪しを定期的に点検しているか
119 問題がある場合、放置せず是正しているか
120 何度も同じ過ちをしないよう再発防止しているか
121 情報や結果は深く分析するようにしているか
122 予知・予測をして予防や事前対処しているか
123 管理の科学的手法を知り、実践しているか
124 無駄を徹底して排除するようにしているか
125 無理はしても長続きしないことを認識しているか
126 現状を良しとせず問題をみつけ改善努力をしているか
127 自分の役割・責任を自覚するようにしているか
128 点検はいい加減でなく、真面目に厳格にやっているか
129 パソコンが縦横に駆使できるか
130 インターネットが縦横に駆使できるか
131 文章を頻繁に書き、文章力を高めているか
132 表現力を磨き的確なプレゼンテーションができるか
133 自動車の運転ができるか
134 素人レベルで良いが、大工ができるか
135 電気製品が取り扱えるか
136 暗記や記憶する努力をしているか
137 誰にも負けないような専門能力があるか
138 専門書や歴史書や宗教書など読書をしているか
139 何かにつけて、生涯勉強を続ける意志があるか
140 家族は唯一自分の最後の見方と考えているか
141 家族の絆を強める努力を怠っていないか
142 お互いに努力して良い夫婦関係を保っているか
143 家族各自の役割分担をきちんと実践しているか
144 家族各自の責任を真っ当しているか
145 家庭は安らぎの場にするように努めているか
146 家の素晴らしい環境を維持する努力をしているか
147 自分の人格を現わした容姿に心掛けているか
148 派手ではなく、感じの良い服装を心掛けているか
149 相手に不快感を与えない、清潔感を保っているか
150 派手や華美でなく清楚な外見や行動をしているか
151 笑顔をいつも浮かべているか
152 貧相な姿勢にならないように注意しているか
153 外見で他人を見たり、判断しないようにしているか
154 経済やお金をきちんと考えているか
155 自分で稼いだお金できちんと生活できているか
156 年収の3倍の蓄財を目指して貯金をしているか
157 必要なもの・有望なものに投資をしているか
158 上手い話に乗らないように細心の注意をしているか
159 衝動買いや贅沢など浪費癖がないか
160 無用なものや無駄なものを買っていないか
161 「安物買いの銭失い」を頻繁にやっていないか
162 ガス・電気・水を無駄に使っていないか
163 有効利用を考えずに、安易に物を捨てていないか
164 流行を必死になって追い求め過ぎていないか
165 効率のよい作業をするように努めているか
166 地震に備えているか
167 火災や洪水や事故に備えているか
168 健康・医療・事故保険に加入しているか
169 緊急事態やリスクを予測し備えているか
170 危険な状況には十分な注意を払うようにしているか
171 特に若いうちに、旅をするようにしているか
172 買物・温泉・食事目的の旅をやらないようにしているか
173 過剰に心配したり、臆病でないか
174 ときにはエイヤーと冒険をするようなことがあるか
175 前向きに大きなことに挑戦するようなことがあるか
176 試行錯誤を積極的にやっているか
177 失敗を恐れず、むしろ積極的に失敗しているか
178 新たな有効なものは極力使うようにしているか
179 異性であることにこだわり過ぎず、気軽に付合えるか
180 顔や容姿にばかり目が行き過ぎていないか
181 異性の立場を尊重し楽しく付き合えるか
182 異性をセックスの対象だけと考え過ぎていないか
183 環境に配慮した製品やサービスを使うようにしているか
184 自分の環境の良否を頻繁に評価し是正しているか
185 違う府県に3度以上引っ越し暮らしているか
186 田舎に暮らしたことがあるか、田舎に暮らせるか
187 環境の大事さを強く認識しているか
188 自分自身の周囲の環境を努めて改善しているか
189 自然の資源やエネルギーを利用するようにしているか
190 人生観や進むべき方向や心構えを明確にしているか
191 行き当たりばったり、成り行き任せになっていないか
192 当り前のことが当り前でないことを自覚しているか
193 人生の方針・理念・信条などを明らかにしているか
194 人間は本来、仏性があることを確信しているか
195 広い視野を持って物事を判断したり行動しているか
196 ピンチは実はチャンスだと認識できるか
197 立派な人の伝記などで生き方を学ぶようにしているか
198 「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」を認識しているか
199 楽に手にいれたものは簡単に失うことを知っているか
200 人間は死ぬまで修行だという認識をもっているか
12〜3月は京都市伏見の本部事務所に常駐しています
「人間は大きな後悔をしないと真っ当になれない」最近のニュースで改めて感じたこと
@ 酒井法子容疑者のように、麻薬で検挙されないと自分のやっている愚かさがわからない
A 選挙に大敗しないと出鱈目政治や自分達の無能さがわからない
B 大きな病気しないと、癌にならないと、健康の大切さがわからない
C 失業しないと自分の不勉強やふがいなさに気付かない
D 環境がどんどん破壊され尽くさないと自然保護や環境保護の意味がわからない
E 盗みや人殺して、長いこと刑務所に入れられて始めて犯罪を犯したことの愚かさを知る
F 虫歯になって、歯がなくなっていくにつれ、いい加減な歯磨きを悔やむ
G 俺俺詐欺などにひかかって、安易に他人を信じる自分の幼さを知る
H うまい儲け話しにのり、有り金全部すって、うまい話しがないことを悟る
I 歳とって、若さや美貌が確実に失われることを実感する
J 惨めな状態になって、はじめて、人の温かみや情けを知る
K 子供が愚れたり、鬱病になったり、引きこもりになって始めて親の至らなさを知る
L退職の翌日、妻から離婚を言われて、そこまで妻に嫌われていたことに愕然とする
二宮尊徳曰く
大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈 らず
  
人間がましな人間になる第一歩であり、かつ目指すべき命題が”後悔をしない生き方”なんです。
偉そうなことを言っても、大きな失敗や苦難を体験しない人は信頼できないのです。安倍・福田・麻生がそれを証明してしまいましたからね。
後悔しない暮らし・生き方ができるようになることこそが、人が大人になる最初で最後の目標ですかね
それにつけても、有名俳優や国技の相撲や政治家や経営者や僧侶までもが、とんでもない破廉恥な生き方をしていることは、時代の精神的環境の荒廃なんでしょうか。
まあ、環境問題も、健康問題も、経済問題も他人に依存せずに、他人はどうあれ、まず自分から”後悔しない生き方の第一歩”を踏み出そうと思います。
私もここ数年いろいろなことを辞めたり半分にしていますが、
多分、酒井法子が一度で麻薬を辞めることはないでしょう。もう二度くらいは同じ過ちを犯すような予感がします。ノリピーの反省も中途半端でしたからね、時間が経って忘れられる頃、ついうっかり手を出してしまうのですよ。実は、そんなもので、人間というものは、さほど立派でも強くもないのです。
「自民党をぶっ壊す」なんて小泉さんが粋がって言っていたが、壊したのではなく、壊れるべくして壊れたんだ、それほど政治家として体を全くなしていなかった。今後も自民党なんか、奢る平家同様に、二度と再生なんかあるわけがないのだ。それが証拠には、基本的な体質や考え方は変わっていないし、組織内は相変わらずバラバラ、野党としても単なる文句政党へと堕落しているのだ。
今後残るのは本来の真っ当な政治であって、自民党は利権集団・詐欺師集団・無能集団であって、政治家集団でなかったのだから。選挙大敗後も未だに自民党に一人も政治家は存在していないことに彼等は気付こうともしない。
さて駄目人間の私めが、目下どうしても辞められない唯一のことが毎食後やたらにお菓子を食べることですが、酒井法子の件を契機に私もお菓子を辞めます。さて辞められますやら?お楽しみに (但し、私が偉いのは毎食後、歯をきちんと3分間磨き、次の食事まで、間食は一切しないことですが)
執着を次々に脱ぎ捨てること
ほとんどの人は、何かと日々絶え間なく、悩み・苦しむ
あたかも、人生は悩み・苦しむことに意味や価値があるかのように
”一生死ぬまで悩み・苦しむのが当然だ”と勘違いしている
”悩み・苦しむことが人間を成長させる”と思い違いをしている
万物の霊長であるはずの人が一体なぜだろうか?
人以外の生き物を見ていると
どうも執着で悩んでいるようには見えない
あるのかもしれないが、少なくとも人ほどには、ひどくはない
持てる者の悩みなのであろうか、人は高い能力をもてあましている
自らすすんで、そんなにも悩み苦しむのであれば
高い能力などいっそのことないほうが良いと思うのですが
金持ちになってそれほどの幸福感がないのならばいっそ金を捨ててしまえばよいのに
しかし相当な金持ちでも、金を捨てるどころか、更にお金を増やそうと血眼になる
物事は良くなろうとすれば、むしろ結果的に悪くなるということなのでしょうか?
もし、そうだとしたら、どうも納得できない
もしそうだとしたら、そんなおかしなことはない
金持ちなのに、金のことやら、何だかんだと悩み・苦しむということが理解できない
恵まれているのだから悩み・苦しみなんてするはずがないのに
悩み・苦しまないためには、その元凶を根底から排除すべきなのだろう
悩み・苦しむ元凶は、人の旺盛な執着であろうから
お金のように、しこたま溜め込んで更に増やし続ける執着をどうにかせねばならない
”過剰な執着を持ってしまったのだから、執着を捨てればよい”のだ
「執着がない」なんて言う貴方、とんでもない、人間は例外なく、あまりに多くの執着に埋もれている
人間は執着の固まりであり、しかもその多くは悪性の執着なのである。
「私の辞書には執着という言葉がない」執着の少ない人に、私はかつて出遭ったことがないのである
”有り余る金を持ってしまったのだから、恵まれない人にあげればよい”のと同じことです
執着を捨てるなんて、ごく簡単なことではないですか
少なくとも得る努力に較べたらその何百分の一の努力も要しない
禁煙や節食と同じで、実際には、なかなか諦められないのですが
しかし、禁煙や節食もやってしまえば、こんな簡単ことはない
できるはずなのです
まずは、禁煙や禁酒のように執着とは何かどういう弊害があるか、その弊害がどれほど大きいかなどを真剣に考えることである
私に言わせて戴くと悪性の執着は、とてつもなく大きな予想外の弊害があるのである。
しかし麻薬同様に捨てきれないまま、日常化し、その大きな弊害から抜け出せずに一生悩み続けるのである
コレステロールのように善玉だけ残して悪玉だけ取り除けばよいのに
悪玉執着を切り捨てるというか脱ぎ捨てればよいのに
憎い執着を切り捨てる、お荷物となっている執着なんて荷い続ける価値はないのだから
その一念で、ひたすら執着を排除しようではありませんか
部屋の掃除や整理整頓と同じことで
 ・まず簡単なものから
 ・次にやや困難なものへ
 ・そしていよいよどうしても捨てられない執着との格闘へ
捨てればよいのです
高い場所からプールに飛び込むのと同じことで
 ・まず低い台から
 ・次にやや高い台へ
 ・そしていよいよ高い台から思い切って飛び込む
水の中ですから、飛び込んでも怪我なんかしやしない、死ぬなんてこともあり得ない
目をつむって、1・2・3と飛び込めばよいのです
”絶対に捨てたくないという執着”があれば、キレイサッパリそれを捨てるのです
”絶対に捨てたくない執着”を、もし貴方が一つだけ見事捨てることに成功すれば、もう次は案外簡単なのです
まずは大きな執着を、ある日突然エイッとばかり破り捨てる・焼き捨てましょう
プールでも高い台から一度思い切って飛び込めば、次はそう困難ではなくなる
そうして執着を捨ててみると、やがて、そこに広い青いすがすがしい草原のようなものが開けてきます
軽快にその広い草原を自由に歩きまわる自分を見出すことでしょう
人生とは何か?何のために生まれてきたのか?より良い人生を求める人は、何を置いてもまず、長年自分の心身に染み付いた垢のような自分の執着に関して総括・見直し・反省をすべきなんです<
もしそういうことが行われなかったとしたらその人の人生は歳を追うに従ってつまらんものになっていくのです。大きな後悔になっていくだけなんです
正に麻薬患者そのものです。それほど簡単ではないですよ、何年もかかりますよ
貴方は麻薬患者のように、執着とは何かを正しく理解していないし、執着を絶つことをとんでもない損失であり、失うことを恐れているのです
ところで、最近貴方は大小はとにかく、永年の懸案となっていた何らかの執着を捨てたことがおありですか?
それとも、捨てたいがどうしても捨てられない執着に自分を埋没させたままですか?
あらゆる幸福を手に入れたはずの酒井法子の予想外の麻薬所持・使用事件のように、人間は麻薬的な執着から抜け出せずにズルズルと自堕落な生き方や暮らしに埋没していくのである。酒井法子を責めるのであれば自分自身も執着を断ち切る勇気を持つべきだと思うのである。
より多くを得ること、競争に勝つこと、進歩することが即、全てが善なりと思い込むウツケ者が多いが、得ればそれと同じだけのものを捨てるのは、自然の理なのである。皮膚も骨も体液も爪も歯も皆日々新陳代謝しているのである。
食事をする水を飲む・空気を吸う皆それと同じだけのものを吐き出すものなのだ。
お久しぶりです。お元気ですか、山の畑仕事や本業がやや忙しくてご無沙汰しています。
過去に誰かが決めたことを見直しもせず、状況が変化しても勝手に引きずって、後生大事に守るのは愚かしい?
日本人はマニュアルなんかで規則を決めて守るのが嫌いですし、苦手です。
しかし他方、一度誰とも知らない人が決めて習慣として定着すると、不思議にもなかなかやめようとしない傾向があります。というか勇気を持って「辞めよう」「変えよう」と言い出す人がいないのです。バレンタインデーの義理チョコなんてのはその悪しき典型ですがこんなのが日本には多いですね。
日本人のこういう特質は、良い面もありますが随分と滑稽というか馬鹿馬鹿しかったり、大きな損失になることも多いですね。大切なことは過去の伝統やしきたりや規則を再度自分自身で再考してみることです。
例えば、お墓だの冠婚葬祭だの、いろいろな習慣やしきたり、会社の決まりごとをはじめ自分自身の生き方さえ、過去や社会の風習・習慣などに捕らわれ窮屈な人生を送るのは愚かしいです。
例えば、多くの親戚知人を呼び大金をかけ結婚式や葬式や披露宴をしていますが、時代にあっていません。大金かけて立派なお墓を作る、坊さんにより位の高い戒名に大金を払うなんてことも、もうそろそろこんな馬鹿げたことは辞めにすべきなのですがね。
大金もちならいざ知らず貧乏人には、別に戒名なんていりませんし(迷信です)又は安い戒名でいいじゃないですか?業突く張り坊主が、高い戒名料やお布施を求めるようですが、けしからん話しです。「お経や戒名料合わせて5万円です」なんて明確に言うような徳のある坊主はいません、そんな生臭坊主のお経なんか値打ちあるわけがありませんや。本来総額5万円くらいのものですよ。
ボッタクリ坊主なんですよ。般若心経や簡単なお経(インターネットやCDもありますよ)でしたら家族皆でもあげられますよ。徳の高い宗教家はほんの一握りであって、葬式を喰い物にする商売人の坊主集団が存在するのです。
お墓なんかも市町村の経営する共同墓地でいいのです。京都市なんか一回きり数千円ですし、毎年立派な合同の供養もしてもらえます。京都市は⇒深草墓苑千葉県市川市は⇒市川市霊園
結婚式や葬式なんてのは、今日的には、真に親しい人だけ(家族結婚式 ・ 家族葬)でやるべきなんです。そのほうがずーっと楽しいし有意義なはずです。
他人を大勢招いた世間への義理の葬式で、他人のお付き合いで疲れ切って「ヤレヤレ」なんてしてから、ひっそり家に帰ってから家族だけで、やっとのことでしみじみ故人をしのぶなんて全く馬鹿げています、ナンセンスですよ。他人様は、本当に有難迷惑なんですよ。
ISO14001やISO9001でもそうですが、「自分自身で規則を決めなさい、自分自身で基準を明確にしなさい」と申し上げるのですが、「先生どう決めたら良いでしょうか?」なんてルールくらいのことでも決めかねる日本の会社さんが意外にも多いのです。
その割に古めかしいしきたりや古いどうでもいいような習慣や決まりを律儀に守っているのです。
こういうことが会社や個人や政治を硬直化させていくのです。
何故日本人はもっと主体的・自主的にルールを決め、ルールを変えないのか不思議ですねー。
また、例えば、日本では「憲法改正反対」なんて愚かしいことを平気で声高に主張するナンセンスな人がいます。しかも政治家がそんなことを言うのですが、
ルールというのは状況に合わなくなるのが当然で毎年見直ししどんどん是正することこそ意味あることなんですがねー。
日本では「ルールを変えるなんてのはけしからん」みたいな風習がありますね。”掟破りは村八分”みたいな昔の村八分の名残ですかね?陰口たたかれ、裏で悪者にされてしまうことも多いですね。
ルールが状況に合わなくても変えない、一度決めたらどんなことが起きようと守り続けるなんてことはむしろ異常なことであり、恐ろしいことなんですがね。
朝令暮改は悪いことのように言われていますが、ルールというのは朝決めて夜是正することも、大いにあり得ることであり、一向に構わないことなんですがね。こんなことしたら日本では非難ゴーゴーものですよ。
ちなみにISOでは、方針・目的・目標・マニュアル・手順書など文書は、随時及び定期的に見直しし、是正処置・予防処置(再発防止)をすることが要求されます。
そして、このようにして決めたことは確実に守ることなんです。それこそがISO14001・ISO9001の精神なんです。
こういうきちんとした管理の下に、日本的な融通性や小回りなんかを効かせる会社や個人や政治家こそが素晴らしいのです。
江戸時代の大岡越前の「大岡裁き」みたいなもんですかね。法で裁くが時に応じて臨機応変に適切な処置をしていくことこそが管理の要点です。
過去に誰ともしれない人が決めたことを、時代が変わろうと、価値化観が変わろうと、漫然と守り続けるのではなく、自分自身で良し悪しを確認・評価し直し、必要に応じて大幅に是正することも大事だと思います。
私のように都会の暮らしを思いきって捨て、山で暮らすのも随分素晴らしいのですが、勇気を持って実行する人はほとんどいません。
固定観念・社会通念・常識なんて「それが多分正しいだろう」と思いこんでいるだけに過ぎないのです。
迷信なんです。
短い人生、真に自分自身の考え方で本物の自由な生き方をしたいものです。
勇気を持って向こう岸に渡れ、向こう岸からこちら岸を眺めて見よう
よりによって、女性を引き合いに出して恐縮ですが、
女・子供ということを言いますが、こんなこと言うと女性にこっぴどく叱られそうですね
しかし、冷静に観察すると、女性は大人になっても幼児的なものを持ち続けるものです。
子供とは、又は女性とは、
  @現実にこだわる
  A外見にこだわる
  B他人と比較する
  C小さなことにこだわる
  D感情的・情緒的
  Eヒステリック
  F泣き喚いて訴える
  G物を欲しがる
  H怖がり
  I自己愛
  J独占欲
  K買い物好き
  L真実より嘘を信じる
  Mやさしさを求める
  N保守的
………・
断っておきますが、私は、これらの子供のような女性の特性が悪いこととは言っていませんよ、むしろ良い特性でもあるのです。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物と言いますが、まあ大方、そんなところですね(無論、人によって多少のばらつきはありますがね)
「私は、そうではないという」女の人は、男性的な人かもしれませんね。女性であることを極度に嫌う女性もおられますからね。
男はロマンチスト、女は現実的な生き物ですから、同じことやっても大きな違いが出てくるのです。
従来の感覚では男性の仕事と思っていたことが、案外女性のほうがむいている場合も出てきたのです。
現実に最近では、女性社長や役人や技術者や大学教授が活躍するなんてことがあったり、男性が、からきし駄目だったりしているのです。
しかし女性だけでなく男も同様な男としての特性を持っていますから、あいこです。
サラリーマン・営業・技術者・職人・芸術家・スポーツマン…それぞれ人によって、それぞれの特性を持っているのです。
女は女・男は男・サラリーマンはサラリーマン…であって良いのですが、全く問題がないというのではありません。
それぞれの特性は特性であると同時に、悪性にもなりうるのです。
それぞれの特性の裏返しとして、落とし穴・アキレス腱・弱点が存在するのです。
女は素晴らしい女・男は素晴らしい男・サラリーマンは素晴らしいサラリーマン…であることを前提にして、その上で自分の弱点を正しく認識しておくことが大事です。
女らしさが良く出ている場合は良いのですが、えてして悪い面が出てしまうことがあります。そういうことは女がドプリ女に浸かり、そこにアグラをかいてしまうからなのです。
人間には、それぞれ本来の人間が存在しているのです。
女は女として男は男として、…・・皆それぞれに、自分の立場を演じているだけなのです。
女も男も元々は人間なんですが、この社会で暮らしていると嫌でも応でも女性や男性を演じるようになってしまうのであります。
あくまで、日常、女は女の側で、男は男の側で生きるのです。女の向こう岸や男の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
それは女や男だけではなく、どんな人もその人の自分の側で生きているのであって、それぞれの人の向こう岸や男の向こう岸には本来の人間の側があるのです。
本来の向こう岸に渡ろうとする人は少ない、渡ろうとする人は本当に珍しいのです。
さんざ「向こう岸もあるから一度渡ってみなさい」と言ってあげても、渡ろうとしないのです。
川の幅は広い・深い・流れは急だ
だから敢えて向こう岸に渡ろうとする勇気もない、決断もしない
そしてこちら岸に閉じこもる、安住する
こちら岸でも、まともに生きられていないのに閉じ篭る、だから向こう岸からこちら岸を一度眺め直すということもできない、なんとも情けないことだ。
そして多くの女も男も、本来の向こう岸に渡るキッカケを掴むことなく一生を終える。
人間は人間として生まれ、やがて人間の側からこちら岸に来て安住するのです。ちょうど田舎から都会に出てきた若者のようなものなんですね。
そして田舎出の若者同様に、田舎に帰ることなく都会に埋もれて、やがて都会の片隅で寂しく死んで行く運命なんです。
こちら岸は
固定観念  既成概念  常識・良識  保守性  自堕落  殻  閉じ篭り  引き篭もり
向こう岸は
反対側  相手側  自然  人間  本質  本来  仏性  革新  
いつもこちら岸からだけ見ようとしないようにしましょうね、また少しづつでいいですから、向こう岸からも見られる人間に成長しましょうね。
67、厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国
昨年から未曾有の不景気が世界を震撼せています。ニューデイール政策などと、またぞろ無能な政治家が大きな顔して、更に借金を増やし、ばらまきをし”救済”を打ち上げつつあります。
本当にこんなことで良いのでしょうか?ピンチをピンチとして応急手当で凌ぎ、国民に媚を売り、選挙の票集めをするのです。
戦後日本は急速な経済成長をしました、いろいろな支援もありました、しかし根本は国民のへこたれない精神・がんばり精神によるものであったことを忘れてはなりません。
現代で最も危険なことは愚かな政治家や親が介入し、不自然な保護や救済をし、安易に大盤振る舞いすることではないでしょうか?
世界にはその日に食べるものにも困っている国民が大多数というのに、先進国では更に国家や県がこれでもかこれでもかと救済してくれるのです。
動物が減ったので、動物保護と称して、エサを与えたところ、動物が増えすぎ、生態系が崩れ、結果的に環境を更に悪化した事例は枚挙に暇がないのです。
一例に過ぎませんが私の生い立ちからピンチをチャンスに変えてきた自分史を振り替えらせて戴きます。多くの同世代の日本人は同様な道を歩んできたはずです。そういう点では、私の体験なんか、さほど大したものではないかもしれませんね。
ところで私個人は、多額な税金を払い続けてきましたが、どんな厳しい時期や状況においても、国や県からお金を補助されたり救済を受けた経験が皆無です、幸せと言えば幸ですが、なんとも割り切れません。一方ではピンチをチャンスにして頑張っている国民や会社も多いのです。
■ 私、村上和隆のピンチをチャンスに変えた経歴の一部紹介
1・昭和18年、第二次大戦の真最中、東京の浅草に生まれ、母におんぶされ大空襲の東京からやっとのことで逃げおおせ、戦後の暮らしも貧乏で着るものや食べるものにも困る時代が続きました。
しかしその後、ご存じのように、日本は、その苦しさや貧しさに耐え忍び、勤勉とがんばりで世界ビリから世界一へと成長するのです。
2.医療事情の悪い戦争中、ジフテリアという病気にかかり、鼻の穴と鼻自身が萎縮、身体に電気治療のアザができ、幼少時に長いことコンプレックスになっていました
しかし今となっては、そういう幼少時の身体的なコンプッレクスと戦って克服できたことは、他人への思いやりや優しさなど、むしろ幸いであったと思っています。
3.我が家は親も兄弟も皆記憶力は弱い、私もご多分に漏れず記憶力が弱い、更に早生まれや、体力もさほどではなく、学校の成績は中の上、頑張るがそれだけの結果は出ない
しかし記憶力が悪いハンデをなんとか努力でカバーし、ついに国立一流大学の東工大に入ってしまった、親族あげてびっくりしたようだ
4.その後、大学院を修了し、大阪の松下電器に就職しましたが、当時は松下幸之助さんの下、無借金経営で破竹の勢いでした
しかし当時日本一優れた経営を標榜しながら、この会社は大企業病のような状況に陥り、その後伸び悩むのです。そういう中でなんとか独自に成果をあげたのを契機に転職する
5.さほど魅力を感じなかった大企業の松下電器を10年で退職し、京都の零細企業の電子部品会社のエンゼル工業に就職しました。
就職したときこの会社は会社をたたもうかというような最悪の状況でしたが、独自の新製品や設備開発と必死の頑張りで急速に業績を回復したのです
6.さすが身体がボロボロになり、休暇をとった後、京都の半導体電子部品のローム鰍ノ転職しますが、この会社は当時業界最低の地位でしたが、とにかく私も頑張りました。
この会社は、有能な専務などの幹部と社員の必死の頑張りにより、ついに日本一の高収益企業にと脱皮したのです。
7.東京から大阪へそして京都へ、ますます故郷は遠くなり、京都弁や京都の習慣にもなじめないまま、生来の口下手・お世辞下手・社交下手で出世も思うようにできませんでした
しかしそういう中で万年課長で、身寄りのない京都で、管理畑の実務畑やいろいろの会社や職種を体験し成果をあげてきたことは大きなプラスになる
8.青天の霹靂、元気なはずの妻が突如、癌で闘病生活となり、関西に身寄りがいない状況で、仕事との両立もままならず、55歳でロームを退職し、介護を1年くらいしました、そして平行して経営コンサルタントの道に踏み込むのです
コンサルタント会社に入社しましたが、あまりのひどさお粗末さにあきれ、3カ月で退職し、コンサルタント業を自営独立をしてしまいます。当時ISO14001支援はコンサルタントがいないために非常に儲かりました
9.しかしISO14001支援もひとわたりすると、ISOコンサルタントも増え、営業力の弱い私どもの会社は受注が不安定になってきます
そんな折、業界に先駆けて、ISO14001支援のやり方を根本的に見直し、180度大幅に独自の改善を敢行します、それによって支援の成果もあがり、受注は急増します。営業もインターネットの充実で安定化しました。
また個人でコンサルタントをやる場合の障害は営業力の弱さですが、これも独自にホームページを相違工夫し検索で上位をキープしてこられたのです。今では苦手だったパソコンやインターネットについて教える立場に変身したのです。
10.妻が癌で死去し、その後、私も前立腺癌になり、関西で一切身寄りのない私は、本当の困ったを実感しました。治療の副作用や高齢化により、どんどん体力も衰えていきます。
そういう中で、田舎暮らしを開始し、独自の健康体操など健康管理を根気よく続けることによって、年齢を重ねるほどに。健康や体力に大きな自信を再度とり戻したのです。
11.長年私は管理畑の実務畑を黙々と歩いてきたのですが、55歳で未経験の経営コンサルタントをやることになったのですが、当初は全く自信なんてなかったですね
しかし長年いろいろな会社やいろいろな職種いろいろな困難及び会社の再生を経験してきた私は経営コンサルタントを背負うような意気込みでのめりこんでいきます
12.また私は社交下手・会話下手で、友人や人々との交流をむしろ避けてきたほうですが、交友関係かなり狭いものでした。
しかしコンサルタントを自営するにつれて自信や望ましい会話のやり方を順次習得していき、以前に比較して人付き合いに前向きになり、ついに会話支援までやるよう大きく脱皮したのです。
「厳しい時期に伸びるのが本物の人・本物の会社・本物の国」なんです
「金を残す人は、不景気のときに金を使う人」だと言います(景気の良い時は倹約して金を貯める)
すなわちピンチの時こそ前向きに動くということでしょうか?良い時はむしろ自重しているということでしょうか?
多くのそうではない人は、逆のことをしてしまうものだそうです
昨年、百年に一度の未曾有の不景気は自分や会社が本物かどうかを試すチャンスなんです
いいですか、このピンチをピンチのまま、政府などの救済を得て、なんとなく2〜3年を過ごす人や会社は間違いなく将来はありません。
しかし、もしこのピンチに、むしろ伸びる会社は人がいたらその人は間違いなく確実に将来が期待されるはずです。
お嬢さん貴方もそういう頼もしい人や会社を選ぶべきなんですよ!
さあ自分自身や自分の周りを見ていて下さい、こんなピンチでも
伸びる会社があります
伸びる人がいるのです
そういう人や会社になるかどうかは、心がけ次第です。
ピンチのとき、ドップリ困って、そこでもがいて、なんとかアイデアや勇気を出して独自の対処を果敢に実施することが大事なんですね
日本政府は、今度のピンチにおいて、「国民が必死にがんばる」「死ぬ気でがんばる」ようにリードすべきなんですが、
保護政策・とにかくお金を与える政策・甘やかし政策・場当たり政策・その場しのぎ政策をするのです
その結果ピンチはチャンスにはならず、むしろ遠い将来において更なる大きなピンチに結びつくような構造にさせてしまう結果になるのです
甘えてはいけません
ピンチにあたって誰かが助けてくれる」と思ってはいけません
トコトン困って・困って・困り抜くことこそが大事なのです
トコトン困るからこそ、アイデアが生まれる・正しい路線に戻る・必死になるのであります
生まれ故郷の東京を離れ関西で全く身寄りもなく、数々のピンチを乗り越えてきた私には、「天は自ら助ける者を助ける」ということを自らの人生で体験してきました
安易に助けてくれる身寄りの人達が周囲にいることは、良いことのようで結果的には最悪なんです。
「可愛い子には旅をさせよ」「他人の飯を喰わせろ」というのは真実なんですが、これを避けてしまう人は多いですね
国民は可愛くないのです、政治家にとって国民は、単なる票なんです。可愛くないから、ご機嫌とって、甘やかすのです。
私の体験では、すごく困ったときでも関西には身寄りがなく、国も社会も会社も、誰も何の助けもしてくれなかったことが自分を強くしてくれたことを改めて思い出すのです。そういう意味では、誰も助けてくれなかったことに感謝したいくらいのものです。
とにかくつらいですよ、下手するとノイローぜや自殺しかねない状況ですから怖い面もありますが、「安易に助ける」ことはいつまでたっても結果は出ませんよ。
禅の修行はそれはそれは厳しいと聞きますが、その禅の精神は、我々俗人にも基本的に必要だと思います。
66、つまらん思い込みが生涯自分を苦しめる、まず自己の基礎・土台を見直すことが大事
人生に限らず何にでも言えることですが、人間はそれぞれにその人特有な思い込みというものがあります。
人それぞれの思い込みは、人によって千差万別です。ある人にとっては深刻なことであっても、別の人にはどうでもいいことだということが大半です。
その思い込みが、本人も冷静に全部正しく認識していればまだ良いのですが、ほとんどの人の場合、それらの刷り込みが無意識又は頭から良いに決まっていることだと認識されていることです。
一般的に動物は生まれたときに、自分と最初に接した生き物を自分の親と認識するそうです、いわゆる”すり込み”という現象です。
更に、遺伝や幼少期の教育や周囲からの影響によって基本的なことが更に刷り込まれて行きます。
刷り込まれたものは人により全く異なりますが、それによって人は、それぞれに違った信念・心情・思想・性格につながります。
人間は生まれてから幼少時にすり込まれたものを良きにつけ悪しきにつけ、一生引きずるのです。よほどのことがない限り、きちんとした見直しや修正はされないのです。
すなわち、人間の教育でもっとも大事なのが生まれた瞬間から幼少期12歳小学校卒業までだということです。
幼少時の親や周囲の人々の責任は重かつ大なのでありますが、「重大性の認識」はいい加減なものなのであります。
「三つ子の魂百まで」と言いますが、その基本的な刷り込みを基礎・土台にして、その後の人生が積みあがっていくのです。
生まれた瞬間から幼少期12歳小学校卒業頃までに、家に例えると土台であり、基礎の部分が完成するということなんです。
その土台と基礎の上に13歳頃から、20〜30年かけて、自分が出来上がっていくのです。
いかに素晴らしい家でも土台と基礎が悪いと家は住み心地も悪く倒壊の恐れもありますが、人生も家も、全く同じことです。
一般的に一度家を建ててしまうと、容易に土台や基礎は直せません、直せたとしてもほんの僅かしか直せません。
根本的に直すには、一度家を壊すしかないのです。
どちらも難しいのですが、人間の場合と家の場合もどちらが修復可能かと言うと、私の勝手な想像ですが、人間の心のほうが家の何十倍、何百倍も難しいと思います。
家の場合小規模の家であれば、土台や基礎はお金と技術と手間をかければ不可能ではありません。
しかし人間の心は、一見変えられそうで、実は、そう簡単に変えられないのです。人の心の底に、根深く強い根っこが沢山蔓延ってしまっているからです。
人間が幸せにならない又は幸せを実感しないのも、そのせいであると言っても過言ではありません。
自分の心の腐った土台や基礎を直さないのですから、いかに心の上辺を飾り立てたり修正したところで知れたものです。
こういう人間の心の根本にメスを入れないで、なんだかんだとつまらんことを懲りずにやったところで根本的には何一つ改善されないのです。
土台や基礎を直すのは大変ですから、当然のこと、億劫で、土台や基礎を根本的に直そうとはしないのです。
土台や基礎が脆弱な上に、とんでもない我楽多なものがこれでもかこれでもかと建っているのです。
土台や基礎を直そうとする意欲をそぐに十分過ぎるほどの惨状なんですが、それを直そうとしないのですからもう手の施しようがないのです。
■豊かさと便利さに埋もれた現代人は特に基礎や土台が悲劇的なほど脆弱なことを認識しないと、生涯のどこかで心は崩壊する危険があるのです。
土台や基礎がしっかりしている人は格別問題はないのですが、世の中そういう人はかなり少ない、むしろ例外的な人と考えて下さい。
通常の場合、そういうしっかりした人ほど、一から土台や基礎を作り直すのですが、むしろ本来直すべき人には、そんなことを考える意欲も能力もないものなのです
面倒だ、直そうとしないから、どんどん駄目になっていくのです。人生の下り坂を転げ落ちていくのです。
人間というものは、自分自身やその基礎や土台を生涯に一度、完全なまでに、ぶっ壊して一から作り直すことこそが人生の大きな仕事の一つなんです。
土台や基礎がちゃんとしているのが本来は当たり前なのです。ところがほとんどの人間の土台や基礎が脆弱ですから相当に努力しないと、人生はどんどん意味のない価値のないものなってしまうのです。
家を買うときは、家の基礎や土台を確認して買うべきですが、多くの人は、ついつい家の内装や間取りなんかに目を奪われがちです。
人間の場合もそういう面があります、人間としての大事な基礎や土台の部分はほとんど見ずに、やれ顔かたちだの、金持ちだの、地位だの、学歴だの表面的なものに執着してしまうのです。
なんで、人間はこんなに愚かしいのでしょうか、なんで人間はこんなにあさはかなんでしょうか?それが基礎・土台によるものなんです。
上辺が良いのが必しも中身が良いことにならないのです、外見はいかようにも誤魔化せるのですが、土台は基礎は誤魔化しできないのです。
外見を飾ることに努力するよりも、まず土台や基礎の部分を真摯に、見直すべきです。安易に外見を飾ることだけに走ってはいけないのです。
外見を飾る癖がつくと、どんどんそういう外見主義に傾いていきます。多くの人がほとんど所詮は、外見主義なんです。
■根本を見直す
■根本から自己を磨く
いかに遠回りでも幼少時以降堕落に慣れ切ってしまった自分を、何かのきっかけを掴んで、一から立て直すことが大事です
そして、そのことこそが有意義な人生・価値ある人生を勝ち取るための意外な近道でもあるのです。
まず自分は、物事をの何をどうとらえ、どう考えているのか、何を信じているのか、何に価値を置いているのか、善悪をどのように捕えているのか・・・つくづく自分を見直すべきなんです。
人間の多くは病気なんです、まず自分が病気していることを疑い、検査してみることです、そして自分の悪い箇所を発見して手術なり治療なりをしないと、自分は健康・健全であると思い込み、多くの大きな病気を抱えたまま生きながらえ、死んでいくのです。
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
生産や仕事のないこの時期に企業がやっておくべきこと2009-03-14 10:04:55?|?経営管理
仕事が忙しい時に、会社の人が言うことは、「忙しくてとてもそんなことできません」ですね。
それだったら暇になったら、さぞかし凄くやるかというと、庵に相違して、暇だから会社も仕事も休みにしてしまうのです。
「暇な時こそ、たまには身体も頭も休養しよう」なんてことになってしまうものです。
せっかく神様がくれた貴重な暇なんです。
「暇な時こそ普段の2倍働け・3倍働け・10倍働け」ですよ
昨年のサブプライムローン問題はある意味困ったことではありますが、見方を変えると”大変革のチャンス”ですね。
大事なことは、会社を休みなんかにせず、2〜3日会社に缶詰になって、どう変革すべきかを本人や会社が真剣に議論し、明確にするかどうかです。
多分忙しい時に、いろいろと困った問題が山積しているはずなんです。
今後日本は、輸出依存が難しくなる・高齢化で国内消費は減退の一歩・人件費は相対的に高いまま・環境対応の要求・材料費や電力の値上がり・輸送コストの上昇・質の良い社員が採用できない…・等々
企業は今こそ、新製品や新サービスの開発が急務ですし、大幅な固定費削減も急務なんです、また品質の飛躍的な向上も緊急に完璧にやっておく必要があるのです。
今年は新しい変革をする会社は結果良し、従来からの消極的な姿勢のままの会社は結果悪しと更なる二極化が更に進むのは必至です。
貴方の会社が更なる二極化のどちらに入るのかが、ここ1年の会社の努力の如何にかかっていると言っても過言ではないのです。
  @教育・訓練・勉強・資格取得
  A機械の点検整備・改造・設備開発
  B工場のレイアウト変更
  C不要物の処分(半減目標)5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)
  D企業情報の収集・分析のシステム化
  E新製品・新技術開発
  F新サービスの開発
  G社内社外の輸送・梱包の改善
  H業務改善・情報システムの見直し
  I徹底したムダトリ
  J有能な人材の採用
  K社員の個別面談・社員の状況把握問題点及び改善点の明確化
  Lその他会社に必要なこと
まずそのために社長や幹部が幹部とスタッフ全員をひきつれて現場や全部門を細かく点検し問題をどんどん見つけだし手当たり次第改善していくことです
「ピンチはチャンス」なんです
  @大きく変化できる
  A苦しいときには変革せざるを得ない
  B思いきれる
  C真剣に考え直す
  D一から出直せる
  E意識改革しやすい
  F社会全体がピンチの場合は勝ち組になれば得るものは大きい
  G普段はできないことが出来る環境になることがある
  H各自の真の実力が発揮できる
  I手当たり次第ぶち壊せる
  J社員の意欲を向上できる
  K不要なものを一掃できる
私にも幾つかピンチの経験がありますが、ピンチを何度か体験していない人や会社の場合、へこたれてしまうことが多いのです
意外なことですが、ピンチの時に冷静に前向きな対処を着実かつ大胆に実施するという意識が無い人や会社が多いですね。平和ボケなんですね。
しかしへこたれてしまえば、ピンチは大ピンチか致命的なピンチになってしまうだけなんです
どんなときでも、良い時も悪い時も真剣勝負の会社や人が勝利を収めるのです。「やれ弱者だの、格差がどうの」と言っている場合じゃありません。
大事なことは、社長や取締役が率先して、改革を主導し、ピンチをむしろ非常に前向きに認識すること、社員にもそういう認識を植え付け発奮させることです
 ・ピンチの場合のほうがむしろ積極的になる
 ・ピンチを避けようとしない
 ・ピンチのときにこそじっくり腰を据えてチャレンジする
会社でも個人でも、自らをピンチに追い込む又はピンチが来ても動じないどころかむしろ「さあ来い」みたいな意気込みが大事です。
ピンチをピンチと認識していない人や会社、更にそれが「最大のチャンス」と認識しないで手をこまねいているだけですと、”ピンチはピンチ”でしかありません。
私の体験でも松下電器でもエンゼル工業でもロームでも最後ロームを止めたときでも、妻が病気になり死んだときでも、コンサルタントを自営して受注が減ったときも、ピンチでへこたれはしませんでした。
「面白くなさそう、楽しくなさそう」だから見向きもしない、そんな人の人生は底も奥行きも狭いものだ
私が山でほとんど一人で暮らしていて、よく受ける質問は「こんな山奥で何しているんですか?何が楽しいんですか?」だということを以前申し上げたことがあります。
非常に多くの人がこの質問を私に最初にされますね
しかし10年も山の中で暮らすと、その素晴らしさは、自分では理解できるものの、それを口先だけで他人に説明しても簡単にわかってもらえないようです。
正直、私も山で暮らした当初は、いきなり楽しかったわけでもなく、時々、都会に戻らないとストレスになるようなことが実態でした。
しかし私は、徐々にではありますが、確実に田舎や山の中の暮らしに愛着を感じるようになって行ったのです。
まあ、これに似たことの、極端な例が厳しい修行に日々わが身を晒す禅の僧侶達でしょう。
なんで一日の多くを座禅などと、座っているのか?「なんであんな退屈でしんどい馬鹿げたことを毎日やっているのか?」と普通の人は思うのでしょう。
しかし私の想像ですが、禅の僧侶もその厳しい修行を積み重ねるにつれ、急速にその素晴らしさやその大切さを実感していくのでしょう。
こういう一見「面白くなさそう、楽しくなさそう」なことを頭からあっさり否定してしまう人は、私や禅の僧侶からすると「なんと可哀相な人か」ということなんです。
立場が変われば思いや認識は、全く逆転してしまうものです。
こちらから見れば素晴らしいことがあちらから見ればつまらないことに見えるのです。
逆にこちらから見ればつまらんことがあちらから見れば素晴らしいことに見えるのです。
物事は元々、良し悪しが決まっているのではありません。人間が狭い浅い了見で、勝手に決めたことに過ぎないのです。
簡単に、物事を良し悪しで区別してしまうことは、その人の人生を窮屈に・矮小なものにしてしまうことも知らないのです。
人間は、自分の身勝手な了見で物事の良し悪しを判別してしまうのです。
例えば
・子供は親の側から物事を見られない
・社員は社長の側から物事を見られない
・男は女の側から物事を見られない
・政治家は国民の側から物事を見られない
・都会人は田舎人の側か物事をら見られない
……………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・………………
そして、究極のこととして
・人間は神仏の側から物事を見られない
・人間は本来の正しいもの側から物事を見られない
親の立場に立てない人はいつまでも子供です
社長の立場に立てない者は、いつまでも雇われ人です
最近は、結婚もせず、子供を生まず、育てない、いつまでも子供のような未熟な若者が増えています。
結婚しないほうが、子供なんか生み育てないほうが、自分だけの暮らしのほうが自分にとって楽で心地良いという安易な理由だけなんです。
そういう考え方は、せっかくこの世に生まれて来たのに、最も人間として大事なこと・価値あることをせずに死んでいくということなんです。
生き物としての最低の使命というか喜びは子供を生み・子供を育てることなんです。子供に自分の意思や生き方を伝えていくことなんです。
生きた意義や価値がないまま、都会の雑踏と喧騒にまぎれて、徒に自堕落な暮らしをしつつ生きながらえ、そしてつまらん生涯を閉じるのです。
極論すれば、生き物として生まれた意味・人間として生きている意味が全く無いと言っても過言ではありません。
せめて「自分がつまらない・楽しくないと思っていることにこそ、本来の価値あるものがあるはずだ、またはあるかもしれない」という認識だけでも持って欲しいですね
・大の大人が「なんで村上さんはこんな山奥に暮らしているんですか?何が楽しいんですか?」というような質問だけはしないようにして下さい。
・大の大人が「なんで僧侶はこんな厳しい修行をしているんですか?何が楽しいんですか?」というような質問だけはしないようにして下さい。
・若者も「なんで結婚しつらい思いまでして子供なんか生み育てるんですか?何が楽しいんですか?」というような質問だけはしないようにして下さい。
そういう質問をする大人は、最近の豊かさと便利さにどっぷり浸かった若者のようにまだ子供なんでしょう。
自分の側からだけでなく、敢えて向こう岸に渡ってみて、向こう岸から物事を眺められるような深い心の持ち主の人間になって欲しいですね。
第64号 村上和隆の人生塾「一言」2009-03-01 16:29:59?|?人生
64、人間は、一体何のためにこの世に生まれてきたのか?
一体、何をしにこの世に生まれてきたのだろうか?
酒やご馳走や電気製品や自動車を手にするために生まれてきたのだろうか?
女や男を漁り、金儲けに血眼になり、旅行したり、買い物するために生まれてきたのだろうか?
自分は一体なぜ人間なんだろう、なぜ獣や昆虫や、魚でないのだろうか?
東京から大阪へ、会社にとってすごく大事な仕事で出張を命じられた社員A君がいたとしよう
A君が大阪に行くまでに社中で大酒を飲み、途中下車して物見遊山でもしたとしたら
大阪に着いてからも、出張の目的を忘れて、あちこちふらふらしていたとしたら
相手先に行っても、いい加減な仕事しかできずに、目的を果たさずに東京に帰ったとしたら
はたしてA君は、立派に出張の命令を果たしたと言えるのだろうか?
どう考えても、誰が考えても、A君は断じて許されるわけがない、普通の会社では、即刻、首なはずだ
人間も、前世で前世の上司に当たる神仏から大事な使命を持って出張を命じられたに違いないのだ
ところが人間はこの世に出張したら、使命を忘れてしまい、酒や女や男や金儲けなんかに血眼になる
そして30年・40年・50年と経って、やがて出張から帰るべき時期が迫って来る
いざ最後の日が目前に迫って来て、やっと「一体何のために出張してきたんだろうか?」なんて思いだすのだ
しかしそんな時期になったら”人生という出張”は、もうやり直しができない、取り返しができないのだ
そしてやがて、全員、あの世に帰っていき、
あの世で、この世の出張の精算と報告をしなければならない
どこかの地方の議員さんがお手盛りの欧米視察旅行に行ったようなもので、神仏に苦しい嘘の報告をするのだ
神仏には、そんなことは簡単にばれてしまう、そして地獄に落ちることになるのだ
そして地獄でこの世の快楽を消し去るまでつらい年月を苦しみぬいて過ごすのだ
そして地獄でつらい年季奉公が終わってまた生まれ変わるが、もう二度と人間に生まれ変わることはないのだ
この世に獣や昆虫や、魚になって、獣や人間に食われ、再度またあの世に帰って行くのだ
現代の人間は、この世という出張先で大事な仕事を忘れてしまい
”便利さと豊かさ”なんてとんでもないものにどっぷり浸かり、恐ろしいほどの堕落をしていることを猛反省しなければならない
いいですか、前世で命じられた大事な人間としての出張の目的を忘れてはいけませんよ
人間として真っ当な生き方をして、自分や周囲の人間と一緒になって磨き上げるのがこの世での出張の目的なんです
残念なことだが、この世には、そういうことをきちんと認識させる指導者が多く存在していないのだ
それどころか、政治家も指導層も、有識者も「贅沢せい・楽せい・ずぼらせい・無駄せい・放蕩せい…・」と間逆なことを押し付けるのだ
第63号 村上和隆の人生塾「一言」 2009-02-13 08:18:33?|?人生
63、できませんは老人の証拠、できますは若者の証拠
私は、パソコンなんか到底できません
私は、ホームページなんか到底できません
私は、メールなんか到底できません
私は、ブログなんか到底できません
私は、skypeなんか到底できません
私は、windowsなんか到底できません
私は、エクセルなんか到底できません
私は、ネット検索なんか到底できません
私は、××なんか到底できません
その理由は、パソコンという高度な機械であることもありますが、パソコンやネットが英語で成り立っていることも大きな原因のようです。
英会話のできる人にとって「英語なんて簡単です」ができない人にとってはその壁はすさまじく高いのです。
ですからパソコンやネットを始める勇気や気力さえ失せているのが実態のようです。
しかしそうだからと言って、英会話なんかはできなくても全く構いませんが、ネットやパソコンができないというのは大きな損失であり大きな不幸と言わねばなりません。
私の場合は、おかげさまで自作のホームページを作り、エクセルを使い、毎日ブログを書き、ネットで買い物をし、ネットで必要な情報を得るなど非常に役立っているだけでなく老後の生活や仕事に大きな支えともなっているのです。
ご安心下さい。皆さんが考えるほど難しいものでないことは私の経験で理解しています。私もその昔は皆さんと同じように「できません」の一派だったんですから
■メール(電子郵便)
パソコンにメールが事前に仕組まれています
その使い方を誰かに教えてもらって下さい
郵便ハガキみたいなもので簡単です
やってみれば簡単なことは理解できるはずです
■ブログ(公開日記・私設情報発信器)
ブログは公開日記として誕生しました。個人の情報発信の便利な道具です
しかしホームページとしての使用もできます
ホームページにリンクすることも可能になります、すなわちホームページをお持ちになることに等しいということになります
無料のものがあります、使わないのは損です
良い点は簡単に自分の情報を公開でき、多くの人の意見や情報をもらいやすいことです
またブログを通じブログ友達になることも可能です
私のこのブログをよく観るとかなり参考になるはずです
■skype(無料画像つき電話)
双方の動く画像を見ながら話しができます
無料なのが嬉しいですね有料の電話なんかもったいないです。お金の面だけでも年間数万円の節約になりますよ
遠方の家族や友人や他人との交信ができるのが素晴らしいですね
skypeをダウンロードし個人情報を書き込み、skype名前(電話番号に相当)を登録するだけですので、やはり意外に簡単です
webカメラ4000円程度が必要です
かなり高学歴の大企業出の方や偉い先生なんかも意外にやっていませんね、我が家では東京の兄姉甥とも必需品として使いまくっています。まあ便利でしかも無料ですからね
■エクセル(表つき文章作成具)
表計算ソフトですが文章作成としても使えます
自由にレイアウトしながら文章が簡単な描画や枠どりが可能です、画像の貼り付けもできます
ホームページやその他への変換も簡単にできますので、まずエクセルの基本を習得すると好都合です
ワード(文書作成ソフト)もありますができましたら、エクセル(表計算ソフト)をお勧めします
■ネット検索(広域情報瞬時検索具)
インターネットで関係する鍵となる言葉を入れると関係のあるホームページに辿りつくことができます
図書館で必要な情報を得る場合は、大変ですが、ねっと検索の場合は自宅にいながら世界中の高度な情報が瞬時に得られます
また最新の情報も毎日得られます
私などは新聞の代わりに毎日ネットで世界の情勢を見ています
特にネットでの買い物はスーパーやデパートや専門店で買う20〜30%安い価格で購入できるのが大きな魅力です
理由はネット通販というのは店・過剰在庫・流通経費・人件費がほとんどかからないから当然なのです
ちなみに「できませんは老化した証拠」「できますは若者である証拠」です。「腰が痛くて歩けません」
「苦手ですからパソコンできません」「危ないからそんな危険なことはできません」と
”できません・わかりません”という人は年齢に関係なく、もし20〜30の若者であっても、まさしく老人そのものなんです
見かけではなく、いつまでも若い人は、口が裂けても死ぬまで「できません」は言いません。
凄まじい高齢化社会では、他の多くの人がどんどん老化して「できません人間」になっていくでしょうが、貴方だけは、老人になってはいけませんよ
第62号 村上和隆の人生塾「一言」  2009-02-09 08:11:07?|?人生
62、人間は本来の生き方からどんどん遠ざかっている、これで良いのか?
滋賀県高島市安曇川の山中に暮らして10年くらいになりますが、常時生活しているのは、私一人なんです。
そういう暮らしの中で時々都会の人やら地元の安曇川町の人が山中にやってくることがあります。
その人達の多くが言うことが
「こんな山の中の暮らしは、つまらなくはありませんか?」「何か楽しいことがありますか?」
という質問です。
10年も山で暮らしていると、この質問ほど、私にとって異様というか異常に聴こえるものはないのです。
皆さんは、別に大した考えもなく軽い気持ちで質問されるのでしょう。
しかし今の私には、「もし人間だったら、その質問だけはするなよ」という気分なんです。
もし質問するのでしたら次のように質問するのが本来、正常なんでしょう。
「私もこういう山の中で暮らしたいのですが、事情があってできませんが、山の暮らしはどんな楽しいものですか?」ってね。
多分100〜1000人いても、こういう質問ができる現代人は少ないのでしょうかね?
理屈ではなく、最近は何故か自然にそういう気分がするんです。
私のほうこそ「都会なんかに住んでいて、つまらなくはありませんか?」と聴き返したいくらいです。
しかし世間常識的には、私のその質問は奇異ですから、本音としては、その質問をしたいのですが、私もそんな野暮な質問はしませんが・・・ちなみにこの質問への大方の人達のお答えは「すごく楽しい」ですかね?都会の堕落しきった暮らしが楽しくなってしまっており、誰も少しも疑わないのです。
田舎に行くと特に現代社会では、「なんでこんな辺鄙で不便なところに住んでいるのか?」みたいな場所が多くあります。
もちろん最近では都会の人はそういう場所に出掛けることさえしなくなりましたがね、その結果限界集落なんて”あたかも最低・最悪の場所みたいな”悲しい新語も生まれるありあさまです。
何か世の中がいつの間にか逆転してしまっていることに気付かされたのです。
私流に言わして戴くと、”限界集落村”でなく”崖っぷちの限界都会”なんですがね。
普通の人はそんなこと思いもしないでしょうが、10年も山で暮らしているとそういうことを感じるようになるのです。
「元々太古の昔から、人間は山の中で暮らしてきたんだよ、そこで自然と共生して人間を磨いてきたんだよ」と言ってやりたい心境ですね。
そして同様なことが、人生についても言えるように思ったのです。
本来の真っ当な人間の生き方をしている人がそうでない人から「そんな生き方をしていてつまらないことはないのですか?」
そんなこと聴いたとしたらおかしなものですよね。当然ですが「その質問はそのまま返しますよ」と言いたいですよね。
麻薬常習者の患者が、正常者に「あなた楽しいですか?」なんて聴くようなもんです。非常におかしな質問ですが、麻薬患者にとっては極めて普通の質問なんですね。
「いくら楽しいかどうか知らないが、あんたこそ、そんな堕落したくだらん人生をおくっていて良いのですか?」と是非聴いてあげたいのです。
豊で便利な現代では、本来の人間の生き方をしている人がどんどん減って、絶滅しそうな状況なんです。
そんな堕落した人間から「貴方つまらない人生でないですか?」なんて聴かれたくないのですがねー困ったものです。世の中逆立ちしているのです。
「こんな山の中の暮らしは嫌」ということは、人生に関することに変換してみると「本来の真っ当な人生なんか嫌」というのと同じことなんです。
そうなんです。豊で便利な現代においては本来の生き方や暮らし方は嫌なのです。もう二度と真面目な生き方には戻りたくないのです。
まさに麻薬常習者のようなものになり下ってしまっているのです。しかも自分がひどく堕落していることに気付かないのです。この調子で行くと孫の時代には取り返しのできないひどい社会に成り下がってしまうのは必至ですね。
しかし本来の人間の生き方からどんどん遠ざかり、人が人でなくなっていくなんて、それで本当に良いのでしょうか?
山で都会の人から私にとってはとんでもない質問されて、こんなことをつくづく考えて愕然としてしまう私なのです。
一体人間は何をしているんだろう?こんな堕落した人間達と交わって一緒のことを考え暮らしていて良いものだろうか?
多分いけないんでしょう。どんどん堕落していくだけです。こんな堕落した人を助けるなんて燃え盛る火に油注ぐようなもんですね。
堕落したヒューマニズムというのも根本的に考え直す時期が来ているでしょうね。
『ヒューマニズム糞喰らえ』
ですかね
本物の人間主義というようなものを取り戻すべきぎりぎりの時期なんでしょうね。
昨年からサブプライムローン問題で世の中が大混乱していますが、こういう時期に「人間とは?」「人生とは?」を真剣に問い直すのが大事であるように思います。
山に10年暮らしてみると、都会の人の考えていることや、やっていることが恐ろしく矛盾に満ちた奇異なものに見えて来ます。
やることなすこと、どんどん本筋から離れていくように思うからです。しかし都会の人は大真面目におかしなことをやっている。
アメリカ人がやったサブプライムローンの愚かさを反面教師とするべきです。私には、心配とか怒りを通り越して、笑うしかないような気分です。
政治家も役人も今になっては怒るのを通り越し、あきれて笑うしかない
「もうどうでもしろ」「国が滅ぼうが、世界が崩壊しようが知ったことか」「私は私の道を行く」という絶望的な気分です。
やれ景気が悪い・やれ人殺しが多い・やれ無気力な若者が増えた・やれどこかの国がけしからん、やれ物価が下がったの・・・・・
景気が悪くていいじゃねーか、物価下がっていかんのか、無気力でも生きてられるんだったら結構な話じゃねーか、仕事がないだったら自分達で仕事を作れよ・・・・
今の日本の都会の暮らしは、スイッチひねれば電気もガスも水も出る、カードで何でも買える、いよいよ困ったら国や県が助けてくれるんですが、これが当り前だと考えたら大きな間違いですが、間違いにさえ気付かない、気付きたくないんでしょうね。
矛盾・矛盾・矛盾・・現代の都会は矛盾で満ち満ちている。それを矛盾じゃないと考え、更にどんどん矛盾の無限地獄に落ちていくらしい。ある意味、麻薬より何倍も恐ろしいことなんですがねー・・・
『矛盾を解消しようとして、更なる大きな矛盾に手を出す
 どんな苦労があっても真剣に戻ろう、やり直そうとはしない
 本質に戻ろうとしない、本質からどんどん遠ざかって行く』
山に来て私に「こんな山の中の暮らしは、つまらなくはありませんか?」「何か楽しいことがありますか?」なんて聴かないで下さいね、愚問です。そんな愚かしい質問をする貴方は相当に病んでいる証拠なんです。
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
第61号 村上和隆の人生塾「一言」 2009-01-15 11:25:19?|?人生
61.私の体験に基づく、成人・大人についての認識
成人式で大人になるとういのは真っ赤な嘘だと思います。当然わかっておられるでしょうが、現代の日本では、”20歳=大人”はありえません。
20歳は法律上、酒・タバコがのめるとか選挙権がもらえる程度のものでしかありません。
昔は、奈良時代以降、日本では12〜16歳で元服したそうです。
元服すると幼名を捨てて、大人の名をつけたということです。文字通り大人としての役割や責任を要求されたようです。
江戸時代になると元服は、18〜20歳になったそうです。
今は、年々、更に遅くなっていっているように思います。
大人になるのが遅れているのです。
時代が進歩してるのですから、本来はもっと若くて大人になってしかるべきなのですが
ところが、なぜか世の中が進歩するとともに、若者の幼稚化が進行していくようです。
こういう状況を困ったこととするのか、それとも望ましいこととするのか……?わかりませんが、
物事には、いつも良い面があれば悪い面もあるように思います。一概にどちらが良い悪いということでもないようです。
若者がゆっくり大人になっていくのであれば望ましいのかもしれませんが???
昔のように、厳しさがある社会では、若者は早く大人にならざるをえません。
よく日本人は子供ぽいと言われますが、私はそのように思う反面、欧米人の無機質さ、横柄さ、個人主義的なものも、違った意味で子供ぽいと思っています。私の言う大人とはいかめしい、冷たい感じのものではなく暖かさも大事だと思っています。厳しさとやさしさを持ち合わせている人が真の大人だと思っています。
世の中が平和で豊になれば若者はいつまでも大人にならずに、子供のままでいるのも当然のことです。
実家で暮らし、家事は親に依存、ひどい場合は経済的にも依存している場合があるらしいのですが、こういう若者の増加は、やはり大問題ですね。
現実には、日本の20歳の男よりアジアやアフリカの12〜3歳の女の子のほうがずーっと大人に見えます。
私は、25歳で東京から大阪に単身赴任し、その後京都に家をローンで買い、京都に再転職し、更々転職し、子供を3人育て、妻が病気になり死に、そして会社を辞めコンサルタントを自営し、山中で一人暮らし・・・今日に至ります。
関西に一切身寄りは誰もいない、どんな状況の時も自分しか頼れない、随分つらかったが、何度もくじけそうになったが、よくぞ乗り越えてきたと思います。
今思うと、そういう厳しい環境下で、幾つものつらさを乗り越えてきたからこそ、やっと大人になれたんだろうと思うのです。
大人になる必要条件を私の体験から私なりに次にあげてみます。(注:十分条件ではありませんが)
【村上和隆式大人指数】:
     0〜3子供、4〜6やや子供、6〜8やや大人、9〜11大人、12完全大人
@ 親元を離れ、他府県に住む
A 2回以上転職する
B 経済的に親兄弟に依存しない
C 経営者になる目標を持ち、課長職までやる
D 結婚する、安易に離婚しない
E 子供を持ち、きちんと育てる
F 料理・掃除・洗濯を自分でする
G 相手の立場にたつ、相手の気持ちを察する
H 誰にも負けない、経験に基づく自分の専門を確立する
I 自分自身の困難な状況を少なくとも7回は切り抜ける
J 自らの意思で、自分自身の重大な意思決定を少なくとも7回はする
K 親や子供や妻のことで非常に困難な問題を少なくとも7回は切り抜ける
以上12項目の70〜80%以上がクリヤーできていない人は、大人ではありません。
一言で言うと、漫然と長期間、今と同じ状態に自分を放置しないということかもしれません。
「何度も脱皮しろ」と言うことですね。
親元を離れ・地元を離れ・会社も変わり・管理者になり・親になり・経営者になり・そして真っ当な本来の人間になろうと、どんな困難も対応できることが大事です。
別の言い方をすると、大人になることとは、どんなに厳しい状況でも、平然と変化に自分自身で対応できるということでしょう。
そういうレベルになるためには、本や学校で学ぶだけでは不十分であって、つらい環境に自分を押し込め、努力しつらくてもじっと耐えることでしょう。
私の場合、妻も東京からもらってしまったので、関西に全く身寄りがなく、完全な一人状態が続いたのです。それが幸か不幸か自分をより大人にしたようです。
京都と東京では何か問題があっても相談したり、助けを求める状況ではなかったですからね。
振り返ってみると、『東京を離れて関西に赴任し京都に住んでから、ずーとつらい厳しい環境で生きてきて、やっと55歳くらいで成人した』ような感じがしています。
大人の第一歩は、甘え・依存・依頼心を断ち切ることですからね。
私のように、完全に身寄りから隔離・隔絶させて、甘え・依存するものの存在を消し去ってしまうことこそが、最も正しい大人になる道なんでしょう。
「20歳で成人」「20歳で大人」なんて絶対にそんなことあり得ないです、本当の成人はせいぜい50歳くらいですかね。
現代の日本の若者の多くが親元・生まれた土地に住んでいるのです。そんな若者は死ぬまで大人になれないかもしれません。
第59号 村上和隆の人生塾「一言」  2008-12-20 07:47:02?|?人生
59、「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし・・・・」徳川家康
徳川家康「人の一生は、重荷を負うて、遠き道を行くがごとし・・・・」
重荷とは、生まれた瞬間から人生の時々に背負うことになる諸々の問題のことだ
それらの問題を解決し、少しづつ荷を増やし過ぎず、できるだけ軽くすることが大事だ
しかし人間は本質的な問題解決を避け、むしろ荷をズンズン重くしてしまう
ついには荷が重くなり過ぎて、よろける人や道半ばで倒れてしまう人も出てくる
荷を降ろせばよいだけなんだが、そうはしないどころかむしろ更に荷をどんどん背負い込むのだ
人生においては日々新たな問題が次々に出現する。それはしごく当然で自然な出来事であるのだが
人間は問題と遭遇しきちんと取り組むことを疎んじる・避ける。ましてや絶対に喜びなんかはしない
本来は、問題が出てくること及びそれを解決していくことは、人生において最大の意義あることだなんだが、
問題解決能力や意欲のない人は次々に手当たり次第荷物を背負ってしまう
登山において、相当なベテランの登山家でも次々に荷が増えるなんていったら頂上にはたどり着きはしない
「徳川家康も重荷を負うて、遠き道を行くがごとし」と言っている。近い道ではないから、
@ 荷を重くし過ぎてはならないということだ
A 重荷を背負いゆっくり歩めということだ
”膨れ上がる問題=重荷”を放置して無限に重くして歩く人生は、多分つらいだけの実りのない人生だ
重荷を少しづつ軽くしたり重くしたりして、前進・後退なんてこと繰り返しながら遠き道を踏みしめていくのだ
自分自身の歩むべき遠き道を定め、その道をどう歩いて行くか、時には立ち止まって深く考え直すことも大事だ
サブプライムローン問題やイラク問題でアメリカもそろそろ真剣に根本から考え直す時期に来ているが、そんなことはアメリカ人や現代人はしないだろう。
国も個人も同じことだが、人によっては晩年になるにつれ軽くすべきところを更に重荷を沢山背負っている人がいるのだ
重荷を背負っているのであれば、なんとか軽くしてでも運んで行くしかないのが人生である
ところで若者は前途洋洋、まだまだかなり遠き道であるから、じっくり自分の道を見定めるべきだ
私の経験でも、深く考えて思い切って決断し日々努力を重ね行動し、つらいことにも耐えて行けば、遠き道のりも悔いは残らないと思う
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
第58号 村上和隆の人生塾「一言」  2008-12-04 20:10:29?|?人生
58、違う視点からものごとを診ることができますか?
村上和隆の場合は、65歳、東京生まれ大阪から京都、現在は滋賀に住んでいる、会社も大手・中堅・零細企業を転職した後に自営を体験、妻をなくし主婦業も長い、妻の闘病を支え自ら癌の手術も体験、コンサルタントとして先生も体験、自営して経営や人を使う苦労も知った、都会と田舎の半々の暮らしをしている。だから
物事が容易に裏表両面から多面的に診られる。
一方世の中では表からしか診られない人は多い。視点が一方からだけで、限定されていていかにも窮屈ですし人間的な魅力もありません。
視点 一方 他方
1. 大 人 /子 供 : いつまでも子供ではいけません
2. 夫 (又は親)/ 妻(又は子) : 押し付けていませんか?
3. 先 生 /生 徒 : 教えられる(受身では駄目)
4. 社 員 /社 長 : サラリーマン根性は駄目
5. 地 元 /異 郷 : 地元・親元から離れたことがない?
6. 病 人 /健康人 : 大病したことがない
7. 弱 者 /強 者 : 弱いもの虐めを平気でする
8. 男 /女 : それぞれの大事な役割がある
9. 都会人 /田舎人 : 都会だけで暮らしていないか?
10. 年寄り /若 者 : 若者もいつか必ず老いる
ところで日本の「政治家は二世議員とかお坊ちゃんが多く一般庶民の視点が全く欠落していますが、世の中には、一つの視点だけからしかものが診られない人が多いですなー
変わることを他人に要求する当の本人が全く変わらない、だから物事は良くならない
第58号 村上和隆の人生塾「一言」  2008-11-24 12:19:20?|?人生
58、秀才型の人は努力を怠る、だから碌な人間にならない、バランスのいい人間に成熟しましょう
考え方:
「清濁あわせ飲む」と言いますが、どちらか一方が良いのではない。例え濁でも場合によっては飲むことが大事であることを示唆しているのです。
例えば人には、秀才型と努力型といますが、秀才型であると同時に努力型である人が最適ですが、どちらかというと偏った人が多く、失敗するのです。世の中で本当に成功する人は秀才型でありかつ努力型の人が多いのです。
また例えば、身体が強健な人が案外大病して若死や惨めな死に方をするものなんです
理想的には、どちらかに偏らずどちらもバランス良く自分を作り上げることですね。
   A型                B型
1 明るい気にしない性格 /   慎重な性格
2 秀才型          /   努力型
3 自己中心         /   相手中心
4 楽観派          /   悲観派
5 強健・向こう見ず派   /   虚弱・慎重派
6 堅実型          /   冒険型
7 長期展望         /   刹那型
8 せっかち         /   のんびり
9 依存派          /   自律派
10 改革派          /   保守派
11 消費家          /   倹約家
12 都会派          /   田舎派
貴方は、A型ですか?B型ですか?それともAB型(どちらもOK)ですか?O型(どちらでもない)ですか?
上記12項目を診断してみて偏りの多い人は多分人生が順調でないか?今後失敗や災いが多くなること必至ですよ。
m●
第57号 村上和隆の人生塾「一言」  2008-11-18 08:43:09?|?人生
57、人生において、自ら整えるべきこと
 何にでも言えることですが、まず何かを行うには事前の準備が必要です。準備が不足していると結果が出ませんし、事故や災害や失敗の原因になるのです。人生においても、まず基本的なことが整わないといくら頑張ったところで、うまく進まないのは当然です。いくら頑張っても絶対に目標は達成できない。貴方は全部きちんと整っていますか?
ガソリンがなくて自動車は走りません。バッテリーがあがってはエンジンはかかりません。ガソリンが十分気化しなくては速度が出ません。
こういうことは当然ですが、自分の人生は、ガソリンがなし・バッテリーが上がり・キャブが気化しないのに平気で人生という車を運転し続けるのです。
1. 身体を整える : 病気したら薬飲む・医者に行くのが当然という考えを捨てる
2. 心を整える : 過酷な状況にも左右されず、悠然としていられる
3. 呼吸を整える : きれいな空気を、深く・長く息して吸う
4. 食を整える : 栄養のバランス・量・種類・質をきちんとする
5. 睡眠を整える : 寝ようと努力しなくても、毎日確実に眠れる
6. 欲望を整える : 欲望を自分の意思で平気で抑制できる
7. 仕事を整える : 仕事の能力を磨き、深める・極める
8. 経済を整える : 過剰な蓄財を求めず、暮らしに必要な経済的基盤を保つ
9. 暮らしを整える : 炊事・洗濯・掃除・清潔がきちんとできる
10. 会話を整える : 誰とも明るく・楽しく有意義な会話ができる
11. 人付き合いを整える : 親子・師弟・夫婦・兄弟・友同僚との関係
12. 家内を整える : 整理・整頓・整備・調整が適時できる
第56号 村上和隆の人生塾「一言」 2008-11-13 20:13:47?|?人生
56、二兎追う者は一兎をも得ず
私は、平成11年滋賀県の安曇川の山中に暮らしをはじめて、9年間、徐々にではありますが、いろいろなことを教えてもらったような気がしています。
そういう暮らしの中で、最近になって思うことは、”やっと半人前だが普通の人間に戻りつつある”という気持ちです。
”変わり者の村上”なのかもしれませんが、最近の山での私の暮らしは、極めて簡素なものですが、幸せな・安楽な日々なんです。
私めの山での暮らしからの自分の変化をつくづく思い直してみると一つの重大な諺に至るのです。それは
「二兎追う者は一兎をも得ず」ということです。
すなわち、都会での暮らしをつらつら、振り返ってみると、正に二兎も三兎も、いや十兎も百兎も追っていたように思うのです。
しかも、それで楽しかったかというと、むしろ苦しい・つらい・つまらん・混乱・空虚・退屈なもので、更に災いさえやってくるようなものであったように思うのです。
何故なんでしょうね?便利で豊かで安全で・・・楽しいことが沢山というか無限にあるはずの都会の暮らしのほうが空しかったのです。
山では一兎とは言わないまでも追う兎の数は、都会の場合に較べて劇的に減ってしまいます。
そういう状況を「つまらないでしょ?}なんて訊く人がいるんですが、実は、そんなことはないのです。
山の中で一人で暮らしてみると、自分と向き合うこと・自然と向き合うこと・真実と向き合う暮らしに大きく舵をきったように思うのです。
人間は24時間二兎以上を追っているのです。その結果、苦しみや悩みや事故や病気や怪我やあらゆる災いが自分の身に降りかかってくるのです。
自動車を運転していて起きる事故の原因は全て二兎追うことから起きているんです。その他多くの事故も同様です。
都会的・豊か・便利・物質的なもので溢れる現代においては、私のように山で9年も暮らしてみないと理解できないのでしょうが、
多くの現代人・都会人は、四六時中、血眼になって二兎以上を追っているという自覚がないのです。また二兎以上を追うことをむしろ賛美しているのです。
一兎を追うべきなんです。人間や生き物は二兎以上追える能力はあるようで、実はかなり無理なことなんです。
『一点に集中する』ことこそ人生の極意と言っても過言ではないのです。
かく言う私でさえ、必死になって、二兎以上を追う自分に気づき””こりゃいかんと気づいた”のは2008年65歳になってからなんです。
そして最近は正しく時々刻々、「二兎追追おうとする自分を諌める」日々なんです。そうすると心が安定感を増し、どっしり定まります。
まあ、なんと一兎だけを追う自分がいないことか?例は無限にあるのですが、例えば、運転しながら携帯電話しているようなことばかりしているんです。
意識しなくても「無意識に一兎だけを追う自分」になることを目指して精進する毎日です。
事例は無限にあるのですが、もう二三例を挙げると、
1. 楽して金を儲けようとしている
2. 相手を愛そうとしているのに、自分もいい恰好する
3. 無理して会社に行って仕事をしながら、風邪を治そうとする
4. 便利で、豊かな都会でヌクヌクと暮らしていて、立派な人間になろうとする
5. 資源やエネルギーを浪費する人が環境に優しくなろうと言う
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の旅行なんかが典型的な例で、あれもこれも欲張り過ぎで、なぜかひたすらあちこち動き廻るんです。結果的に大事なものを何も得られず、得るのは動き回ってお疲れとお金の浪費だけなんです。もっと一箇所に滞在してゆったり過ごすのが良いのですが、日本人は絶対にしませんね。十兎くらい求めてしまうんですね。
女は女であればそれで十分過ぎるのですが、現代の女性は、男の真似したがるんです。
階段を降りる時は降りることに集中すればいいんですが、足元を見てないんです。そして階段を踏み外すのです。
”脚下を診よ”というのはそういう意味なんでしょうね。あらぬところ診ているから何も成せないのです、事故に遭うんです。
二兎以上を追う生き方・暮らし方・行動の仕方というのは、人間を次のようなものにしてしまうのです。
1. 集中できない
2. 注意が散漫になる
3. 中途半端になる
4. 浅くなる、深められない
5. 失敗や災いにつながる
6. 心が定まらない
7. イライラスする
8. 不安定
9. 結果が満足するものでなくなる
10. 小ぽけで卑しくなる
11. 信頼できない
12. 永遠に満足感が涌かない
以上の内容についてもっと知りたい人は、考えてみたい人は、是非、毎週土曜日の”村上和隆の飲んで楽しく語ろう会”に気軽にご参加下さい。
12月〜3月は、京都市伏見区の事務所で実施しますので、是非ご参加下さい。
12月〜3月は、毎月第一週目は、この「二兎追う者は一兎を得ず」について議論したいと思います。無論、私めの持論も紹介します。
第55号 村上和隆の人生塾「一言」    2008-11-03 11:09:35
55、こんな人になれ、村上和隆の一事例
次を参考にして、それぞれご自分で考えてみて下さい。
1. 人間:  もう一度遭いたいと言われる人間になれ
2. 男 :  大きな男になれ
3. 女 :  素敵な女になれ
4. 少年:  元気な少年になれ
5. 青年:  行動する青年になれ
6. 老人:  はつらつとした老人になれ
7. 親 :  子供に尊敬される親になれ
8. 友 :  何でも話せる友になれ
9. 先生:  正しい道を説く先生になれ
10. 技術者:  人類の真の成長に貢献する技術者になれ
11. 社長:  社会に貢献する社長になれ
12. 政治家:  誠実な政治家になれ
皆様も是非考えて見て下さい。出来たらご連絡お待ちしています。
173.愚民が愚政を作り、愚政が愚民を作る   2008-10-28 07:13:17
つくづく日本の政治家の無能さにあきれるが、世界の紛争やサブプライムローン問題やその後の金融破たんを見るにつけ、日本だけでなく、世界中愚民愚政になってしまったようです。
一昔前は、日本では「賢民愚政」であったのですが、政治は相変わらずひどいものですが、どうも最近はついに民までも愚になってしまったような気がしています。
私はすでに5年前から政治から距離を置き2年前からは民からも距離を置き「自分は自分」という路線を行くようにしてきました。
もう政治がどう動こうと、周囲の人々がどうであろうと、誰が何と言おうと、とりあえず自分は自分が正しいと思う方向を目指し、正しいと思う自分の道を行くことに決めたのです。
今回の金融破綻や世界恐慌に対する対策を見ていると、またぞろ過去と同じ路線から脱出しようとする方向が打ち出されていません。
もっと原点・基本に戻るべきではないでしょうか?今回を逃すともう世界の崩壊はすぐそこだという感じがしています。
今回の世界的な混迷を
「神仏の最大で最後の警告」と
真摯に受け止め、猛反省して新たな行動を起こす人は救われ、面倒だからと、過去の延長で、相変わらず誤魔化しで対処する人や国や企業は崩壊へ付き合うことになるんでしょうね。
人間の精神崩壊・地球環境崩壊に加えて経済崩壊、これは神仏の重大な警告だと思います。
  ・人間主義 ⇒人生観を深め
  ・自然主義 ⇒自然観を深め
  ・健康主義 ⇒健康観を深め
  ・日本(和)主義 ⇒日本観を深め
真っ当な日本人に戻ろうではありませんか?
幸いに今回、日本も相当のダメージを受けましたが、でも欧米や後進国より随分ましな状況です。日本が世界に21世紀のあるべき道筋を自ら示すべき時期が来たのではないでしょうか?
くれぐれも言っておきますが、政治や国民に期待するのではなく、自らが変わることだと思いませんか?
追伸:ところで
  愚夫愚妻(愚夫が愚妻を作り、愚妻が愚夫を作る)
  愚親愚子(愚親が愚子を作り、愚子が愚親を作る)
  愚師愚徒(愚先生が愚生徒を作り、愚生徒が愚先生を作る)
  愚長愚員(愚社長が愚社員を作り、愚社員が愚社長を作る)
  愚自愚友(愚かな自分が愚友を作り、愚友が愚かな自分を作る)
第7号 村上和隆の健康「一言」   2008-10-27 19:38:39
第7号 健康に関する誤った行動
@ お風呂に毎日入ること、お風呂に長く浸かること(一年中水風呂が健康に良いという人もいる)
A 頭も身体もお湯と洗剤できつく洗う
B 無理して腕立て伏せや兎とびなんかをすること
C 歩くのが良いと、万歩計つけて、腰痛だろうが膝痛だろうが、とにかく歩き過ぎること
D 水を飲むのが良いと、不必要に水を飲みすぎる
E 手を洗い過ぎること(皮脂が流れ、有益な菌も殺してしまう)
F あまりにうがいをし過ぎること
G ストレッチを強めにやること
H 一種類の運動をやり過ぎること(動かさない場所が相対的に弱る)
I 勝ち負けにこだわったり、一生懸命真剣にスポーツをやり過ぎる
J 塩が悪いからといって夏に汗かくのに塩分を取らない
K 温泉が良いからと高いお金で温泉に行き長時間温泉に入る(温泉は害だという説もある)
L テレビであれが良いこれが良いとすぐに飛びつく
M 高いお金払って、マッサージや針灸に通う、強く揉む(揉んだだけでは、根本的に良くはならない)
N 腹いっぱい食べること、又は逆にダイエットをし過ぎること
O グルメとかいって、調理し過ぎて元の食材の栄養や風味を壊してしまう
P 化粧してクリームを手や顔に塗るが足や頭や首に塗らない
Q 手や足の爪をきれいにするために深爪してしまうこと、頻繁に切る
R 電動ハブラシを過信したり、沢山歯磨きをつけて歯磨きし歯磨きできたと勘違いする
S 果物や野菜の皮を剥く又は捨てる(皮と実の間に栄養がある)
21耳かき棒で耳の奥の耳垢をとること(意味がないし危険です、絶対にやめましょう)
22健康になろうとして、次から次に健康器具を買うこと
23わざわざ高いお金出してスポーツジムでやたら身体を動かすこと
24夏にやたら身体を温めること(夏は身体冷やすほうが無難)、冬に暖房器具でやたら身体を暖めること
25プールで長いこと泳いだり浸かっていること(身体の中や表面の有益なものが溶け出してしまう)
26健康に良いことを教えてもらうと、ひたすらそれに異常なまでにこだわること
27夜眠れないからと、日中無理してやたらに運動すること
第54号 村上和隆の人生塾「一言」   2008-10-23 19:26:06
54、社会人として私のあるべき人間像
無難なところで、普通の社会人としてあるべき姿、私が好感の持てる人の必要条件です。
@ 自信・信念を持っている人
A なんとなく、そこはかとない品格・気品のある人
B いかなる状況においても笑顔と明るさのある人
C 謙虚さ・素直さ・つつましさがにじみ出ている人
D 健康的な暮らし・日々健康の努力をしている人
E 相手目線で会話の上手な人
F さりげなく気配り・心配りのできる人
G 感性や情感の豊かな人
H 清潔で清楚で潔癖な人
I 社会と同化しつつも、一方で個性のある人
J 依存や甘えがなく、自律している人
K 困っっている人にやさしく手を差し伸べられる人
是非、以上の12項目で、自分自身を評価してみて下さい。なんだかんだと、できていない理由があっても、できていない項目が多ければ貴方はまだ子供、貴方は他人に大人として受け入れられない未熟な人間の段階ですので、真剣に改善の努力をして下さい。
でも付け焼刃やメッキではすぐにはがれてしまいますよ。人生の目標として掲げ、土台から人格を養い続け、じっくり取り組んでいくことをお勧めします。
第53号 村上和隆の人生塾「一言」   2008-10-15 07:51:23
53.生活をあらゆる部分で半分以下にしてきました
私はここ3年で生活をあらゆる部分で半分以下にしてきました。
例えば電気・自動車・食事・ガス・買い物などを例外なく半分以下にしてきました。
私は山の中に住んでいるのですが、昨年までにすでに多くの無駄を止めてきましたが、更に今年も
 @四輪自動車をバイクに
 Aトイレをバイオトイレにし肥料化
 Bガスは止め、太陽光や薪に
 Cメタボ対策を含めて食事の量も減らす
 D無用な契約を停止…・
その結果、我が家の経済は当然ですが、少なくとも相対的に2倍好転しました。
戦後、世界も国家も所得倍増・消費倍増・成長発展路線でやってきました。
ところが最近は所得半減・物価・税金や保険料などの負担倍増なんです。
そうであれば生活を半分にするというのはごく当り前のことではないでしょうか?私はそれをすでに完全実施済みだということです。
相対的ですが、自分の資産も倍になったという感じです。
「そうか、出るを半減すれば、入るが少し減ってもむしろ収支は改善する」ということがわかったのです。
しかもその結果暮らしは貧相になったり、不都合が生じたかというと、逆にむしろ快適になったのです。
私達は長いこと国家や世界から騙されてきたのです。「もっと浪費せい」「資源を枯渇させよ」「地球を温暖化せよ」「地球を汚せ」「国家財政を破綻させてもよい」「人間の暮らしなんかどうなっても構わん」とばかりです。
是非私の行動を参考に皆様もおやりになって下さい。
村上和隆の止めるへの挑戦
村上和隆の半分にしよう
サブプライムローン問題や地球温暖化や石油高騰に対して其の対策が相変わらず「経済政策」だというのですが、また愚かな政治家の陰謀ですね。
国家や世界が経済成長路線でも自分自身は、誰が何と言おうと「経済縮小路線」を行きましょう。
私がすでにやってきたようにスローライフ・田舎暮らし・自給自足・人々との会話を楽しみ・質素倹約・毎日健康体操ですよ。
それにつけても政治や役所の無駄使いは一向に減りません。その結果増税をしようなんて「いい加減にせい」私のような経営コンサルタントに徹底した削減を指導させて欲しいものです。非常に簡単ですよ。
第52号 村上和隆の人生塾「一言」   2008-09-30 12:22:38
52.与えられたものに安住する怖さ
平和・平穏無事というのはあたかも最高に良いことのようですが、そうではありません。
むしろそういう状況は、ある意味かなり最悪な状況だと言える。晴れの日や健康な日や若い時期は続かないものなのであります。
私は平和主義は良いことだと思いますが、一方で無意味・無理・無駄なことだという思いがしてなりません。
世の中や自然界というのは、春もあれば厳しい冬もあるのです、春が良いからといって一年中春であればむしろ大きな弊害が出てくるのです。厳しい冬があっての春であり、夏なのです。
人間を含めて生き物には安住というのは非常に禁物なんです。
便利で豊かで平和な時期が続くことは、すなわち安住ということを意味します。
ということは、やがて破滅や崩壊の到来を意味するのです。
人や企業や国家を見ていると安住したものは、遠からず崩壊への道を歩むものなのです。
最近、世の中身の回りで安住している人を見かけませんか?昔は考えられないようなフリーターやニートなんてのがそれです。また大量の高齢者も新たな安住の新派になろうとしているんです。
安住する人が増えると世の中は停滞・衰退・暗くなります。
現代では昔に比べて安住するタイプの人が増加しています。
日本はまた世界は安住者が大多数を占めるようになり、やがて大きく崩壊する運命にあるのです。
ところで「貴方は安住していませんか?」場所・仕事・暮らし・人・勉学・家族・遊び・・・など貴方はダイナミックに動いていますか?
そしてそのダイナミックな動きが貴方を活性化していますか?
「ここ何年も全く動きがない・変化がない・どんどん活力がなくなっていく」又は「動くには動いているが、やたら動き過ぎて結果が出ない」という貴方は要注意ですよ。
平和というのは、戦争の状況において求めるものなんです。
健康というのは、病気の状況において求めるものなんです。
平和が続く・健康が続くのはむしろ危ないのであります。
若者よもっと大きく変化しろ、高齢者よ「もう歳だ、物忘れがっはげしくなり、あちこち痛い、意欲が薄れていく・・・・なんてのは安住の典型ですよ。
60歳でも70歳でも80歳でも90歳でもダイナミックに自分を変化させてみて下さい。
第50号 村上和隆の人生塾「一言」 2008-09-15
50.自分なりの高齢化・物価高・巨大地震などへの予防処置の重要性
末期自民党の安倍・福田両おぼちゃんの首相が巷の若者のように切れてしまい、「ぼくちゃん辞めた」の投げ出しに始まって、末期自民党の崩壊、石油や資源の高騰、食品の偽装、医療体制の不備・・・・・皆予測できることであり、実際に有識者やマスコミや一般人でもかなり以前から予測しているし、それらの予測も事前に公表もされている。
しかし状況が現実になって初めて「考えもしなかった、とんでもないことで、驚いた」みたいなことを言う人は多い。
かつてのバブル崩壊もよい例であるが、バブル崩壊は予想されていたことであって、当然の結果として起きただけなのである。
巨大地震に遭遇して「地震があんなに怖いものだとは知らなかった」「家の財産も全てを失ってしまった」という具合である。
昨年来のアメリカのサブプライムローン問題も起きるべきして起きたことだ。
日本のバブル崩壊のときも、現実にはそうそうたる銀行や証券会社や一流企業が破綻していったのである。
かつての日本も今回のアメリカもそして地球も今後も更に、確実に崩壊への階段を駆け上ることになりそうである。
歳をとって大病する人が多いが、これとてもかなり予測できるはずだが、何もせず、医者にも行かずに大病にしてしまうのである。数年前からの私なりの将来の予測は次のようなものである。
予測くらいして欲しい・そして予防くらいして欲しいのだ。
@ 物価が年々高くなっていく
A 老人が増える結果として病気の老人や寝たきりが年々増加していく
B 日本企業が徐々に弱体化し衰退していく
C 日本国の財政破綻がついに限界に来るので相当の増税は避けられない
D エネルギーが高騰し入手が困難になる
E あらゆる分野のサービスが高くなり質も低下する
F 巨大地震により特に大都市の機能麻痺し日本にとっても大きなダメージになる
G 旱魃や異常高温や洪水などの巨大災害によりいろいろな被害が増大する
H 保健や年金制度が破綻又は弱体化し利用不可能になる
I 病人が増えるために、大規模な病院や医者の不足が起きる
J 食料が高騰し入手困難になる、日本でも餓死者や病死者が増える
K 大都市を中心にインフラの維持や管理困難になり停電や断水などが頻発する
※ その他、環境・犯罪・戦争・安全など多岐にわたる問題が予想されるが優先順位をつけるしかない
予防策の実施は次の手順で確実に進めることが大事である
@ 将来の事態を予測する    ⇒  予想しようとしない
A 対策を調査検討する    ⇒  調査の努力を惜しむ
B 案を比較評価し、対策を決定する    ⇒  優柔不断で決断しない
C 対策の準備をする    ⇒  いきなり実施するのでなく準備期間を置く
D 対策を実施する    ⇒  望ましいの理解しているのに、実施しない人が多い
E 対策を最終確認する    ⇒  やりっぱなしにせず、問題があれば随時是正が必要だ
これからの日本では20〜30年は予防の時代が確実に来ます。予防をしない人の人生は真っ暗だと強く認識して下さい。ある意味で、ホームレスの数倍惨めな状態を覚悟しないといけない。
このたび村上和隆人生塾を開校しました。
日本人自ら心の再生をしようではありませんか?
第49号 村上和隆の人生塾「一言」
49.心の病一覧
暗く・元気なく・ふさぎこみ・何もせず・家に閉じこもるそしてノイローゼになり、自殺も考える人が増えているのだそうだ。
豊かで便利な社会にどっぷりつかり、苦難や挫折の日常的な体験がないので脆く弱い心になっているのです。豊かな社会の落とし穴です。
1 ものぐさ
2 平和ぼけ
3 贅沢病
4 依存症
5 文句屋
6 傍観者
7 無気力症
8 甘えん坊
9 浪費家
10 頑固者
11 成り行き任せ
12 ひっこみじあん
13 偏屈
14 非常識
15 ドスケベー(異常性欲者)
16 ドケチ
17 根暗
18 欲張り
19 無愛想
20 負けず嫌い
21 三日坊主
22 知ったかぶり
23 見得ぱり
24 恩知らず
25 不潔
26 西欧かぶれ
27 嘘つき
28 うるさ型
29 無責任
30 ずぼら
31 自己中心
32 自分勝手
33 心配性
34 潔癖症
35 八方美人
36 いい恰好し
37 やりっ放し
38 やくざ者
39 不埒者
40 恥ずかしがり屋
41 指示待ち
42 ひねくれ者
43 ろくでなし
44 お高くとまる・お上品
45 下品・お下劣
46 臆病者
47 自慢屋
48 独りよがり
49 寂しがりや
50 糞真面目
第48号 村上和隆の人生塾「一言」
48.歳とって、[気がついたら自分自身が何もなかった]で良いのか?
毎日世界中の60億人が、忙しく働き、大量のエネルギーや資源を使い、便利な機械を使って、何やらワサワサやっているが、それに見合った、それなりの価値あるものが出来上がっているのだろうか?人間自身は本当に成長しているんだろうか?
地球を破壊しそうな勢いで世界は、慌ただしく、うごめいているのに、どう見ても、人間は堕落し、どんどん退化し続けているような気がしてならない。
私も含めて、ある程度の歳をとって、自らの人生を振り返ったときに、生まれてから何十年もの間「やれ成功だの、失敗だの、進歩だの、一番だの、成長だの、幸福だの、平和だの・・・」とわめきたててきたが、
・気がついたら自分自身が何もなかった、「一体自分は何者なんだ?」
・気がついたら、自分自身の創造に踏み出すことはなかった
・そして、未だに自分自身を見出す機会もなかった
・気がついたら、敷かれた軌道の上を・枠の中を・重い荷物を背負って暮らしてきただけだった
・偉そうなこと言っても、所詮、ギャギャー鳴き騒ぐだけの、籠の中の小鳥・檻の中のお猿・井の中の蛙・レール上の貨車
・”糞爺じい・糞婆ばあ・糞がき”なんていう軽蔑用語があるが、人間なんて所詮、”糞人間”で一生を終わるものなのだろうか?
賢者は基本や原点に学ぶ・賢者は自然に学ぶ・賢者は艱難辛苦に学ぶ、そういう姿勢が年々なくなっていくように思う。過剰な贅沢さや便利さや平穏さや安全さを捨てないと人が人でなくなるかもしれない
かなり歳をとったからと言って遅くはない、一度自分のカンバスを全部完全洗い・消し去って、1〜2年その無地の状態のカンバスを眺め、3年目からおもむろに、自分の考える自分をカンバスの上に大胆かつ素直に描き始めたらどうだろうか?
そんなことを3年越しでやってみたら、ひょっとして、僅かでも、そこに今まで固定概念や社会のしがらみにがんじがらめに縛られていた自分ではなく、本来の自分らしきものが描かれるかもしれない
古来、都を捨て山中に一人篭り暮らす人がいたというが、そういう人も自分自身のカンバスをまず消し去りに、そして新たな自分を描くためにそうしたのであろうと思う。
知恵も力も美も金も物も使い方を間違えると殺傷する武器に変わるが。人間も生き方を間違えるとその生き方が自分自身を殺してしまうものである。
第47号 村上和隆の人生塾「一言」
47.物事を複眼的に捕え、立体的に捉えるために、多くの違う経験をしましょう
口も鼻も顔の中央に一つなのに、目も耳も顔の両端に二つあります。これは音や視覚を立体的に捉えるためです。
目や耳が一つでしたら遠近感がわからず、まともに歩くことさえできないのです。物事を複眼的(二つで捕える)ということは、目や耳に限らず、人生でも生活でも仕事でも人間関係でも・・・大事なことです。
ところが人間は意外にそうでなく平面的に単眼的に物事を見ているのです。
これは非常に危ないこと、まずいことで、片輪者・不具者ですよ。
例えば、
@日本人としてだけの見方
A男としてだけの見方
B多数勢力だけからの見方
C頭の良い人だけの見方
D権力者だけからの見方
E生まれ故郷から出たことのない人の見方
F社員だけからの見方
G親からだけの見方
H田舎暮らしをせず都会でしか暮らしたことのない人からの見方
Iお役所・お役人としての見方
J夫から又は妻からだけの見方
K豊かな暮らしからだけの見方
L大企業からの見方
・・・・・・
その他一方からの見方しかできない人が多いですね。
私は、戦争中に東京に生まれ、田舎に疎開し、貧しい戦後に育ち、大阪に単身就職し、京都に移り住み、滋賀の山の中で暮らしています。
そうすると例えばずーっと東京で暮らしてきた人よりも東京や日本文化や多くの物事が立体的に見えるのです。
ところが「生まれも育ちも東京です」とか、「生まれも育ちも大阪や」ですとか「京都ですおます」などという人と付き合うと物事の見方が平面的・一面的で、深みや奥行きや幅も狭く、柔軟性もありません。
目や耳で言えば片一方の目や耳で見ているので、物事が正確にとらえられていないのです。
また私は東京で生まれ育ち、マンモス企業の大阪の松下電器から京都の町の小企業のエンゼル工業へそして京都の半導体中堅電子部品のローム、そして、大阪のコンサルタント会社、更に独立してコンサルタントを自営しています。
大学出てから退職するまでずーっと大手の一流会社に勤めた人と話すと、そういう人達の平面的・一面的な思考や態度や話題に愕然とします。
零細企業やベンチャー企業や自営の体験がないですから、会社経営は全て大企業のしかも自分が勤めた一社の視点から視るしかないのです。
まあ大学の先生並ほどでなくても、それに近いものがあるのです。
このように裏と表、上と下、大と小、内と外・・・・いろいろな違った体験をしていない人は、状況が大きく変化すると対応できないような人間になってしまうのです。
若いうちは特に、是非いろいろな地域、いろいろな会社、いろいろな職種、いろいろな人、いろいろな物事を体験するように努めることをお勧めします。
第46号 村上和隆の人生塾「一言」
46.がっかりしても、しょうもないのに、人間は何かあるとがっくりする、愚かしいことだ
仕事がうまくいかない、お金儲けに失敗した、病気になった、彼女にふられた、人間関係がうまくいかない・・・・こういう場合、人間は100人中99人までがっかりするものです。
こういう嫌なことがおきても、笑って、明るい顔しているなんて人はほとんど存在しません。
ところで、昔から「禍福はあざなえる縄の如し」と言います。人間は「一喜一憂」する生き物の最たるもののようです。
しかし冷静に考えてみて何かある度にがっかりするのは意味のあること、役立つことなのでしょうか?
がっかりして何か良いことでもあるのでしょうか?滅入る・がっかりする・元気がなくなる・食欲がなくなる・消極的になる・心配ばかりする・・・・等々、結果的に良いことは何もないのに人間は、非常にがっかりするのです。
こんな馬鹿げた”負の条件反射”みたいなものは止めるべきなのですがね?何があっても明るく、ウエルカムで行くべきなのです。
物事を良いことと嫌なことを分けるからがっかりするのです。
物事の結果を良い・悪いで区別しないことです。もし出来ることならば、敢えて悪いことでさえも、良いことと受けとめる度量が備わると完璧ですね。
例えば病気をしたときも、これは自分の健康管理への警告だとか、お金を取られたらときも、盗った人に寄付した、彼女にふられても、むしろ自分自身の反省につなげるといったようなことです。
「何か悪いことがあったら、チャンス到来」と考えることです。
「あーやってしまった、でもこれはチャンスだ」みたいなことを口癖・モットーにしておくことです。
こういう前向きの姿勢は、さんざ地獄や修羅場をくぐって来ないと、そういう心境には至りませんがね。
なにしろ「悪いことが起きることは、長い目で自分を打たれ強くしているんだ」「自分を磨いてくれているんだ」という面をプラス思考で受け止めるようにすると良いですね。
大人になるとは「我に艱難辛苦(かんなんしんく)を 与え賜え」  山中鹿之介みたいな心境になることです。
こういう境地を身につければ、怖いものや異常な心配や怒りなどはなくなりますよ。酒やセックスや誤魔化しや癒しのグッズなんかに頼らず自分自身を強くすることが根本的に大事なことですね。
とてつもない大きな失敗や不幸が起きたときに、人間は非常に脆くなり、うつ病になったり、引き篭もったり、自殺することにもつながります。
もし貴方に何か大きな不幸がやってきたとき、この話を思い出して下さい。
「悪いことは神様からの贈り物」「悪いことは自分が勝手に悪いと決め付けているからだ」「悪いことは、むしろ大きなチャンスだ」「人間は元々無一物だ・ゼロだ、それ以上悪いことなんかない」・・・悪いことが起きても、それを前向きに捕える習慣を日々、年年歳歳、身につけましょう。
第45号 村上和隆の人生塾「一言」
45.便利で豊かな社会で誤魔化して暮らす
金や物や科学技術が介在するあれやこれやで誤魔化すだけの人生や日々の暮らしになっていませんか?
生活や暮らしとの一体感がないことにウツツをぬかす、まあ、本来やらなくてよいことをやっているのです
朝から夜まで働きづめの昔の日本や貧しい国の人が日常の生活でしていないような本来無用なことをしているのです
1. 買い物して誤魔化す
2. 外食して誤魔化す
3. 遊んで誤魔化す
4. 博打や争いごとして誤魔化す
5. テレビづけで誤魔化す
6. ゲーム・パソコンして誤魔化す
7. 自家用車でドライブして誤魔化す
8. 化粧し着飾ってして誤魔化す
9. 人とダベッて誤魔化す
10. 町中をうろついて誤魔化す
11. サークルや会合に参加して誤魔化す
12. 家に引き篭もって誤魔化す
13. 酒を飲んで誤魔化す
14. 麻薬をして誤魔化す
15. 愛人との付き合いをして誤魔化す
16. 性的なことして誤魔化す
17. 仕事し過ぎて誤魔化す
18. 旅行して誤魔化す
19. 趣味をして誤魔化す
20. スポーツして誤魔化す
これら無駄なことの多くを止めてみて、暮らしをシンプルにし、もっと生活や暮らしとの一体感を取り戻しましょう。
まあ以上のことは幾ら沢山やっても、自分にとって、さほどプラスにはならないと認識することです。
以上の付加的な仕事や遊びや楽しみをもっと減らす、なくしてしまい身軽にすることが先決であると思います。
第44号 村上和隆の人生塾「一言」
44.矛盾は矛盾でなく、安易に矛盾を排除することこそが矛盾である
生活・暮らし・仕事・学問・人生・・・・何事においても、悩み・苦悩・失望・・・がない人はいないでしょう。否、むしろそういうものがあるからこそ、そういうものを乗り越えることによって喜び・安楽・希望などが得られるのです。
悩み・苦悩・失望の元を一言で言うと矛盾ということでしょうか?世の中は「こうすればこうなるはずだ」と思っているとそうはならない。
「こうしたいがそうはならない」というように、あれこれ矛盾が生じます。その矛盾こそが悩みの元なのです。ところが矛盾を避けようとすると、かえって多くの悩みや苦悩がどんどんやってきます。
平和と戦争/愛と憎しみ/善と悪/空腹と満腹・・・・みたいに望ましいものと望ましくないものは、一方が多いとか少ないというのではなく、結果的にはバランスしているものなんです。
ところが人間は、自分にとって望ましいほうを求め過ぎてしまうのです。「私の人生は悩み・苦悩ばかりです」などという人でも、第三者の目で冷静に診ると50−50なんです。
何事においても、全てが上手くいかないこともないし、全てがうまくいくとは限らないのです。
人間の暮らしを含めて自然界とは、裏と表のせめぎ合いであり、裏と表のバランスなんです。
安易に、矛盾がいけないもの・害あるものと認識してしまう人が多いのですが、日々出くわすいろいろな矛盾こそ、物事を深く・正しく理解する基本・糧なんですね。
だからいろいろな矛盾に突き当たることこそが、望ましいことなんです。多くの矛盾を解決し、自己を成長させていくことこそが人生なんです。
「矛盾がなくなりました」「私には矛盾はありません」なんていう人は、むしろ悲しむべきことであり、異常なことですらあるのです。
例えば「私は真面目で、信仰に厚く、日々神仏を拝んでいますが、悪いことばかり起きます、私は神仏に見放されているんです」という人がおられます。
この人は『自分にとってうまくいかないこと=矛盾だ』とか『神仏の加護=矛盾がなく何でも自分の思い通りになる』と認識してしまっているのです。
矛盾は本来望ましいことなんです。自分が勝手に矛盾=悪だと思ったり、言っているに過ぎないのです。
『矛盾って素晴らしいことだ』とか『矛盾があるから生きる価値がある』などと思うほうが良いですね。
「あれも矛盾・これも矛盾」と物事を決め付け、矛盾という暗い洞窟に引き篭もり、悩むことの専門家みたいになっていまい、前向きのやる気が萎えてしまうのは最悪です。矛盾を友とし、或いは師として付き合う・向き合う姿勢が大切です。
第43号 村上和隆の人生塾「一言」
43.夏が来るとなぜ森は涼しくなるのか?
森に住んで10年夏は本当に極楽です。冬と梅雨によって蓄えられた地下水によって森は適度に冷やされ気温上昇を防いでくれるからなんです。本格的夏になるほど夜は涼しくなります。涼しいというより寒いというほうが適当な日もあります。
『森の気温上昇を防ぐしくみ』
森の木4m〜15mくらいの木が鬱蒼と茂り、大木のない場所でも一面に草が生い茂っています。
木は地下水を求めて地中深く根を生やします。それにともない木も年々、高さを増していくのです。
木や葉が茂ることによって、陽をさえぎり、土からの地下の水の蒸発を防ぐ
木の頂上は都会と同じくらい暑いのですが、木の下や土の温度は上がりません。
もし万一、木や土の温度が上がれば木はアットいう間に死んでしまうのです。
地球温暖化がこれ以上進むと、木の温度が上がり日本中の森の木が一斉に枯れる危険があるのです。
ヒートアイランドなどと言っても、都会だけが暑い暑いと言っているうちはまだ良いのです。
日本の森がある日一斉に死滅するようになると更なる気温上昇になり本当に環境崩壊に至ってしまうのです。
夏にクーラーをがんがんかけて自家用車を乗り回すような都会的なライフスタイルは自らの首を絞めるのです。
地下水の層があり、その水が木によって少しづつ大気に放出され消費されいく。
木は地下からの水を毎日毎時間根から吸い上げ葉に水を供給し続けるのです
葉から水分が蒸発し木の温度上昇を防いでいるのです。人間が汗かくのと同じことです。
木は自らを守るために自ら水を吸い上げ・葉先まで輸送し続けているのです。
森は高い木が密集することで森の空間の温度を涼しく保っているというわけです。
都会ではクーラーなるものを使うのが当たり前になっていますが、森の木はクーラーそのものです。
違うところは、石油資源を使わない、神様が造られた全く自然な完璧なシクミであることです。
真夏陽の当たる場所付近の木陰の温度は都会よりやや低い程度とさして変わりない
しかし大きな日陰や森の中に入ると温度は10℃は確実に下がります。
また日中は、森の涼しい場所から暖かい場所への風が吹きます。大気をかきまぜているのです。
琵琶湖のように森には川や湖がつきものですからそこからの風も大気をかき混ぜるてくれるのです。
そういう巧妙な一連の自然のしくみによって周辺の気温の上昇を防いでいるのです
しかし唯一梅雨時は気温はさほどではないですが森でも蒸し暑さが続きます。
この時期は冬の雪とともに、地下に大量の水を蓄える時期なんです。
だからこの時期は湿度は95%というかびっしょりの時期でこの時期だけはさすが暑いですね。
しかし梅雨明けが発表されると途端に様相は一変します。
上で説明したように、大量に蓄えた水を使い出だすのです。
梅雨明けになると森は自然のクーラーと扇風機を本格的に始動するのです。
森では、都会のように水道水を使って、気休めの水撒きなんか必要はありません。
夏になると都会の昼間の温度は上がりますが、森の温度は総合的に下がるのです。
森の一日はログハウス内1階窓全開の状態で、朝8時26℃、12時28〜29℃、夕方26〜27℃真夜中23〜25℃
夜はパジャマをきちんと着て、ふとんをかけないと寒くて眠れません。
ちなみにログハウスの2階は夏、日中ログ材が温まり温度がすぐに下がりませんから、真夏は1階で寝ることが大事です。
暖かい空気は上に上がりますから逆に1階はどんどん冷えていきます。
夏は1階に寝るのと2階に寝るのは大きな差があります。1階を寝室にしないと涼しさを享受できません。
都会は森がない、土もない、地下水は空気を冷やすために使われることなくムダに流れ出るのです。
そこへ来てクーラーと自動車と膨大な電気使用によって町を暖めているのです。
こんな不自然なことがいつまでも許されるわけがないのですが、どうも認識が甘いのです。
自然のしくみや営みを馬鹿にしてはいけません。それを簡単に破壊することも許されません。
しかしあっさりと森やジャングルを破壊していくのです。ブルドーザーは自然破壊兵器なんです。
都会の今の暮らし方を維持して温暖化防止や環境保全をしようなんて虫のいいことは神様は許しません。
都会で「地球環境に優しい」なんていい加減なこと言って誤魔化していないで、自然に親しみ、自然の恵みを受け、自然に感謝しませんか?
162.ライフスタイルを変える時期がきています(今すぐに、早く・思い切って自分だけでも変革しよう)
すでに20世紀から予想されていたように、石油の価格や金属や食料の価格がいよいよ本格的に高騰しています。
「景気回復しようにも」今度だけは、景気は世界的規模で確実に悪くなるのが目に見えています。
景気がかつてのように浮上することはないと断言しても良いでしょう。
アメリカがかつての日本のバブル崩壊に似た状況になっていますが、日本の場合とは比較にならないほど、かなり様相はひどいようです。
北京オリンピック後、中国やインドも更なる本格的バブル崩壊候補なんです。
昨年までのBRICSの成長も最早ここまでなんです。
世の中が大きく音をたてて激変しようとしている前兆なのです。
後進国の先進国化による資源不足・資源輸出制限・資源高値誘導策から物価が高留まりし、すでに21世紀は景気は拡大できない状況なのです。
まあ地球環境問題は、年々確実に悪化はしますが、意外にもさほど良くも悪くもならないのです。
人だけでなく、地球環境も世界経済も疲れ切って、高齢化しているんです。
そこで個人はどうすべきかというと、今すぐに検討をお勧めしますが、私が10年前からすでに実行していることを紹介します。
考え方は一口で簡単に言えば依存を止めることです。
 @政治依存
 A経済依存
 B物質依存
 C役所依存
 D都会依存
 E石油依存
 F便利・豊かさ依存
 Gマネー依存・マネーゲーム依存
 H科学依存
 Iマスコミ依存
 J買い物依存
 K成長依存、
これ以外にも多くの物事に依存し過ぎているんです。
依存を断ち切る。
そして具体的な姿としては、ごく一部の先見の明のある人で、すでに実施されている人もいるとは思いますが
 @ライフスタイルを根本的に変える
 A質素倹約
 B修理や繕い、新しい買い物はできるだけしない
 C自動車はバイクや公共交通へ
 D旅行はつつしむテレビ見ればよい
 E都会暮らしと森の二重生活
 F家の耐震診断と耐震補強
 G粗食・運動・健康管理
 Hゆったり
 I人つきあいや会話を楽しむ
 J太陽光や自然の恵みを直接的に利用する
 K儲けるより出費の大幅削減
私はすでに10年前から、滋賀県の高島市の森の中に暮らし確実に自然に依存する暮らしに取り組んでいますが、なかなか良いものですよ。
あまりに問題が複雑でおおきくなり過ぎて無能な政治家や役人では無理なことなんです。
もう見かけの増税しか考えない無能な政治家に頼ることはできないのです。
安易な増税は、倹約を促進し、むしろ税収の削減になってしまうのです。
当たり前のことなんですが、収入を増やす前に支出を大幅に減らすのが定石なんです。
この定石を無視して無能政治家は増税するのです。
増税なんかしてはならないのであって、政治家や役人や役所の仕事を大幅に減らしたり、効率化し国家の出費を減らす努力をしないとすでに最悪の財政破綻はどんどん加速し、ついに日本国家は財政的に崩壊するのです。
今は当たり前に享受している役所のサービスは最悪となり、円は紙切れになる可能性が急激に現実味を帯びてきたのです。
民間の厳しい経営コンサルタントを導入し、役所の仕事や政治に大なたをふるうべき時期なんです。
そうしないと近い将来、都会ではゴミが収集されなくなり、町は汚れ、洪水や災害は救援が来ず、病気しても医者にもかかれないという状況を真剣に憂える段階になっているんです。
無能自民党政治家の賊議員どもの道路建設なんてとんでもないことなんです。
国民も会社も政治も先生も皆大きく生き方を変える時期が来たのです。
早く変えられるか大きくかえられるかどうかが勝負です。遅れれば遅れるほど・小出しであれば小出しであるほどつらくなってきますよ。
政治家や役人の批判をしていても結構ですが、そんなことしても糞の役にもたちませんよ。
状況は日増しに、確実に悪化し誰も助けてくれませんよ。それどころか都会の暮らしはどんどん苦しくなってきますよ。
変革の方法は他にもあるかもしれませんが、大事なことは今は従来の生き方を、自分なりに大きく変革する時期・ピンチでもありチャンスでもあるということです。
「なせばなる、なさねばならぬ何事も、なさぬは人のなさぬなりけり」
二宮金次郎
「大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈 らず」
第42号 村上和隆の人生塾「一言」
42.本物と偽物の区別ができない現代人、勧んで偽物(肥溜め風呂)にどっぷり浸かっている都会暮らしの現代人
何事にも本物と偽物があるのですが、貴方の人生は、どちらの暮らし方をされていますか?「自分の人生が本物か偽者かわかりません?」という人が多いのではありませんか?
便利で豊かになり過ぎると、どんどん偽物の暮らしになっていくのです。そういう原則を適用すると現代の都会の暮らしは偽者そのものなんです。
家とお金を1億円持っていれば何もしなくても一生暮らしていけるなんてのは、偽者以外の何物でもありません。
人間はつらいことや苦しいことが嫌いで、楽を求めますので、都会の暮らしを求めるのは当然なんです。水は低い所へ、人間は楽な方に流れていくのです。
人は無意識に偽者の暮らしにはまっていくのです。一生恵まれて何不自由なく暮らす人は、哀れにも、偽者の暮らしで一生を終えるということなんですよ。
「えー?おかしいですね、幸せな一生ではないのですか?」俗世間ではそういうのを幸せな一生というのでしょうが、実は、そういうのは偽者の一生なのです。
”お金で簡単に手に入れられる的ないい加減な生き方”なんです。
現代の子供と昔の子供を比較すると、昔の子供は食べ物や生活用具さえ手に入れるのは容易なことではありませんから、いろいろ努力したり、何年も小遣い貯めたり、稼いだりしてやっと手にいれたものです。
それに反して現代の子供は、スーパーやデパートに出かけてカードやお金でかなり高額なものまで容易に手に入れるのです。
どちらが本物に近いですか?程度の差はあれ現代の都会暮らしの人はそういう現代の子供に象徴されるような偽者の暮らしにどっぷり浸かってしまているのです。
ところが偽者の暮らしをしていることに気づかないで、むしろどんどん偽者の暮らしを追求するのです。
ある人がモンゴルの遊牧民と一緒に暮らしたそうです。貧しいが、そこには本来の人間らしい暖かい血の通った暮らし・生き方があったそうです。
今の日本では全く消滅していることに愕然としたそうです。日本人でも50歳以上の人は貧しかった昔の日本の人間らしい本物に近い暮らしをご存知なはずです。
私は偽者の都会暮らしを遠ざけるためにも、10年前から森で暮らしてきました。やっと本物の暮らしを取り戻せそうな段階になってきました。時々森に都会の方がやってきて「なんでこんな寂しい山の中でこんな暮らしをしているんですか?楽しいですか?」と尋ねられるんです。
「あーこの人も気づいていないが、偽物の暮らし(肥溜めの風呂)にどっぷり浸かってしまっているんだなー」とつくづく思うのです。
「自分の人生が偽者である」と気づく、または気づいて本物の人生に是正しようと志す人は、ほんの僅か数えるほど微々たる人数しかいません。
偽者の社会で、偽者の人間が、偽者の人生を送る、これでは何やっても、人間社会は良くなるはずはありません。
現代の都会における偽物の生き方・誤魔化しの生き方のほうが外見的には楽だし、良いことだし、無事のような気がするのは更に困ったことですね。偽物はどこまでも偽物です、さて貴方は???
第41号 村上和隆の人生塾「一言」
41.「何故・何故・何故・・・・・・と10回以上繰り返し質問せよ」
「何故・何故・何故・・・・・・と10回以上繰り返し質問せよ」と教えてくれた人がいましたが、人間より下等な生き物は、何故なんてことを深く考えないのです。
ある業績の良い会社では「3度ナゼを言え」といって成果を出している会社もあります。
そんなことを全ての生き物が考えたら地球上は、むしろ凄く混乱してしまうでしょう。
しかしなぜか人間だけは「何故?」と考えられるんです。ということは、人間であれば「何故と考えないと価値がない」ということを意味します。
子供はしばしば「何故?」って頻繁に聴きますが、「煩い!」なんて親のほうが苛立ってしまいますね。でも本来人間はわからないことばかりなのです。
しかし、いつか、人間は中途半端に社会に同化して、わかったような振りをするようになり、「何故?」という最も大事な疑問の投げかけを、あっさりと捨て去るのです。世の中は進歩し便利になり豊になっていきます。
そういう過程で人間はだんだん大きな勘違いへの道を歩んでいくのです。
そこでやはり一度踏みとどまって「何故?」と深く考えてみないといけないのです。
人生は一生死ぬまで、「なぜ?」を追求するものなんですから。「何故?」を追求しなくなったら人間御終いです。
便利・豊か・安全・平和・快適・・・・それが当たり前の若者が増加していることは、「何故?」を考えない人の増加を意味します。
「何故?」を知っていて疑問に思わないのであれば素晴らしいことなんですが、何もわからない人間が日々の暮らしにおいて「何故?」を考えないようになったとき、国家も人類もそう遠くなく滅亡していく運命にあるようです。
昔は、人々は四六時中「何故?」を考えていたはずです。そうしないと生きていけなかったからです。
歴史遺産の建造物の解体修理なんかで細部を見ると、科学や機械に依存する現代人には思いもよらぬ知恵や工夫が潜んでいて驚かされることが多いそうです。
”知恵とは=何故という疑問”ですよ。
第40号 村上和隆の人生塾「一言」
40.人生とは思っているより、無限に奥深いものである
「人生とは?」なんてことを真剣に考えたことがあるでしょうか?一般的に最近豊かさや便利さの中で、ハングリー精神もなくなり、人間の存在価値が減少し、人生の重みはどんどん軽くなっているように思います。
最近、簡単に他人を怪我させ、虐め、殺す又は自らを追い込み自殺してしまうということなどが、その表れでしょう。
しかし人間という驚くほどすごい能力を持った生き物の人生は、本来かなり重く、奥深いものであるはずなんです。
ところで、貴方はご自分の人生をどれほど重く、奥深いものと認識していますか?多分あまり大した事とは自覚はされていないのではないでしょうか?
人としての自分は、すごく低い確率のとてつもない偶然で出現し、たった一回きりしかない人生を貰ったのです。
それだけでも、人生の価値の重大性は想像をはるかに超えたものです。ところが人生を楽に過ごしたい・人生を遊んで過ごしたい・人生をまあ、そこそこ大過なく過ごしたいうような浅薄・軽薄な認識の人が多くなっているようです。
人生は
 ・一度だけのもの
 ・奥深いもの
 ・波乱万丈のもの
 ・やがては終わってしまうもの
 ・素晴らしいもの
 ・深くじっくり味わうもの
 ・失敗や苦労や悩みがつきもの
 ・自分だけのもの
 ・かけがえのない大切なもの
 ・世界一価値のあるもの
 ・より精神的なもの
   ・・・・なのであります。
最高の宝石・最高の芸術・最高の製品の数倍も価値があり、贅沢であり、楽しきものであるはずなんです。
現代のように科学が進歩し、あまりにも物質文明や経済システム及び社会システムに依存し・毒され過ぎたことによって、人間の価値・人生の値打ちが見失われてしまったのは、何とも残念なことです。
とてつもなく多くの人間がうごめく都会でコンクリートの無機質な環境で、汚れきった空気を吸い、騒音と夜のネオンサイン、人や自然の温もりも実感せずに、自分自身を都会の塵やゴミのような認識して暮らしていると、どんどん人間としての輝きが失われていくような気がしてなりません。
第39号 村上和隆の人生塾「一言」
39.幸福に本物と偽者があるが、大半の人は偽者の幸福を追い求めるから悩みが増えるのです
こんな便利で豊かな社会になったというのに
 「私は幸福ではない」
 「もっと幸福になりたい」
なんて言う人が多いのは一体なんということでしょう?
何かおかしいのです。十分幸せなはずなんです、それどころか過剰に幸せなんです。
それなのにもっと幸せになんて考えること自体何か異常なことがあるのです。
私なりに考えることは「今日本の現代人の多くが手にしている幸福は偽者だということです」偽者の幸福は、幸福を実感できない・幸福に限りがないというのが特徴です。
幸福なんてのが周囲に具体的にころがっているのではないのです。
一見不幸なことも含めて、どんなことであれ、本人がそれを幸福と感じるかどうかなんです。
すなわち幸福というものは存在しないが、幸福感は存在するんです。不幸というものがあるのではなく、不幸感が存在するのです。
例えば病気になって長い療養を強いられたとします、不幸というものがあるとすればそれは不幸なんでしょう、しかしそれを不幸と感じなければ不幸ではないのです。
幸福や不幸なんて勝手に自分で決め付け思い込んでいるだけなんです。
長い療養も、これは神から与えられた賜物や導きと思えば、又は病気したんだから療養するのが当たり前と考えれば確かに辛いかもしれませんが、不幸ではないのです。
またすごい貧乏でも今日一日病気せず、ご飯を食べ、寝るところもあれば、幸福だと思う人には、それでも幸福なんです。
さて本物の幸福とはいかなるものか?
私なりに言わして戴くと、自然に擦り寄る・自然の摂理に従う・自然の意志にまかす・自然の恩愛に感謝する・自然の状態に近い暮らしをする・自然に振舞う・・・そして「何が起きても、それは自然の意志である、自然からの啓示」であると明るく元気で生きることだと思うのです。
小賢しい人間のエゴや人間の欲や猿知恵や愚行を反省し、根本的に是正することです。都会の人間は、いかにも不自然です。
頭でっかちの知識人なんてものを、安易に受け入れてはいけないのです。
いくら頑張ったところで、不自然さからは偽者の幸福追求しか生まれてきません。
自然の生き方をし、嫌なこと・苦しいことでも、何事にも『幸福感』を抱いて暮らすことなんです。
まあそう言ったところでわからない人は、いつまでも幸福というものがどこかにあると信じ込み、あれやこれや偽者の宝探しのような幸福追求を止めようとはしないのです。
第38号 村上和隆の人生塾「一言」
38.なぜ私、村上和隆は人生塾を立ち上げたのか、信頼できる人を増やしたい
おはようございます。今日も良いお目覚めですか?
昨日久しぶりに滋賀の山の中から京都へ出てきました。幸いにも昨晩の京都は蒸し風呂では、なかったようです。恐怖の京都ですが、とりあえずヤレヤレでした。
それにつけても、都会は暑い・臭い・煩い・汚い・鬱陶しい・苛苛する・不快・・・ですね。満足に道なんか歩けるのは、ほんの早朝の一時がせいぜいです。
「よくこんなところで平気で暮らしているなー」というのが私の偽らざる感想であります。
昨晩も9時に寝て、朝は4時のNHKこころの時代を聴き、5時起床、早朝の散歩をしてきました 。
※(24〜25昨日・今日のNHKの心の時代では、スイス人のカール・ヒルティーの幸福論をやっており、非常に参考になりました)こういうシンプルな毎日が私の日課です。
人生幸福の最低限の基本中の基本は、
 1)シンプルライフ
 2)規則正しく
 3)挨拶と会話
の3つだと思っています。
ところで、今の時代、信頼できる人がいなくなりました。
昔は親とか先生とか近所のおじさんなんて案外信頼すべき人が存在していたのですが、つくづくいなくなりましたね。特に政治家・役人・先生・知識人は最悪ですね。
子供達は可哀相です。
子供にとって親はどうあるべきか?私なりには「子供から、うちの父は信頼できます」と言われることを目指しています。
そう子供や他人から言われるということは、案外大変ですよ。一大決心が必要です。
何故かというと現代はあまりにも、ほとんどの人間がすでに堕落してしまっていますからね。
そういう点で、自己を見直し・根本から是正するために山で暮らし、自然の暮らしを取り戻し、自然に学ぶということを、目下の私のテーマとしているんです。
私にとって信頼できる唯一のものが、人ではなく、山であり、山の自然だったというわけなんです。やっと自分が信頼するに足る者、よりかかるすべを持てたんです。
それがなんと人でなく自然であったというのは思いも寄らぬことでしたが、山暮らし10年やっとその糸口が少し見えてきて、たまたま会話好きの若者のA君とネットで毎日あれこれ話しているうちに「会話塾」とか「人生塾」の発想が忽然と浮かんだというわけです。
そして、会話コンサルタント・人生コンサルタントを目指す段階に踏み込んだというわけです。
人生は実践の場です。修行の場です。
一体、本当の幸福とは何か?どうしたら良いのか?
都会で豊さや贅沢や便利さや人ゴミや騒音にどっぷり浸かっていると知らぬ間に、誰と言わず、自分が信頼できない先生や政治家や役人や親になってしまうような気がしています。
『子育てとは自分育てだ』
子を育てるんじゃないんだ、自分自身を根本からたたき直すんだという思いもそういう私なりの見解なのです。
第37号 村上和隆の人生塾「一言」
37.簡単なようで難しい「捨てる・欲ばらない」とは一体どうすれば良いのか?
豊で便利な社会ですから「衣食たって礼節を知る」のとおり満足し、欲を減らし無用なものをむしろ捨ててつつましく明るく健康でいきいき暮らせると誰も思うのですが、どうもいつの時代においても実態は逆であって欲ばらないとか捨てるというのは簡単なようで難しいことのようです。
また下手に欲を捨てるとかえって元気のない無気力な人間を生むことにもなり、案外そう簡単なことではなさそうです。
むしろもっと欲を持ちなさい貪欲に頑張りなさいなんて若者も昨今多いのですが。
理想的なのは適度に欲をもってしかも欲張りすぎない、あれこれ欲張っても不要なものは捨てなさいというわけですから、加減が難しいですね。
しかし禅や仏教なんかの大きな課題の一つも無用な欲や自分を捨てることらしいのです。
偉い坊さんですら、つい淫らな欲が出てきたり、自分が自分がと自己主張が強くなるのです。
否、むしろ偉い坊さんだからこそ、そうなるのかもしれません。
あまりたいした人でないと、欲もなく自己主張なんかしないのかもしれません。
問題な人はむしろ有能な人の場合らしいですね。
有能な人は有能さのため、美人は美人のため、金持ちは金持ちであるがゆえの”持てる人の悩み””恵まれた人の悩み”なんでしょう。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではありませんが、稲穂は実るほど垂れますが人間は実るほど頭が高くなって、鼻持ち成らぬ・傲慢で嫌味な人間になってしまうのです。
そしてそのことで、一見なんの悩みもない恵まれた本人自身も、心の底で深く悩むのです。
そうであれば欲もほどほどにしたらよいし、名誉や地位や自負心や贅沢や便利さや要らんものは捨てたらよいのに、これがそう簡単にはできないのですね。
部屋に我楽多が一杯になって、物のありかもわからなくなる、部屋が狭くなる、部屋が汚くなるみたいなものです。
一度、押し入れから全部物を出して、いるいらないを分別し、半分捨てるというようなことから始め、そしてそれ以降あまり無用・無駄なものを買わないというようなことと似ているのでしょうか?
とにかく自分の心の状態をいつも小ざっぱり整理整頓清掃しておくことですね。
どちらにしろ欲張り過ぎないとか自分を捨てるというのは一生かかる命題のようですね。頑張っていきましょう。
第36号 村上和隆の人生塾「一言」
36.経営は成り行き管理から科学的管理に変革されたが、人生は成り行き管理のままだ
昔1900年頃今から約100年以前に近代的な工業が起こってきた時代、会社の経営はまだ成り行きまかせの管理が主流でした。
しかし技術革新が進み大量生産が始まり、経済規模が徐々に大きくなるにつれ、経営管理にも、いろいろな不都合や問題が生じてきます。
そこでテイラーなど経営工学者を中心に科学的管理法なるものが登場してくるのです。
調査・分析・標準化・基準化・評価・改善・管理などについて科学的な手法が研究開発され、企業に導入され始めました。品質や能率やコストに関して、
ご存知のQC/IE/VE/SE/標準化/コンピュータなどが代表的な手法として登場し活用されていきました。
日本でも高度経済成長の時代にQC活動やIE活動やVE活動によって世界一の品質と効率を達成したのです。
最近ではISO14001やISO9001やISO27001などマネジメントシステムの手法も多くの企業で導入され本格的な国際標準に基づくマネジメントシステムが普及しているのです。
ところが一方、人々の暮らしや人生に関する管理方法は、学校で正式の教育としてカリキュラムにも取り上げられず、教えられていないのです。
最近は怪しげな占いなんて、まさに口からでまかせ、言いたい放題の「インチキなもの・怪しげなもの」にすがる人が増加しているそうです。
人生は人まかせ、成り行きまかせ・怪しげな占い師まかせなんです。その結果、便利さと物質的な豊かさが進み、世の中の多くのひずみ・ゆがみの中で、現代の日本では、精神病・麻薬やアルコール依存・自殺・虐め・指導者の堕落・凶悪犯罪・家族崩壊など人間性の崩壊が進んでいます。
教育の問題だから教育制度を変えようなんて安易な議論がされていますが、そんな役人風情の考える箱物的な発想の制度改善よりもっと基本的な人生に関する勉強が大事なような気がします。
日本では学校で宗教教育はタブーになっており、宗教界も葬式仏教に甘んじています。
私なりに言わして戴くと、人生学・人間学・経営学・管理学・会話学・心理学・精神学・生活学・自然学なんてものが欠落しているように思えてしかたありません。
もっと真剣にこれらの要素を勉強し真っ当な人生を生きることを教えずに、受験本位の功利的な教育によって、結果的に悪徳政治家や悪徳役人など劣悪な指導者を生む元凶になっているように思います。
第35号 村上和隆の人生塾「一言」
35.毎朝誕生し、毎夕死ぬという感覚で日々暮らす、良いことも悪いことにも日々向き合い、日々精算・日々完結してしまうこと
人間は、0歳でおぎゃーと生まれて85歳くらいで死ぬまで、よほどの高齢になるまで、死を考えるのはタブー、死をあまり意識しないし、限られた時間のたった一回きりの貴重な自分の人生を真面目に考えようとせず老いと病気と死をいつしか迎えてしまう。
人間は一度しか生まれませんから、死ぬときになると突然に死がやってきたように思い、動揺・狼狽し、苦しむものです。
死の間際にそういう厳しい状況に追い込まれるのですが、多くの人が平静な気持ちで迷わず成仏できないのは哀しいことであり、不幸なことのように思います。そこで私は、「毎朝誕生し、毎夕死ぬ」ということを習慣として励行しています。文字通り夜寝る時にこれで自分は死ぬと考えるのです。
そして幸いにも朝目覚めれば「誕生した」と喜び感謝するのです。
この利点は
 @いざ死ぬときに動揺が少ない
 A毎日死ぬということで死というものを身近に認識できる
 B毎日覚悟ができる
 Cその日に起きた嫌なことを忘れ易い、精算できる
 D毎朝誕生するという喜ばしさ
 E毎日、気持ちの整理ができる
 F覚悟を決めゆっくり眠れる
 G死をむやみに避けずに、死への向き合い方が前向きになる
 Hだらだら、だらしない暮らしに歯止めをかける、毎日けじめをつける
 I本当に死んだ時に悔いが残らない
 J人生を真剣に生きることができる
 K人間の命の大切さを実感できる
さてこういうことをやるかやらないかは本人の自由ですが、これは良さそうだという方は1年くらいやってみて下さい。
昔日本では旅に出る時など「水さかずき」を酌み交わし、ひょっとしてこれで永遠の別れになるかもしれないという意識で別れの挨拶をしたそうですが、まあそれに近いことなんです。実際には死なないかもしれないが、一応死んだと仮定して、水さかずきで分かれるのと同じように一日を終えるということです。いい加減でなく真剣に毎夜「本当にこれで死ぬ」と意識するのです。また昔武士は、いざとなると「いさぎよく腹きり」するという自覚を持たされたのです。そういう武士達の心境は、日々、いつ何時でも死ぬ覚悟の意識でないとやっていけなかただろうと想像するのです。良い悪いは別にして、そういう真剣さは人生に有意義のような感じがするのです。
夜寝る時、心底から「今私の人生は終わります、ゆっくり安心して眠りにつきます」と口に出して言う、できればこの文言の前に、その日の出来事を思い出して口に出して賞賛なり反省なりを言うのが良いですね。そういう訓練の結果本当に心底安心して毎夜死ねるような心境に至っていく過程で、真の安らぎが訪れてくるのだろうと思います。
例としては、テレビ放送のように「これで本日の放送を終わります」そして翌朝「本日の放送を始めます」みたいな感じですね。朝夕きちんとけじめをつけるのです。
良いこともその日に終わるが、其の日の嫌なことも其の日で強制的に終わらせてしまうのです。
まあやってみて、この良さや効用を貴方自身で創意工夫しながら実感できるまでやってみるしかありません。
また応用として、死と同様に病もある日突然やってきますが、これも「日々病にかかり、日々快癒」というようにして、日々病にかかっている、それを直す努力をすることを強く約束して、其の日又は短期間に原因を取り除き、快癒させていくという意識的な手法も健康管理に有効だと思います。
要するにタブーとして避けるのではなく、嫌なことをむしろもっと強く意識するのです。
単なる心配性ではなく、心配を前向きに用いる・付き合う・向き合うという手法であり、「嫌なことを明るく笑い飛ばす、向き合う」ことです。マイナスをマイナスのまま悪循環させずに、むしろ積極的にプラスに転じてしまうのです。
第34号 村上和隆の人生塾「一言」
34.豊かさと便利さの都会で暮らしていて、心身の病気をしないのは不思議なくらいだ
私は、滋賀の田舎の山中でほぼ一人で10年暮らしていますが、そういう経験をする人は日本ではかなり少なくなっています。
私は、地元の田舎の人々にさえ「山の中の暮らしはどうですか?」なんて訊かれるのです。
田舎の人も田舎に住んではいますが、暮らしはかなり都会化している人がほとんどなんです。
軽井沢のような各地の別荘地もあくまで都会的な暮らしの延長ですよね。
ましてや都会の人は、むくの自然の山中で暮らすなんて全く理解を超えています。「現代の異常な豊かさ・便利さは、人間を崩壊に導いているという深刻な事実」さえも理解できなくなっているほど、自然というものは人間と断絶・隔絶してしまったのです。
日々人間をとりまく環境は、科学・自動機械・自動システム・便利な機器・ゆがんだシステムやルールであって、それらは人間の健全な思考や労働を、益々不必要なものにしているのです。
どんどん人間は自然から離れ不自然になり、人間の精神・肉体の機能は退化し・廃退していくのです。
地球環境問題なども、「地球環境が大変な事態になっている」という認識が当り前になっています。
しかし私は地球環境なんて他人事のような認識ではなく、人間自身・人間そのものの異常・汚染・堕落・崩壊のほうが何倍も問題だと思います。
今、そういう人間の荒廃を救う唯一のものは、人間ではなく『自然』という偉大な父親と母親なんです。
しかし自然から遠ざかる人間は、ますます堕落する人間の作った間違った考えやシステムやルールに押し流されて行くのです。
人間自身・人間そのもの以外の改善をしても、現代の深刻な状況はなんら打開せず、人類の崩壊へ着実に導かれていくことでしょう。
多くの人間に言っても「訊く耳持たぬ人」ばかりですので、貴方だけに心の底から申し上げておきます。
人間の本来の生き方として、もっと自然に親しみ、自然の中で暮らす生き方を取戻すことを是非お勧めします。そういう点で、日本の若者には、田舎に住み、農業や林業なんかもっとやって欲しいですね。
皮肉なことに現代の問題解決は「過ちを平然と犯す人間から離れ、本来真っ当な自然に近寄ること」なんです。
最近若者に「農業をやれ」と勧めているのですが、ほとんど99.99%全く興味もやる気も示さないのは残念です。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」都会なんかを捨て、田舎へ移住しよう。
素晴らしいですよ山の暮らしは!
村上和隆の山暮らし
33.実現損失に対して、機会損失というものがあるが、知らない間に多くの損をしているのだ
投資してお金を儲けたという人がいる一方でお金があまりないので投資しないと実質的に損をしていることになる。
前者を実現損失、後者を機会損失と言います。お金以外に、人間は”知らない・できない・やらない”ために、多くの機会損失をしているのです。
多くの呑気な人間どもは、現実損失にばかり目が向きます。
巨大地震が近い将来予想されており、ほぼ100%被災するのに、家の補強も必要な備えをしない多くの人がいます。
しかし一方で私も含めて地震への事前の備えや対応をしている人もいるのです。
耐震補強に300万円以上かかりますが、対応をしない人にとっては、そんな機会に対して、300万円を出すのが馬鹿馬鹿しく思えるのです。
機会損失ではないのですが、巨大地震を想定して事前にお金を使うというのも機会損失的な考え方です。
地震が起きた時に立場は逆転するのです。
対応しない人は泣き、対応した人は笑うのです。
損というものをどう考えるか、どう行為に反映するかが大事なポイントなんです。
目先の目に見える(実現損失)にばかり目を奪われていると、とんでもない大損や大不幸に遭うことが多いのです。
機会=やろうとすればやれる望ましいこと=予想される事態などということでしょうか?
「自分は若いから歳とった時のことなんか、病気した時のことなんか、貧乏した時のことなんか考えても意味がない」ではなく、目に見えないことであっても、想像力を働かせて、現実のことと同じ程度考え・行動に反映したいものです。
やらないで損をする機会損失のほうが、実現損失より大きい場合がありますので、あまり馬鹿にはできませんよ。
第32号 村上和隆の人生塾「一言」
32.人生は相対性幸福論で
人間はしばしば会話において「絶対」「絶対に」ということを多用します。
何故なんでしょう?
アインシュタインの相対性理論というものがありますが、そうです人間の身の回りの出来事や幸福感も本質的に相対的なものなんです。
科学技術の進歩や経済成長の早い現代では、どうしても物事を絶対的に考えるから混乱し、行き詰まり、悩むのです。
これだけ便利で豊かになったというのに、「私は不幸だ」「より幸になりたい」「貴方を幸せにします」などという現代人が多いのです。
しかし現代人の求める幸とは一体何なんでしょうか?
求める幸せが具体的に何かをしっかり正しく認識しないで、闇くもに抽象的な幸せを求めるのです。
こんな話しを訊いたことがあります「日本人は豊かになるともっと豊かになろうとして頑張る」これに対して「南方の人々は豊かになるともうこれ以上は要らないからゆっくりする」のだそうです。
競争とか発展というのは、一面良い点もあるのですが、反面絶対的なものの追求に走りがちです。
絶対的なものの追求は競争激化を招き経済破綻や環境破壊や貧富の差をもたらします。
過剰な資本主義・民主主義・自由主義・グローバリズムは絶対的なものの追求になるという弊害を持っています。
豊かで便利になればもうこれで良しと、相対的な考えも導入すべきなんですが、資本主義・民主主義・自由主義・グローバリズムの下では困難なようですね。
しかしだからと言って、個人的には、そういうものに過剰に巻き込まれないように注意しないと人間らしさを失い、それどころか不幸の落とし穴にはまり込む危険が大いにあるのです。
物事は絶対的だけでなく、時に相対的になるべきです。(相対性理論かな)
第31号 村上和隆の人生塾「一言」
31.贅沢の基準のレベルをかなり下げてみましょう。幸せ感がより高まるはずです
最近私は"止める活動"を展開して来ましたが、この効果は予想以上のものでした。私の頭の中では、天地がひっくり返ると言っても過言ではないかもしれません。
村上和隆の「止める」
幸せになろうと「もっと・もっと」と、更なる幸の種を得ようと血眼になってきたことが馬鹿馬鹿しく思う今日この頃です。
まさに昔、私が禁煙した時に味わったような気分と同じまたはそれ以上のものです。
「何だタバコ止めたら良いことだらけじゃないか」というような感じのことでした。
幸福とは、「もっともっと」と求めることではなく、実は、むしろ「これ以上は要らない」と捨てることが先決だったんですね。
「止める」の応用として、最近平行して”贅沢のレベルを下げる”ということに積極的に取り組んでいます。
ほぼ似たようなことなんですが簡単に言えば、例えば、一個のオムスビや一杯のすうどんが物凄い贅沢と認識するのです。
実際に明治時代から昭和の初期まではそんなものだったようです。
現実に戦後、私の幼い頃、米・バナナ・ジュース・チョコレート・ラーメン・コーヒーなんてものは、すごい贅沢な時期がありました。それがいつしか当たり前になっているだけなんです。
だから現代人は物凄い沢山の幸福で埋まっているはずなんです。
ところが現実は逆であって、「現代人のほうが、全く喜びを感じない」「むしろ不満感や不幸感が増す」という信じられないことになっているのです。
そこで私は、うどん・米・寿司・肉・なんかを凄い贅沢だと認識し直したんです。
そうして贅沢のレベルを大幅に下げてみたんです。
そうしたら、あら不思議、幸福感が数倍〜数十倍グーンと高まったのです。昔を思い出すと、たった一杯のジュースや御客の残したお寿司を一つ食べた時のその嬉しさってすごかったですからね。現代では、そんなこと全く感じませんよね。
信じられないですが、私の場合、そういう結果になったんだからしかたありません。
そうか、幸になるには求める贅沢のレベルを下げたり、遠ざけることだったんですね。
第30号 村上和隆の人生塾「一言」
30.現代は「箱物文化」立派な箱を作り、その箱の中に「引き篭もって」暮らす
  ※1箱物とは=一見、立派に見えるが、よく見てみると単なる箱であって価値の低いものという意味です。傾向として箱物自身を手に入れることが目的になる、また次々に意味のない箱物を作ろうとする
  ※2引き篭るとは=本来大して意味のない場所だが、自分にはそこが一番暮らし易い場所であって、そこから出ようとしないさま
ブロイラーの鶏のように、食べることに困らず、雨露はしのげるが箱の中でエサをついばむだけの毎日ブロイラーの鶏は鶏舎を離れると、多分満足に生きていけないでしょう。
人間も都会・社会・システムという箱に引き篭もってあたかも幸せそうに生きている
まさに現代人・都会人の暮らし方はブロイラーそのものである
・若者だけが引き篭もりではない現代人のほとんどが引き篭もりの生き方を選択している
若者の引き篭もりは、大人達が戦後右肩上がりの成長によって、「箱物文化」と「引き篭もりの文化」を創りあげたせいである
若者は「箱物文化」と「引き篭もり文化」の社会において究極、家に引き篭もり・自分自身の引き篭ってしまったのです
・自然放牧の幸な牛達がいる
  現代の牛は、牛舎に閉じこめられ、動けず、トーモロコシと大豆を与えられ、不幸に暮らす
  山の放牧地に放たれ、年中、自由に動きまわり、草を食べ、野に糞をして過ごす
  こういう牛は、幸せだそうです。量は減るが、牛乳は栄養価も高く、美味しいそうです。量を求めるのか、質を求めるのか?
・自然から遠ざかる
  自然というのは何も言わすに人間を育んでくれた親以上の親です
  その親(自然)の有り難味を忘れて断絶状態です
  『親の深い恩』とか『自然という親の深い恩』という意味はそういうことです。親は有難きものです「親孝行したい時には親はなし」になりかねません。
  そして人間はその親から離れ現代文明・都会文化に埋没(引き篭もる)っているのです。
  ドアの前に立つとドアーが開くとかスーパーで食べ物が得られるなんて教えてよいはずがない。ナンセンスです。しかし、そういう出鱈目なことを都会では、教えているのです。
・自然から遠ざかるとどうなる
  自然というのは、地球の何十億年のシクミを維持している
  その尊厳のある自然界のシクミを無視して人間が勝手に変更ししまう「あさましさ」「あさはかさ」「傲慢さ」「破廉恥さ」
  自然から遠ざかり都会で便利と豊かさ(???)にドップリ浸かる、そんな現代人・都会人に明日があるのだろうか?
・現代人・都会人は「引き篭もり人間」勘違いしてはいけない。
  以下の物はあくまで箱物だ、深みに入り込みすぎてはいけません
 1. 家に引き篭もり
 2. 都会に引き篭もり
 3. 化学文明に引き篭もり
 4. 贅沢に引き篭もり
 5. 便利に引き篭もり
 6. 狭い社会に引き篭もり
 7. 会社に引き篭もり
 8. 仕事に引き篭もり
 9. テレビに引き篭もり
 10. パソコンに引き篭もり
 11. 携帯電話に引き篭もり
 12. お金に引き篭もり
 13. 流行に引き篭もり
 14. 物に引き篭もり
 15. ちっぽけな趣味に引き篭もり
 16. スポーツ競技に引き篭もり
 17. 芸術に引き篭もり
 18. 地位名誉に引き篭もり
 19. 合理性に引き篭もり
 20. 効率に引き篭もり
第30号 村上和隆の人生塾「一言」
30.現代の過度な主義の猛反省し、自分の生き方を見直そう → 自然主義
 何でも過度・行き過ぎはいかんまず毒を抜けそのために都会でなく自然の中で暮らせ
 『自然に戻る ・自然に学ぶ ・自然に暮らす ・自然にまかす』
小賢しい人間の考えた、次のものをとりあえず一度否定して自然の生き方に戻ろう
「これらが人生の基本大事なものだ」と思っていたら大間違い
   @民主主義
   A自由主義
   B経済主義
   Cグローバル主義
   D個人主義
   E科学主義
   F合理主義
   G物質主義
   H便利主義
   Iマスコミ主義
   J管理主義
   K効率主義
   L成長主義
   M拝金主義
   N使い捨て主義
   O快楽主義
第29号 村上和隆の人生塾「一言」
29.多くの物・多くの人・多くの仕事・多くの贅沢・多くの趣味に浸っている都会の暮らしが極上の暮らしなのか?
私は滋賀県安曇川の山中でここ10年、文字通り一人静かにくらしています。
時々都会である京都に出ますが、私にとっては「都会は非日常の世界」なんですが、都会の人にとっては、その都会的な暮らしが正に、日常そのものであって、都会には多くの楽しみがあると信じているのです。
多くの物・人・遊び・贅沢・情報・・・で溢れているので、そこから離れることは暮らしをもぎ取られ、人生そのものを否定されるように感じるのです。
しかし一体人間自身はその中でどういう位置づけなんですか?貴方自身より一見華やかな多くの物・人・遊び・贅沢・情報・文化(?)・金が主体なのであって、貴方はその付け足し(抜け殻)みたいなもんなんですか?
そのせいでしょうか、状況が激変する都会では自分を見失って鬱々とする人が増えているのです。
自分の周囲の物によって、自分自身・人間自身を忘れてしまうのです。
山の猿が都会に出て鎖につながれ贅沢な小屋で贅沢な食事を与えられていつしか猿が本来の猿自身を忘れてしまい、いざ山に戻ってみると生きていけない哀れな猿になってしまうようなもんなんでしょう。
私が10年、物・人・遊び・贅沢・情報が乏しい山の中で暮らして感じたことは「格別何もない山の中で自然や自分自身と向き合う・触れ合う暮らし、これこそ極上の暮らしである」それに対して「都会の暮らしはその華やかな外見と相違して、なんとも極悪な暮らしか」
多分、都会の人々には永遠にそういうことの理解は期待できそうもないのです。
都会に住むお猿さん、都会の動物園の動物達、あたかも贅沢そうだが、楽そうだが、綱につながれ檻の中でかけがいのない一生を終えるのです。
「人間にとって極上の暮らしとはどういうことなのか?」真面目に反省することです。
コンクリートの家(小屋)の中で餌を与えられ、楽ではあるが綱につながれたような殺伐とした都会の暮らしがはたして極上なんですか、はたしてそんな所に安住していて良いのですか?
『極上の暮らし』とは一体どういう状況なんでしょうか?
もう考えることすら、都会を飛び出す気力すら失せてしまっているのですかね?
第28号 村上和隆の人生塾「一言」
28.「力を抜け、力むな」こんな簡単で効果のあることが、人には案外できない
悩む多くの人を見ていると、力みや異常に強いこだわりというものが垣間見られるものです。
「やれあーだの、やれこーだの」そういう人の話を聞いていると、口元に笑みがなく、目に気力なく、顔に豊かな表情がないのに、何かに必死に力んでおられるのです。
柔軟性や自由度や気軽さや軽快さや明るさがない、「こうかもしれない、あーかもしれない、もっと違うかもしれないなー」という融通さや柔軟な感じがないのです。拒絶・拒否・絶望・反発・・・・みたいな暗い感じが伝わってくるのです。
スポーツでも大きな試合に勝つ選手は、力みがないのだそうで、力むと普段の力の半分も出せないのだそうです。
ましてや四六時中かたくなに力むような人は、悩みから解放されるなんてことはまず不可能のように思えます。
何でもそうですが、『意味なく力む』又は『意味無くなく何かに捕らわれる』のは解決を遠ざけてしまうのです。
巨大地震に襲われても硬い石やレンガの家は脆いのだそうです。
五重塔は実は、かっちりと固定されていないのだそうで、そのために地震にも倒壊しないのだそうです。
最近の技術でも家が、ゴムやバネのようなものの上に設置されている免震構造なるものがあるそうですが、人間も”免震構造的な精神”を持つと案外強くなれると思います。力む・固定・かちっとし過ぎたものは脆いのだそうです。
悩める貴方も、まず力を抜いたらいかがでしょうか?
力んでも何にも良いことなんかないんですよ。むしろマイナスだです。
第27号 村上和隆の人生塾「一言」
27.有能な他人を応援してどうするのよ?そのエネルギーを自分自身をもっと応援し自分自身が頑張れ
仕事より何より好きで、阪神や巨人が勝った・イチローが打った・歌手や俳優がどうしたこうした……・・と他人のことを自分のことのように喜んだり、負けたと言ってはガックリくる人がいます。
しかしそんな有能なプロ選手や著名人なんか応援して、最も肝心な自分のことをもっと応援し頑張らなくて良いのですか?
最近私はいろいろな無駄なことを止めるように努力していますが、あれこれ実践してみてわかることは、人間のやっていること90%は実につまらん無駄なことだということです。
必要最低限の衣食住以外のことは、基本的に無駄なことです。
いくつか具体的な例をあげましょう。
 @プロ野球などプロスポーツ、オリンピック
 A娯楽テレビ番組
 B酒・ビール
 Cグルメ
 D観光旅行
 Eわざわざ高価な施設を利用しての運動
 Fマイカー・ドライブ
 Gペット飼育
 H贅沢な家具
 I喧嘩
 J多忙
 Kエレベータ・エスカレーター・エアコン・自動ドアー・自販機・・・・、
 これ以外にも無駄は無数にあるのです。
冷静に考えてみると実に無駄です、環境問題なんか人間の無駄のなせること、そんなくだらんことより、大事なことは自分自身のことです。
自分自身に関心を持つ・挑戦する・失敗する・悩む・反省する・変革する・高める・・・・・ということにもっと時間やお金や頭を使うべきですが、現実は自分そっちのけで「阪神タイガースの応援」や「ヨンサマ」や「ファッション」「贅沢」・・・を追い求めるだけの人が増えているのは嘆かわしいというか、自分の存在そのものの否定になるのです。
真剣な顔してどっちが勝った負けた、勝つにはどうすべきかなんて心配している。
どうでも良いことです、超馬鹿にしか見えませんがね。
そういうくだらんことがテレビで放映され、人間が必要以上に一喜一憂する馬鹿らしさもうそろそろサヨナラしませんか?さっぱりしますよ。
なんですって「やることなく暇です」って、自分自身のことは一生かかっても足りないくらいやることが沢山あるというのに、何か基本的に貴方は間違っていませんか?
第26号 村上和隆の人生塾「一言」
26.悩む人は悩みが大きいほど、深刻なほど、長いほど、進むべき方向が間違っている
悩む人の多くは、悩みが大きいほど、深刻なほど、長いほど、
悩む中身がどうのというよりも、進むべき方向が逆だということだ
後ろ向きか、右か、左かとにかく進むべき方向が間違っている
悩む人は、その事に気づかない、気づいていても直そうとしない
幾ら、もがき一生懸命頑張ったところで方向が違っていれば
目的地に近づくこともないし、ましてや、たどり着くはずがない
今考えていること、やっていることをとりあえず逆にしてみたら?
汗かこうよ、人に優しくしようよ、なんでも明るく笑い飛ばそうよ
「ギヤーがバックに入ってる、前進に入れてアクセル少し踏めば」
方向さえ正しければ、例え僅かづつでも、結果に結びつくはずだ
第25号 村上和隆の人生塾「一言」
25.物価上昇や税や費用負担増にどう対応するべきか?
ガソリン・ガス・電気・肉・小麦粉・野菜・ビール・・・・・ほとんどのものが、かなりの割合で高くなっています。
こういう場合、貴方はどうしますか?昔、松下幸之助さんの話に次のようなものがありました。製品の3%の削減は難しいが30%など思い切ったコストダウンは意外にやさしいというものでした。
経営の神様の言うことは違うなー、私達凡人の考えとは全く違うことを言われるんだなーと思ったものです。
膨大な財政赤字なのに、政治や役所の経費削減もなぜできないかというと、松下幸之助さんの言うように3%くらいの一見できそうな削減をしようとするからなんです。これを30%削減しようという大きな目標を掲げると、あれ不思議なんとも簡単にできてしまうのです。
今の政治家の無能さは、そういう思い切った削減の方針や目標を出さない臆病者だということです。またマネジメントの定石を知らないからなんです。
会社の場合、経営革新の基本も同じで、3%の削減みたいな小出しの目標を設定してしまうと経営の体質改善は失敗します。
むしろ、30%くらいの大きな目標を思い切って打ち出さないと目標達成は極めて困難になるのです。
なぜこんな逆説的なことになるかというと、松下幸之助さん曰く「30%という目標の場合、原点・基本から大胆に改革しようとする」からだということなんです。嘘だと思うのでしたら一度やってみて下さい。
ちなみに私はここ2年くらい、先を見越して大胆な削減目標を掲げ取り組んでいますが、なんとも、今までできなかったことが、いかにも簡単に、どんどんできてしまっているのです。多分30%くらいの削減はできていると思います。
もっとも物価などが上昇していますから実質は20%くらいでしょうが。3%くらいの目標設定ですと、なにを減らすか迷いますが、30%となれば有無を言わせずできるものは片っ端から減らさざるを得ないのです。
そしてその結果すごく惨めになるかというと、これがまた不思議で、むしろ暮らしが楽で、心も軽快になり、楽しさや喜びさえやってきたのです。
日本の政治改革なんかも、今回の暫定税率なんかのある意味良いチャンスだったのですが、また元通りにしてしまい、せっかくの改革のチャンスを逃してしまいました。背水の陣でなく甘さ・いい加減さが日本を駄目にしているのです。
人生においてもメソメソ・ダラダラ・フラフラしていないで、男らしく「エーイ、思い切り背水の陣を敷けー!」ですね。
第24号 村上和隆の人生塾「一言」
24.小ぽけな人間のままで満足しているのか?
人間というのは万物の霊長なんて威張っていますが、特に堕落した現代人は、ドングリの背比べ程度のもんです。
人間国宝とか、なんとか殿堂入りなんて人もいますが、まあそんなのは宇宙規模で考えればどうでもいいつまらんことです。
偉い人間なって威張ってみたところでせいぜい100年くらいの短い間に、瞬間的にやったことで、しれたもんです。
どちみち小ぽけな生き物であれば、なんだかんだと、つまらんことに捕らわれていないで、もっと次元の高いことを地道にやれば良いと思うのですがね。
一方で巷には、小ぽけなことでくよくよ悩む・心配する・苦しむ人も多く、最近鬱病になる人が増加しているのです。
どちらにしろ、涙ぐましいほどの小ささなんです。そんな小さい人間じゃ到底地球や宇宙なんてのを前にしては何もなしえない。
便利・豊さが人間を更に小ぽけな生き物にしていっているのです。
自然と離れ・地球と離れ・社会とも離れて、狭い家や遊びのような小ぽけな殻に閉じこもる”引き篭る若者”が増加しているということですが、人類は、発展ということの代償として、全体として【引き篭もり=縮小化】の方向へと確実に向かっているのです。
悲しい話ですが、経済や技術革新が進めば、進むほど人間は矮小化していく運命なんです。
人間にとって最も大事なことを犠牲にしてまで、見掛けの豊かさや便利さという麻薬を吸い続けるのが現代なんです。
せめて自分だけでも、そういう人間矮小化から一線を画していくことが大事です。
つまらん豊かさや便利さなんてつまらんものの犠牲にはなりたくないものですね。
第23号 村上和隆の人生塾「一言」
23.貴方の人生は、いつも順調とは限らない、甘えた生き方によって逞しさを失うな
人間は普段何も無い時には、大層ご立派なことを言います。
しかしひとたび、とんでもない状況になると、大学の教授様も、やくざの親分も、大僧正も、ほとんど99%の人は、想像以上に狼狽し取り乱すのです。
人間なんて弱い臆病な生き物、そんなものなんです。
平和で、苦悩が無い時の自分は、実は本物ではないのです。
スポーツ競技でも攻めている時より劣勢の時に選手やチームの真価が発揮されるのだそうです。
会社でも同様らしいのですが、私も過去にとんでもないつらい時期がざっと少なくとも10回や20回くらいはありました。
そういうつらい時には、夜も寝られず、不安で心が混乱し、死にたいような気分になり、来る日も来る日も思い悩み、憂鬱で食欲もなくなり、顔色も悪く元気はなくなっていました。
しかし今思えば、そういう時の自分のほうが、生きている実感・重さがあったような気がしています。
そういう苦境を潜り抜け・乗り越えてきたからこそ、今日の曲りなりにそこそこ成熟した自分があると思うのです。
戦後の貧しい時代から高度成長期までの時代は、否応なしに幾山川を乗り越えざるをえなかったのですが、便利で豊かな現代の若者は、そういう必要がなく、そういう機会にも巡りあえず、そういう状況に自分を追い込むでもなく、一見良いようで、むしろある意味、非常に可哀相な気がしています。
結果的に現代は、意欲のないニートみたいな人やいざとなるとひ弱な人が急増してしまう傾向があります。
こういう現象は意外にも豊かな先進国家で起きているし、今後も確実に世界中に拡大していくのです。
テレビや新聞雑誌で困窮にあえぐ国の人々を見て「可哀相だ、助けてあげたい」と思いますが、はたして哀れな、可哀相なのはどちらなんでしょうか?
ひょっとして彼等のほうがずーっと逞しい強い人間であって、助けられるべきは、むしろ自分達のほうかもしれないのです。
第22号 村上和隆の人生塾「一言」
22.神仏から与えられた大自然から遠ざかる現代人・都会人それで良いのか?
私は滋賀県安曇川の山中で10年暮らしていて、今、たった一人で自然の良さを痛感しています。村上和隆の安曇川暮らし
しかし地元の人でさえも、山中の私の生き方に首をかしげる時代に変質してしまったのです。
田舎の人も山の近くに住んではいますが、想像以上に都会化してしまっているのです。私のほうが、貴方方の都会的な生き方に首かしげたいくらいですがね。
私は「人は、神仏とか自然に近づくことが一生の目的」で、そのために「敢えて、浅はかな人間の密集する土地を離れ、できるだけ母なる自然の近くに住んで、偉大な教えを戴こうと」と考えています。
「なぜ便利な都会に住まないのか?」でなく「なぜ母なる豊な自然の近くに住まないのか?」なんです。
自然が本来の師匠であって、人間はむしろ妨げでさえあるのです。
人は神仏によって大昔おおよそ6500万年前に作られました。ちなみに地球は46億年前に誕生したとか。
形は神仏に似せて作られていますがパソコンみたいなもので、中身はかなりお粗末なものなのです。
人間は生まれる時、他の動物と同様に、「本来無一物なはず」です。しかし現代、人間は無一物でない状況で生まれるように変わってしまいました。
生まれた時から否応なしに、あまりにも多くの人工的なものを持たされているのです。
人間は、本来無一物であるのですが、神仏は生き物に多大な自然の恵というものを平等に与えているはずなんです。
しかし人間は近年神から与えてくれたはずの自然からどんどん離れていってます。
ここ百年急速に人間の浅知恵によって技術進歩や経済発展や都会の暮らしを手にしてしまいました。
偉そうに人間の技術なんてのは、単に術であって手品や忍術みたいなものなんです。
本質的なものではない誤魔化しに過ぎない、道具や便法でしかありません。
しかし恐れ多くも、人間の浅知恵が勝手に作り上げたシステムが自然に取って代わったようなものになっています。
自然というのは50億年くらいじっくり気の遠くなる時間をかけて生み出してきたもので、これほど貴重なものはないのです。
しかし人間はたかが10年・百年で忍術まがいのあこぎなやり口で自然界をゆがめ、破壊してきました。
50億年と百年は5千万倍ですよ。ぜんぜん価値が違いますが、ところが人間は偉大だなどと傲慢な態度を平然とやっているのです。
世の中が進歩すれば「先進的な都会の人間にとって良いことは=考えるまでもなく良い事だ」みたいに傲慢になっているのです。
この世に正義というものがあるとすれば何億年〜何十億年、試行錯誤の末に妥当性が客観的に認められたものなんです。
しかし人間の世の中は10年くらいの、はかない期間の単位で動いているのです。ある意味蝉と同じようなはかない生き物なんです。
千年も万年生きられないのです。そういうことは何を意味するかというと、人間は刹那的な生き物以上にはなれないのです。ですから人間は神仏や自然に近づく心を取り戻すべきなんだと思います。
第21号 村上和隆の人生塾「一言」
21.今年も滋賀県安曇川の支所開設
例年のように、4月に、京都の事務所から、春〜秋用の滋賀県高島市安曇川の支所に移った
都会で事業をする必要のない人は、過疎の山で仕事をする私のようなやり方を真似て欲しい
毎年のことながら山の春は気分が良い、特に5月迄が素晴らしい、山は正に独り占め状態
今季は、例年になく雪が多かったようだが、春の訪れは、例年になく軽快で爽快なものだ
平地より10日遅く、桜が今満開、植えて9年目にしてやっと木全体に、見事な花が咲いた
春4〜5月は、桜・スミレ・木の芽・新緑・小川のせせらぎの音・鳥の声・一雨毎の変化
安曇川の山中に、のんびり私一人なんて、世の中何か不自然、都会の人々は忙しない
都会の人は山を忘れてしまったのか?海外や繁華街や観光スポットに足が向いている
都会人は、どんどん自然から遠ざかっていく、都会は人口過密化/山は過疎化
山の麓の長尾の一帯付近も、腰の曲がった、日焼けし、皺の深いご老人ばかり
都会人には耐えられぬ厳しい冬を越して、それでも毎年やってくる春の到来を喜ぶ
一頃、地元の人も「昔は豪雪地帯だったが、温暖化で雪が少なくなった」と言っていた
しかし、何故かここ数年雪が多い、お年寄りには、大雪はさぞかし、つらいことだろう
山の自然の中で長く暮らしてみると、特別何もなくても楽しみや喜びが見出せてくる
物好きにも私は10年前から山で一人暮らし、支所でコンサルタントの仕事をしている
自然以外に何もない、こんなところで何が楽しいのか?と周囲の人から質問が来る
楽しいというのは都会で買い物して、グルメを食べて、出歩いて、騒いぐことなのか
私などは、まあ一口で言えば「へそ曲がり」「変人」「阿呆」「根暗」「ロマンチスト」なのか
私は体力も才能も美貌もない能無しもいいところ、とりあえず頑張るだけでやってきた
でも今は、「自分の人生はこれで良かった」と自分の無能さに感謝し、愛着さえ覚える
若い頃は、そのことに大いに悩んできたが、それが私に与えられた特性だったらしい
無能な者も、やりようで、案外素晴らしいものだ、楽しいものだ、能無しは無用ではない
今は、無能な子に生んでくれ努力の大切さを教えてくれた親に、むしろ感謝している
時々月2回くらい、電車に乗って都会に帰る、あの世から現世に戻るような感じがする
都会は山中の自然とは全くの別次元で、機械と物と人と喧騒と情報とがどよめいている
しかし、つながれた犬や籠の鳥のように、人々には、穏やかさ・活力・喜びを感じない
都会の人は、自然の暮らしを捨てた代償として、そいういう暮らしを、深く馴染んでいる
人間の価値観は、ここ百年、すっかり変わってしまったが、人はそのことに気づかない
一人、山で、都会から離れて、暮らしをしてみると
一体全体、人間の暮らしとは、生きるとは何なんだろう?
どう暮らすのが、人にとってふさわしいものだろうか?
最近のことだが、次のようなことを思って、実行している
都会人のしがらみを、可能な限り身軽にそぎ落としてみよう
金もないし、そぎ落として身軽になるのも良いかもしれない
身軽にというのならば、徹底して身軽になってみようか
身体ばかりか心もメタボ、心のメタボ対策のほうが先かも
簡素で身軽な生き方のほうが、長生きもできるかもしれない
バイクに乗る歳でもないが、田舎道を安曇川の町まで
20分くらいかけて買い出しに行く、往復久々に緊張する
願わくば、もう少し暖かくなって颯爽と走りたいものだ
昨年までの四輪自動車の快適さを、思い知らされる
都会オンリーの暮らしを捨て田舎暮らしを始める方・都会と田舎半々の暮らしを始める方
私が10年山で暮らした感想は、暮らす場所は山仕事は都会でが理想的だということ
世の中の有識者という頭の良いご立派な方々を信じて生きてきたがまんまと裏切られた
利益を享受するのは、有識者や権力者であって、市民は、その動力源でしかない
無能で利己主義の政治家の下では、便利・豊かさがいつまでも保証されいるのでもない
政治家や有識者に頼るな、彼らは私達をいかに巧みに、騙すかしか考えていない
「人間よ自然に戻れ」あまりもう時間はないぞ、戻るなら今しかないと語っているように思う
第20号 村上和隆の人生塾「一言」
20.安易に親兄弟や社会に頼るのは、その時は楽だが、つらさを避ける小さい人間に繋がる
貧しい昔と、現代の豊で便利な時代の人間の大きな違いは、昔は
@親子兄弟や近隣との人間関係が濃密であったということと、
反面
A最後に頼りになるのは、自分だったということです。
当時は、子供なりに将来の職業や暮らしや結婚や人生などについて真面目に考え、自分のことは自分でという感覚で、勉強やいろいろ努力を積み重ねていたものです。
そういう当時の私も、郷里である東京から関西に来て、40年、遠く離れて関西で暮らす体験をしたのですが、関西には身寄りが全くいませんでしたから、日常や、いざという場合に頼れるのは、本当に自分だけでした。
会社を4回転職した時々も、54歳の時に妻が病床につき介護しながら仕事していた時も、妻が52歳で他界した時も、3人の子育てをした時も、最後に自営独立した時も・・・・・・、かなりつらい孤独なものがありました。
そんな厳しい道を敢えて選んでしまったのですが、一人でよくやってきたものだと我ながら関心しています。
まあ当時としては、当り前のことだったかもしれせんが?そして、当時はつくづく後悔したものです「何で東京で就職しなかったのか、何で関西から嫁をもらわなっかたか」と。
そういう昔の人間に対して、現代は、地元に住み続け、親元に同居し、親から援助して貰い、いざという時は、当り前のように親族の助けを貰う若者が多いのです。
大変なことになっても、つらくても、親兄弟にも頼らず、じーっと耐え、自分で困難な局面を切り開き、処置するなんて昔は当り前のことが、なくなってしまったのです。
「可愛い子には旅をさせよ」
「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」
子供を本人のためを思えば、親も兄弟も放っておくほうが良いのですが、何だかんだと要らん世話を焼いてしまうのです。
また、社会も彼等を保護しようとするんですが、実に無駄なことです。生活に困っても何とかお金は稼げてしまう。
せっかく苦しい状況や厳しい状況がやってきているのに、簡単に他人や社会に頼れるのでは台無しなんですがね。
勤めてもすぐに会社を辞め、定職につかず、フリーターやニートなんてのも困った兆候です。こういう状況で、もし、今後何か深刻な災害や経済環境の大変化が起り、彼等が頼る物がなくなった時にどうするのでしょうね?
楽の味を覚えてしまった彼等には、多分予想される日本の厳しい状況に対応する能力がなく、日本国家の存亡にも拘わることになっていくのでしょうか?
第19号 村上和隆の人生塾「一言」
小人、閑居して不善をなすか?
日本は団塊の世代の大量退職によって、閑居する人が加速度的に増加するようです。
人間は大雑把に言って2つに分けることができるのだそうです。
@大きな人(大人)
A小っぽけな人(小人)
そして諺にも「小人、閑居して、不善をなす」と言われているのです。
男の人が長年勤めて定年退職すると今までの忙しさが全くなくなり、毎日やることがなくなり、腑抜けになり、生きがいさえも失ってしまう人が多いようです。
かと言って更に働くとか、やたらにあれこれやる人というのも、今までさんざ働いてきたのに、また働くのか、いつまで働くのか、なんとなく哀れな感じさえします。
忙しい時は忙しい忙しいと嘆き、暇になると暇だ暇だと嘆く、人間というのは、いい加減な生き物です。
閑居というのはどういう状態かというと、やることがなくだらだら過ごすというようなことでしょう。
人は、閑居してしまった場合に、どうなるかがある意味、その人が大人なのか、子供なのか判定が下るような感じがします。
つまらん遊びをしまくったり、ゴロゴロしたり、不善をなすのであれば小人であり、閑居しても有意義に暮らせたり、楽しむことができれば逆にその人は立派な大人であるということになるでしょう。
同じようなことが「小人、楽して、苦の種を作る」「小人、褒められて、有頂天になる」「小人、金持って、傲慢になる」「小人、平和に慣れて、油断する」・・・・・どちらにしろ小人というのは、録なこともできないお粗末な代物のようです。
二ノ宮尊徳曰く「大農は草を見ずに草を刈る、中農は草を見て草を刈る、小農は草を見ても草を刈 らず」人間として生まれたからには、何やろうと、どう暮らそうと人の勝手ですが、人生を閑居しても不善をなさないような人間として生きたいものです。
第18号 村上和隆の人生塾「一言」
18.人は、本来すごい素質があるのに、自分は問題だらけだと強く自覚する改めようと決意することがスタート
昔松下電器時代に、週末、早朝座禅会というのがあって、かなり参加した経験があります。
そこで座禅が終わると、沢庵寺の和尚さんが講話をされましたが、その中に
@座禅をするのに、一本の線香の火が消えるまで座ればそれは、それなりに仏に近づいたことになる、「一寸座れば一寸の仏」になれるのだというお話でした。
また、もう一つは、
A「人間は本来素晴らしい素質を持っているが、そういうことに気付かない人間が多い、自分が優れた素質を持っていることに気付くことこそが最も大事なことであるが、これが案外簡単なようで難しい、この難しい門さえくぐることが出来れば、人間が自分を磨くことはそんなに困難なことではない」という話しでした。
要するに、
@まずきちんとしたことをやれということであり
Aもう一つ大事なことは本質に気付け
ということでしょうか。
例えば、パソコンはご存知のように非常優れた機能や性能がありますが、しかしパソコンを達人が使えば、価値も何倍も出るのですが、素人が使えば、パソコンは一円の値打ちもない単なる箱に過ぎなくなってしまうのです。
白隠禅師は座禅和讃「衆生本来仏なり(人間は本来仏になれる素質を有する)」と言われているように、人間も本来すごい素質を有しているのに、なんたる無知・無能・無力・無頼・無精・無益・無明・無謀・無茶・・・・・であることを猛反省すること」が専決・大事なんですね。
「必要は発明の母」と言いますが、「反省と自覚は人間成長の母」であるのです。まず人間がこの最初の門を潜ることが出来ないまま生き続けるから、堕落しきった不幸な一生で終わるはめになるのです。
第17号 村上和隆の人生塾「一言」
17.禅の教えを取り入れて自分を変革するとものの見方が大きく違ってくる
昔松下電器時代に、週末、早朝座禅会というのがあって参加したことがありました。
禅の本格的な修業は、すごく大変だなーと思いました。しかし本格的な修行は無理だとしても、全く無縁と思わず部分的であれば、生き方の指針として取り入れ役立てることができると思いました。
@作務
A質素・節約
B欲望を捨てる
C無・空
D布施
E感謝
F本来無一物
G衆生本来仏
H反省
I平常心
J働かざる者喰うべからず
K明日死ぬかもしれない命の大切さ
などでした。
私はそれ以来、普通の人間でもできる範囲で禅の考え方を少しでもいいから実行していく姿勢を持ち続けています。
徹底して、やるというのは難しいことですが、そういう中で、最近私が、主にやっていることが”贅沢をしない”、”質素節約”ということです。
最近かなりの進展が図れています。
高齢化・国の財政破綻・税金や保険料などの値上げ・物価高騰・・・などのおかげでそうせざるをえない状況になってきたのです。
皮肉なことに、日本の政治家の無能さのおかげですかね・・・・・?官僚の利権擁護の無能で出鱈目な政治家に頼れないとなれば自分自身でなんとかしなくてはならない。
そうしないと、とてつもない惨めな老後が見えてきたのです。資源やエネルギーも食料も皆、輸入に頼る日本、これは油断すると、ひょとしてホームレスにならんとも限らないと不安になってきたのです。
年金も税の負担増もどんどん加速していくはずです。
質素・節約なんてのは戦後の時代以降全く忘れていましたが、最近思い出し、取り組みを始めてきました。
そして質素倹約を徹底してやってみて、どんどん暮らしが惨めになって行くと思いきや、目からウロコで、全く逆でした。
何か悪霊が落ちたような、むしろ満たされた感じさえしてきたのです。
禅僧から無とか空とか一汁一切とか言われた当時は、厳しいことを要求するのが禅の道かと思っていましたが、最近は禅は最も楽なことを追求していたんだなーと思い直しました。
食べ物なんか粗末なもののほうが、むしろ美味しい、健康で腹がすけば、おにぎりと大根の味噌汁と納豆が贅沢な食べ物に思えてくるのです。
「資本主義・エゴ・使い捨て・浪費・グローバル化・物質的豊かさの追求・競争主義」さて、こういうことが未来永劫望ましい生き方なんでしょうか?
どうにもならないのかもしれませんが、禅僧の気持ちがわかるような気がして、資本主義・自由主義・個人主義・経済重視・競争主義・グローバル化などに大いなる疑問を感じるこの頃です。
21世紀は、全体主義でなく、個人の意識がをもう少し強く出すべき時代になっていくのでしょうか?
良し悪しは別にして、ニート・フリーター・引き篭もり・自給自足なんてのは、現代の病気であると同時に、全体主義的なものに抵抗する現れの一つなんでしょうか?
第16号 村上和隆の人生塾「一言」
16.何を捨てて何を残すか、まずは思い切り捨て、そして新たなこと始めよう
オギャーと生まれ、若い頃から、あれやこれや、やってきて、どんどん広くなっていくのは良いのですが、短い人生ですから、多くの、ろくでもないことばかり増やしていては、いかに長い人生でも金も時間も身ももちませんし、結果的に大したこともできない人生になってしまいかねません。
歳取ると、自然に減ってはきますが、そういう過去の沢山のものの中身を、
 @残すべきもの
 A完全に切り捨てるもの
 B休止するものの3つに分けることが望ましいのです。
40歳とか50歳とか60歳で、ある時期を見計らって、思い切って、自分の棚卸をやらないとズルズルと過去や駄目な生き方を引きずってしまうのです。
大事なことは思い切って減らしたら、老後に新たにやることを作り出すことです。
例えば、50%捨てたら20〜30%の新たなことを始めてみることです。歳取ったら新しいことはやらないというのでは老け込むばかりですし、やっとできる歳になったのですから。
人生も企業も同じです、順調な時に事業拡大で、増えてしまった事業や資産や負債や人や在庫は、経営者自らが、不採算部分を切り捨て、資源の集中や新事業展開をやらないと確実に老化し赤字転落・業績不振・倒産することに結びつきます。
バブル崩壊後さすがに10年かかって、やっとこさっとこ、不要部分を一掃してきたのですが、かかり過ぎです。
人間は闇雲にあれもこれも欲深に見境なく手に入れてしまうものです。それらが皆価値の高いものばかりであれば言うことはありませんが、ガラクタ・不要なものが、家にも会社にも自分の中に異常なほど一杯に詰まってしまうのです。
捨てようと思っても、いざとなると、「あれも捨てたくない、これも捨てたくない」と悩んでしまうのです。狭い家に沢山の使わない我楽多が詰まっているのと同じ構図です。
代表的な最悪のものとしては、日本の自民党政治家や役人も自分達の利権を守ることだけで、捨てるべきものを捨てませんね。かつての誇り高き日本を、加速度的に駄目にしていき、世界から見放される日本への道を歩んでいます。
戦後日本は欧米文化を無批判に取り入れてしまい、そのおかげで大事な日本文化や日本精神を失ってしまいました。
最近は、技術進歩により、ゲームにパソコンにテレビにしがみつき、狭く、浅くなり、捨てるもの自体がない若者が増えているのですが、こういう現象も困ったことですね。
第15号 村上和隆の人生塾「一言」
15.失敗しよう、どんどん失敗しよう、失敗なんかくよくよするな、失敗こそ我が人生
過去を振り返ってみると、私はあわてもの、せっかちで、その上、不器用でしたから、言うのが恥ずかしいような失敗やかなりひどい失敗をあまりにも沢山しています。
失敗ばかりしていると、どんどん自信を失い、ついには大きく混乱してしまうなんてこともありました。
しかし今思うとあまりに沢山の失敗をしたからこそ、今の自分があると思うのですが、当時は、失敗ばかり、あえてどんどん他人と違う道へ踏み込んでしまう自分がなんとも情けない哀れなものと思ったものです。
失敗ばかり、脱線ばかり、一体自分は、何をしているんだ?我ながら大丈夫かよ?いいのかなー?なんて思ったものです。
失敗とは何でしょうか?成功とは何でしょうか?成功といえども100の失敗から生まれるのです。
失敗を100しないと成功しないと考えるべきなんです。失敗しても、全然へこむことはないのです。
逆に成功したからと言って有頂天になってはならないということです。失敗を恐れることはナンセンスで意味のないことです。
「また失敗しやがって」なんて叱責する社長さんや上司や親がいますが、これは大間違いです。
「よくぞ失敗をした」「もっと失敗して来い」ということこそが大切なんです。
「失敗こそ成功の元」「失敗こそ我が人生」「成功しようなんて思わない」というように認識を変えると、人生観が変わるんです。
人間には人生で何回か格別大きな失敗がありますよ、その時はガクーンと打ちのめされ、下手すると鬱病になったり、自殺を考えることすらあるのです。
冷静に考えれば、どちみち人間のやる失敗なんてのは、大した失敗ではない、小ぽけなもんですよ。
失敗でくよくよする、そんな必要は全くないのです。失敗したらお祝いするくらいの根性で行くことです、成功したら、そこでお終いですから、お祝いすべきことではないのです。
少しくらいの失敗・小ぽけな失敗で挫折するようなことでは人生の値打ちなんてない。数々の失敗を勲章にしましょう。
第13号 村上和隆の人生塾「一言」
13.人間は喜びたがり、しばしば喜び、はしゃぐが、一体、そんなに喜ぶべきなんだろうか?
人間は、しばしば喜びたがり、喜ぶ生き物ですね。何でなんでしょう?何も格段喜ぶ必要などないはずなのに必要以上に喜ぼうとするのです。
イチローが打った・日本選手が金メダルとった・結婚した・大学に合格した……・何故、人間は、そんなにも喜びとか幸せとかがないといけないのですかね?
喜ぶことが格別良いことのように、当り前のように思っていますが、よくよく考えるとこんな不思議なことはないのです。
一体、やたらに喜ぶということは意味があるのでしょうか?喜ぶというのはどういうことなんでしょうか?
つまらんことを喜ぶとはそんなに意味があることなんでしょうか?同様に、悲しむということも、よくよく考えると不思議なことですね。
必要以上に喜びなんか求めるから、悲しみなんてものが増えるのかもしれないのです。あまりつまらんことで喜ばないほうが良いのかもしれませんな。
「喜びは喜ばしいから喜びなんだ」「悲しみは悲しいから悲しみなんだ」なんて思っているのはおかしい、ひょっとすると喜びとは、現代においては、大きな悲しみの元を生み出すものになっている可能性があるです。
そんなこと考えたことありませんか?楽しい・嬉しい・美味しい・喜ばしい・美しい・・・一体それらは何なのでありましょうか?
一方、苦しい・哀しい・まずい・悲しい・汚い・・・・も一体、何なのでしょうか?
『楽は苦あってこその楽』『苦は楽したための苦』ということでしょうか?
このあい矛盾する言葉の意味や関係を深く考え直してみるべきですね。
子供がはしゃぎまわるような姿を、大人までもがすべきことなんでしょうか?
喜びも悲しみも幾年月・・・なんて格好の良いこと言いますが、大袈裟に喜ぶ又は大袈裟に悲しむのは、実は意味のない暇つぶしなのかもしれません。
袈裟に喜ぶ又は大袈裟に悲しみもせず、どんな状況下においても、いつも平然(平常心)として、仏のようにうっすらと笑みをたたえていることができたらと思うのです。
進歩・成長・がんばり・勝った負けた・・・・一体なんのためなのでしょか?
第12号 村上和隆の人生塾「一言」
12.止めることはなんともすがすがしいことなんだが、人は一度手に入れたものを手放せない
私はここ10数年で禁煙に始まって、いろいろなことを止めてきましたが、自分で言うのもおかしいですが、好きなことを止められるって凄いでことすよ。
言うは易いが、止めるというのは、そう簡単ではありません。禁煙と紙に書いて壁に貼ってもせいぜい三日坊主がいいとこでしょ。
私の結論は、一口で言うと、「何をあくせく糞の役にたたないことばかり沢山やっていることか、早くやめたほうがずーと良い、すすんでどんどん捨てなさい」ということです。
「だらしなく欲張るということが、どのくらい自分を駄目にしているか」に気付け
ここ百年くらい日本でも、あまりに多くのことをやり過ぎ・持ち過ぎてきましたよね、それによるマイナス面が、家の押入れの中のように過剰に蓄積しているんです。役所なんかも、半分は捨ててもいい、むしろ捨てるべきことなんです、そうすれば増税なんか全く必要ないんです。
一度全部整理したほうがいいんですよ。くだらんテレビ番組・プロスポーツ競技・道路・お祭り騒ぎ・イベント・贅沢な食事・海外旅行・・・・よくよく考えると金がない、環境が悪化すると言いながら、無駄なことばかりが実に多いですね。
私がここ数年でやめた結果の私の具体的感想は、次のようなことです
 @何故今までできなかったんだろうか
 Aやる気を強く持てば止められるものだ
 B止めて正直なところ、すっきりした
 Cあれこれ余分な手間が減った
 D健康になった
 E環境に良いことやった
 Fお金が節約できた金の不安も減った
 G無駄なことしていただけだったという後悔
 H人間って欲張りなもんだなーという反省
 I人間て弱いもんだなーという自覚
 J欲ばりの心によって、いつもイライラしていたなー
 K今まだなかった、いろいろな良い効果が得られた
私は周囲の人にも「是非、○○を止めたらどうですか?止めると節約だけでなくいろいろ良い効果もありますよ」と言ってあげるのですが、まあほとんど100%「良いのはわかるが、そんなことやりません」「やれません」「考えて見ます」ですね。
私が更に、止めることの効用を、事実として詳しく説明してあげても、全く効き目がないのが普通です。
一度やってしまった、手に入れてしまった、味をしめてしまったものを人間は容易に手放しませんな。
道路特定財源なんかも、今正に利権の自民党が「手放したくなーいよー」とだだこねているのです。
そもそも多くのものを手に入れるというのは良いことではなく、むしろ罪悪・厄介なもんなんですなー。
手にいれる→慣れてしまう→病的に依存する→止めようとする→だが絶対に止めることはできない→害の面が表面化するのであります。
要するに人間はわざわざ手に入れなくても良いものを手に入れてしまうのです。現代はどんどん手にいれさせて世の中人間を駄目にしていくのです。
20世紀は手当たり次第手にいれてきた時代、これに対して21世紀は止める世紀であると思うのです。
まあ、できれば初めから欲しがらないことが一番なんですがね。
第11号 村上和隆の人生塾「一言」
11.些細なことでも暮らしのあらゆる事において、真剣勝負という言葉を思い出し、真剣勝負の気持ちを取り戻そう
昔の日本では、真剣と真剣をあわせ命をかけて戦うなんてことが年中あったらしいのですが、現代は当然そんなことはありませんし、日本では戦争も軍事教練もないですから、幸か不幸か、命をかけて真剣で勝負をする機会は、ほとんどありません。
平和というのは良いことですが、日本のように、こんなに長いこと平和続きでは、真剣勝負どころか、緊張感はなく、生命や暮らしぶりについて真剣に悩んだり、考えることもなく、人間はどんどん甘くなり堕落していくだけですね。
こんな安易な時代だからこそ、私は物事をやる時に「真剣勝負する心構え」というのを多く持つべきだと思っています。
非常に身近な小ぽけな例で言いますと、人は、毎日歯磨きをしていますが、厳格に日に3回5分かけて歯磨きをしている私のような人から普通の人を見ると、30秒くらいでいい加減・出鱈目・物臭であり、全く磨けていないのです。
歯磨きも真剣勝負の気持ちで磨かないと虫歯・歯槽膿漏だらけになってしまいます。
なぜ歯磨きがきちんと出来ないかというとその原因は、真剣勝負を避けている又は全く忘れているからなのです。真剣勝負というと凄い大袈裟なことと思い違いをしている人が多いのです。
どんな小さなこと、例えば料理・掃除・洗濯・挨拶・会話・歩く・・・・何でもかんでも、一生懸命やるとすれば、それは正に真剣勝負の姿勢に変わるんです。
真剣勝負をもっと積極的にするには、
@忘れかけている真剣勝負という言葉を思い出す
A真剣勝負が全くできてないことを自覚する
B真剣勝負していないことを強く反省する
C真剣勝負をしないのは自分がだらしなく、弱いからだと自覚する
D真剣勝負をしないといつまでも負け続けることを知る
E真剣勝負することは格好良いなーと思う
F真剣勝負することに憧れる
G真剣勝負をいつも唱える
H真剣勝負すると生き生きしてくることを期待する
I真剣勝負をするという姿勢によって、本来の人間らしさを取り戻す
J真剣勝負によって自分の弱さを克服していく
K真剣勝負によって互いに切磋琢磨する
昔に比べて飛びぬけた豊かさと平和が続くと、命をかけるほどの真剣勝負をしないことに慣れてしまい、腑抜けになっていくのです。
技術進歩や経済発展は情けない人間を大量生産しているのです。もう一度真剣勝負という言葉を思い出しましょう。
149.ここ何年も止めることに挑戦し続けていますが、指導者は率先垂範、手本を示す
私は以前からいろいろなものを止めてきました。
床屋・新聞・雑誌・新幹線・特急電車・タバコ・自家用車・外食・生命保険・固定電話・都会だけの暮らし・エアコン・暖房・ペット飼育・肉過食・甘い菓子・甘いジュース・食べ残し・テイッシュ・毎日飲酒・宴会等での大量飲食・海外旅行・物見遊山の旅行・温泉行旅行・ゴルフ・本やCDを買って読む・タクシー・年賀状・FAX・レジ袋…などをやめて来ました。
やってみると、新聞なんか全く無用ですし、散髪も自分でできます。
そして最近も次々に止める挑戦に取り組んでいます。しかしまだ止めるべきなのになかなか止められないことが沢山あります。しかし今年、その困難なものもやっと達成が見えてきました。それは、
@エレベーターに乗らない
Aエスカレーターに乗らない
B間食しない
C無駄な買い物、お金の無駄使いしない
Dテレビのつけ放ししない
E過食しない
の6つです。
これらは、私も長年挑戦してできなかったことばかりでした。しかしやれば効果は健康と節約と環境の3倍得られます。
資源高騰・食料高騰・地球温暖化が問題になって地球環境化防止サミットが何だのかんだの言っていますが、まず政治家や役人が手本を見せるべきなのに全く他人事のように無駄使いをしています。
「私、政治家や役人はこんなにもいろいろ止めています、だから国民の皆様もどうぞ・・・・」ということが全くなく、他人事のように、G7の馬鹿首相が集まって、洞爺湖で豪華なホテルを使い、膨大な警備をし、莫大な税金を無駄使いし、贅沢三昧の会議なんです。
「インターネット無料チャットをSKYPEでやれ」と言いたくなります。本当に腹だたしいことです。
指導層が手本を示さずに、「努力せずに、環境負荷を減らす方法がないか?」なんて甘いこと考えるのは無駄ではないのですかね。
暫定税率の問題でも、「これだけ大赤字・火の車なのに、こんだけ国民が困窮しているのに、まだ高速道路作り、国土交通省に無駄金使わせて欲しい」はないでしょう。
家庭でも会社でも親やトップがまず自らやるのではありませんか?歴史上の改革は皆そうでした。
例えば、江戸時代、米沢藩主の上杉鷹山の改革では、藩の武士達の猛烈な反対や抵抗に耐え抜き、藩主の鷹山は黙々と改革を率先して実施するのです。自らはボロをまとい貧しい食事や暮らしを実践するのです。新しい産業を一から立ち上げていくです。
上杉鷹山
つらいことを国民にやらせようとするのに、自分達はのうのうと贅沢や無駄をする様を見て国民は「あの首相ならば、あの政治家ならば、あのお役人のためなら俺もやるぞ」と言うでしょうか?
現代の日本の政治家や役人や先生や親や上司に欠けていることは、つらいことでも、自ら辛抱して無駄を止めて、手本を示すことではないでしょうか?
「少しは私を見習って爪の垢でも煎じて飲め」と言いたい。村上和隆の止めるへの挑戦
まあ安倍や福田の甘えたお坊ちゃんが首相では、自民党は改革はできないでしょうから、解散して自民党を自ら早くつぶすことですね。
第10号 村上和隆の人生塾「一言」
10.世界に冠たる日本の精神文化の伝承も途絶える時が来ている、なんとか自分だけでも日本人でいたい
戦後欧米化が急速に入り込んで来たのですが、そう言いながらも、当時はまだ日本の文化や伝統や精神というものは色濃く残っていました。
しかし欧米化の巨大な波は年を追ってどんどん日本を侵食して行きましたし、旧来の日本文化に比べて便利で、効率的で、見栄えも良いなどの理由から、安易に受け容れてしまったのです。
そして欧米流の豊さや便利さがどんどん暮らしの中に入り込むようになると、もう堰を切ったように日本文化や日本精神は切り捨てられて行きました。
下駄・和服・和室・畳・和式・和風・日本の田舎・障子・火燵・ぞうり・伝統行事・日本料理・礼儀・言葉…まさに絶滅危惧種同様に絶滅の危機に貧する状況までに確実に悪化してきました。
企業では団塊の世代の大量退職により技術の伝承に危機が迫っていますが、今から50年くらい前までは当り前に行われてきた世代間の伝承が困難になっているのです。
日本文化や日本精神というのは、島国日本・平和国家・単一民族国家の日本に独特のものであって、もし安易に日本で消うせてしまえば、もう二度とこの独特で素晴らしい文化や精神が復活することはないのです。多くの動植物が種の絶滅の危機に瀕しているのと同様で、止めるのが困難なのかもしれませんが、自分だけでも日本の文化や精神を受け継ぐということにもう一度チャレンジしてみたいものです。
そうしないと自分は自分でなくなり、難民同様になってしまいますし、欧米人のような、合理性一点張り・大雑把な人種に属したままは、ご免蒙りたいのです。
最近では、むしろ一部の欧米人のほうが日本文化や日本精神が失われることを嘆き、来日し、禅・仏教・柔術・芸道・芸術・日本古来の職人仕事・日本の家屋や道具・庭・武士道・暮らしぶり・・・・・など一生懸命学ぼうと努力している始末です。
しかし彼等には到底無理ですから、ここは一番、日本人自身が日本人であることに誇りを持ち・欧米流に決別し、日本人であることにこだわりるべきだと思うのです。
日本人なんですから日本人らしい日本人に戻りましょうよ。
少なくとも、いい加減に、欧米化した日本人ということかだけは抜け出したいですね。
最近は、女(男)が女(男)らしくなくなり、親が親らしくなくなり、政治家が政治家らしくなくなり、先生が先生らしくなくなる・・・・・そういう時代の流れですから、難しいのは百も承知の上ですが。

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